「快速・ダイアローグ」RINAN

 初めはあまり乗り気ではなかった。もともと相鉄線沿線に住んでいたことはあるが、遠方の企業を任されるのは営業成績が良くない人が多かった。自分でも成績が良くないことは十分自覚していたが、いっそう追い打ちをかけてられているようだった。
 大学を卒業し就職した企業で三年目を迎える。入社して二年間は秘書課で社長や役員の身の回りの事務などが中心だった。昨年の人事面談で営業職にも少し興味があると話をしたが、これほどまでに向いていない職種だとは思わなかった。そもそも私は人と話をするのがあまり得意ではない。にもかかわらず営業職に興味があると発言したのは、わずかながら自分への期待があったからなのだが、学生時代に経験した惣菜店での接客・販売とは勝手がまるで違った。契約が取れないことへの焦りとともに、生き生きと営業活動に勤しむ先輩や同期、怖いもの知らずに果敢に取り組む後輩との狭間で、私は独り取り残されている気分だった。
 取引先は首都圏が中心で優秀な担当ほど都内の大手・優良企業を任される。事務所も都内に構えているので、近場の方が当然のことながら営業効率もいい。そんな中で、新規に問い合わせのあった企業の担当を課長から任された。
「確か実家が神奈川の方だったな。ちょっと遠いけど担当よろしく。」
 何の脈絡もない依頼に断るすべもなく、担当を引き受けることとなった。課長は他部署から異動してきて不慣れな私を気にかけてくれていたが、成績が振るわず貢献度に乏しい私にもどことなく負い目があり、指示されたことにただ従うことが多くなっていた。
 
 問い合わせのあった企業に訪問するため、都内から電車を乗り継ぎ、横浜駅から相鉄線に乗り込んだ。相鉄線に乗るのは何年振りだろう。発車間際に駆け込んだ昼過ぎの快速・湘南台行の電車は人もまばらで、空席がまだいくつかあった。おもむろに腰を下ろした、柔らかくて弾みのある赤茶色の座席シートは、以前の座り心地のままだった。こうして久しぶりに相鉄線に乗ると、毎日のように利用していた当時の思い出が湧き上がってくる。

 相鉄線に乗るのは、大学受験で浪人生活を送っていた頃以来だ。大学受験に失敗した私は、今は少子化の波を受けてなくなってしまった大手予備校の横浜校に通い始めた。生来意志薄弱で友人などと話し出すとつい楽な方に気持ちが傾きがちな性格を反省し、同じく浪人組の友人の甘い誘いを断ち、独り別の予備校に通うことにしたのだった。
 浪人生活は世間的な暗い印象とは異なり、それほど苦しいものではなかった。むしろ闇雲に独りで受験勉強をしていた時と比べ、プロの講師による授業は非常に明快で、不思議に思うほど勉強に引き込まれていった。そして、できるだけ多くの時間を勉強に費やそうと、授業の前後や休日も予備校の自習室に通い勉強することも習慣となっていった。
 絵に描いたような青春とは程遠いものの、私の浪人生活は充実感を帯びていた。
 順調に進んでいると思われた浪人生活が失速しはじめたのは、まだ暖かい十月のちょうど今頃だったと思う。張りつめていた糸が段々と緩むように、予備校で過ごす時間が徐々に少なくなっていった。何がきっかけで気持ちが低迷したのか当時はわからなかったが、もしかしたらこの暖かく包み込むような陽気に、それまで潜めていた弱気な心が気を許して現れてきたのかもしれなかった。
 人もまばらな昼の快速電車に頻繁に乗るようになったのはそれからだった。それまで何の気もなしに利用していた、行き帰りの交通手段でしかなかった空間が、私にとって癒しの場になった。まばらな人影と電車の窓から差し込む日差し、路線を下るほどに増える自然とそれと調和する住宅街の景観。最寄りのいずみ中央駅に近づくほどに乗客はさらに減るが、そうなることを私は望んでいた。人とのかかわりが極端に少ない生活をしているにもかかわらず、電車の中で他人を居合わせることさえ息苦しさを感じていたのだった。
 そのような車中の環境は私を慰めてはくれたが、気持ちを立て直すまでには至らなかった。小春日和に癒しを求めた期間はひと月ほど続いたが、その後は迫りくる受験のプレッシャーに尻を叩かれるように、元の生活に戻っていったのだった。

 あれから七年の月日が経ち、私はまたあの時と同じような疲れた心で相鉄線に揺られている。途中の駅で停車を繰り返すにつれて徐々に乗客は減り、車両の中には片手で数えるほどしか人がいなくなった。
 ふと、私は働いている今の私自身を、また今歩んでいるこの道を、本当にこれでよいのだろうか、当時の私は望んでいただろうか、と疑いたくなった。あれほど必死になって勉強して行きつく先が、果たしてこういった仕事だったのだろうか。
 いいや、違う。ほかに進みたい道があったわけでもないくせに、漠然とした不安を危うく正当化してしまうところだった。結局のところ私は、受験合格や就職をゴールとしか見ておらず、それが同時にスタートであり、その先まで考えが及んでいなかった。当時も今も、七年経過したにもかかわらず中身は成長していなかったのだと、情けないようなふがいなさを感じてきた。
 そしてそこではじめて、ようやく分かってきた気がした。この向いていないかもしれない仕事から目を逸らし続けていては、いつまでたっても根本的な解決はないのだと。目が覚めるようにまた体に熱を帯びてくるように、これからの訪問の大切さが感じられるようになった。
 「別に上手くできなくてもいいじゃない、どうせ浪人組の私だし」
 思わず小さく心の声が漏れてしまった。幸い車両の中には少ない乗客が一定の距離間で離れて座っているので聞こえてはいないみたいだった。
 もともと何か秀でた才能があったわけでも、得意分野があったわけでもない。それでも、腐っても何とか続けることこそが私の原点ではなかったか。
 今日こうして久々に相鉄線に乗車した機会を、私は実りあるものにできるか。
 
 緑園都市駅の到着はもう間もなくだ。これまで数えきれないほどこの駅を通りがかったが、下車するのは今日が初めてだ。
 柔らかく弾むような座席シートに押されるように立ち上がった。車窓から見えてきたのはあの頃と同じようでいて、何か違う雰囲気を感じさせる、緑豊かで温かそうな街だった。

著者

RINAN