「思い出と卵」小道けいな

 その日、私は普段と違うルートで帰ることにしたのだった、墓参りから。
 墓参りといっても、目的が一つある。いや、それがないとなかなかできないものだ。故人には申し訳ないけれど。いや、それでも行くだけましなのか、と生者は考えているが。
 墓の近くにある養鶏場で卵を買うのが恒例だった。これまでスーパーで買う卵だけだった。一度、地方物産販売の店で買ったことがあるが、美味しいか記憶がない。ただ、物珍しい、という記憶だけが残っている。
 一個百三十円とか。
 今回、三十個買うにあたり、予約しなかった上。卵パックを持って行かないという愚行を犯した。
 運悪く、繁盛している時期で小言を言われた上、段ボールに入れられた。
 好意で段ボールを抱え、帰路についた。実は好意だったのかわからない。
 実は、十個ずつくらい、自動販売機売りと同じようにビニール袋に入れてくれるほうが実は良かったと気づいたから、帰りに。
 段ボールの中で卵は割れた。
 どこが割れているかわからない。
 どこで割れたかわからない。
 さて、私は海老名で初めて相鉄線に乗った。
 そう、気づいたのは相鉄線に乗ってからだった。
 普段は下車することがない海老名を使ったからだ。お店も気になっていたし、来ることがないからと寄ったのだ。
 一度、墓参り途中で下車して、宿場の資料館を見に行ったことはある。駅前の大型商業施設にも寄った。住宅街が広がるが大通りもあり、駅前ですらコンパクトで良いなぁと言う印象は持っていたのだ。相鉄線は使わなかった。
 今回は気分も変えたいし、海老名に寄った。
 ご飯を食べて商業施設でちょっとだけ店を見て……卵が不安でそんなにじっくり見られなかったのだ。また来いということかな、と思ったりした。そう、気になった物があったのだが、卵があるし買えなかったのだ。甘酒一瓶は辛かった。
 そして、相鉄線は横浜につながっている。帰りに横浜で買う予定のものを……とも思った。
 始発で座り、ほっとして、卵の現状に至ったわけだ。
 ダンボールで吸収しきれるのか?
 ダンボールを入れている袋はどの程度撥水してくれるのか? いや、袋に撥水効果があるならば、卵は漏れないはずだ。いや、すでに漏れているので無意味だ。
 遠くの職場に通っているときは、途中で気分が悪くなるのが怖くて、大小さまざまなビニール袋をもっていたこともある。
 しかし、最近は症状もなかったので、持ってこなかった。備えあれば憂いなしとはこのことだろうね。
 電車の中は密室になる、私は非常に不安を抱いた。
 不安を抱いたところで、電車に座っているだけで何もできない。
 できることは祈ること。卵がこれ以上割れず、これ以上漏れないでくれと願うこと。
 匂いはしないと思うが、他人じゃないと分からないかもしれない。
 生ぐさいと言えば生ぐさいかもしれない。もし気づかれたどうなのだろうか?
 乗ったのは平日の午後二時前。
 通勤通学と異なる時間。
 だから問題はないはずだった。

 不安にさいなまれながら景色を眺める。
 谷になっている駅が多い印象を受けた。

 あれ?
 私はこの電車に乗ったことが過去にあったはずと不意に記憶がよみがえった。
 ならば「初めて」ではないのだ。
 しかし、全く記憶にない。どこの駅に行ったのか、覚えていない。二階に改札口があった気がする。いや、出入り口が二階だっただけか?
 こじんまりとした駅ビルではないが連結した商店があったような記憶がある。
 ちょっとおしゃれな雰囲気がした。
 どこの駅だったのだろうか? 路線図を見ただけでは思い出せない。それこそ、全駅を乗り降りしないといけない。
 あれは、就職活動で説明会兼選考会だったはずだ。
 あの頃、私はゲーム会社に勤めたかったのだ。ちょうどゲームにはまっており、就職するなら作り手になりたいと考えた。かといって技能がない。
 考えるだけで何もしないのは中学生の時からそうだ。
 これがしたいと夢があってもそれに向かって動いていなかった。
 小説家になりたいと願い、文章を書けば、読めばおのずと道は開ける、と考えていた。愚かだった。そこに付随する考えがなかったのだ。どう読むか、どう書くかが重要だったのだ。
 私なんて文才がある天才ではない。血反吐を持って書けるようになるか否かという現実があることに気づけないでいた。
 絵もそうだ。
 なんとなくかければ先が開けるだろうと考えている節はあった。一応、本を読んで企画書を書いたり、どういう試験があるかなど調べてはいたよ。
 だから、そのゲーム会社に絵で勝負した。企画をしたくてもそこは企画で採ってくれないのだった。だから、何とかできる絵にしたのだ。
 ファイルに入れて持って行った。この辺りは本を読んで知った通りの行動なのだ。
 そして、到着後提出し、説明会が終わったら机に並んでいる自分のファイルを持って帰るのだ。
 ファイルの表紙には提出時に自分で貼った紙がある。それに名前とか個人のことが書いてある。紙の下半分にあった「評価表」というのか記憶にはもうないが、先方が切り取っていく部分があった。
 線に沿って皆切られている。多くの人間がある程度そこは意識しておくだろう。例えば、私が選ぶ人間でも。
 それが、斜めに、雑に切られていた。
 ショックだった。
 周囲を見ても皆きれいに切り取られている。
 つまり――オ前ナンテ採ル訳ナイダロウ、出直シテ来イヨ。マア取ラナイケドナ――と言っているように見えた。
 わかっていた。
 わかっていたからこそ、提出書類はどうしても企画がしたいとどんなものならできるとみっちり書いたのだ。
 切り方失敗してしまうと言うこともあるだろう。しかし、受ける側としては辛かった。見える範囲で誰一人、斜めで切られているひとはいないのだ。
『お前なんていらねーよ、来んじゃねーばーか』
 そう言葉が聞こえた。
 ああ、なんて愚かなことをしたのか。
 自分の知識のなさ、行き当たりばったりに涙がこぼれそうだった。いや、泣くのも愚かだ、愚かな自分の行動で。
 同じ場所にいた人が見せてくださいというから見せた。その人のを見せてもらった。
 相手はお世辞で褒めてくれた。
 あとで気づいたのだけど、パソコンで描けない私はダメだったのだ、その時点で。
 当時は手書きが主流だったとはいえ。
 専門学校でなくても採ってくれる可能性はあるとはいえ、コンピューターで絵を書けない私はあきらめるしかなかったわけだ。そもそも、当時はパソコン入力もおぼつかなかったのだから、普通の字ですら。

