「戦闘開始モード 相鉄線の旅」あやたん

 今日も一日仕事が終わった。私は地下鉄を降りて人の波に流されながら相鉄線ホームへと向かう。夜九時を過ぎてると言うのに、決して少なくない相鉄線へと向かう人々。皆頑張ってるんだなぁと思いながら、私は足早に歩く人々の背中を見ながらゆっくりと改札へ向う。
 朝九時から夕方六時までの勤務の私は、横浜市内の小さな会社で事務の仕事をしている。横浜地下鉄沿線にあるその会社は、いつも六時の定時で上がれることが多く、家庭的で、仕事量もさほど多くはないのでマイペースでいられる快適さがある。だが時々、ストレスになるような事がひとつふたつあるのも事実である。
 今日も三時過ぎに、社長から急な仕事を依頼された。明日午後一番に使うと言う資料を仕上げて欲しいと言う。さらに、出来上がった資料に目を通したいのでお昼までに出来ないかと言って来た。無理です。とキッパリ断りたいところだが、私以外の事務員はこの会社にはいない。申し訳なさそうな顔の社長を見ていると、やはり二代目ボンボン社長って顔に書いてあるのが見える。社長は大学三年生の時、お父様である初代社長の急逝により、大学を中退して後継者になった。周りのサポートを受けて三十五歳の今まで頑張って来た苦労人であると聞いている。それでもやはりボンボンには違いない。それは要所要所で見受けられるが、それもまたご愛嬌。私からすると息子と変わらない年齢の社長はやはり可愛い。まるでエサを欲しがる子犬のような目をする社長。コイツ、こうきたか。昨日今日の付き合いではない社長のしたたかさを垣間見る瞬間である。今回のようなことは今に始まったわけではない。私はやるっきゃないと三時過ぎから資料作りに取り掛かる。
 資料が出来上がった時、時計の針は八時半を指していた。社長は、無理な仕事の依頼をした翌日は、決まって何かしらの差し入れをしてくれる。明日の差し入れは何だろうと考えながら後片付けをして会社を後にした。
 私は相鉄線の改札を通ってホームへと向かう。ホームには、あと数分で発車する海老名駅行きの電車が停車していた。空席はかなり少なくなっている。私はこの電車を見送り九時二十八分発の次の電車に乗ることにする。
 ホームにはすでに次の電車を待つ人が並んでいた。考える事は皆同じ。これって始発駅の醍醐味だよね。私はいつも女性専用車両に乗る事に決めている。平日だけではなく休日もである。休日は女性専用車両ではないのだけど、何となく女性の乗客が多いような気がする。私は女性が多いとホッとする。
女性専用車両がなかった頃、どの車両でも平気だったが、女性専用車両を利用するようになってからは、常にこの車両を利用するようになった。
 相鉄線横浜駅を利用する際は、電車の最後尾からホームの前方に歩いて行き電車に乗り込む事が多い。常に車掌さんに見守られながらの乗り込みに、電車の出発時の扉が閉まる寸前挟まるのではないかと言う危機感がない。
運動神経の鈍い私にはとても優しいのだ。
 そしてまた、ホームに設置されたホームドアの存在も大きい。大勢の乗客が行きかうホームは、並んでいる人達を避けながら歩く事になるが、時としてホームの端を歩かざるを得ない場合もある。そんな時にも安心なのだ。
自分自身だけでなく、ご高齢の方や、小さな子供がホームを歩いている時もそう感じる。そんなホームドアに守られながら九時二十分発海老名駅行の車は発車した。
 ほどなくホームには海老名駅からの電車が滑り込んで来た。この時間、さすがに横浜駅で降りる乗客は少ない。乗客すべてが降りた事を確認した駅員さんと車掌さんの連携により並んでいた私達はスムーズに車両へと乗り込む事が出来た。たまに座席めがけて突進して来る人もいるが、私は普段通りの歩みで座席に座る。ホッとする瞬間である。座席はどんどん埋まって行く。正直一番辛いのは、目の前にご高齢の方が立った時である。一本電車を見送ってでも得た席である。いつもならすぐに席を譲るところだか、今日はちょっと疲れていて出来る事ならこのままずっと座り続けていたいのである。どうか私の目の届く範囲に、ご高齢者よ来ないでおくれ!と心の中で念じてしま自分がいた。そんな私の邪念を振り払うかのように九時二十八分発車時間となった。これで次の停車駅である二俣川駅までは安心だ。私はホッと胸をなでおろす。
 電車の軽い揺れが少しずつ睡魔を誘う。私は静かに眠りに落ちる。
