「思い出の平沼橋」ササマ

 相鉄が開業100周年を迎えようとしている。率直におめでとうございますとお伝えしたい。思えば相鉄の電車には、いつもお世話になっている。楽しい時、試練の時、いつも相鉄の電車は私によりそって、堅実に走行してくれている。相鉄の電車は、包み込むようなおおらかな存在であったり、気の合う相棒であったり、年の離れた兄貴のようであったり、時々、ちょっと頼りない同僚であったりする。私は現在47歳。体調面などでいろいろな変調をきたす年齢に差し掛かってきた。将来を前向きに考えていきたい。ここで、相鉄の電車にまつわる思い出を振り返りながら、懐かしい想いを喚起し、そこから新たに踏み出す契機を模索してみたくなってきた。今回は、平沼橋界隈での思い出を振り返ってみることにした。
 幼い時、ヴァイオリンを習っていて、週に一回、二俣川から平沼橋まで通っていた。私の趣味は、音楽制作と音楽鑑賞。私の趣味の充実に、幼いころのヴァイオリンの練習が大きく寄与しているのは間違いないので、今でこそ、ヴァイオリンを習わせてくれた両親に感謝している。ただ、当時、男子児童であった私はヴァイオリンを習っていることを、恥ずかしくて友達に言えない雰囲気を感じていた。男子児童の放課後は野球をするのが普通だったから。そんな気恥ずかしい気持ちを抱きながら平沼橋まで通っていた。平沼橋というところがポイントだった。二俣川からは、急行が停まらない一番遠い駅。練習不足のおりなどには練習に行くことは気が重いことだった。一駅一駅止まってくれる各駅電車の愚直さが、嫌なことを先送りしてくれているようでなんだか嬉しかった。この時の相鉄電車のイメージは、さしずめ気の合う相棒のイメージといった感じだろう。
 駅2階の改札口を出て、左に曲がり歩道橋を渡って地上におりる。そのまま国道方面に向かって歩いていくと、平沼橋の街並みは都会の片鱗をみせる。車の量が二俣川とは圧倒的に違う。広い往復2車線の道路に沿った歩道を、とぼとぼと歩いてレッスンに通っていた児童時代の私がいじらしく思えてくる。レッスンが終了したら、やれやれと思いながら相鉄線で二俣川に帰った。帰宅時のラッシュアワーが始まる時間帯。大人たちにまじって電車に乗って、なにげなく「ドアによる挟み込み注意」を喚起する広告を見ていた。カニさんがハサミ(指)をドアに挟まれて、あんなにハサミが大きくなっている。痛そうだ。気を付けよう。帰路のなごみのひと時。こんな時の相鉄電車は、乗客全体を包み込むようなおおらかな存在だった。
 大学受験時、浪人生活を一年送った。予備校は平沼橋付近にあって、昼時はみんなであの界隈をうろうろした。川のほとりにあるコンクリートの塊が、ちょっとした台座になっているような場所があった。付近には、長い踏切があった。この台座は相鉄線の線路に向かっていて、坊主頭にしてランニング姿の初老のおじさんが、台座に座ったまま旗のようなものをふって電車の乗客にアピールしていた。電車の中からこのおじさんを初めて見たときはドキッとした。何か、見てはいけないものを見てしまったのではないか、幻を見ているんじゃないか、といった不思議な気持ちになった。相鉄線は、おじさんを相手にするわけもなく、ただ通り過ぎていくだけ。一瞬の出来事だ。ただ、この一瞬の出来事も毎日のことになると習慣化してきて、「今日もおじさんは旗をふっているかな?」と気になってくる。ついに、このおじさんは、「おはようおじさん」といわれていると当時の新聞が報じた。
 「おはようおじさんにサインをもらいに行こうぜ!」。そんなことになって実際に予備校のテキストの表紙にサインをもらった。おじさんは「え、サインするの?」と突然の申し出にとまどいをみせつつも、気さくに応じてくれた。おじさんは確か、「川のほとりにいるとエネルギーをもらえる。電車に乗っている人々にエールを送っている」といった趣旨のことを語っていた。相鉄の電車は、おじさんと我々との交流とは無関係に走行を続けている。この相鉄電車の様子は、さしずめ年の離れた兄貴のようだった。相鉄電車が無関係を装ったようなちょっと遠い存在に見えた。心地よいよそよそしさとでもいうのだろうか。こういう感じも悪くはない。あれから、28年経過している。おじさんは元気だろうか。ちなみに、おじさんにサインをもらえたおかげもあって志望校に合格できた。
 社会人になってからは、電車に乗ることがあたりまえすぎて、成長期に感じたような感慨を電車によせることも少なくなってしまった。ラッシュ時に時間通りに電車にのって通勤することは、いわばあたりまえなので、ダイヤの乱れの際などには、激しく動揺してしまうことがある。こんな時は、相鉄の電車は、ちょっと頼りない同僚のように思えてしまう。ここで、あたりまえのことがどれだけ素晴らしいかということを思い知らされることが多い。不特定多数の様々の人々を乗せてあたりまえのように走る相鉄線のあたりまえの姿に敬服している。
 今度の休みに、相鉄線で、平沼橋まで行ってみようかな。児童の時に歩いた広い車道沿いの歩道は、体の成長のため、おそらくせまく感じるだろう。おはようおじさんが旗を振っていた台座はまだあるのだろうか。台座付近にあった踏切がなくなってしまったので、台座もないかもしれない。古い印象は改められ、新しくなり、過去とは違う新しい何かが営みの歴史を積み重ねていることを感じるだろう。新しい営み。私も新しい営みを意識して日々を過ごしていきたい。
 過去と未来。相鉄のこれまでの100年とこれからの100年の境目を、股にかけて過ごすことができること。一人の乗客として感慨に近いものを感じている。これからの100年を象徴する20000系は、本当にクールな車両だと思う。近い将来、20000系が都内に乗り入れた時、人々は、ネイビーブルーが放つクールネスを感じるだろう。だが、20000系よ、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の歌詞からの引用ですが、「都会の絵の具に染まらないで帰って」きてほしい。そして、相鉄線沿線の皆様の気持ちに寄り添い続けてほしい。

著者

ササマ