「最後尾に、乗っていた」名取鋼哉

 今日、僕の留年が決まった。
 留年といっても世間一般の人がイメージするような、ゲームやバイト、サークルなどの遊び活動に明け暮れていたせいで出席が足りなかったわけではない。純粋にテストの点数が足らず、最後の最後まで絶対に取らなければならない専門第二種のひとつが取れなかったのだ。
 よく、受験は団体戦だと高校の教師が言うが、大学の試験のほうがよっぽど団体戦のようなものである。先輩から過去問をもらう人やそれを解く人。解いてもらったお礼に飯をおごる人などがチームとなって戦っている。
 いかに秀才で普段からまじめに勉強をしている人だろうが、休んでしまった回の授業内容を聞くため、ノートの映しきれなかった部分を見せてもらうために友達は必須なのである。
 僕にはそれが一人もいない。おおよそ友達と呼べるものが僕には一人もいないのだ。
 そのせいで僕は留年したのである。正確に言うと、三年生から四年生になれなかった。
「とりあえず、気晴らしに横浜行くか」
 学務に行ったりすればなにか救済措置などがあったのかもしれないが、もうそこまでのモチベーションもない。友達も単位もない僕に、そこまであがく権利などないように感じてしまうのだ。
 最寄りの相鉄和田町駅の改札をくぐり、横浜駅行きの電車に乗るために右側の階段を下りる。
 僕にはある習慣、というより習性がある。
 相鉄和田町駅はホームへ降りる階段が一つあり、降りてすぐのところが先頭車両となる。そして先頭車両に乗っていれば横浜駅に着いた時、そこが一番改札に近くなるので普通の人たちは階段降りてすぐのところに溜まる。
 一方僕は最後尾まで歩き、最後尾の車両に乗車する。これといった意味はないが、はじめは確か周りの大学生は友達や彼女と複数人でいるのに僕は一人というのが恥ずかしいから、という理由だった気がする。そこからはほとんど意地で、僕は和田町駅から横浜駅まで、相鉄の最後尾車両以外乗ったことがない。
 今日も歩きスマホでネット掲示板を見ながら駅のホームをだらだら歩いていく。友達がいないのでSNSを使うこともなければ、フレンドと呼ばれる協力者がいなければ十全に楽しむことができないソーシャルゲームをやることもない。よって、スマートフォンを手にしたところでネットの掲示板やブログを見たりする以外やることがない。かといってほかにやることもないので意味もなくスマホを眺めている。
 電車が来る。今日も僕の他には車両に誰も乗っていない。

 と思っていた。

 横に七人ぐらい掛けられる長座席の僕の対角線上にそいつは座っていた。下を向いて、スマートフォンを無表情で眺めながら。
 見覚えのある服を着ている。
「知り合いか……いや。僕に知り合いはほとんどいないはず」
 どこか大学のメインストリートなどですれ違ったのだろうか。
 いや。大学のメインストリートですれ違った人を顔で覚えることはあるかもしれないが服装で覚えるなんてことはない。
 僕と同じトートバッグを持っている。少しだけ彼の鞄のほうがきれいに見える。
「……このトートは僕が関西から引っ越してきたときに幼馴染に餞別でもらった鞄で、地元周辺でしか売ってないはずなんだけど」
 よく見るといろんな違和感が見えてくる。
「次は星川、星川」
 例えばここ。
 相鉄和田町駅は各駅停車しか止まらないが、星川駅は快速が止まる。その関係から、乗る電車によっては星川駅で五分ほど待たなければならないのである。基本はその間快速列車に乗り換えるのだが僕は一度も乗り換えたことがない。
 彼も乗りかえなかった。
 一部分だけ切り取れば、そんな人もいるよなと思うが、違和感があまりにも多すぎる。先ほど述べた以外にも様々な違和感があった。
 例えばさっき彼が取り出した小説はちょうど去年僕が読んでいた本だし、その時にちらりと見えた教科書は去年受けた講義のものである。
 ああ。

 彼は、去年の僕なんだ。

 受け入れがたい非現実的な話だけど、僕はそれを理解した。
 よく見ると髪の毛も無造作に伸び、ワックスなど当然ついていない去年の僕のような髪型だし、下を向いているせいで顔はよく見えないが髭の剃り残しがあるところがそっくりだ。
 なるほどこの車両だけ、去年と今年が交錯しているんだ。僕はそう納得した。
 ……話しかけて、みるか。
 友達がいない僕は当然コミュニケーション能力が乏しい。だから男相手とは言えこういうナンパじみた行為はしたことないしするつもりもなかったのだが、去年の僕がいるとなったら話しかけない手はなかった。
 すっと立ち上がる。
 
