「川が流れる街で」さくら てつ

 「ホシカワにコイがいるなんて、素敵ですね」
 田辺亜紀子はいつになく弾んだ声でそう言った。
 光江と同期の美紗と一緒に秘書課を訪ねて行き、用事を済ませて一緒にお昼を食べているときのことだ。
 江尻さんは相鉄線ですよね。相模鉄道は落ち着いた雰囲気で、山に向かっていく感じがいいですね。憧れます。
 都内に直通する京浜急行や東横線と比べて、横浜で乗り換えなければいけない相鉄線に少し引け目を感じていたが、そのように言われるとそういう良さを見直した。
 どんなところですか、と聞かれて、最寄り駅が相鉄線の星川で、線路沿いに川が流れていて、そこには鯉が泳いでいるという話をしたときに、ちょっと驚いたような、あるいははにかんだような控えめな笑顔で、さっきの言葉をつぶやくように発した。
 正確には流れている川の名前は星川ではなく、「帷子川」という昔風のいかめしい名前だが、あえて訂正はしなかった。
 僕にとっての帷子川の鯉は、驚くほど巨大で、コッペパンもそのまま飲み込んでしまいそうな、ロマンチックな要素は乏しい生き物だったが、その田辺亜紀子の反応を聞いて、いくらかは可愛げに思えたものだ。

 僕の所属する開発部にいる本田美紗は、秘書課の田辺亜紀子とは同期の採用である。
開発部という男所帯にいるので、美紗はわりとサバサバした性格である。気立てはいいのだが、ちょっとなれなれしい感があり、僕はだいぶ押され気味である。
 常務が僕の担当している新製品の素材に興味があるそうで、秘書課を通じて、直接話を聞きたいから説明に来るようにとの連絡があった。
 まずはアポイントを取らなければいけなかった。僕の上司の主任は部下の管理を全然しない人で、うるさくなくて良いのだが、いい意味でもそうでない意味でも放任で、こういうときに頼りにならない。
 だから、この話は直属の上司を通さずに、その上の課長から直接来た。せっかくのチャンスだから日程を調整して、お前が一人で説明してこいという、いささか乱暴な業務命令だった。若手を鍛える意味でも、僕に直接行かせることにしたというニュアンスの説明をされた。
 後から知ったことだが、課長は常務が主流派でなく、遠からず系列会社に出ていってしまうことが分かっていたので、僕と一緒に説明に行っても自分の点数につながらないので、僕に度胸を付けさせるというか、自分が部下の育成に独自のポリシーを持っていることを周囲に匂わせたかったのかもしれない。
 それでも、不器用な直属の主任を一緒に行かせなかったのは、失敗しても若手なら見逃してもらえるという深謀遠慮だったのだろう。

 そんな風に言われて、秘書課に行かなければという話を昼休みにしていたら、美紗が、同期の亜紀子ちゃんがいるから、私も一緒に行ってあげるということになり、まずは田辺亜紀子に連絡を取って、秘書課に行くことになったのであった。

 田辺亜紀子とは顔見知りだが、落ち着いて話をしたのはそのときが初めてだった。
ただ、少し前に深刻な噂を聞いていた。
開発部の先輩で、大部分が理工系という部署には珍しく、社内の人間関係や人事の動向に驚くほど詳しい加藤和之が、秘書課の課長代理と若い秘書が怪しい仲だと言っていた。
そしてその若い秘書が田辺亜紀子なのだということだった。
 また、その課長補佐の妻は専務の娘だということだった。
 メイクもあまりしていないし、秘書課にしては地味な感じの娘だったので、切れ者という噂の天野さんという課長代理とは似合わせない感じだった。
 秘書課の天野さんは課長代理だが、有能で、前社長の秘書も務め、現社長の信頼も篤く、実質的には秘書課のまとめ役だと聞いていた。
ただ、加藤さんの話は事実無根のときも多いので、あまり気にはしていなかった。それが本当なら、美紗もきっと何か言うはずだったからだ。

