「最後尾の車両」CWB

 一
 長い暗がりの通路を進み、比較的急な階段を上がると、相鉄線横浜駅の改札口に出る。僕はこの通路が大好きだ。階段を上がっていくと段々僕のまわりが明るくなり、広い改札口にでる。この一連の流れは、モヤモヤした気持ちが綺麗に一新され、新たなる気持ちに切り替えられるからだ。
 アルバイトを終えた僕は、いつものようにワクワクしながら相鉄線横浜駅の改札口に通ずる階段を上りながら、気持ち良さを味わっていた。上がりきったところで、海老名行きの急行が出るところが見えた。相鉄線に乗りなれた僕はあと1分で各停がでることを知っている。各停のみ停車する駅が最寄り駅の僕は急いで切符を買い、改札口を通った。ちょうど発車のベルが鳴り、最後尾の車両に乗れた。僕の降りる上星川駅の改札口は前よりの車両になるが、乗れただけよかったと思った。夕方近くの最後尾の車両は、帰宅する乗客で8割かたの込み具合で横浜駅を出発した。少し走ったおかげで息の上がった呼吸を整えていると、僕を見る視線に気が付いた。視線の先には、中学生の時大好きだった同級生が、僕に微笑みを浮かべて見ていた。僕たちは1分近くもただ見つめ合っていた。
 二
 私はすっかりきれいに改築された相鉄線とJRをつなぐ横浜駅連絡通路を相鉄線改札口に向け歩いていた。大好きだった暗がりの通路は数年前に改築され、相鉄線改札口へとつながる階段もエスカレーターに様変わりしていた。階段からエスカレーターに代わっても、ゆっくり上がっていく景色は昔と変わりなく、以前のように私をドラマチックな気分にさせてくれた。
 仕事関係の訪問会社が上星川にある実家の近くなので、訪問会社に行く前に、実家によろうとしていた。もう最近では、切符を買う作業をしていないな、と思いながら自動改札をICカード乗車券で通過した。私が高校時代は各停と急行しかなかったが、今では様々な列車種別が増え、目的地によって列車種別をよく確認してから乗車する必要がある。この時間帯は各停が上星川に到着する最速の列車種別だった。
 高校時代のあの日、最後尾の車両で偶然出会った中学生の時大好きだった女の子にまた会えないかと、上星川駅でプラットフォームを歩く苦労を気にせず最後尾の車両に乗っていた。この行為は、いわば癖のようなもので、新宿にある大学に通っているときも、帰りの電車は毎日のように最後尾の車両に乗って、再び訪れる偶然の奇跡を期待していた。
 最後尾の車両は、改札内階段が一番横浜駅よりにある和田町駅を利用する人が多く乗る車両で、女の子は和田町駅が最寄り駅なのだ。
 女の子は私にとって初めて夜も寝むれないくらい好きになった初恋の人で、人を好きになることの素晴らしさを教えてくれた人だった。私はさりげなく車内を見回し初恋の人を探していた。昼下がりの時間帯もあって、車内の込みようはまばらで、すぐに顔を見分けることができる程度であった。すぐに初恋の人はいないことに気づき、私は通り過ぎる電車からの風景を眺めながら、アルバイト帰りの偶然出会ったあの日を思い出していた。
 三
あの日、偶然車内で再会した私たちは1分近くただ見つめあったままだった。中学生時代からお互い両想いであることは、仕草でわかり合っていたのに、私が意気地なしできちんと思いを伝えきれないまま、中学校卒業になりお互い別々の高校に進み恋は実らずにいた。高校生活中も初恋の人を忘れられず、ひたむきに想い続けていた。何か行動を起こすことは出来ないまま、空しく時間だけが過ぎていた。その初恋の人が、今私を見つめている。私は勇気を出して、久しぶりと挨拶を交わした。初恋の人も、笑顔で久しぶりと返してくれた。ほぼ満員の車内で、私たちの少し緊張した声に、こちらを向く人がちらほらいたので、私は初恋の人に近づき、二人の距離になった。和田町駅まで到着のタイムリミットは10分もない。ここで、想いを伝えきれなかったら一生後悔する、と思った私は二俣川駅からなだらかな坂の向こうにある大池公園に誘った。時間は微妙に遅く、了承してくれるか心配したが、初恋の人は迷うことなく、承諾してくれた。
 私たちは西友側の改札口を出て、ゆっくりと大池公園に続く坂道を歩いた。それはまるで、離ればなれだった時間をゆっくりと繋ぎあわせていくように。私たちはお互いの高校の話や、中学校時代の思い出話をしながら、私はしあわせをかみしめていた。手をつなぐ勇気がほしい、と痛切に思った。15分ほどで、大池公園についた。大池公園には釣りで何度か来ていたが、夕暮れ時の大池公園は落ち着いた雰囲気の中、私たちを迎え入れてくれた。
犬の散歩をする人、釣りを楽しんでいる大学生風のお兄さん、帰りがけの散歩だろうか白髪まじりのサラリーマン、そして我々のようなデートをしている男女。私たちは、池周りにあるベンチをみつけ、少しぎこちない距離に座り、そんな人たちを二人で眺めながらとりとめのない会話を楽しんでいた。