 ガタンッ―
 「車内、大きく揺れてしまいました。失礼いたしました。」
  大きな揺れと共に謝罪のアナウンスが入る。
 「……」
  もしかして。
  ここで僕と彼は接触してはいけないのではないか。
  僕は今まで読んできた数々の小説のなかから時間旅行に関するものの記憶を掘り起こす。タイムパラドクス。過去に戻って自分の親を殺してしまった場合、自分の存在はどうなるのだろうかという矛盾のことだ。
 タイムパラドクスが起こると世界すら滅びかねないので、起こる前に世界そのものがそれを止めようとする抑止力が働くと言われている。
 僕と彼が出会ってしまったら、何かとんでもないことが起きてしまうのではないか。さっきの車内の揺れはそれを止めるための抑止力だったのではないか。
 僕は座りなおした。基本的に臆病なのである。
 
 結局その日はそのまま横浜で息抜きをし、家に帰って三年生(二回目)の履修を組んだ。彼のことは一日中頭から離れなかったが。

 彼を留年する未来から救おう。
 僕がそう思い至るのにさほど時間は必要としなかった。
 去年の今頃、僕は横浜駅のコンビニエンスストアでバイトをしていたので、彼が本当に去年の僕なら、毎週水曜日と金曜日、十六時四十三分和田町発の最後尾に乗っているはずである。
 しかし一体、留年する運命にある彼を僕はどう救えばいいのだろう。
 彼に直接話しかけてはいけない。彼に関わってはいけない。
「過去問を解いて直接渡すことができないと考えると、床に落とすか……? いいや、去年の僕のことだ、床に過去問を置いたところで見向きもしないだろうしなあ」
 早速行き詰った。
 友達がいないため誰かに相談することもできない。
「去年の僕に足りなかったものはいったいなんだ」
 留年が決まるかもしれない試験に対して僕は本気度が足りていなかったように思う。
 教科書を読んで章末問題を答え見ながら解いて解けた気になって、そして挑んだ試験がボロボロだったんだ。
 後ろの方でテニスサークルの連中が「過去問そのまま出たな」とか話していたのが印象的だった。
「圧倒的に危機感が足りてなかったんだよな……」
 金曜日。僕はあえて和田町から横浜へ向かう方向とは一駅逆方向の上星川駅まで歩き、そこから彼が乗っているはずの車両に先に乗っておいた。車内には僕の他に二人しかいなかったので色々と都合がいい。
 彼が座るであろう席の対面の広告を、留年したらかかる費用一覧の自作広告に貼り替え、僕はその広告のそば……つまり彼が座るであろう席の対面に座った。昨日から髭は剃っておらず服装も少し汚い感じにコーディネート。いかにも人生の敗北者な姿の人間がそこにはいた。いや、僕のことなんだけど。
 和田町駅に着く。
 やっぱり彼は乗ってきた。あんまり凝視して怪しまれてしまったらどんなタイムパラドクスが起きるかわからなかったのでちらと一瞥するにとどめる。相変わらず彼もうつむいてスマートフォンを見ている。
 所定の位置に座った気配がした。
「はあ、留年が決まった……」
 周りの人に聞こえる程度の音量で僕は独り言をつぶやき始める。
「留年決まったって親になんて報告すればいいんだ……そもそも留年したらいくらくらい親に負担かけるんだろう……はっ、車内広告がちょうど留年費用について書いてある……こんなにかかるのか。バイトして全額自分で払うしかないかな。」
 一気にまくしたてる。
「ほんとになんで留年したんだろう。間違いなく通信科学の講義を落としたせいだよな。通信科学さえ取れていればぎりぎり留年回避していたはずなのに。あの先生全然授業中の演習とか教科書から試験問題出さないからほんと全然わからなかったんだよな。過去問があれば、過去問通りに出るらしいから単位取得できていただろうに過去問くれる友達も先輩もいないから……」
 留年生の末路を見せ、原因を述べる。
 冷静に考えたらタイムパラドクスが起きてもおかしくないくらいの過干渉だが、これくらいしないと当時の僕は動かないように思ったのだ。
 しかしこの後すぐ、どうしてここまでしたのにタイムパラドクスが起きないのかの理由を僕は知ることになる。
「……でも三年生がはじまった時点で過去問くれる先輩や友達を新しく作れって言ったところで無理だもんな。じゃああの時の僕は一体どうしたら通信科学の単位をとれていたんだろう。もっと勉強するしかなかったな。教科書の章末問題を解いて満足するのではなく、どちらかというとあの人は本質を問うてくる人であって、問題も語句の意味を聞いてくるものが多かった。つまり教科書の問題じゃなくて内容そのものを理解する必要があったんだ。」
 ここまで言って彼の方をちらと見る。
「……」
 イヤホンで音楽聞いてるやないかい。
 僕の話全く聞いてないやないかい。
 せめてスマホから目を話して前の広告とかを見てくれよ……
「ああ、そもそも僕の作戦が何一つ彼に認識すらされていないんだから、そりゃ当然タイムパラドクスやそれを止めようとする抑止力は働かないや……」
 電車に乗っている間はイヤホンをし、常に下を向いていることが判明したのでどうすれば彼を留年する未来から救えるのかまたわからなくなった。
「しかし彼、というか僕か。ほんとずっと下向いててずっと音楽聞いてて陰気な顔していて。そりゃ留年もするわって感じだな。客観的に見て。」
 僕は一年前の自分……なんならつい一昨日までの自分を客観的に見て、絶望と反省をした。そんなこんなで横浜駅に着いたはいいがいつのまにか彼のことを見失っていた。

