「忘れ「草大福」物語」中野康生

その日も彼は、二俣川駅前の『草凪屋』でいつもの土産を買ったが、うかつにも品物を店に忘れてしまった。それに気付いた時には既に遅しである。飛び乗った特急電車は直ぐに横浜駅を滑り出し、後悔しても後の祭りだ。

次に帰省した帰りに『草大福』を注文しながら、彼は少し恥ずかしげに小声で事の顛末を呟いた。
それに応えて店員は、
「それは、いつ頃の事でしょうか?」と少し首をかしげた。
「今年の三月十五日のことですねえ」
「今日と同じ物を買ってお金も払ったんですが、ちょっと急いでいてね、うっかり持って帰るのを忘れたんです」
「それで・・ひょっとしてここに残ってなかったかな、と思いましてねえ?」そう言う彼の顔を伺いながら、店員は、
「すみません、そのようなお話は聞いておりません、が・・・しかし、確認のために調べてみましょう」と、穏やかに応対してくれ、
「念のためにご住所をお聞かせください」と言うので、彼は住所を書いて帰った。
多くの商品が売れていく中で、ずいぶん前のことなど分かるのだろうか。元はといえば自分の粗忽さからのことであり、彼は当てにもせずにいたという。
ところが、それから十日も経たない内に忘れた品と同じ物が特急便で届き、手紙が添えられていた。
「ご返事が遅くなって申し訳ありません。当時の店員にも確認し調査をしましたが、その時の記憶も定かではなく記録も残されていませんでした。しかし、伺うところによりますと帰省の折には、何時も弊社の『草大福』をお買い求めいただいているとのこと、お客様もお忘れの際には、さぞ残念なお気持ちだったことでしょう。弊社としましては、お客様のそのお気持ちを少しでも安らげられるのであればと思いまして、お買い求めいただいた物と同じ品を送らせていただきました。尚、今後も帰省される折には私どもの店にお立ち寄りいただき、ご贔屓賜りますようお願い申し上げます」と、短い文面の中には相手を思う優しい心が滲み、しかも万年筆で一字一句が丁寧に書かれていた。
彼は予期せぬ贈物の嬉しさに、さっそくお礼の電話をした。「・・・『草大福』が届きました! ありがとうございました。感激しております!」と感謝の一言を伝えた。電話を受けた店員は、最初は何のことか分からずに戸惑っていた。
 送られて来たその箱をさっそく開けてみると、特別仕様ではないかと思うほど、ヨモギ味の甘い香りが美味しそうに香っていた。彼は頬を緩めて、両手を合わせてから頂いたという。

 次に帰省した時に店頭で、期待もしていなかった「草大福」を送ってもらったことと、添えられていた心温まる手紙に改めてお礼を述べた。すると店の奥から店主が出てきて、会釈しながら、
「せんだっては、わざわざお電話までいただき、ありがとうございました」
「その上に今日はご来店いただきまして、そのように喜んでいただきご丁寧に言っていただきますと、こちらこそ大変うれしいです」
「過分にお褒めをいただきました下手な手紙は、私が書いたものです」と恥ずかし気に頭を下げた。
「特別に美味しい『草大福』は早々に食べてしまったけど、心温まる優しさ溢れるご丁寧な手紙は、今も大事にとってありますよ」との彼の一言に、右手を振りながら頭を下げて、
「そんなことまでしていただきますと益々お恥ずかしいです。お帰りになられましたら、その手紙は直ぐにゴミにしてください」
「また、身に余るあなた様からのお言葉、こちらこそ光栄です。そのお気持ち、重ねて、ありがとうございます」と再び頭を下げた。
彼は、
「送ってもらった心をホカホカさせる『草大福』は、あなたの手紙のように心が込められていて美味しくて、味わい深かったですよ」と微笑んだ。
「そう言っていただきますと益々恐縮してしまいます」と店主は深々と頭を下げた。
その店主の優しい物腰や人柄は文面に滲み出ていた通りだと、確かめられて心嬉しくなったという。
その日、気持ちよく買い込んだ『草大福』には、忘れ『草大福』の心温まる話を添えて友達や同僚に配った。

