「横浜マジカルミステリーツアー」ヒロセ

「横浜西口交番前待ち合わせね」
「うん」
「って絶対言うなよ」
「え?」
「横浜来た人のうっかりあるある。横浜西口には二つ交番があって、しかも困ったことに、どっちも高島屋の横にある」
「今日日待ち合わせ失敗してもラインでもなんでも使ってどうにでもなるからね」
「まぁそうだけど。やっぱり横浜に暮らすとなったらお約束を知っとかなきゃ」
 転勤をきっかけに横浜に引っ越してきた私に横浜案内をしてくれるというえんちゃんの誘いを受け、引っ越しの荷物整理もそこそこに、横浜駅に向かうこととなった。
 えんちゃんは通っていた大学の最寄り駅がちょうど私が暮らし始めた鶴ヶ峰という駅と横浜駅との間だったということで横浜になじみがあるそうだ。
 結局『交番からビックカメラの方に数歩進んだところにあるたい焼き屋』を待ち合わせ場所に指定された。んなもん、検索してからではないと行けないということに、えんちゃんはきっと気づいていない。

「おそい!」
 交番前の人ごみを抜けると、たい焼きを食べる人たちからやや離れて、えんちゃんは立っていた。
「いや、改札出たらなんか普通にお店? の中で、交番どころか下に行くのに時間かかっちゃった」
「改札出る前に下に降りるべし」
「勉強になりました」
「たい焼き食べてるのかと思った」
「もう食べ終わったんだよ」
「え?! まじか」
「遅れ取り戻すぞ、行くぞハル隊員!」
 えんちゃんに連れ立って『西口五番街』と書かれた青いゲートをくぐり道なりに進むと、階段が現れた。えんちゃんが昇っていくので着いていき、階段を登りきり橋の上に立つと川の向こうに広場が見えた。色とりどりの服を着た若者が万華鏡を織りなすビーズのようにあるいは動き、あるいは立ち止まって景色を構成していた。
 橋の先には、青いタイル張りの建物がある。橋の先にある四角い入り口の先は暗く、真実の口に手を差し込むかのように、その暗がりに入るのは勇気がいる行為だった。
 そんな私の気も知らず、えんちゃんはさっさと歩きすっと建物に入っていく。
「なにがあるの? ここ」
「ムービル」
「え?」
「相鉄ムービル。映画館とかご飯したりするビル」
 確かに映画が始まるのか、ゲートの前にちょっと人だかりができている。
「最近シネコンばっかりだから、こういう風情ある映画館があるなんてびっくりするわ。しかもこんな駅そばに」
 壁には現在上映中の映画のポスターが貼ってある。
「あ」
 思わず半歩先のえんちゃんの服の裾を引っ張ってしまった。
「これ、今日見とかないともう見られなくなっちゃう。ねぇ、これ見よう」
「え、全然冒険できてないよ、まだ駅徒歩3分なんだけど」
「冒険はまた次の休みに本格的にやるとしよう。ね、今日は映画を見て、そっからもうちょっと時間あるから、冒険してご飯食べよ。ね」

「レトロだと思ったら、中は新しいんだね」
 ビルや映画館前は古いのに、すっかり近代的な空間にたどり着いた。なんだかんだでえんちゃんは私のリクエストに応じてくれる。
「こんな新しくなって初めて来たわ」
「えんちゃんも初めてなんだ。じゃぁ冒険じゃない」
 座席についてチケットをしまおうと座席番号を再度確認する。
「ムービーのビルでムービルね」
「ああ、そういうことなのか」
「ええ、気づくでしょ一瞬で」
「そもそも意味なんて全然考えたことなかったわ、当たり前にありすぎて。そういやさ、駅ビルも『ジョイナス』っていうんだけど、それが『JOINUS』だって知ったの、そこの隣の駅ビルが閉店するときだったからね。『え、ジョインアスでジョイナス?!』って。英語とか覚える前に耳で覚えてたからびっくりしたーあの時」
「こっちは単純に文字ありきで見てるからね」
「ジョイナスっていうより、発音的には『ジョイナス!』っていう感じ。元気目なイメージ。なんでなんだろ」
 えんちゃんの疑問が解けぬまま、映画が始まった。