「過去問を渡そう」
 不用意に彼と接触するのはよくないということで僕は最後尾に乗る習慣をやめ、その隣……つまりは後ろから二番目の車両に乗るようになった。
「もう下手な工作はせず、過去問を渡せばいいんだ。」
 中間テストの季節。ここで少しでもいい点を取っておけば期末テスト多少失敗したとしても単位は貰える。
「どうやったら受け取ってもらえるだろうか。」
 この時点ですでに二つ過ちを犯していることに僕はまだ気づいていない。
「手渡しは駄目な気がする。そもそも果たして見知らぬ人から受け取った過去問を僕が受け取るかどうかって話だ。かといって床や椅子に置いたところで、そもそもスマホに気をとられている彼が気付くとは思えない。」
 結局昨日はずっとその方法を考えていて徹夜までしてしまった。
 今日は水曜日。去年と同じ時期なら通信科学のテストは木曜日、つまり明日だ。結局渡す方法を思いつけなかった僕は、絶対に気付くように椅子の上に過去問を置いておくことにした。
「……あれ?そういえばこの中間テストの過去問って」

 話は変わるが僕はこの過去の自分と遭遇した現象について一つ仮説を立てている。電車を降りたら彼を見失う点や、服装や振る舞いが去年の僕と同じであることから、この相鉄線の最後尾の車両だけ、過去と未来が重なっているのではないか。彼と僕はこの電車の中でしか会えないのではないか、というものである。
 なににせよ、過干渉をすることによるタイムパラドクスや抑止力が怖いため、直接話しかけることはおろか凝視することも避けているのでどういう理屈でどういう現象が起きているのかわからないが。
 話を戻そう。

「この中間テストの過去問って、彼からしたら未来の問題なんじゃないか?」
 僕が受けた平成二十八年度の通信科学のテストを僕は今持っているが、彼からしたらこれは次に出る試験だということだ。
「つまりこれを彼が見さえすれば、絶対満点が取れるということ」
 僕は上星川駅で最後尾に乗り、彼が座るであろう席に通信科学の過去問を置いておいた。
 和田町駅に着く。
 彼はその試験問題を一瞥し手に取った。
「よし」
 そしてそのまま席に再び置き、二度とそれを手に取ることはなかった。
「な……なんで?明日の試験の過去問だぞ?」
 わからない。さすがの僕でも明日の試験の問題があったら手にとって写真を撮るなりするはずだ。そもそも明日の過去問じゃなかったとしても、全然関係ない科目じゃない限り……全然関係ない科目じゃない限り?
「……」
 ここで初めて僕は一つ目の過ちに気付くのだった。
「通信科学、秋学期の講義だ」
 そう。僕が通信科学を落としたのは秋学期の木曜日。
 今は春学期なのだ。彼はまだ通信科学という講義を受けていない。
「あー」
 馬鹿すぎる。徹夜が無駄になった。結構精神に来る。
 そして悪いことというものは往々にして同時に起こる。二つ目の過ちに気付いたのもすぐのことだった。
「そういえば明日テストだわ」
 彼を留年から救うことで頭がいっぱいだった僕はそんな重要なことも忘れていたのだった。慌てて家に帰り勉強をしたが、前日の徹夜がたたり、結局数時間しか勉強できなかった。結果はお察しのとおりである。
「さすがに、ここまで来て今学期もボロボロというのはやばい。」
 正確に言うと僕は留年をしたのではなく、“卒業研究に着手できない四年生”という扱いである。卒業研究に着手するための条件があり、卒業研究をしないと卒業ができない。それが簡単に言うと留年ということなのだけれど。
 で、卒業研究に着手するのにあと一単位足りなかったというわけだ。
 だから僕はあと一年……つまり春学期と秋学期でその足りない一単位をとればいい。そのほかの時間は留年した分の学費を払うためにアルバイトに明け暮れよう、と決め、今期は木曜日の講義しかとっていないのだ。
 そのほかの時間はアルバイトと英語の試験勉強、就職活動に充てている。留年した分のハンデをどうやって巻き返そうか、資格の勉強をしよう。というのがもともとの魂胆である。
 だから、木曜日の講義を落としたら秋学期にまた授業がなだれ込んでしまう。
「やっぱり講義二つくらいはとっておくべきだったよなあ。今までの自分が恥ずかしい」

