「晩御飯までに」斉藤尚

 「サンマぁ~ サンマあ~ 気仙沼のサンマが5尾で六百円だぁ、どうだい奥さん、そちらのお嬢さんも!」
 威勢の良い魚屋の声も今日は全く耳に入ってこない。

「アイツはどこへ行ったのかな・・・」

 真鍋美穂・29歳、生まれ育った横浜の街でダンナと暮らしている。
「なんだ、美穂さんじゃねえか。サヨリのような美人が暗い顔してどうしたんだい。ははあ、こいつはダンナと喧嘩したってぇところだな」
 相変わらずの威勢の良さに圧倒されながら、私は作り笑顔を返した。
「なんだ、図星じゃねぇか。サンマはコラーゲンもたっぷりでお肌にもいい! 特別に5尾で五百円にまけておくよ。ほらっ持ってった!」
 頭ではアイツのことを考えつつ、魚屋に促されるままにバックに手をかける。
「まいどッ!」 
 魚屋はザルに乗った5尾の秋刀魚をさっとビニール袋に詰めた。晩秋を迎え、秋の味覚も手ごろな値段に落ち着いてきた。そう言えば不漁で高値だとかで、今年はまだ秋刀魚を食べていない。私は五百円玉を手に取り馴染みの店主に渡した。
 脂の乗った秋刀魚は塩焼きや蒲焼はもちろん、ガーリックソテーも美味しい。クリームソースと絡めて白ワインというのも乙なものだ。よだれの出そうなレシピが一瞬頭を駆け巡ったが、程なくアイツの顔が戻ってきた。

「アイツはいつ帰ってくるのかな。アイツもサンマ、好きだったな・・・」

 商店街で買い物を終え、帷子川にかかる橋を渡る。いつものように、カモメが欄干で羽を休めている。カモメとアイコンタクトを取りながら、カツオのように大きく丸々太ったコイを眺めて一休みするのもこの商店街へ来る楽しみだったりする。
「よっ! 美穂じゃん! 久しぶりっ!」
 魚屋に負けないこれまた元気の良い声が聞こえてくる。とっさのことに一瞬間をおいて振り返ると、秋らしい柿色のコートを着た親子3人が立っていた。お揃いの格好をした3人の親子を見ると、昔見読んだ児童小説だっただろうか、フィヨンカさん一家という名前が頭に浮かぶ。
 近藤里子・美穂と幼馴染の29歳。今は海老名のファミリーマンションでダンナと子2人で仲良く暮らしている。
「里子、あらっ千香ちゃんも祐太君も。また天王町まで買い物に来たんだ」
「うん、買い物はやっぱり松原に限るっ。子供たちも駄菓子屋楽しみにしてるしね。」
子供たちは満面の笑みでそれぞれに持つ真っ白いレジ袋からカラフルなお菓子を出して見せた。天王町・松原商店街には上野・アメ横に負けない生鮮食品のほか、乾物や菓子類のお店も充実している。百円あれば10品は買えてしまう昔ながらの駄菓子が買えるのも子連れにはうれしい。
「魚屋の袋を持ってるってことは、美穂もサンマ5尾六百円、買ったでしょ! 私も買ったんだ。安いよねー。子供たちは魚あんまり好きじゃないんだけど、サンマの塩焼きだと食べるんだよね。ところで美穂、なんだか浮かない顔してない?」
「ははぁ、さてはダンナと喧嘩したな。うん、絶対そうだ」
 魚屋と同じくこちらの言葉を待たず、里子は神妙な顔つきになって話を続ける。
「うーん、アイツは優しくて気遣いもできて顔も良くていいやつだけど、昔から自分の意見を真っすぐ言えないからね。アイツに限って浮気は無いだろうけど。わかった、今日は土曜日だもんね。アイツ、断れずにまた休日出勤して美穂との約束すっぽかしたんでしょう。絶対そう。いくら上司の指示って言ったって、バランスライフワークっつうもんがあるでしょ」
「それを言うならワークライフバランスね」
 ダンナも里子と同じく幼馴染、小・中・高校と同じ学校だけ過ごしただけあってダンナのことは私もヤキモチを焼きたくなるくらいよく知っている。思い込みが激しくて、トンチンカンなことを時々言い出すけど、どこか憎めない里子も昔から全く変わりない。
「そうっ、それ! こんなに料理もうまくて美人で優しい妻を泣かせるなんて人でなしだわ。私、アイツに一発言っておかなきゃ。美穂、任せておいて!」
 よくぞ人のダンナをここまでボロクソに言えるものだと感心しながら、私は微笑んだ。里子のマシンガントークは止まらない。
「しっかし、まあ世の男どもはどうしてまあそんなに自分勝手なんだろうね。うちのダンナもさぁ、去年からずーっと単身赴任行ったっきりだよ!? こんなの生き別れ状態。もう、どうして私もこんなに不幸なんだろうねぇ。ねえ千香っ、パパの顔覚えてる?」
 子供の前でパパ批判をするも、里子らしいと私は感心半分、少し心配になったが、千香ちゃんはこう返す。
「ママ、明日パパが帰ってくるからって、さっきまでウキウキでビール選んでたじゃん。それに、パパの大好きな柿の種買うのに今日は商店街に来たんでしょ。それより早く帰ってお菓子食べよ!」
 若干7歳の千香ちゃんを見ていると、里子よりもよっぽど大人ではないかと思えてくる。
「そうだねっ! じゃ、美穂またね。今度は約束してランチでも食べよ!」
 フィヨンカさん一家は突然現れ嵐のように過ぎ去っていった。カモメ達も賑やかな嵐が過ぎて安心したかのように、川を眺めてくつろいでいるようだ。