「今来た道もいわゆる『ざーます横浜』してないでしょ」
 映画が終わり、再び古めかしいゾーンに戻ると、にわかにえんちゃんが活気づいた。
「なに『ざーます横浜』って」
「テレビで見るようないけ好かない横浜の人だよ」
「いるね、京都と横浜の世間一般的なイメージね。ハマッコがそんなこと言っていいの?」
「でも実際は、実際の横浜駅はこうだから。というのを今日隊員には体験してもらいたくて」
「結構シブいよね、びっくりした」
「せっかく横浜に住むんだったら、先入観ぶち壊して、こういうとここそ知ってもらいたくて」
 そういいながらエスカレーターを降りていく。
「あれ、二階にも一階にも入り口があるの?」
「そ。ヨコハマ高低差マジック」
「高低差すごいよね、それは引っ越してすぐ思った」
「長崎人だからそこは大丈夫でしょ」
「まさかまた坂道のお世話になるとはね」
「よく駅に『峰』ついてるとこ選んだね。横浜って『丘』がつく駅多いんだけどそれ凌駕したろ」
「ズーラシア最寄り駅って言うから。あと霧ヶ峰みたいで字面かっこいいなと思っているのだけど。マンションも『鶴ヶ峰』って名前が入っているところにしたもん」
「坂凄そう。大学もさ、駅には丘も峰もついてないけど学校から駅が遠くてまぁ坂で、坂どころか階段なんか途中にあったりして、夏なんかもう無で行ったね」
「む?」
「無の境地。無心で、ただただ目の前を一歩ずつ進んでいく。なんだけど、上の世界ってのがあるんだよね」
「上の世界?」
「坂の上に上がって、なんならまわりはキャベツ畑な勢いなんだけど、そこらへんの高台からふと遠くに視線をもってくとランドマークタワーとか見えるから」
「ザ、横浜ね」
「坂の上から、あの世界を、景色を手に入れたような気持になるのが好きだった」
「まだそういう景色見れてないな、昼に家の周り行ってないのよ全然」
 えんちゃんが口を開こうとしたとき
「雨だ」
 頭に水滴を感じた。
「今日の天気雨だったっけ?」
「いや、予報では十パーセントっていうから傘もってきてないよ」
「予定変更」
 えんちゃんは私の手を握り、向かっていた道と逆方向に走り出す。
「え、走るの!?」
「まだまだ探検ツアー途中だったんだけどね、それはまた今度のお楽しみだ!」
 もはや夜、といっていいほどの明るさになり、街灯が付き、重みを帯びた道を走っていく。
 待ち合わせの場所に戻るのかと思ったら、途中で右に曲がって、飲み屋が連なる小径に入った。ふと、空を見上げると雨で睫毛が濡れる。視界を下げると、ワインバーの看板の赤、黄色い謎の店の突き刺すような黄色、それらがイルミネーションのようにぴかぴかと目に入る。そんなぼうっとしたまま半ば夢うつつで、建物の中に入っていた。
「ディープ横浜、パートツー」
「横浜って工事続きのサクラダファミリアって聞くから、昔からのものって無くなっているのかと思っていたけど、ここはなんか昭和が三十年残っている感じだね」
 壁の具合、天井の低さ、フォントの古さ。転勤前の地方都市でもお見掛けできない昭和感が染み出している。
「タイムスリップしたらね、こんな感じになるのかなって、ここ来ると泣きそうになる」
 えんちゃんは真顔だった。
 もしや、あの光の小径を抜けている間にタイムリープしてしまったのかもしれない。
 でもよく見ると、『クイーンズ伊勢丹』が地下にあると示す看板が天井から下がっており、信じられないが三十歩そこらで一気に三十年時が進んでしまうのであろう。
「今日回ったとこもさ、実際問題いつなくなっちゃうかわかんないからさ。今あるものは当たり前じゃなくていつどうなっちゃうかわかんないって、ここに来ると思って。今あるものをだいじにしようって、そんな風に思えるからここ来るんだよね」
「ここ一人で来るの?」
「今日ほとんどびびり通しのハル隊員は無理だろうな」
 と、建物の中にきてから思わず強く握っていた手を掲げられた。
「雨で目が見えなくなったから思わず握っちゃってたよ。恥ずかしいわ、最近彼氏とも握ってないのに」
「彼氏いたっけ?」
「いないわ! 手握って走るとかいつぶりか!」
「かわいいなー」
 いたずらっぽく、にやにやとされる。えんちゃんの手は、握っていても握っていないような透明感があった。
「きた」
「ん?」
「この匂い、感じて」
 思い切り鼻から息を吸い込む。甘い。
「ステラおばさんよ」
「クッキー?」
「そ。昔はもっとシャル側、あ、シャルっていうのはさっき言った今はない駅ビルね。その通路沿いにあってね、ここでクッキーを今日は何にしようかな、ミルクシュガーとチョコチップは鉄板で、そこに今日はセサミにするか、紅茶か。夏前になるとせん茶が出るからね、それは必須。何グラムになるかな、いくらになるかな、ああ、それは多すぎるから1枚減らしてくださいって」
「ずいぶん子供のころのえんちゃんは乙女ね。私ステラおばさんってこっち出てきてプレゼントで初めて食べたよ」
「一時期は、店の前にらぽっぽもできてね。学校行くときに通るたびにむせかえるほどの甘い匂いでどっちでもいいから食べたくて何回うずうずしたことか」
「キョウレツだね」
「それが再開発で閉店になってさみしかったんだけど、今やこうやってイートイン店舗になっているなんて」
「ほんとだ、ここで食べられるんだ」
「今日は特別にハル隊員に食べ放題させてあげよう」
「え、食べ放題あるの」
「平日の昼と夕方ね」
「じゃあ無理じゃん」
「好きなだけ食え! ごちそうしよう」
 そういうとレジに向かい飲み物を注文した。
「飲み物にクッキーがついてくるの?」
「そう。でもハル隊員はこれ、飲み物プラス、クッキーのセットがあるから。これね」
「クッキー五枚って書いてあるよ」
「食べ終わったら、追加分普通に買って持ってきて進ぜよう」
「いや、いいよ、そんなことできないでしょう?」
「わかんないけど、買うんだからいいでしょう。ほら、おかわりの飲み物もあるし。席ついて待ってて」
 そういって促され、席に着いた。えんちゃんの背中と、その脇にある様々なクッキーが入っているガラスケースを眺めていると、雨に濡れながら見えた小径に滲む灯りが目の前に明滅し、走ったからではない、胸の鼓動が響いた。

著者

ヒロセ