 私を乗せた電車は和田町駅を過ぎていた。電車は帷子川沿いの線路を走りながら、上星川駅にはいる緩やかなカーブにさしかかっていた。大池公園のデートの思い出を、電車の車窓から過ぎ行く景色を眺めながら思い出していたら、6駅の旅は瞬く間に終わりをむかえた。
 少しの虚しさを感じながら電車を降りた私は、前よりに乗った乗客の背中を見ながら改札内階段に向け歩き出した。電車は、ゆっくりと走り出し私の右側を過ぎ去っていった。
 前よりの車両に乗っていた乗客の様々な後ろ姿が見える。プラットフォーム内にあるベンチに座る婦人、弦楽器を背負う学生、若いお母さんがベビーカーを押している。いろんな人が今もこの街で暮らしている。
 ベンチに座る婦人の前を通り過ぎ、改札内階段に差し掛かろうとしたころ、私の学生時代のあだ名を呼ぶ声が聞こえた。珍しいあだ名だったので、ほかの人を呼んだことはあり得ないと瞬時に判断できた。私は振り向き、声のほうを見た。先ほどの婦人が私を呼んでいたのだ。その瞬間、私はいい歳なのに顔が赤らむのを感じた。初恋の人がそこにいた。

 私たちは、立ち話もなんだからと、改札を出て16号線沿いのファミリーレストランに入った。店員が席はどこでも良いというので、通りに面していない席を私たちは選んだ。対面に座りあらためて初恋の人を、まっすぐ見つめる。年齢を重ねた痕跡はもちろんあるが、私が大好きだった顔立ち、優しい目元、清潔感漂う髪の毛はそのままであった。
「何年ぶりになるかな?」私は聞いた。
「憶えている?大池公園の事。あの日以来だから、20年以上たつわね。」
時の流れの早さを思った。丁度電車の中で大池公園のデートを思い出していたばかりなので、初恋の人から大池公園の言葉がでたとき不思議なシンクロ感をもたらした。私は気になっていたことを聞いた。
「ところでベンチに座って、体調でも悪かったの?」
癖なの、と初恋の人は少し顔を赤らめて答えた。私は、癖の意味を聞こうとしたら、その隙をあたえてはもらえず、
「上星川駅は久しぶりなの?」と尋ねられた。私は、現在は東京23区に住んでいると答えた。
「そうよね。もう結婚して別な街に住んでいるのよね…。」
私の左手の薬指におさまっている指輪を見ながら、初恋の人は独り言のように言った。そう言った本人の指にも指輪はしっかりと自然におさまっていた。
「和田町から上星川に引っ越してきたの?」と私が聞くと、
「今、西谷浄水場の少し先の住宅街に住んでいるの。」
西谷浄水場のある丘を通る水道道から見えるみなとみらいの夜景は私の大好きな横浜の夜景の一つだ。そんなことを、初恋の人との会話の中で考えていると。
「ねえ、見たことある?浄水場の丘の上から見える夜景…。綺麗よね。横浜西口からみなとみらいまで、全部見えるの。」私は、何十年ぶりにあった初恋の人が、自分と同じ感性を持っていることに無邪気に嬉しかった。
「そう。上星川駅に向かう時だよね。一瞬だけ見える。なんか、その様子が花火みたいで、本当にきれいで、お気に入りの夜景だよ。」初恋の人も自分の感性と同じことに嬉しそうに微笑んだ。
 お互いの今までの人生を断片的に話し、初恋の人との空白だった時間をゆっくりと埋めていった。不意に少し長い沈黙が流れ、初恋の人は目を伏せ、私から目をそらしたまま聞いた。
「大池公園の事、憶えている?」先ほどと同じフレーズが出てきたことで、いろいろな意味合いを含んでいるのを気づかせてくれた。「もちろんだよ…。」私は、初恋の人をまっすぐみつめていった。
