「希望の駅」風野 源五郎

 相模鉄道希望ヶ丘駅の北口を出て、たばこ屋の通りを北東に辿ると厚木街道に出る。
厚木街道の沿道は住宅密集地だが、道路に挟まれた一角に、取り残されたように畑と林が広がっている。
このささやかな緑地は、僕のアパートから歩いて数分のところにある。
 僕は軽く汗ばむ程度のスピードで、空き地周辺の歩道をスロージョギングしている。
一歩踏み出すたびにフェンス沿いの自然が後ろに流れていく。
木の葉の移ろいや栽培された野菜の変化が、季節の流れを目と肌で感じさせてくれる。
二羽の小鳥が空中旋回を繰り返しながら追いかけっこをし、野アザミの紫色の花に蝶が止まって羽を休めている様を見ていると、子供に帰ったような錯覚に陥る。
 「ユキちゃん次の角を曲がったところでちょっと休もうか。」
と僕は後ろを振り返って声を掛ける。
「いいよ。自販機もあるしね。」      と由稀が答えながら首にかけたタオルで汗を拭く。
「ダメだよ。ジュースを飲んじゃうとビールがおいしくなくなるよ。」
と僕が言うと
「よし、それなら大ジョッキを飲んでやる。」
と真顔で答える。
僕は用事が無い限り週三回走っているが、由稀は土曜日だけ一緒に走る。
 僕が望ヶ丘に越してきてまる一年になる。
希望ヶ丘という名前に惹かれて越してきたというと、短絡的過ぎると思うだろう。
友人には勤め先も決まっていないのに、住まいを先に決めるなんておかしいと言われた。
その通りだと思うが気に入ってしまったのだから仕方がない。
 引っ越す前の僕は大学卒業後、社員数約二百名のIT関連会社に入社して、五年目を迎えていた。
インターネット関係の事業は、工場や在庫品を持つ必要がないので、新規参入が容易であり競争が激しい。
 僕はクラウドソーシング部門に所属していた。
クラウドソーシングというのはインターネット上で発注者(企業)と受注者(働き手)を結び付けるシステムで、我々仲介業者はシステム利用料を徴収する。
受発注者がマッチングした仕事はネット上で完結し、受注者は出来高に応じて報酬を受け取る仕組みになっている。
同業他社も似たようなシステムなので、半歩でもいいから先を行くことが求められる。
 受注者はパソコン環境があれば、自宅で仕事ができるため子育て中の女性が比較的多かった。
受注者と発注者間の苦情や要望の調整が僕の主な仕事で、三年を過ぎる頃には取引のコツが身についていた。
僕が持って生まれた几帳面で生真面目、完璧主義な性格は、調整役にはうってつけでクライアントからの信頼は厚かった。
若手が多く活気のある職場と仕事に不満はなく、何事も無く五年の歳月が過ぎた。
 そんなとき、部門のチーフ矢部が突然退職した。
条件の良い他のIT関連会社に移ったという噂もあるが、矢部から転職の話を直接聞いたことはなかった。
 矢部はよく僕に
「すべてに全力投球していると長く続かない。ポイントさえ外さなければいいから、力を抜くことも覚えた方が良い。」
と言っていた。
忠告は嬉しかったが、性格を変えることは出来なかった。
 矢部の退職後、僕は先輩一名を追い越して後任に指名され、五人のメンバーのチーフになった。
細かいところまで手を抜かない仕事ぶりが評価された反面、選任者は僕の気の弱さという欠点には片目目を瞑ったらしかった。
現場では生きるが、管理者としては不向きで厄介な性格だった。
 グループのチーフになると通常業務の他に、業績を分析し報告書や計画書を作成する仕事がプラスされる。
計画が達成できなければ課長から管理能力を問われ容赦なく叱責された。
平社員の時には気にならなかった、メンバーのずさんな面がやたらに目につくようになった。
その都度注意すればいいのだが、遠慮して注意できず胸の中に蓄積させた。
課長に叱られた後、部下に対して大爆発したこともあった。
 いつしか僕は仕事を溜めるようになり、退社時間が遅くなった。
職場と自宅の往復だけの毎日が続き、ベッドの中では一日の出来事を反芻しつつ、後悔と自己批判を繰り返し、悶々とした夜を過ごすようになった。
職場で口数が少なくなり、仕事以外で話しかけてくる人もいなくなった。