 むなしい、愚かな記憶。
 駅で止まる。
 幼稚園くらいの子を連れた女性が乗ってきた。
 子どもはおとなしく座っている。公共機関はおとなしくしておくべきと言うのがわかっているのだ。
 偉いなぁ。
 それを教える親もすごい。
 思い出に浸る前にいた親子は大声で騒ぎ、タブレットの音を立て大変にぎにぎしくしていたからね。
 携帯電話だろうがスマートフォンだろうが、音を出さないのがマナーではなかったのかなと思ったり。イヤホンするんじゃないの?
 どこの路線にもいる、音まき散らし。
 ああ、別にしゃべるなとは言わない。
「お母さん、あといくつ?」
「二俣川で乗り換えよ」
「あと……えとー」
「三つよ」
 親子は静かに穏やかに会話している。
 私にもあのような時期があったのだろう。でも、遠い。
 道をきちんと選んでいたら自分にもし子供がいて、この親子のように穏やかに生きていられるのだろうか? 私など駄目な人間は子孫を生まないほうがいいのだ。
 それは事実。
 きちんとした道とは何だろうか? 大学を出て就職をして、絶対風邪をひかずに、病気をせずに四十年以上働くことだろうか?
 人並みに働くことができない――別に病気ではないけれど――考えすぎる、素直に不安を口にして面接を落ちる……馬鹿なのだ、愚かなのだ。
 こんな遺伝子を残したら気の毒だ。
 でも死ぬ勇気もない。
 駄目な人間なりに、飛び込みや飛び降りは迷惑かかるし、首吊りは苦しそうだな……とか思ったりする。変な死に方して苦しんだり、私がいなくなることでせいせいするはずの家族に迷惑かけるのは心苦しい。
 すっと空気のように消えてなくなるのが理想。
 ああ、そんなことを考えていと暗くなる。
 空気は見えないけれど、黒いオーラが出ていたりするのかもしれない。

 卵のことはしばらく忘れていた。
 くだらないことを、答えがない質問を自分の中で問いかけ続けたおかげだろう。

 親子連れが下りて行った。
 そういえば、桜がきれいな駅があるって相鉄線の冊子で見た。
 見てみたいけれど……時期が若干遅い。
 どこだろう……というか、あり? 二俣川で乗り換え?
 二つに分かれているんだ、相鉄線。そういえば、路線図見たら分かれていたよね。
 横浜から乗ると気をつけないといけないだろうが、海老名からだと気にしなくて良かったからね。
 ああ、だからフタマタ?
 まあ、川が分かれているからその名前なんだろうな、って想像はできる。
 ああ、バラ園も行ってみたいんだけれど、駅から歩けるのかな?

 車内に人は増えたけれど、混雑と言うほどではない。
 私は卵のことを時々思い出す。

 一つ覚えているのは横浜駅の様子だ。一か所に向かって人が動く乗り場。
 いや、それは東急東横線の旧渋谷駅の記憶だろうか?
 違う。
 規模が。
 そもそも……これだ……この記憶はあるのだ。

 来年は見に行こう、桜を。

 私はまだ生きている。努力はしているけれど、たぶん、夢がかなう努力の仕方をできていない。
 ハラリハラリと散る花びらを見上げ、初めての街への一歩を踏み出す。
 私は、認められずとも書き続けようと考える。趣味なのだ、私の心なのだから。隙に書いていいはずだ。
 もちろん、誰かに「いいよ」「続き見たい」と言われたいに決まっているけれど。
 そうしないと続かないことも実は気づいている。
 自然に消えるまで。
 改札を出た。目の前に広がるのは知らない風景。
 好みの店はあるのか、期待を抱きつつ。

 なお、このとき気づいたのは、あの時、ビニール袋を買えば良かったんだということだ。しかし、入れ替える場所があるのかという点も実はある。
 使ったことがなかった路線なのだから……もっとお付き合いしたいと、冊子を眺め思った。

著者

小道けいな