 今日もバイトを終え、最後尾から二番目の車両に乗り、ぼうっと窓の外を眺める。
 ちなみに横浜駅から出るときは進行方向が逆向きなので前から二両目に乗っていることになる。
「そういえば僕って、今までぼうっと外を眺めたこともなかったのか……」
 一年前の僕を見て日頃の振る舞いを反省した僕は、まずはスマホを見るのをやめた。
 窓の外にはいろいろな建物が立っている。
 思えば、この相鉄線に乗るのは四年目になるが、僕は横浜駅と和田町駅でしか降りたことがなかった。今年に入り、工作をするために何度か上星川駅で降りたがその三駅しか利用したことがない。
「そう考えると、僕の三年間ってなんだったんだろう」
 自宅と大学、横浜駅にしか行かず、大学はうまくいっていない。
「……」
 気が付いたら僕は、天王町駅で降りていた。

「え、すごい……」
 今まで和田町商店街しか知らなかった僕は天王町の駅前の栄え具合に驚いた。たくさんのチェーン店や家系ラーメンの店、花屋や百円ショップなどが乱立している。和田町駅にも百円ショップなどはあるが、数が違った。
 歩いてみる。
「はあ、ここに保土ヶ谷区役所があったのか……おお、図書館もある。もうしまってるけど」
「ショッピングモールがある……ええ、こんな大きい店あったの。向こうの方は電気屋とホームセンターが合体してるし」
「ボードゲームカフェ……?友達のいない僕には関係ない……いや、一人でもいいのか」
「バンドスタジオもスポーツジムもある」

 そこにはなんでもあった。
「……いや、きっとここですらなんでもあるわけじゃないんだろうな、もっとすごい駅前というか街はいっぱいあるんだろう」
 渋谷とか。新宿とか。
 行ったことないけど。
「けど、こんな、電車で二駅のところにこんな広い世界があったんだ」
 いまさら。
 いまさら、自分の愚かさに気付き始めた。
「僕は三年間何もせずに、ただ無駄にしてたんだ」
 愚かさをかみしめながら、天王町から和田町にかけて歩く。
「はは、天王町駅ってうちから歩いて三十分程度じゃん。そんな近いところにこんな世界が広がってたんだ」
 空を見上げる。
 残念ながら星なんて見えなかったけど。

 それからの僕は、変わったと思う。
 車内の彼を見て、いかに自分が陰気で、暗くて、周りからどう見られているのかがわかった。
 過去問を渡すというくだらないことを考え中間テストで失敗し、いかに自分が優先順位をつけられない、勉強にそもそもやる気がない人間かがわかった。
 スマートフォンから目を離し、窓の外を見る。それだけの行為でいかに自分が狭い世界で生きていたか、世界は果てしなく広いということがわかった。

「世界は広いんだ。」
 そう。世界は広い。きっと天王町駅周辺も本当の都会に比べたら大したことないのだろう。今まで通過するだけだった平沼橋駅や西横浜駅にもいろんな世界が広がっているんだろう。きっと僕はまだ世界の片鱗に触れたばかりだ。

 相鉄の最後尾に乗り、彼の隣に腰掛ける。
「はじめまして」
 顔をあげた彼は、当然去年の僕なんかじゃない。
 当たり前だ。そんな、この車両だけ過去と未来が交錯するなんてありえないだろう。
 ただの他人の空似。というか、友達ができなかった大学生の末路なんてみな似たり寄ったりなのだ。
 だからここが一歩目。ナンパじみていて気持ち悪いが、僕は彼と友達になるところからはじめようと思う。
 もう相鉄の最後尾に乗ることはない。これからはちゃんと、先頭車両に乗って横浜に行くんだ。
「世界は広い」
 そういえば上星川より向こうの駅名を知らないな。
「二俣川で降りたことはありますよ。」
 彼は言う。免許取得の時に使うらしい。
 きっと留年したことによる一年のロスなんて大したことないよ。僕は自分に言い聞かす。
「じゃ、まずはその二俣川とやらで降りてみるか。」

 これは、勘違いから僕の世界が広がる物語。
 今日、僕の人生が変わった。

著者

名取鋼哉