「揺れる音」外ヶ浜湊

 ガタン ゴトン
 ガタン ゴトン

 僕が初めてこの町に着てから電車の事で覚えているのは揺れる音。
 両親に抱きかかえられ、流れる景色と笛の音、そういった自分のとって色んな初めて与えてくれたのは電車だった。
 僕は窓から外を眺める事が好きだった。両親から教えてくれた物だから大切に思ったのかもしれない、けど何より電車の揺れが楽しかった。発車する際に鳴る警笛がこれから動きだすと教えてくれる、止まっている景色が音と共に動き出す。

 ガタンゴトン ガタンゴトン

 窓から見える景色が流れていく。それを見てる自分は、その中から色んなものを見つけては過ぎていく様が面白くて仕方なかった。歩くより早く、だけど常に同じ場所を同じような時間をかけて進んでいく。
 止まる、動き出す、音が鳴る、揺れる、景色が流れ始める、流れる速度は早くなっていき次の駅が近づくとまた流れる景色が遅くなって、止まる。目的の駅までこの繰り返し。だけど、自分の足では行けない所まで行けると思うといつも胸の高鳴りは止まる事はなかった。
 少し時間は飛ぶが両親に遊びに連れて行ってもらえる時、電車の遅さが嫌だった。各停だった事もあるが、一駅毎に止まるのでどうしても待つ時間が出来る。景色も止まる。気持ちを無理やり押さえつけられているようで非常に嫌だった。もう少しで横浜に着く、そう思って先頭車両の窓から先を覗いていると平沼橋で止まった時に逸る気持ちと共に、まだ着かないと焦る気持ちでもどかしい。
 
 ガタン ゴトン
 
 この音が鳴るから次へ進む。この音が小さい自分にとって先に進んでいる証拠だった。 小さい頃の自分にとって電車を動かすのは運転手ではなくこの音だった。音がなり揺れ始めるから進む。運転手が操作するから動くんじゃない、音が鳴るから進むんだ、なんて事を小さい自分は思っていた。
 横浜駅に着き改札を出る際に切符を渡す。小さい自分には切符が特別な物に思えて、改札に立つ駅員に切符を渡す際、自分が凄い人になった気がして嬉しかった。帽子を目深に被った駅員に切符を渡して駅を出る。遊んだ帰りは鋏を鳴らしている駅員に切符を渡して切ってもらう。そしてまた横浜から自宅へ帰る電車に乗る、そこでまた音と共に揺れが始める。行きと違い疲れた身体に電車の揺れは心地よすぎて立っている最中でも寝てしまいそうになる。しかも帰りは暗くなっているので景色も見えにくい。せめて景色が見えていれば眠気もどうにか出来たかもしれないけれど、外は暗く、電車内は一定の揺れを伴って進むとなれば、小さい自分にとって帰りの電車は 苦行でしかなかった。早く駅に着かないかな、眠くて仕方ない、と。
 また少し時間は経ち自分も成長して自転車を買ってもらってから数年の間の事。今まで移動と言えば電車だった、しかしそれではいつも同じルートを同じ時間で進むだけだった。自転車は自分で進む、今まで電車の中から見ていた景色を今度は自分がその景色の中にいて自らの足でもって進む。自転車を漕いでいると今度は後ろから電車がやってくるのが聞こえてくる、今までと違い自転車に乗っている自分はあっさり追い抜かされていく。ムキになって電車に並走しようとするが、その頃には駅に止まるため速度を落とすので追い越しても何となく勝った気がしない。そんな事をしていたせいで、一駅分進んでいた事に気付き驚かされる。少し前まで電車で進んでいたのが長く感じていたけど、こんなに短い距離だったのか、そんな少しを待てなかったのかとほんの少しだけ自分が恥ずかしくなったりもした。移動手段が増え、自分の住んでいる町がどういったものなのか、どんなものがあるのか探しやすくなった。高校野球予選等で使われる球場などがある公園が思ったより近くにあった。一駅隣には区役所や郵便局、消防署があった。さらに一駅進めば横浜では有名な商店街のある駅だ。夏には商店街のお祭りがあり、冬には初詣で賑わう。自転車で移動するようになって色々近場が増えてきた。そうなると電車に乗った時にまた景色が違うように見えてくるようになった。自転車で行く場合は近いように見えたけど、電車からだと遠くに見えるなとか、雨が降った時はどういうルートで変えるのが一番濡れないかとか。人も車もいるけれど、どこかのんびりした空気があり過ごしやすい空間があった。大体近場で揃うけど、それでも何か足りないとなれば横浜に出れば何とかなった。住んでいる所は坂というより丘の上で『行きはよいよい帰りは怖い』を地でいく場所だったが、それでも丘の上と言っていい場所にあるだけあり静かで落ち着いていて景色の良い場所だった。近場には小さな小さな沢もあった。緑が多いお蔭で夏でも自然と涼しさを感じるお気に入りの場所だった。

 そういった自転車での移動を主としていた生活が終わり、また移動の主役は電車へと戻る。
 次へ進むという事だ。
 それは、どんなに好きで慣れ親しんだ町も時間と共に変化していく事であり、新しいマンションが建ち昔あったものが無くなっていく。気付けば駅からも一つ音が消えていた。あれだけ慣れ親しんだ鋏の音が自動改札機の登場で聞けなくなっていた。便利になったのだろう、実際改札口で詰まるなんて事は無くなったんだし。けれど町から賑わいが一つ減ったようで少々寂しい。電車も変わった。新しい車両になった事もあり昔より音が静かになった。

 ガタンゴトンとはもう言わず

 タタン、タタンと軽快な音で進む。

 発車のベルもなくなり
 電車の揺れも少なくなった。

 小さい頃見ていた景色は今とは違う。勿論歳を取り背が伸びたせいもある、けれど時間が経っても同じ景色が見えるはずなのに見える物は別物になっている。
 慣れるという事は感動から安心へと様変わりしていく事だと思う。小さい頃、親に手を引かれて見ていた景色は成長するにつれ一人で見る様になり、いずれ同じ景色に飽きてしまい、広告を見たりして目的地まで過ごすようになった。ただ、同じ景色に飽きる事はあっても飽きたからと言ってどこか別の場所に行きたいというわけではない。この電車の走っている街や人、自然、ありとあらゆるものが愛おしい。この町には便利さと共に失ったものがあり、時間が経っても変わらないものがある。春になれば駅前の橋の傍には桜が咲き、夏になれば商店街で祭りがあり、秋には何かあったか微妙だけど、冬には初詣やセンター試験でごった返す駅となる。程よく横浜に近くて、程よく便利。
 私はこの町に手から零れ落ちていった何かをもう一度取り戻したくて何度も足を運んでいる。ただ過去を懐かしんでいるのもあるのだろうが、そこへ連れて行ってくれるのはいつだって電車だ。いつまで経っても変わらず同じ場所を行き来してくれる。いつまで経っても変わらないものはあると教えてくれる。
 足早に書き連ねたが詳しく書けば内容はもっと増える、が今私は住んでいる町が違うので割愛させてもらおう。あくまで好きだった町と自分の過去を懐かしんでいるからこそ、その町へ向かうんだ。
 私の物語はこれからも続く、しかしこれを読んでくれる人の物語はまた別物である。だから最後に一つだけ質問をして終わりにしたい。私はこの町が好きです
 
 貴方は今住んでいる街が好きですか。

著者

外ヶ浜湊