 「草凪屋」は、「草大福」の美味しさに気配りの「優しさ」をそっと付けて販売する、昔から変わらぬ経営方針が客に受け入れられてきたのだろう。今では、その『草大福』は横浜名物の一つと言われるまでになり、相鉄線の主要な駅の売店で人気を得ている。
彼の父の幼き時代は、相鉄線はまだ相模川の砂利の運搬を主業とする鉄道として、沿線には人家もまばらだったという。幼かった父は何か特別な時に、親と一緒に二俣川から電車に乗り、横浜へ行くことが最も嬉しい事だった。帰りには必ず、家では作れない特別な味の「草大福」を駅前の「草凪屋」で買ってもらえることが、大きな楽しみだったと述懐していた。同じように二俣川界隈の人たちも、何かあると買っていく人気のお土産だったようだ。
その「草凪屋」には、よほど筋の通った伝統の職人気質と秘伝でもあるのだろうか。他の店の品とは比べられない『草大福』として、新鮮で香り高いヨモギと柔らかくても粘りのある餅とのつき合わせ。その草餅と美味なるアンコとの絶妙なコラボレーションが特徴の味と言える。

時は過ぎ久方ぶりに彼は、春の温かい日を選んで帰省した。両親の墓参りと近年相次いで亡くなった兄たちの墓参りが主な目的だった。老いてく自分も、再びここに来られるとも限らないと思い、同居している子と孫も誘って二俣川を訪れた。
あちらこちらと巡った後に、伝統の風格を守りつつも立派な店に建て替えられていた「草凪屋」を覗いた。
当時の店主と、顔立ちがどこか似ている四十代半ばの店長が笑顔で迎えてくれた。
「五十年以上も前の事だけど、この店で買った物を粗忽者の私はうっかり置き忘れたんだよね」
「それで、次に来た時に恥ずかしい事だけどその事を話したら、店員さんが私の話を疑わずに受け入れてくれてね」
「・・・・・?」店長は何の事かと興味を示した。
「それから、さほど日にちも経たない内に、忘れた物と同じ品物を送ってくれたんだよ」
話はその後、送ってくれた店主にも会いお礼を述べたこと。その「草大福」に添えられていた心優しい手紙の事等も話し、
「あの時の店主の素晴らしい笑顔と優しい物腰は、五十年以上経っても、いまだに心地よい思い出となっていますよ」と述懐した。
「へえー、そうですか! 私の祖父の時代にそのようなことがあったのですか?」
「初めて聞く貴重で嬉しいお話ですね!」
店長は、長き歴史の重みと真摯な客扱いを、伝統として受け継いでいるからだろう誉れの笑顔を見せた。
彼は、その昔の事を思い浮かべながら、
「私は当時大卒後に仕事の関係で、名古屋に移り住んだけど、元々はここの生まれ育ちでね、小さい時から特別なことがあるとこの店には、親にくっ付いて買い物に来てたんだよ」
「小さな子供の私にも、優しい声を掛けてくれてね。帰りのお別れの握手をする時には、何気なくその手のなかに飴玉などを握らせてくれた事もあったね」
「だから私の幼き日の楽しい思い出は、美味しい『草大福』と切り離せないものだったねえ」
「しかも、何回食べても飽きがこなかったものね」と昔を懐かしみながら微笑んだ。
「だけど、アンコと草餅だけのシンプルと言っちゃ大変失礼かもしれないけれど、ここの『草大福』は、他の店の物を寄せ付けない特別な味だよね。何か爽やかで特別に美味しいよ」
その言葉を受けて店長は、
「そう言っていただきますと身に余る光栄です」と、誇りの笑みを浮かべて頭を下げた。
彼は、その味わい深さに興味が湧き、
「伝統的な風格が滲み出ていた昔の建屋や、古い歴史を物語るような看板を思い浮かべると、何か由緒でもあるのかなと思うんだけど、ここの『草凪屋』には特別な歴史でもあるのですか?」との言葉に店長は、控えめながらも、
「当家の、先祖代々からの言い伝えによりますと、遠く鎌倉時代に活躍した畠山重忠公にまで話は遡るようです」と言う。
今回連れて来た子や孫も、彼から常々聞かされている故郷の昔の話だと興味を抱き、耳をそばだてて聞き始めた。
畠山重忠は、鎌倉時代初期の武将で源の頼朝の挙兵に当初は敵対するも、後に家臣となった人物だ。以後、知勇兼備の武将として先陣を切り鎌倉幕府の繁栄に大いに貢献した。