「連絡待っていたのよ。あなたからの。」初恋の人は、若かりし頃のように少し、怒ったような顔をして、それでいて本気で怒ってはいない事がわかるような声色で言った。私は連絡を待っていてくれていたことにうれしくもあり、本当に申し訳ないと感じていた。私は当時の状況を話した。大池公園のデートの数日後、友達とふざけていて不注意から転んで左腕をけがしてしまった。骨にひびがいった程度かと思ったが、手術が必要なくらいの骨の状態だった。高校生ということもあり、大事をとり全身麻酔による手術となった。入院も余儀なくされ、10日間病院のベットで過した。高校生の心には挫折感に似たショックで、すべてに自信がなくなり、初恋の人に連絡をしようと思っていた心を日に日に挫いた。話を聞き終えた初恋の人は、少しほっとしたような表情でいた。すぐにちょっと不謹慎かなと思い直し、社交辞令的に大変だったのねと付け加えてくれた。
 初恋の人は、想いを決めたように私をまっすぐ見て、
「大池公園でのキスも憶えている?」と顔を赤らめながら聞いた。私は、当たり前だよ、と答えた。心の中で、初めての大好きな人とのキスなのだからと思っていると。
「ファーストキス?」とストレートな質問を初恋の人がしてきた。照れ隠しする年齢でもない私は、そうです、とすぐに言った。初恋の人は、晴れやかな顔になり、意を決したように、
「私も…。」
私は、「そう…。」と答えるのが精いっぱいだった。
 初恋の人はここまで話してしまったから、全部話しておこうというような仕草で、
「プラットフォームのベンチで座っていた、癖の意味ってね、ずっと待っていたの、上星川駅を使うあなたを。もしかしたら来るのかなって。いつか。」
「え…。」
「大池公園のデートのあと、連絡を待っていて、全然来ないから何かあったのかなって、ずっと気にしていた。だから、引っ越す前は、よく相鉄線に乗るときは、前よりの上星川駅の階段に近いところに乗って、あなたが偶然乗ってこないか待っていたのよ。」私は話の途中から頭の中が真っ白になり、じんじんしてきていた。
「僕も、最後尾の車両で君を待っていたんだよ…。」やっとのことで言葉が出てきた。初恋の人は、そっと視線をそらして、すれ違っていたのね、と言った。私が最後尾の車両で初恋の人をそわそわしながら探している時に、初恋の人は前よりの車両で私を探しているところを、ぼんやりと想像してしまった。
「もし、また電車の中で出会っていたらどうなっていたのかな?」私は、今更考えてもしょうがない質問を投げかけた。初恋の人は、その質問には答えず、言った。
「この前、テレビでパラレルワールドという世界の話を聞いたの。この世界は無限に広がる世界で、いろんな世界が混在しているらしいの。だからどこかの世界では、二人が電車の中で再会し、結ばれていて、幸せな家庭を築いて暮らしているの。」私は、その話を聞きながら、想像していた。この宇宙の遥か彼方で、二人が幸せな生活を送っており、手をつないで上星川駅の改札内階段を上っている姿を。
「これからどうする?」私は、いろんな意味に取れる言葉を投げかけた。
初恋の人は、私を見つめながら、
「変わっていくわ。この街も。数年後には、西谷駅から新しい路線もできると聞いたわ。私の勤めている会社は綱島駅だから、便利になる。ここで暮らしていく…。私は、ここで暮らしていく。私の大切な家族と、想い出が詰まったこの路線で。そして、西谷浄水場の丘の上から、移り行く街並みを、思い出と照らし合わせながら家族と暮らしていくわ。」
 六
 ファミリーレストランを出ると、もう夕暮れは始まっていた。私は、途中まで送ろうか、と提案したが初恋の人は大丈夫と笑顔で辞退した。私たちは、またいつか、と永遠に実行されないかもしれない約束をして、それぞれの道に分かれた。
 実家に向かう途中、上星川あおぞら公園を通り抜ける。丁度向こう側の丘には、西谷浄水場の建物が見え、こちらの丘と向こう側の丘の間を颯爽と走るヘッドライトを点けた相鉄線が上星川駅に滑り込むところが見えた。

著者

CWB(シーダブルビー)