「映研グラフィティ 大池公園に河童が出てきた日」本多 隆

 1984年初夏、K大学映画研究部部長・鈴本老一は狼狽していた。
きゅうりがないのである。
家に置き忘れた。
撮影初日のプレッシャーから昨夜は一睡も出来ず、河童の衣装や仮面を磨いてみたり、絵コンテを直してみたりしていた。
ここは二俣川駅南口から徒歩20分大池公園、午前9時である。
「老一、どうすんだよ!」
カメラマンの稲田東二が言った。
「お前が買って来るしかないだろ。」
主人公の石川義雄が言った。
「鈴本先輩、買ってきてくださいよ。」
ヒロインの花井高子が言った。
みんな、薄笑いを浮かべていた。
「やばいよ。」
監督である鈴本老一は独り言のように呟いた。
老一には買いに行けない理由があった。
それをわかっていて、みんなは言うのだ。
老一は河童の衣装である緑色の全身タイツを着ていた。
駅前の西友に行くには交番前を通らなければならない。
間違いなく不審者として職務質問されるだろう。
8ミリ映画の撮影どころではなくなる。
老一の頭に全身タイツ姿で留置場にいる自分の映像がサイレント映画のモノクロームでよぎった。
これはこれで面白いかもしれないな、と思ってしまう老一だった。
「みんな、待たせてごめん。」
イルカのような甲高い声が響いた。
学生服姿で現れたのは主人公の幼馴染役竹野勝彦だった。
「おわびに差し入れ持ってきたけど、みんなで食べてよ。」
西友のレジ袋に入ったきゅうりと味噌だった。
「冷たい缶ビールもあるよ。」
明らかに宴会と勘違いしていた。
「ちょっと待ってよ。ビール飲んで撮影出来ないよ。」
さすがに老一も呆れた。
「まあまあ、きゅうりもあることだし、撮影開始しようぜ。」
東二は、勝彦に余計な事しやがってという顔をして言った。
映画評論家の叔父を持つ東二は映研ではエリートだった。
 ともかく撮影は始まった。
まずはシーン1、池の周りをジョギングする男が河童の出現に驚くくだりだ。
まだ、ここでは河童は写らない。
ジョギング男を演じるのはK大学映画研究部副部長・柿崎勇吉、酔っぱらうと走って何処かに行ってしまうことから、『酔いどれランナー』と呼ばれている。
フィルムを回さず、テストを数回繰り返す。
「ザキ、走りが速いよ!」
「まだ速いよ。もっとゆっくり走ってよ!」
老一の演出は厳しくなかなか本番にはならない。
もっとも、緑色の全身タイツ男に何を言われても説得力はない。
そもそも河童の役はその独特な踊りが評価されて児童劇団出身の久重松久一郎が演じていたのだが、演出の厳しさとナルシストなのに顔が見えないことが理由で降板していた。
仕方なく監督である老一が河童を演じている。
なんとか本番を2テイクで終えた。
「悪いね。最後まで付き合いたいけど。」
勇吉はバイトがあるのでここで帰った。
 葉の緑が綺麗だった。
「東二、使えるかも知れないから撮っておいて。」
突然、思いつきで老一が言った。
「面倒くさいな。」
文句は言うが、やるときはやる男、それが東二だった。
 昼食をはさんで、いよいよ河童の登場シーンだ。
甲羅と仮面を装着した老一に一同が沸いた。
この衣装は中井祐樹と内藤将実が一か月かけてデザイン・作製した力作である。
 シーン7
公園内並木道。
談笑しながら並んで歩いてくる義雄と高子。
繁みが不自然に揺れる。
義雄「おやっ」
高子「どうかした?」。
義雄「気のせいだよな。行こう。」
繁みを掻き分け河童のゴンタが現れる。
高子「きゃ!」気絶する。
義雄「ゴ、ゴンタ!」
ゴンタ「義雄、久しぶりだな。会いたかったぞ。」
義雄「古里から出てきたのか?」
ゴンタ「義雄がちっとも帰って来ないからよ。」
義雄「ダメだろ。人前に出たら、捕まって動物園に入れられてしまうぞ!いや、見世物小屋やサーカスかも知れない。」
ゴンタ「大丈夫、大丈夫。相撲とろうよ。」
義雄「おいおい。」
ゴンタ「相撲、相撲。」
ゴンタ、張り手をしながら義雄にせがむ。
 シーン9
公園内梅林。
聖書を読みながら歩く学生服の勝彦。
つきまとう河童のゴンタ。
ゴンタ「おい、勝彦、相撲取ろうよ。ねぇねぇ。」
その声が聞こえないかのように歩く勝彦。
「たんま!ちょっとトイレに行きたくなった。」
勝彦が悲鳴を上げた。
「あんなにビール飲むからだよ!急いでよね。」
老一は焦っていた。
「しょうがんないだろ。あれだけ待たせるからだよ。」
勝彦は小走りでトイレに向かった。
本日の出番を終えた高子が大丈夫かしらという顔で見送った。
 シーン40
公園内大池の周辺。
夕陽を見ながら肩を組みスキップしながら去る義雄、ゴンタ、勝彦。
「どこでカットかければいいのかね?」
カメラマンの東二が高子に聞いた。
「どうでしょうね?鈴本先輩、いっちゃってますからね。」
高子が答えた。
「ま、フィルムが無くなるまで撮るか。」
東二はこのフィルムが永遠に無くならないことを願った。
きっと三人は地の果てまでも行ってしまうことだろう。
少なくても、大池公園の果てまでは。
「稲田先輩、今日、きゅうり必要だったでしょうか?」
「きっと必要だった。老一のお守りとしてね。」
高子はなんとも言えず可笑しくなった。

                   完

著者

本多 隆