 そんなある日学生時代の友人である田代から結婚式に招待された。
披露宴は都心のホテルで行われた。
その日は大安なのか、幾組かの新郎新婦が廊下や階段で記念写真を撮っていた。
ラウンジで学生時代の友人が三人、灰皿の周りで談笑していたので、手を振って受付に向かった。
 田代家の受付には先客が何人か並んで記帳の順番を待っていた。
僕も列の最後に付いて順番を待った。
お祝いを受け取り、席次表を渡している青年は新郎の会社の同僚でもあるのか、見覚えが無かった。
新婦の受付はライトブルーのドレスを着た清楚な感じの娘だった。
時々新郎の受付の青年と言葉を交わすとき、こぼれる笑顔がかわいらしかった。
 いよいよ順番が来たので
「本日はおめでとうございます。」
と挨拶してお祝いのご祝儀袋を手渡した。「ご記帳をお願いします。」
と青年から声をかけられ、ペンを持って書き始めた。
 発作が起こったのは住所を途中まで書きかけたときだった。
体の奥底から真っ黒なガスのようなものが、渦を巻いて頭に向かって湧き上がってきたのだ。
仮に地獄の蓋が開いて、真っ黒な魔物の群れが湧き出してくることがあるとすれば、こんな有様なのだろうと思った。
口の中が乾いて息が苦しくなった。
額から汗が噴き出し、腕は金縛りにあったように自由を失った。
頭の中が真っ白になりながら最後まで書き終えたが、後半の文字は別人が書いたように震えていた。
受付の人ばかりでなくフロアの全員が、僕を見ているような気がして身がすくんだ。
 その日を境に僕の生活が一変した。
プレゼンテーションのときは口の中がカラカラに乾いて、鶏が絞め殺されるような声をだした。
説明資料を持つと手が震えるので、立ったまま見えるように拡大コピーした自分用の資料を、テーブルに置いて読み上げた。
 僕は前からあがり症の傾向があると感じていたが、人は誰でも人前で何かする場合は緊張するものだと思っていたので、気にしていなかった。
それが突然ひどく深刻な状態になったことが信じられなかった。
自分の身体に何が起こったのか謎だった。
 僕は本やネットであがり症対策を調べまくった。 
効き目があると書かれていれば、自律訓練法、瞑想、呼吸法、気功法、リラクゼーションなど自分でできることは全てやってみた。
あがり症を治療するというセラピストにも通った。
しかしどれも効果がなく、治るどころか悪化しているようにさえ感じられた。
 このままでは僕は社会人としてやっていけないと思い、大学病院の精神科を受診した。
医師からは「パニック障害でもないし特に異常は見られません。気休めですが弱い精神安定剤を出しておきます。心配し過ぎと思われるのでリラックスして生活してください」と言われた。
 その後二軒の心療内科を受診したが、どちらのクリニックも診断結果は似たようなものだった。
字を書く前に深呼吸するとよいとか、肩の力を抜けというアドバイスと、精神安定剤の処方だけだった。
精神安定剤は会議などの予定が分かっている場合は頓服として一時的に効果があった。
ただ効果が出るまで一時間ほどかかるので、突発的な事態に対応できなかった。
あるクリニックでは、自律訓練法の指導員がやり方を説明してくれたが、僕が手足の温度や血圧、脈拍を自分でコントロールできると知ると逆に憧れの目で見られた。
 それ以後医療に頼ることをあきらめた。
近い将来とんでもない失態をしでかすか、大恥をかくことが予想できたので会社を依願退職した。
コツコツ貯金をしていたので、当面はアルバイトでもしながら、のんびりしようと考えていた。
 前々から気になっていた、希望ヶ丘に住んでみようと思い立ったのもその頃だった。
地名で自分を変えられるとは思わないが、毎日見る駅名やお店の看板に、『希望』と書かれているのは悪くないと思ったのだ。
 それから半月後に希望ヶ丘の安アパートに引っ越した。
 部屋に籠っていても仕方がないので、求人情報を調べて、隣町の量販店でアルバイトを始めた。
品出しというのは接客や対人関係が無い仕事なので気楽だった。