「さて、アイツが待っているかもしれないし、帰ろう」

 天王町はいつもと変わらない静かな休日の駅の様子だ。通過する急行列車を眺めながら、やはりあのことが頭から離れない。
「アイツ、どこに行っちゃったんだろう」
 休日午後の下り列車は、横浜駅界隈での買い物帰りだろうか。デパートや電器店の買い物袋を手に下げ、充実した顔つきで家路につく老若男女で意外と混雑していた。
 美穂の家は天王町駅から各駅停車で10分程の西谷駅の目の前である。改札を出てコンコースからの階段を降りると、顔馴染みの駅長さんが我が家の前で落ち葉を掃いていた。
「駅長さん、いつもすみません。我が家の前まで掃いていただいて」
美穂が話しかけると、手を止めた駅長がこちらを振り返った。
「やあやあ美穂さん、本日もご利用ありがとうございます。こちらこそ、先週も階段の前を掃除してもらっちゃって。助かっていますよ。ところでソウタくんは元気ですか?」
「それが一昨日から姿が見えなくて・・・。駅長さん、アイツ・・・相太を見ませんでしたか?」
「うーん、実は一昨日のお昼過ぎ、私が下りホームを点検していたら、反対のホームにソウタ君がいたような気がしてね。ちょうど横浜行の各停が来て見えなくなってしまったので、その後はわからないのだけど・・・」
 私は少し青くなって言った。
「えっ、事故とかではないですよね・・・」
「うん、そういう報告は聞いていないから安心していいと思うよ」
「ありがとうございます。相太を見かけたら、連絡してくださいね」
「了解、2、3日のことなら、あんまり心配しないでもきっと大丈夫だよ」
 一昨日のお昼過ぎというと、昼ご飯を食べ終え相太が出て行ったころだ。私は少し不安を覚えながら、駅長さんにお辞儀をして家に帰り、松原商店街から買ってきた食材を冷蔵庫にしまった。