しかし初代執権・北条時政は、取り巻きの讒言を信じて重忠に謀反の名を着せて、二俣川で討ち死にさせたという。彼は死の直前に、「我が心正しければこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と一こと言って、矢じりを地に突き刺したという。
「曽我物語」では、重忠は曽我兄弟を讒言から救う恩人と書かれているが、自分の時にはそのように助ける武将がいなかったのだろうか。彼は仕草までが立派で誠実、思いやりのある人物だったので「坂東武士の鑑」と称えられた。
店長は続けて、
「かと言って、私の先祖は残念ながら勇ましい重忠公配下の武士ではなかったのですよ」
彼は、今まで見聞きして知った知識で鎌倉時代に思いを巡らせ、
「重忠は伝記で言われているように、人を分け隔てすることなく村人にも気さくに話しかけていたのでしょうかね」
「それを今風に言うと、身分の上下や男女に関係なくどんな人にも平等に接して、それぞれの持ち味を活かして世の中を平和的に繁栄させることが一番大事だという、そういう深い信念の持ち主だったのでしょうか」
「私も、二俣川の生まれですから重忠の人物像は知っているつもりですが、お宅の開祖がただの村人だったとしたら、重忠と何か特別な因縁でもあったのですか?」との問いかけに、店長は少しお茶目な顔をして、
「太田道灌の村人との掛け合いで生まれた、『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき』というようなものですね」
と言う。
「ええっ! それって何ですか? 始めから、分かったような、分からないような難しい話ですねえ」
「具体的に易しく話してください!」と、彼がちょっと困った笑顔で言うと、店長も微笑みながら、
「話を端折って、すみませんでした」
「当家は代々の貧乏百姓でしたが屋号の草凪が物語っているように、ある日、草餅の初代となる一家が汗を流しながら、夕暮れになるまで草を刈り取っていたところ、重忠公が狩りの帰りに偶然に通りかかったそうです」
顔をほころばせて彼は、
「そうか! それでその出会いが太田道灌物語みたいなものなんですね」と頷き感心した。
「お分かりいただき、ありがとうございます」
「それが太田道潅物語の後だと、それに似せた物語を捏造したことになりますよね」(笑い)と店長。
「上手い話ですねえ!」
「よかったですねえ。道潅の何百年も前のことで」(笑い)と言う彼に、店長は顔に笑みを広げて、
「ありがとうございます。そう言っていただきますと当家の伝説が正当化されてうれしいですね」と軽く頭を下げて、
「太田道潅の山吹ではなく、(笑い)畠山重忠公は、野原一面に刈り取られて山と積まれたヨモギを見て『せっかく刈り取ったヨモギを、牛や馬に食わせるだけではもったいないではないか。香りのよいヨモギをそなたが工夫して、餅につき込み特別旨い草餅として村人にも食わせてみたらどうだ』と助言してくれたそうですよ」
「思ってもみなかった重忠公からの直接のお言葉に、公を尊敬していた初代となる先祖は嬉しくなり発奮して、忙しい百姓仕事を日々こなしながらも、時間をこじ開けて美味しい草餅作りを工夫し始めたそうです」
思うに、中国から伝わった食あたりや下痢止めや、ちょっとした怪我にはヨモギを揉んで血止めした薬用効果を重忠は知った上での助言だったのだろうか。
続けて店長は、
「重忠公は、ヨモギの香りは邪気を払う効果もあると信じていたようですね」
「その意味も込められていたのでしょうか、既に平安時代に草餅は宮中行事として定着していたようですよ。そのことも重忠公は御存じだったのではないでしょうか」
「へぇー、そうなんですか!」と彼は感心して頷く。
「それが農家にも広く伝わり、その年の豊作を祈る祭りの時には御馳走として草餅を作り始めたようですね」と店長。
彼は興味を膨らませ、
「店長の上手い話に乗って、昔々の重忠とお宅の開祖が共に嗅いだと同じヨモギの爽やかな香りが、漂ってきましたねえ」と笑みて言うと、店長はニッコリ微笑みながら、
「初代は草餅を作り始めたのですが、その香るヨモギを餅につき込むだけで甘味など付けてなかったですよ。甘味料は、ごく一部の上流階級しか味わえない超高級品でしたからね」