 僕はあまり飲めないのだが、仕事帰りに週に一度、ビールを飲みに近所の居酒屋に寄った。
いつの間にか世間話をする顔見知りも二~三人出来た。
 たまたまその日は女性の四人連れがテーブルに座っていている他に客が居なかった。
僕はカウンターの隅に座ってビールと焼き鳥を注文した。
店主が
「先にビールをどうぞ。」
と言って僕の前にコップを置いてビールを構えた。
反射的にコップを持って注いでもらったが、案の定僕の手はビール瓶に当たるほど大きく震えた。
店主は気にも留めないふりをして、焼き鳥に取り掛かった。
 手酌でチビリチビリビールを飲んでいると「失礼ですけど、田代さんの結婚式でお目にかかりませんでしたか。」
と女性客の一人が僕の脇に立って声をかけてきた。
入ってきた時は分からなかったが確かに見覚えがあった。
新婦の受付をしていた女性に間違いなかった。
「思い出しました。受付にいらっしゃいましたね。」
と言うと彼女は
「ええそうです。差支えなかったら少しお話しても構いませんか。」
と緊張した面持ちで聞いてきた。
僕がうなずくと隣の席に座りながら
「私は朝倉由稀と申します。不躾だと思いますが、気にせずに聞いてください。」
と言って僕の顔を見た。
僕は困惑しながらも頷いた。
「結婚式の受付であなたの手が途中から急に震え出したのを見ていました。そして今日偶然お会いしてまた見てしまいました。これは廻りあわせだと気づいたので、勇気を出してお話しします。」
由稀は少し口籠ってから
「お名前を窺ってもよろしいですか。」
と言った。
「佐川洋介です。」
と僕は答えながら今は持ってない名刺を無意識に探していた。
「佐川さんは几帳面で生真面目な性格ではありませんか。」
「ええその通りです。融通が利かなくて困っています。」
と僕は見透かされたことに驚きながら答えた。
「手の震えの他にも症状はありますか。」
「スピーチをするときも、息が止まりそうに苦しくなって声が出なくなります。」
由稀が軽く頷いて言った。
「実は私の兄も責任感が強く完璧主義な性格で、佐川さんと同じような症状で悩んでいました。兄の場合は人前で手が震えて字が書けない、箸が使えない、苦しくてしゃべれなくなるというような症状だったそうです。」
由稀は続けた。
「兄は自分が弱い人間だからこうなったと考えました。そして自分のような欠陥人間はこの世に必要ないと思い込みました。課長職についていたので人一倍辛かったのだと思います。更にこの病気の深刻なところは他人に話せないことです。自分の弱さを曝け出す勇気が出せないので、一人で抱え込んでしまいます。」
そこで言葉を切って僕を見た。
僕は
「僕も全く同じです。誰にも相談できずに悩んでいます。」
と答えた。
由稀は
「家族が兄の病気を知ったのは自殺未遂をしてからです。ネットで購入した睡眠薬で自殺を図りました。幸い発見が早かったので助かったのですが、会社を辞めることになりました。」
と言うと一息ついて更に話を続けた。
「今は完治して元気に働いています。兄は弱い人間ではなくて病気だったのです。自殺未遂で入院中に自分が自殺を図った顛末をネットで投稿したところ、自分も同じ病気で苦しんでいたという返事を幾つかもらいました。その中に病院と医師名を教えてくれた方がいました。その病院で兄は救われました。」
そこで言葉を切って僕の目を見た。
「他人事とは思えないので繰り返しますが、佐川さんは心が弱いのではなく、病気なのです。」
 それから僕に聞いた。
「病院を知りたいですか。」
僕は首ふり人形のように大きく頷いた。
「じゃあ電話番号を教えてください。兄に聞いて電話します。」
という由稀に僕は少し考えてから
「電話は遠慮します。」
と答えた。
驚きと失望を込めて僕を見つめる由稀に
「是非食事を御馳走したいのでその時教えてもらえませんか。明日の夜七時駅前のレストランでいかがですか。」
と聞いた。
「喜んでごちそうになります。」
と由稀がほほ笑んだ。
結婚式の受付で見せた笑顔と同じだった。
 翌日駅前通りに行ってみると希望ヶ丘駅の『希望』の字がひときわ輝いて見えた。

著者

風野 源五郎