「相太、どこに行ったのかな」

 私は紅茶を入れ、一息つきながらもそのことばかりを考えていた。
 それから1時間ほどたっただろうか。玄関からガチャっと音が聞こえ、弱ったような男の声が聞こえてきた。
「ただいまぁ」
 真鍋直人、29歳。私のダンナ、特徴は里子の紹介通り。我が家は私とダンナの直人、そしてアイツ、猫の相太の2人と1匹暮らし。
 ところで、直人ははなんだか青ざめた顔で帰ってきた。
「美穂、ごめん、俺なんかしたかなぁ。ほんとにごめん」
「お帰り! 今日も明日も遅いって聞いてたけど、早く帰れたんだね。ところで何謝ってるの?」
「いや、さっき里子から電話が来てさ。美穂がめっちゃ怒ってるって。離婚の危機だから早く帰れって。俺、何しちゃったんだろう。相太も一昨日から帰ってこないし、どうしていいかわからなくて」
 何か謝るのことがあるのかもわからないのに謝ってしまうあたり、私のダンナ、直人の人の良さをしみじみ感じる。私は盛大な笑顔で返した。
「休日出勤お疲れ様! 怒ってるのは里子の勘違い。ほらっ、ちゃんと直人と相太が好きなサンマも買ってきたんだよ。」
「なんだぁ、良かった。ところで相太、やっぱり戻ってないんだね。いったいどこへ行っちゃったのだろう」
「心配だけど、サンマを焼いたら匂いにつられて帰ってくるかなと思って。」
「そうだね。あっ相太のお帰り祝いと美穂へのごめんなさいを兼ねてワイン買ってきた。ちょっと奮発してブルゴーニュの白ワイン。」
「シャブリ!ありがとう!それなら今日のサンマはクリームソースで食べようか」
「いいね!賛成!」
 さっきまで青ざめていた直人の顔に血の気が戻ってきた。
「少し早いけど、サンマを焼く匂いで相太も戻ってくるかもしれないし、夕食の支度を始めるね」
 秋刀魚4尾は三枚に下ろす。今日は刺身でも食べられる新鮮な生秋刀魚なので、2尾はカルパッチョにしよう。残りの2尾に薄力粉をかけてソテーすると、脂ののった秋刀魚にあっという間に火が通る。残る1尾は相太用。グリルで塩焼きにする。おっと、塩はかけないのを忘れないようにしないと。塩焼きもソテーも食欲をそそる匂いだ。美穂の得意なクリームソースにはバジルを使い、キッチンはなんとも言えない匂いに包まれる。
「美味しそうな匂いだなぁ。相太もいればなぁ・・・」
 いつもなら涎を垂らして催促をしてくる直人も元気がない。
「はいっ、出来上がり!」
 こんがりカリッと硬めにソテーした秋刀魚に、バジルの香りのクリームソースをかける。直人はご自慢のワインオープナーを用意し、白ワインのコルクを開けた。
「相太の帰宅を祈って、乾杯」
 二人は優しくグラスを交わしたが、どうにもワインを口にする気分になれない。
「相太の帰宅を祝って、なら良かったのにね」
 私が言ったその時だった。外から、ニャアという声がしてきた。
「相太!?」
 二人は同時にアイツの名を発して玄関へ飛び出た。すると、相太は軒先でいつもと変わらずの少し生意気そうな顔をこちらに向けて座っていた。
「相太ぁ! どこ行ってたんだぁ。心配したよぉ」
 私は相太を抱き上げて、ほおずりをしながら優しく言った。直人は今にも泣きそうな顔をして相太の様子を見ている。
「サンマ、焼けてるよ。みんなで食べよう」
 相太をリビングに連れて行き、塩をかけずにこんがり焼いた秋刀魚を皿にのせて床に置いた。相太は一瞬、熱ッという反応を見せながらも旺盛にかぶりつく。そんな様子を見て、私も直人も食欲が湧いてきた。
「改めて、相太の帰宅を祝って、乾杯!」
2人はワインを飲みほし、秋刀魚のソテーに手を付ける。
「うん、うまい。やっぱり美穂が作るサンマのクリームソースは最高だなぁ。付け合わせの茸のソテーもすごくおいしい」
「良かった。やっぱり家族そろって食べると一番美味しいね」
 私はあっという間に平らげる直人を見て微笑みながら、我ながら渾身の出来の一皿に舌鼓を打つ。
「ところで、相太はどこに行ってたのだろうね」
 そう言うと、秋刀魚を平らげて相太と戯れる直人が、相太の首輪に何かついているのを見つけた。
「なんだろう、船の錨の形をした小さな飾りがついているよ」
「私、前に見たことがある。これ、山下公園で売っているお土産のチャームじゃない? そう言えば、駅長さんが横浜駅行きの電車が来た時に相太を見失ったって言ってたし、もしかしたら」
「相太ぁ、どこか旅をしてきたのかにゃ? 海に行ってきたのかにゃ?」
 直人が問いかけると、相太はなんだか得意気な顔をしてゴロゴロ言っている。
「秋だし、天気も良いし相太も旅をしてきたのかもしれないね。美穂、明日の日曜日は山下公園でデートしよう!」
「休日出勤は大丈夫なの?」
「ちょうど今日でひと段落ついたところなんだ。秋は短いし、相太と同じように秋を感じに出かけてみよう!」
 美味しい晩御飯を食べて、家族で一緒に過ごす。忘れかけていたそんな幸せな時間を、相太は改めて運んできてくれた。

著者

斉藤尚