「桜の星」沼田侑実

七夕も終わってしまったわ。また研修かぁ。人間の願い事って、ほんと自分勝手よね。小さい頃から「お医者さんになりたいです」なんて、勉強を頑張りなさいって感じよ。それに比べればヒーローモノになりたい系は、放っておけばそのうち違う願い事に変わるから楽よね。でも、子供は可愛いからいいの。大人よ。大人は図々しいし、強欲だわ。お金関係の願い事ばかり。あと、健康ね。自分たちで食生活や生活習慣に気をつけながら、きちんと働きなさいよ。私なんて、仕事をサボった罰として夫と一年に一度しか会えないんだから。あの時は新婚だったんだから仕方ないじゃない。初恋だったし。あと数年見逃してくれれば自然と仕事に打ち込んだわよ。夫婦なんてそんなものでしょ。ましてや、織姫なんて名前をつけられたら、転職もできやしないじゃない。
そんな事より研修よ。なんで?なんでよりによって今年はこんなに地味なのよ。星川?どうせ天の川とかけたんでしょう。まあ、日本って言うのはいいわ。治安がいいし、清潔ね。お寿司や天ぷらやうなぎも食べたいし。でも、なんで東京や京都じゃないの?絶対、星川って地名だけで選んだわよね。悪くはないわよ、お店もたくさんあって生活するのに便利そうだもの。私が今、のんびりしているこの公園だって、子供達が楽しそうに遊んでいて気持ちがいいわ。ただ、地味なのよ。白い砂浜のビーチがあるとか、人間たちが生み出した芸術が集結した美術館や、自然が作り出した神秘的な大地とか、世界中にいくらでもあるじゃない。去年のハワイの星の研修は最高だったわ。夜空に見えるたくさんの星。地上から見るとこんなにも綺麗にみえるのねと思ったわ。今年は一体何の研修なのかしら……。
「星川の地名は平安時代に記された和名類聚抄にも見られ、松や杉の木立で鬱蒼としており昼なお暗く、川の流れに星影を映したといわれたことに由来する説がある」なるほどね。今の時代、ウィキペディアで何でもすぐ調べられるから便利ね。ただ今は周りが明るくて星までは川面に映らないけど、昔はさぞかし綺麗だった事でしょう。それに、私の仕事が織物だから、かつて捺染業で栄えた場所に由来しているのかしらね。
帷子川沿いの川辺公園から川岸に下りて、気持ちの良い風を受けながら夕涼みをしていた。人間には私の姿は見えないわ。だって私は天帝の娘。見えないはずなのに、あのおばさんは私と全く同じに、空を見下ろしているわね。正確には川面に映った空を見ているの。こうするとほら、地上にいるのを忘れて、天空から見下ろしている気分になれるでしょ。気になるわね、あのおばさん。川に落ちそうなくらい見つめちゃって。姿を見せて話しかけてみようかしら。
「何をそんなに見ているの?」
彼女は、突然話しかけた私にびっくりしたようで、不審な目で見つめてきた。嫌ね、失礼しちゃう、私は天帝の娘よ。
「あなたがさっきからずっと、川に落ちそうなくらい見つめているから気になっただけよ。」
言い訳でもするように、そう言って通り過ぎようとした時に聞こえてきた。小さな小さな呟きが。でも、身体中に染み渡るように。
「願い事。七夕は終わっちゃったけど、毎日お願いしているの。」
「叶いそう?」
「どうかしら。」
その言葉は悲しみに溢れていた。川が氾濫をおこすんじゃないかと思う程に悲しみが押し寄せてきた。何よこれ。悲しみの主はポツリポツリと言葉を落としていった。
「息子がね、帷子川沿いの桜が好きなの。とっても綺麗で、あの子が赤ちゃんの頃から毎年欠かさず散歩に来たの。そうそう、桜の花びらが落ちる前にキャッチできたら、願い事が叶うっていうのもあったわね。どうしてかしらね、色々大変だったのに、まだ大変な事が起きる。離婚して、息子と二人で頑張って、やっと一人前になってひとり立ちしたと思ったら……。」
彼女の涙が悲しみと共に流れた。
「癌なの。長くないの。若い人は進行が早くて。私が息子の代わりになりたいの。」
人間は永遠には生きられない。でも、親よりも子が先に逝くのは酷だわ。それは分かるが、この願い事は難しいわね。それが彼の寿命であり、全ての人の生死に関わってしまったら天帝も大変だもの。私には、彼女に寄り添うことしかしてあげられない。心からの慈悲の気持ちを、羽織ものを羽織ってあげるかのように、優しく包み込む。少しでも彼女の悲しみが癒されますように。気がつくと、川面には月が映り込み、彼女は立ち上がって歩き出していた。
その日からは、川岸で彼女が来るのを待つのが日課になった。彼女は、病名が病院の名前になってしまっている「がんセンター」へ息子に会いに行った後、ここに来る。自宅のある団地に戻る前に。願い事をする為に。彼女が私の慈悲に包み込まれる為に。私が彼女の前に姿を見せたのはあの時の一度だけだった。
夜風が気持ち良いと感じていたのが、だんだんと寒さに変わり、青々とした葉をまとっていた桜の木もパラパラと枯れ葉を落とすようになっていった。相変わらず彼女は川岸に現れたが、この頃になると毎日ではなくなっていた。時々朝早くに川沿いの道を歩いている。病院に泊まったのね。彼女の願い事も、悲しみが何重にも貼り付き「せめて桜を見せてあげたい。最後に。」と悲しみが重りとなって川に沈んでいった。しかし、それはまるで、星空に登っていくようにも見えた。
日本という国は春、夏、秋、冬、と四季があり、変化に富んだ趣きが素敵よね。そろそろ蕾だった桜も満開になるんじゃないかしら。春は生き生きとした活気に満たされる。気持ちが良いわ。街灯に照らされて白く浮かび上がる桜を眺めていると、彼女がやってきた。胸には写真を抱いている。息子さんと手を繋いで散歩しているように見えるわね。そして、今までそうしてきたように、川岸に下りて、ゆらゆらと揺れる川面を覗き込んでいた。しばらくそうしていると、桜の花びらが一枚ヒラヒラと舞い落ちて、川面に写っているひときわ輝く一点に落ちた。その花びらは他とは違い流されずに、沈んでいった。まるで、川面に写った空へ登っていくように。ふと、彼女が空を見上げると、ピンク色をした星が輝いていた。
「あなたの息子さんは星になりましたよ。」
声と共に優しさがベールとなって彼女を包んだ。
「桜の星になったのね。」
彼女は、桜の花とその遥か上に輝く星とを見上げて言った。
下を向いているより、上を向いている方が生きていくには良いんじゃないのかしら。地味だけど、この川とピンク色の星を忘れる事ができない町ね。

(了)

著者

沼田侑実