 亜紀子とはそれがあってよく話をするようになり、美紗が開発部若手の新年会に誘った。
メンバーの多くが二次会に向かったが、僕は翌日に出張を控えていたので、そのまま帰るつもりだった。
 亜紀子は僕の隣の席で、珍しくよくしゃべった。そして僕にいろいろ聞いてきた。
例の常務説明以来、彼女は会社の重要方針など、僕が疎いことがらをいろいろと教えてくれるようになった。機密事項などではなく、僕が知らないだけのことがらが多かっただけだが、社会人としても成長したように感じていた。
 その間、本田美紗を交えてディズニーランドにも行ったこともあり、だいぶ親しくなって。
 この会を発案したメンバーは元々二次会以降が主目的だったらしく、料理は物足りなかった。二次会メンバーが先に行ってしまい、同じ残され組になった亜紀子に、なんかおなか減ってないと聞くと、「はい、そうです」と小学生のようにはきはきと答えた。じゃあどこかであったかいものを食べていこうか、亜紀子さんは何がいいですかと聞くと、
「私っていつも聞き役で、私には悩みがないように思われているのが悩みです」と言いつつ、江尻さん、私の話を聞いてもらっていいですか」と少し首をかしげて僕の方を見ながら、それでもはっきりした口調で言った。
「この辺はあまり知らないし、お店は江尻さんにお任せします」と言われ、ちょっと迷ったが、西口から少し離れたところに、女将が一人で切り盛りしているおでん屋があるのを思い出した。
 寒いので暖かいものをという意味合いもあったが、そこならカウンターでも邪魔されずに話ができるので、
「おでん屋さんはどう」と聞くと、
「おでん、好きです。女の子同士ではそんな店は行かないので、ぜひ行ってみたい」と、はしゃいでみせた。

 おでん屋は駅からすこし離れたところにあった。女将はかつて駅裏の川沿いに屋台を出していたが、立ち退きになってここに移ってきたらしい。ただそれも噂の域を出ず、本人もこちらが何か言えば話を合わせてくれる程度で、話に割り込んでくることはない人だった。
 店は居抜きで入ったのか、相当に年期は入っている作りだが、手入れも掃除も行き届いていて、気持ちが良いところだった。
亜紀子は、こんな店初めてといい、カウンターの作りにも、おでんの鍋にも、女将の割烹着姿にも、おでんの器にも、「すてき」を連発した。もちろん、おでんの味も賞賛した。

 そこでの亜紀子の話をかいつまんで言うと、秘書課に異動した当時、同僚の女性たちは自分たちが思っていた後輩女性が来なかったので、亜紀子には冷たかったらしい。悩んでいた彼女にいろいろと親切にしてくれたのが上司の天野で、目立たない程度にではあるが、細かく気を配ってくれたという。近づきすぎず、それでいて暖かく見守ってくれる、その距離感にとてもほっとしたそうだ。
天野の妻は加藤から聞いていた専務の娘ではなく、たまたま結婚したところが、妻の両親が専務としたしかったらしい。妻の実家もお金持ちらしく、贅沢に、またわがままに育てられたらしい。
 妻はそうした育ちにありがちなわがままな性格で、暮らし向きも派手、子どももいないのでお互いの不満がストレートにぶつかっているようだ。もっとも天野の方から不満をぶつけているのでないのだそうだが。
そして、いつか天野に惹かれるようになり、天野も亜紀子の良さを認めてくれて、お互いを大切に思うようになったようだ。

 正直なところ重い話で、力になれる自信もなかったが、亜紀子には何かあったら相談してとは言った。亜紀子は話を聞いてくれたことと、おでんのお礼を何度も言い、いつか「ホシカワのコイを見せてください」と、送っていった家のそばで別れ際に笑って答えた。

