「折り返し駅」やどりん

 相鉄線海老名駅、また帰省で半年ぶりにやって来た。離れて20年以上になる。ここ10年、来る度賑やかになっていく。自分の知っていたかつての駅の面影は無くなった。子供の頃駅前は空き地でちょっと行けば田んぼばかり、白鷺が舞っていたのに。今よりも駅近くにあった市役所に母と出掛け、帰りに市役所隣のボーリング場に寄って緑色のガラスビンに入ったスプライトを自販機で買って貰ったことを思い出した。あの時の景色はここに無く、ショッピングモールが立ち並ぶ。寂しい気もするが故郷が元気なのは悪くない。今私は田舎に暮らしている。のどかで良いところだ。けれど最寄り駅は2年前に無人駅になってしまった。電車が一時間に一本の時間帯もある。列車は2両編成が多く、元気のない感じがしてしまうのだ。
 横浜行の急行列車に乗り込む。後ろから2両目、前から3番目のドア、ここに乗れば降車駅改札への階段の目の前に降りられる。勝手知ったる馴染み乗車位置なのだ。
車窓からの景色も随分変わった。雑地だった場所に新しい住宅が並んでいる。一方で変わらない建物。私が通った小学校・中学校はこの電車の車窓から見ることが出来る、大好きだったおばあちゃんを送った病院の建物も。
 私は高校・大学・社会人と10年以上この路線で通った。列車速度と線路のつなぎ目の関係からくるこの路線ならではのゴトゴトいう列車の揺れやカーブの金属音は身に沁みついている、懐かしい。学生時代、先頭車両進行方向の景色が好きだった。前進あるのみの前向きな景色、線路が醸し出す一点透視的風景、一等賞ものだ。特等の景色を眺めつつ運転席の計器類も観察した。当時相鉄線は時速80キロが最高速度だったのではと思う。横浜で乗り換えていた他の私鉄の特急は時速130キロ位出していたから列車の揺れと勢いが全然違っていた。130キロ出す私鉄沿線在住のある友達が相鉄線を砂利電車と呼びコケにしたことがあった。相鉄線の前身は相模川の砂利を運搬するための路線だったとか。それがどうしたというのだろう。横浜から30分そこそこで海老名に到着するのに随分な僻地に行くような言われようだった。愛着のある相鉄線をコケにするなと思った。
 「電車に乗る」ということの原風景に「切符を買って改札を通る」ということがある思う。始めて乗った電車の記憶は「切符なし」。小学生にならないと切符はいらない。半人前にも成らないなんてなんか悔しかったように思う。自分が親になった今、子供が中学生になって大人料金を払うことに「ちぇっ」と思ってしまうのだが。
幼少期、券売機のボタンを押すことは至福の行為だった。ボタンを押したくて仕方なかった。お金を入れると料金ボタンが光り、どのボタンを押すか親に間違わない様念を押されながら、ポチっとプラスチック製のボタンを押す。厚紙の切符が発券される。余談だが券売機にあった「呼び出し」と書いてあるボタンを押すと券売機の横のアルミ製の部分が突然扉のように開いて駅員さんが「どうしました?」と出て来る。初めて押して駅員さんが突然現れたときは本当にびっくりした。そしてお金が引っ掛かったとか、切符が出ないとか券売機の具合が悪いときなどその場で直してくれた。切符を持って改札口に向かうと改札員さんが小気味の良いハサミ捌きで切符にハサミを入れてくれた。切符を受け取って切る合間に独特なリズムでハサミを鳴らしていたと思う、あのハサミの音をもう一度聞いてみたいけれど。
厚紙だった切符は自動改札機が導入されると裏に黒い磁性体を張った薄い紙に変わった。この薄さが災いして手癖の悪い友達などは切符を手で持っているうちにクシャクシャにしてしまい自動改札で通行止めに遭ったりした。券売機もボタン式からタッチパネル式になり乗り換え切符も多様に買えるになった。でもその分操作が複雑になった。慣れない自分が後ろに人が並んだ状態で切符を購入するときは昔のワクワク感と真逆にプレッシャーでストレスを感じてしまう、やれやれ。
電車の車内様子変わった。今はスマートフォンをいじっている人が沢山いる。独特の言い回し生の車掌さんのアナウンスの他に録音で流暢な喋りの案内放送が英語も添えて流れる。
時は流れる。自分の寿命は分からないが平均寿命からすると人生の折り返し地点は過ぎてしまった。若い頃には分からなかった過ぎ去ってしまった時代への想い、心象風景となった今はもう見られない懐かしい風景。相鉄沿線で生活していた二十数年前当時のありふれた風景が郷愁を帯びた思い出に変わっていく。
海老名駅に到着した電車は横浜行になって折り返し運転をする。私も人生折り返し、ここで元気を貰ってまた帰ってこよう。沿線の景色は変わってしまったけれど、体に染みついた心地の良い列車の揺れに癒される。故郷への思いも乗せて、この電車で、この駅から。

著者

やどりん