「望星の川」清水直樹

 近頃とんと見たことのない人だかりが帷子橋を埋めていた。
 洋二はその人だかりが気になって商店街のはずれから駆け出した。ランドセルの中の算盤がせわしいリズムを刻んだ。
『子供が川に落ちたらしい。』
人だかりの中から、そんな声が聞こえる,洋二も欄干の人の隙間から下をのぞき込むと、黄土色の川の流れの中に泥人形のような子供の姿があった。
欄干の先端に養護学級の石田先生の姿がある。洋二には泥人形の正体が養護学級の加藤君だとすぐにわかった。
「加藤君、早く川から上がりなさい」
加藤君は先生の声にまったく耳を貸す様子もなく、川底から絶え間なく湧き上がるガスも気にも留めず、川の真ん中で一心不乱に奇妙な踊りを続けている。
「あんな汚い川の中で何してんだ」
「川から上がる気もないらしい」
 野次馬のつぶやきを耳にして、洋二は大きな声で,野次馬にこう言い返してやりたかったのだが。
 「ギンヤンマだよ、加藤君はギンヤンマを
取ろうとしているんだ。
 近くの小学校に通う洋二達はよく、この欄干にギンヤンマを採りに来ている。
川の中で奇妙な動きを続けている加藤君もギンヤンマを取りたくて思いつくままに川の中に入ったことは洋二には容易に察しがついた。
 ヘリコプターみたいに自在に空を飛ぶギンヤンマを子供の虫網で捕ることは難しい、洋二達は欄干の上から、もち竿を素早く振りギンヤンマを捕まえるのである。オスの胴体は鮮やかな黄緑と水色で、学校で使う明るいパステルカラーそのままの色をしている。
メスが取れれば糸でしばり、お囮にしておおくのオスを呼ぶことが出来た。
加藤君もこの場所に多く飛び交うギンヤンマに魅せられるまま、川の中、空に向かい両手を広げて頭上をとぶギンヤンマをつかもうとしていた。煌く星を欲しがる幼子のみたいに

 空には数多くのトンボ飛んでいたが、
流れる川の水は死にかけていた。上星川周辺の捺染工場から絶え間なく流される極彩色の廃液は川底の岩盤さえも染め上げ、下流域では堆積したヘドロから絶え間なくガスの泡が湧き上がっていた。不思議な川の色は使い終えた絵の具パレットによく似ていた。

 ある日、同級生の金ちゃんが洋二達に大ニュースを持ってくる。
「家の近くでマッカチがいっぱい、いる所を見つけた、でっかいのがガサガサいる。」 
 子供達はアメリカザリガニのことをマッカチそう呼んだ。金ちゃんが見つけた穴場は星川駅と天王町駅の間にある小さな踏切の下にあった。金ちゃんの話の通り、そこには大きなマッカチがガサガサいたのである。大発見
である。
洋二、金ちゃんに小林君の三人は駄菓子屋に駆け込み、イカのゲソとタコ糸でザリガニの釣り支度を整え、大きなザリガニがガサガサいるという秘密の釣り場に向かった。
金ちゃん以外誰も知らないその場所は踏切の下にあった。線路の隙間の下に水路が顔をのぞかせ、赤いマッカチがたくさんいる様子がわかる。上から仕掛けを垂らしマッカチが餌を挟むまで待てばよい。
警報機が鳴ると、素早く仕掛けを引き上げて中断するのだが、遠くに電車の警笛がなるまでには誰かの仕掛りにはマッカチが食らいつくので、すぐにバケツの中は数え切れないほどのマッカチがうごめいている。かつてない大漁に終わった。
 大漁の翌日、学校で金ちゃんに「今度いつ行く」と尋ねたのだが、金ちゃんは、いつになく浮かぬ顔で洋二にある話をし始めた。
 金ちゃんには5歳年上のお姉さんがいる。
そのお姉さんから聞いた話というのが、
「あの踏切で二年前、女の人が電車にぶつかる事故がありその時に女の人の右足が、いくら探しても出てこなかったという、そしてその事故の後、あの水路で急にザリガニが増えて血のように真っ赤になった」と、いう。
金ちゃんのお姉さんの話を聞いてから、洋二達の釣り場所は以前のように三ツ沢や大池でクチボソを釣りながらザリガニも取りにもどったので、バケツをマッカチで山盛りにしたあの幸せの日は二度と訪れることはなかった

学級会で観察用のオタマジャクシを取りに行く事が決り、次の日曜日、和田町に集まった。のは洋二、金ちゃんに小林君、女子も学級委員の恵子ちゃんと由美子ちゃんも一緒だ。
 田んぼの水面は春の日差しを受けてミラーボールの様にキラキラ光り、水の中には卵塊から抜け出たばかりのオタマジャクシの姿が
一時間たらずで観察には十分な
オタマジャクシをつかまえて穏やかな日ざし
のもと帰路についたのだが突然、あぜ道の先頭を歩く恵子ちゃんの悲鳴が聞こえた。
悲鳴の先にあったのは皆初めて目にした毒々しい蛇の姿、その派手な極彩色のコントラストに圧倒されてみな声もない。
信号の赤にピーマンの緑、闇の漆黒に太陽の黄色。おぞましい配色をした蛇はそのうえ邪悪そうな黒い舌をチロチロさせ子供達をたじろがせるには十分であった。
蛇がゆっくりと恵子ちゃんの目の前をすりすり抜けよとしている、弱虫なのに恵子ちゃんにいいところを見せようとした洋二は、金ちゃん達の制止の声も聞かずに蛇を退治しようと貧弱な魚取網を振りかざし、思い切りエイと振りとふりおろした途端、踏み込んだ左足もろともあぜ道から田んぼの中に転がり落ちて恵子ちゃんに二度目の悲鳴をあげさせることになる。
ヤマカガシに勝手に闘いを挑み、闘う前に打ち負かされたのは50年前の私である。
 今、私は桜ヶ丘に住んでいるので帷子橋を通ることは、ほとんどなくなった。
 帷子橋の上でギンヤンマを追いかけていた頃の記憶は、だんだん遠く小さくなっていくけれど、星を掴むように川の中で両手を広げていたあの子供の姿を忘れることはない。
 

著者

清水直樹