「それでも多少余裕のある一部の村人は、麦芽で作った飴を甘みとして利用していたかも知れませんね。下々の中でも餅を食べられた村人は、ヨモギ餅に黄な粉をまぶしたり、保存食として干した物を焼いて香りを楽しんで食べたのではないでしょうか」と言う。
「へえー! 『草大福』も始めはアンコなしの、ただの草餅だったの?」と好奇心の強い孫が口をはさんだ。
「ですが、重忠公に初代が草餅を献上する時は、『あまずら』というツタの樹液を煮詰めて作った砂糖味を何処かから手に入れて、それをタップリ入れたアンコ入りの『草大福』に“よいしょ”の気持ちを味付けして、お届けしていたかも知れませんね」との店長の冗談に、皆で大笑いした。店長は笑みを残しながらも真面目な話に戻り、
「現在の研究では、草餅に欠かせないヨモギは薬用効果として強い抗酸化力があり、老化防止や癌予防のビタミンAが多いとか、葉緑素のクロロフィルは血の循環を良くして体を温める効果もあるそうですよ」
「さらに別の効果としましては、温灸で使われるヨモギを材料とする『もぐさ』は、独特の香りで呼吸を楽にする効果もあるそうですよ」との店長の話に、
「お客の方からすれば、とにかく美味けりゃいいという『草大福』に、何で店長はそんなところまで勉強してるんですか?」と彼の笑顔の突っ込みに、店長も微笑みながら、
「それでヨモギは、日本産の香り草ハーブと言われていますよね」
「香りの主成分は、口臭消臭効果やリラックス作用・白血病や蓄膿症にも治療効果があるそうですよ」と続けた。
ヨモギの香りは、古く百人一首の五十一番目の「かくとだに えやは伊吹の さしも草   さしも知らじな 燃ゆる思ひを」と伊吹山に生えているヨモギの香りのように、燃える恋の代名詞として詠われているほどだ。
店長の薬用の話に彼が、
「感心しましたねえ! ヨモギについて博識ですねえ。店長はヨモギ博士ですかねえ!」と茶化すと、
「『草大福』はヨモギが命ですからねえ」と言って微笑んだ。
代々受け継いできた伝統の商品に、限りない自信と誇りを持っているからだろう。笑みを残して真顔になり、
「小さくてボロ家だった昔の『草凪屋』が、今の様に大きく発展させていただいたのは、昔々から『草大福』を愛して育ててくださっているここ二俣川界隈の皆様方のお陰だと、先代も常々言って感謝をしておりました」
「これも重忠公が、人々のお手本になるお人柄のお陰でもありましょうし、重忠公が『我が心正しければこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ』と願った辞世の一言を、ここ二俣川に住んでおられる方々が代々守り継ぎ郷土を発展させてきたからではないでしょうか」
彼も微笑んで頷くと、
「この重忠公の誉れの信念を、見習い絶やさずに今後もご期待に副えられるように我が『草凪屋』は、味と品質を時代に調整しながらも、末長く愛していただけますように守り続けてまいります」と決意を述べた。
彼は不思議に思っていたことを尋ねた。
「ところで、『草凪屋』という店名ですが、『草』はヨモギだと直ぐに分かりますが『凪』はどこからとったんですかねえ?」と。
「これはあくまでも風説ですが、家名の由来は、初代の一家が草刈りしていた時には、大風が吹いていたのですが重忠公が通り掛かると風が急に凪いだからだというのです」
「それで我が初代が、完成第一号のお品を献上した折りに重忠公が名付けてくださったというものです」
彼はそれに対して、笑いながらも不満げに、
「これは、ちょっと上手すぎる話じゃないの!」と、問い掛けると、
「このことを強く表に出しますと、重忠公との繋がりも神話みたいに嘘っぽくなってしまいますよね」(笑い)
「その話は、初代から下って百年以降と思われる先祖が、当家に伝えられてきた畠山重忠公との繋がりを象徴化しようと考えて『草凪屋』と命名したものと思われます」
「その由来につきましては、草凪家と偉そうに言いましても我が家系はどこにでもいるようなお百姓でしたし、しかも貧乏百姓でしたから記し残された確かな物はございません」