 どのくらい時間が過ぎただろう。人の動きに目が覚めた。次の停車駅二俣川駅に到着したようだ。おそらく十五分も経ってないはずだ。二俣川駅では大勢の乗客が降りる。ここからいずみ野線湘南台駅行に乗り替える人、この駅で降りて自宅へと向かう人様々である。いずみ野線湘南台駅方面から海老名駅方面へ向かう乗客を乗せ電車は走り出す。
 ここから電車は各駅に停車して行くが、各駅に停車するたびに空席が増えて来る。車窓からは街のかすかな灯りが流れて行き、暗闇が広がる。
 この相鉄線沿線に住まいを構えて二十年近くになるが、人生の中で一番長く利用しているのがこの相鉄線である。何よりこの相鉄線の存在すら知らなった時期もあったのだが、まさかこんなに長くこの路線に関わることになるとは夢にも思わなかった。それだけでなく、実は私はこの相鉄線が一番好きである。
 私は、おぎゃあと生を受け社会人二年生となった十九歳までは、京浜工業地帯で両親と兄と四人で暮らしていた。その後、家族と共に今では地下鉄に乗り入れている田園風景広がる私鉄沿線へと引越しをした。高級住宅地が多いと称されるその路線は、見るからに高級そうな服やバッグで着飾る女性が実に多い。結婚するまでの二年あまり、この路線を利用していたが、正直あまり快適さを見い出せずにいた。その理由が何なのかは今でも私にはわからない。
 二俣川駅を出た電車は、希望ヶ丘駅に停車する。
 今の会社で働く前に、この駅から歩いて数分の施設で半年間へルパーの勉強をした事がある。三ツ境駅からバスで行った老人施設での実習。二俣川駅にあるライトセンターでは見学と視覚障害者の体験実習、さらに天王町駅近では障碍者の作業所での実習。勉強の一環として調理や洗濯、ミシンを使用しての袋物作りと毎日忙しかった。
 半年後、終了式を終えた私達は、仲良しグループ数人と希望ヶ丘駅前で写真を撮った。あの時一緒に勉強をした三十人の仲間たちは今頃元気にしているだろうか。希望ヶ丘駅に着くたびに、あの時泣いて笑って過ごした半年間を懐かしく思い出す。
 感傷に浸ってる間に、電車は大和駅に到着する。大和駅は、小田急線からの利用客も多く、街は華やいでいる。自宅から電車で数分のここ大和駅は、私の活動範囲内である。自宅のあるかしわ台駅を中心に、海老名駅周辺からここ大和駅周辺の間で大抵の買い物は済んでしまうのだ。
 以前は、大和駅前に全フロアが手芸店と言うビルがあった。洋裁や手芸好きの私には、まさにワンダーランドであった。今はその手芸店はワンフロアだけになり、他のフロアには様々に店舗展開しているが、それはそれでまた楽しく便利である。私としては複雑な心境ではあるが、実際は大変重宝に利用させてもらってるのも事実である。
 大和駅前では、食の部分でも大いに利用させてもらっている。食事処でのお食事、またはテイクアウト。さらにデザートは果物屋さんの片隅にあるジューススタンド。
 月イチ開催の骨董市も、掘り出し物を見つける楽しみがたまらない。日本人だけでなく、外国人も多く訪れ、大和駅前はさらに華やかさを増す。
 大和駅を発車した電車の左側には厚木飛行場が見えて来る。そして私はここでいつも考えるのである。
 厚木飛行場は、綾瀬市と大和市にあるのになぜ、厚木と名前を付けたのだろうと、不思議に思い、色々調べてみた事もあるが、はっきりした理由は今もわからない。
深く考えるのは止めよう。夜寝られなくなってしまうからね。
 相鉄線沿線に引越して来た頃は、厚木飛行場から離発着するジェット機の爆音が酷かった。おそらく横須賀に寄港した空母からのジェット機であろうと想像するが、その爆音は夜遅くまで鳴り響いていた。住宅の窓は防音対策がされていたけれど、なぜかいつもドラマのクライマックスの一番いいところで爆音が鳴り響く。まるで、その時を狙ってるのかと思えるほどだった。今でもジェット機の爆音がなくなったわけではないが、昔ほどうるさくはなくなった。ジェット機をカメラに収めようと、望遠レンズを付けたカメラを手にして、飛行場周辺に立ってる人も少なくなった。
 電車に乗っていて、ジェット機の離発着に遭遇出来たら、まさに宝くじが当たるが如くの確立であるようにも思えるが、実は未だに遭遇出来ていない。過去に一度だけ車を運転していた時に頭の上(正確には車の屋根の上)を通過し着陸したジェット機があった。車窓から見たそれはとても素晴らしく、言葉では言い表すことは難しい。思わず息を飲み、その一瞬を凝視したあとは小さくガッツポーズを取ったのは言うまでもない。
 電車は厚木飛行場を過ぎ、東名高速道路を横切る。陸橋から見る東名は夜でも交通量は減らない。むしろ大型トラックが多く。車のライトの波が切れる事なく流れて行く。