 その数日後、出張もうまく片付き、ほっとしてそのまま帰宅するときのことだった。冬とはいえおだやかな日の、まだ日没前の明るい時間だった。
 星川駅を降りて、家への帰り道、亜紀子の話を思い出しながら、ボーっと帷子川を眺めていたら、肩に人がぶつかった。
「ん、もう」と、とがめるような口調で言われ、自分が邪魔なところにいたと思って、あわてて「あっ、すみません」と声に出す間もなく、
「何だ、江尻くんか」と重ねられた。
誰だろうとよく見ると、湯川早苗だった。すぐにわかった。
 中学の同級生で、なかなかの行動派で、その頃から、福祉や環境問題に興味を持っていた。全然変わっていなかった。
「何を見てたの」
「川のコイを見てた」
「コイを夢見てた、なんて。ずいぶんと乙女チックなのね」
「夢見てたじゃなくて、ただ泳いでいる鯉をウォッチしていた」と反論したが、それに返事はなく、
「そう言えば江尻くんはこの辺に住んでいたんだ」と続けられた。僕は高校卒業後に相鉄沿線に引っ越してきた。
「鯉を見ていたなんて、魚に興味があるんだね。ちょうどいい、私、こういうことをやっているんだ」と、
『帷子川・鮭放流プロジェクト』だったと思うが、そんな名刺を渡された。
 もうすぐ放流するから、今度きてよ。連絡先を教えて。と言われ、喫茶店に行くこともせずに、その場で仕事のことなどをいろいろ聞かれた。何だか尋問されたような感じだったが、いやな感じを持たせないのが彼女の長所だった。

 それから間もなく湯川早苗から連絡があり、一度会って、震災を機にした被災地と保土ケ谷をつなぐ活動であることなど、放流プロジェクトの詳しい話を聞かされた。
 そして放流につきあうことになった。
 放流は、放流に適した気温・水温のときに行うので、きちんと連絡が取れるようにしておくことなどを命じられ、早苗とは頻繁に連絡を取ることとなった。向こうから一方的に、今いる場所ややっていることを聞かれるのがほとんどだったが、残業していると、とっとと家に帰って帷子川に降りて手を入れて水温を肌で感じておいてなどと、まるで中学の理科の先生から自由研究の進捗状況を確認されているみたいだった。
 不思議だったのは、湯川早苗は以前と同じ市内の中心に住んでいるのに、この相鉄沿線のプロジェクトに参加していたことだ。「この川はロンドンでいえばテムズ川のようなものだ」と言っていたが、大風呂敷を広げ過ぎだと思った。ただ、確かに市の中心部を流れる重要な川で、産業の進展で汚染されたが、その後の環境保護のおかげで魚は少しずつ戻ってきたところは似ている。
 帷子川も整備すれば小さなボートくらいは遡れるのではないだろうか。僕は「ボートの三人男」という高校のときの英語のテキストを思い出したが、早苗は「たのしい川べ」がイメージにあるようだった。
そんなこともあって帷子川にはつよい関心を持つようになった。

 鮭の放流は無事にすんだ。
 早ければ三年ないし四年で帰ってくるらしい。あきらめないで待っていれば5年たって、ものすごく立派な固体になって戻ってくることもあるそうだ。

 こうしたドタバタを通じて、ホシカワのコイとサケはとても身近になった。
 通勤の際も帷子川が感じられる側に立つようになった。

 僕の新製品は常務の後押しもあって予定より実現が進んだ。
 年度替わりで慌ただしく過ごしていたが、本田美紗が少し深刻な顔で、亜紀子ちゃんが退職したと告げにきた。
 そして江尻さんは何か知っているのではないかと問い詰めてきた。新年会のあとに亜紀子と僕がどこかに行ったのをしっかりと観察していたらしい。
 おでん屋でのことのあと、亜紀子からは丁寧なお礼の手紙が来ていた。天野とのことは、何ごとも焦らずに待つと書かれていたことから推察できるだけだった。退職の話は知らなかった。

 亜紀子からはそれから間もなく、退職の挨拶状がきた。
 慌ただしいままに退職することになり、挨拶もせずに申し訳ありません。と添え書きされていた。

 連絡しようかと思っていたら、翌日に手紙が来た。
 整った字で、お世話になったことやディズニーランド、さらにおでんのことが綴られ、天野の協議離婚が成立したことも書かれていた。
 そして妊娠しているということも。
 離婚成立後の子どもで、近いうちに婚姻届を出すともあった。

 そして
「ホシカワのコイ」を落ち着いたら見せてくださいと結ばれていた。

 僕は鯉の話と鮭の稚魚を放流したことを、天野との結婚と子どもが生まれること祝福する返事にしたためた。

 日々は過ぎていく。早苗は次の鮭の放流に走り回っているようだが、僕は毎日の通勤電車の中で、初夏の日差しと線路脇の空間を流れる帷子川を感じながら、鮭が遡上してくるのを待っている。

著者

さくら てつ