「多分、重忠公の人間性に心酔していた初代から代々伝えられてきた心を汲んで、格好良く命名したのではないでしょうか」という店長に、
「で、あれば、風説はその頃に広めたものでしょうね」との彼の言葉に、
「しかし、北条時政の妬みを買ったと言われる、重忠公のようにならなくて良かったですよ」(笑い)
「もしも、そこで妬みを買っていたら今頃『草凪屋』は存在していなかったですもの」と消え入りそうに言うが、店長はニンマリ微笑む。
「正直ですねえ!」
「『草凪屋』と命名し重忠との関係を風説として、しかも神話化した当時の当主は中々の商売上手ですねえ」と笑いながら、彼は褒めて茶化した。
「その風説に妬みを買わなかったのは、当時の我が小店があまり繁昌していなかった証明でもありますよね」と店長は眉毛を下げ、そして上を向き改まった顔になり、
「実際、初代が重忠公の意を拝して草餅を作り始めても、都の鎌倉ならいざ知らず草深い貧乏百姓ばかりだった二俣川界隈では、草餅を買ってくれる人などいなかったでしょうね」
「ですが、作って商売にはならなくても粘り強く作っては作り直して、工夫をしていたのでしょうね」
「作って作りすぎた草餅は、どうしたのでしょうかね?」との彼の心配顔に、
「その努力の結果の草餅は、時には近隣に配ったり、物々交換に使ったり、或いは祭りごとには店らしきものを出したり、または親戚とか仲間内で味の評価をしていたのではないでしょうか」
「ただ、重忠公の尊敬すべき人間性と当家との繋がりは、代々確かに伝えられていまして、重忠公からの有難い助言を忘れないためにも、草餅作りは一家の伝統の柱として絶やせなかったのでしょうね」
「売れないのに、作り続けるって大変なことですね!」と彼は全くの同情心を起こした。
「ところが一つの大きな転機となるのは、『吾妻鑑』にも記されているように、鎌倉幕府の庇護を受けるようになった伊勢原の大山寺さんが、世の中もどうにか治まり大山詣でが段々盛んになるに連れて、旅の行き帰りに大山街道から離れている当店も、その御相伴にあずかるようになったようです」
「その頃からようやく、少しずつでも商いとして成り立っていったのではないでしょうか」
「皆さん方は多分、ご存知ないかも知れませんが、その大山街道には小山(おやま)街道というのがあったそうですよ」
「ええっ! そうなんですか? 大山街道は知っていますが、そんな小山街道が有ったなんて初耳ですねえ」と彼は小首を傾げる。
「この小山街道の名は歴史の本には載っておりませんが、昔から地元に伝わってきた話です」
「これは例え話ですが、滔々と流れる大河には必ずその大きな流れを作っている、幾筋もの小川(おがわ)があるじゃないかと」
「それと同じように大山街道の賑わいも、多くの小山街道の支えがあってのお陰だと、その道筋の人達は誇りにしてたようですよ」
「幸いにして、その細い小山街道が当家の表だったそうです」
「お陰様で、重忠公からの助言を受けて草餅作りを始めた初代から、今日の『草大福』に至るまでいろいろな事があったでしょうし」
「本当に、考えられないような苦難の幾山河を越えての旅路で、八百年を数えます」
「草餅を、貧苦の中でも耐えて耐えて育てて今の『草大福』にしてくれた代々の当主には、本当に頭が下がり誇りに思いますね」
彼は笑顔で、
「たかだか『草大福』の話が、店長の博士知識で凄い話にまで発展してしまいましたね!」と感心した。
彼等三人は、店長の話に聞き惚れて小さく拍手をした。その興味を示す姿に応えて、
「改めて、本題の『草大福』に戻りたいと思います」と微笑み、
「当店で使っているヨモギですが、初代から伝わる畑で今でも化学肥料など一切使わずに、小鳥が鳴き虫が舞う自然の中で太陽をいっぱい浴びせて、心を込めて育てております」
「その当家が誇る鎌倉時代から続く由緒正しきヨモギですが、元はと言えば、今もどこにでも生えている雑草と呼ばれる一つです」
「しかし、当家のヨモギは香りも清々しく青々と栄養たっぷりで、『草大福』が美味しく香るように大事に撫でるように伸び伸びと育てています」