 大和駅からは、駅と駅の間隔が非常に短く感じる。大和駅から3つ目かしわ台駅に電車は到着した。私は電車を降り、ホームをゆっくり歩き、西口改札にと続く階段を上がる。この駅で降りる人はそれほど多くはない。
 かしわ台駅には、相模鉄道の車両基地、および車両検修施設であるかしわ台車両センターがある。その敷地内には、古い電車が保存されているのだが、敷地脇の道路からもそれは見える。見学したい衝動に駆られるが、大の大人がひとりで行くには少し勇気がいる。
 西口改札を出るとすぐ右側、いわゆる駅舎の中にコンビニがある。二つの銀行のATMや、市役所の連絡所があったりと、意外と便利な駅である。
 ここから自宅までは歩いて僅かである。二十年近く前に最初に住まいを構えたのは、今の西口ではなく東口であった。不動産屋さんからは駅から徒歩5分のアパートと紹介された私は、初めての駅近に住めるとあって、とても喜んだものだ。その喜びをものの見事に打ち砕かれる事になるのにそれほど時間はかからなかった。実際にアパートに暮らし始めて、初めて電車に乗ろうとした時、私は驚愕した。確かにアパートから東口改札までは近かったが、そこからホームまでの道のりが問題だったのだ。なんと三百五十mの専用通路を利用しなくてはならないのだ。私のトロトロ歩きだと、その通路を歩いてるいる間、少なくても2本の電車が過ぎ去って行く。そうなると開き直りしかないのである。専用通路の片側は線路。その反対側はちょっと草花が繁茂してるので、考えようによってはプチ散歩。季節ごとに咲く草花を愛でられると思えばまたそれも楽し。どこまでも楽天的な私である。
 その後、2回目のアパートの更新を経て、現在の西口にある住まいに移り住む事となった。当初は今のような賑やかさはなく、さがみ野駅と海老名駅とに挟まれた静かな駅であった。そんな環境が好きだったが、その後の西口は劇的に変わって行った。
 まずは西口駅前の道路の拡張工事。それに伴い増える車の交通量に加えて利用客も増えたような気がする。当然のようにスーパーやドラッグストアが立ち並ぶようになった。そして、いつの間にか駅から自宅へ続く道の片隅にあった『チカンに注意!』の看板が消えていた。いつでもどこでも、好きな時に好きな場所で横断出来た道路が、今はもう出来なくなった。昔の静けさはもうない。思わず小さな冊子を握る手に力が入る。その小さな冊子は『相鉄瓦版』である。無料配布されているものであるが、小さい割に中身はボリューム感たっぷりで、実は密かなフアンである。
 もう自宅は目の前である。横浜駅からの相鉄線の旅は、オンからオフへと切り替わる重要な時間である。明日の朝は、かしわ台駅発七時三十分の電車に乗るが、横浜駅までの間にオフからオンへと切り替わり戦闘開始モードに変化するのである。時間に余裕がある時は、始発駅である海老名駅まで戻り、一度ホームに降りて乗車する列に並び、始発電車で座って行くこともある。でも、横浜駅までの時間は座ってる時より、立っている方が楽しめる。木々の緑や畑を眺めたり、季節の移り替わりを感じる事が多い。横浜駅の帷子川のほとりには、たくさんの桜の木があり、満開の時期にはその美しさに心癒される。この相鉄線沿線には、数多くの魅力あふれる施設があり、まだ行った事がない場所が多い。今はまだフルタイムで仕事をしていて、中々時間が作れないでいるが、いつか仕事をリタイヤした時には、新しい発見を求めて足を運んでみたいと思う。いつも通勤には相鉄線本線を利用しているが、時々お休みの日にはいずみ野線の湘南台駅行きに乗り、緑園都市駅の近くのケーキ屋さんに足を運ぶ時がある。その独創的なケーキの数々にいつも迷い苦しむ。そのケーキ屋さんに向かう時、あえて遠回りをして住宅地の中を歩く。オシャレで素敵な住宅地が立ち並ぶこの界隈は、私の目には高級住宅地に思える。でも、緑園都市駅利用者の中で、高級そうな服やバッグで着飾る女性は見かけない。たまたまかもしれないが、少なくても今まではそうだった。相鉄線を愛するが故の私の偏見なのだろうか。
 相鉄線を愛すると言えば、キャラクターの車両や、新型車両と遭遇すると、決まってケータイカメラで写真を撮ってしまう私。相当なのかもしれないと最近自覚しつつある。
 今度の週末は何をしよう。そうだ!久しぶりにふれあいの森に行ってみよう。そろそろ紅葉が楽しめるかもしれない。きっといっぱい癒してもらえると思う。その前に明日は社長からの差し入れがあるはず。まずはそれを楽しみに明日の朝を迎えよう。
 私の相鉄線ラブはこれからもまだまだ続く。
 
 

著者

あやたん