「それを例えて言うならば、可愛い可愛い子どもや孫達と言えますね」
すると息子が感心して、
「伝統って凄いですね!」
「それって、私たちと同じ事でもありますねえ!」と微笑む。
「段々と話も、美味しくなってきましたねえ」と彼が一息入れると、店長は頷いて、
「アンコの原料の小豆も、それを包む餅米も、昔からの契約農家様に何度もお邪魔しまして、ご協力いただきながら研究して今のアンコや餅に改良してきました」
「そして、味付けは当店代々の秘伝中の秘伝となっております」と伝統の重みを述べつつ、
「今でもヨモギ畑の一段高い所には、『草凪屋』と命名した当主が立てたと言われる畠山重忠公を祀った石塚が残っています」
「今は昔の形をとどめずに、崩れて丸い石の様になっておりまして文字も消えていますが、それでもヨモギをしっかり守ってくれています」
「その文には、重忠公の辞世のお言葉『我が心正しければこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ』と刻まれていたそうですよ」と言う。
「今日の店長の幅広く博識のある、しかも確かな話を伺って『草大福』の味も世間の人気も、全てを納得しましたよ」と彼は会話を締めくくった。
店長は姿勢を正し、両手を伸ばして微笑みながら、
「貴重な皆様のお時間をいただき、お客様のご興味溢れるご先導にひかれまして、長々とおしゃべりしてしまいました」
「また、あまり人様にはお話ししたことのないお恥ずかしい内輪の苦労話にまで、話が飛んでしまいした」
「話の終わりとしまして、最後の一言を述べさせてください」
「我が『草凪屋』の『草大福』は、伝統は守りながらも今後とも研究し続けて、皆様から益々美味しと言っていただけるように努力してまいります」続けて深く頭を下げて、
「本日おいでの皆さん方の末代まで末長くご賞味いただけますよう、お願い致します」(笑い)
「そして当店の看板商品の『草大福』が幸いにして、もっともっと多くの皆様方に召し上がっていただけるようになれば、我家の初代のみならず伝統を受け継いできた代々も喜んでくれましょう」
「更に『草大福』の味作りに崩れぬ精神的主柱になっていただいてきた畠山重忠公にまで、御恩返しが出来るものと思います」と、自信と責任重い決意を笑顔で披露した。
そう言われて彼も、
「こんな身近な『草大福』が、そんなに深い味わいと香りがあるとは全く知りませんでしたねえ!」
「今日は、故郷二俣川を益々自慢できる深くていいお話を聞かせていただきましたよ」
「私は、『草凪屋』の歴史ある美味しい『草大福』に負けましたねえ」(笑い)
「今日は『草大福』を・・・十箱ください!」(大笑い)と勢いで言うと、店長も満面を笑顔で崩し大きな声で、
「たくさんのお買い上げていただき、毎度ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
彼はお代を払い店長との別れを惜しんだ。
店長は別れ際に友情の印も込めた一箱と言って、眼を輝かせて興味深く聞いていた孫に持たせてくれた。
三人は身も心も笑顔で店長に「さようなら、お達者で」と別れを告げ、手を振りながら店を後にした。

顧みれば、こんなに楽しい会話になったのは、彼が五十数年前の店主の思いやりのある人間性に惚れていた気持ちが、店長に通じたからではないかと思うと、心豊かになった。
これまで何気なく食べていただけの「草大福」が、二俣川の誇れる畠山重忠を熱く語り、「草凪屋」の歴代が長き風雪に耐えて成し遂げた深き信念の一コマを披歴してくれた。
今までは郷土の偉人の一人だと思っていただけの畠山重忠が、より身近な人になり笑顔さえ見せて、語り掛けてくれているように感じたと言う。

旅の最後の「草凪屋」店長との愉快な話に、旅の疲れも吹き飛び、心配していた十箱の届け先も名古屋に着くころには目途がついていた。
大見栄を張って買った重い『草大福』も、これが最後の故郷からの土産になるかも知れないと思うと、愛しい宝物と化した。

著者

中野康生