「橋の記憶」宮崎辰夫 【大賞受賞作品】

 娘にしてみれば勝負服のつもりなのだろう。短めの白いハーフコート。中はショートパンツだけれど、ぎりぎりコートに隠れて見えない。ヒールの高いスエード調のショートブーツは、足をより長く見せている。しかも生足だ。後ろから見ていると、全裸にコートだけ羽織っているように見える。
 ストッキングくらい履きなさい――。母親として一言いってやろうかと思ったけれど、言葉には出さなかった。この日のために新しく買い揃えたものだ。言ったところで聞きはしなかっただろう。
 二十一歳の娘、優香は、三月最後の今日、女手一つで育ててきた私の手から飛び立っていく。地元二俣川の看護専門学校を卒業して、東京の大型病院への勤務が決まったのだ。病院寮への引っ越しは二日前に終えている。
 私は息子と駅まで見送りにきていた。相鉄線二俣川駅北口の連絡通路。高校二年の弟、茂はよれよれのジーパンにトレーナー姿で優香と歩いている。
 朝の通勤ラッシュが過ぎたとはいえ、人通りは少なくない。すれ違う男たちが横目で優香を、優香の足を見ているのがよくわかる。
「お姉ちゃん、足、ながーっ」茂は無邪気なものだ。「こんなんで東京歩いてたら、スカウトされたりして」
 この服も就職祝いのつもりで私が買ったものだ。はじめは一緒に選ぶつもりでいたけれど、優香は予算を訊き、自分で選ぶからお金だけ欲しいと言いだした。それまでファッションにはほとんどこだわりを持たない娘だった。東京での一人暮らし、なめられてたまるか――そのくらいの強い思いがあるのだろう。
 思い返せば、私も高校卒業後に就職し、十八年間を東京で暮らした。東京にいい思い出はない。がむしゃらに働き、このまま一生独身かと思い始めた三十過ぎにようやく結婚。けれど茂を出産した四日後、精密機械の営業マンだった夫が、仕事中の交通事故でこの世を去った。
 ショックでうつ病を発症してしまった私は、父と姉たちが住む横浜に戻り、精神科の入退院を繰り返すことになる。夫の死が労災認定されたことと、生命保険金が支払われたことで、生活に困ることはなかった。けれど、仕事につき、子供たちと生活できるまでに三年近くかかってしまった。その間、子供たちは、父や二人の姉が面倒を見てくれていたのだ。
 優香は東京を勤務地に選んだ理由を曖昧にしか話さなかった。
 駅から離れているとはいえ、いま住んでいるマンションは三人で暮らすには十分な広さだ。就職先なら通える範囲内にいくらでも見つけられただろう。
 けれど、私にはすぐにわかった。優香は私と離れたいのだ。
 私は未だにうつ病の症状が出てしまい、薬の世話になっている。
「十時四分の電車がある。まだ間に合うよ」
 改札前で電光掲示板を茂が覗き込んだ。
「次のでいいよ。急ぐわけじゃないし」
 優香は慌てることなく、肩で風を切るように改札を通る。『これでやっと、あなたとお別れできる』そう私に言っているようだ。
 三十四年前、私が東京に出たときは、家族との別れが辛かった。私には、自分が育ったような家庭を作ることができなかったのだ。

   *
 私は昭和三十九年、塗装工の父、水村雄介と、母、ゆり子の三女として生まれた。長女は八つ歳上の雪絵、二女は四つ上の由香。私は弓子と名づけられた。
 私には母親の記憶がない。三歳のときに乳癌で他界したのだ。けれど母がいないことで寂しいと思ったことは一度もなかった。すべては雪絵姉さんのおかげだと思っている。雪絵姉さんは家事のすべてをこなしながら、私の母親代わりを務めてくれた。何をしてくれたというよりも、心行くまで甘えさせてくれたのだ。小学校高学年になるまで、お風呂で体を洗ってもらい、同じ布団で寝ていた。
 幼い頃、デパートで駄々をこねる子供の顔を平手ではたいていた母親を見たりすると、私はお母さんじゃなくてお姉ちゃんでよかったと、心から思ったものだ。
 雪絵姉さんは、父を熊みたいなお父さんと言っていた。確かに似ている。目の細い毛深い熊だ。少し膨らんだお腹は石のように硬く、裸になるとオヘソのあたりから腕や足まで、全身毛むくじゃらなのだ。
 父は仕事から帰ると真っ先にお風呂に入り、五分もしないうちに出てくる。そのあとは首に手拭を巻いてお酒を飲み始める。日本酒やら焼酎やら、その量は半端ではない。けれど、どんなに飲んでも決して暴れたりはしなかった。泣くのだ。お酒が入るとまず涙を流す。映画を見てもドラマを見ても、気がつくと泣いている。私が見ていたテレビアニメでもだ。父が泣く基準はまったく理解できない。
 私と由香姉さんは、そのたびにからかった。「お父さん、また泣いてる」
「俺は弱いから泣くんじゃない。心が広いから泣くんだ」
 父は首に巻いた手拭で涙を拭きながら、口癖のように言っていた。

 死んだ母親に対してなんの感情も湧かなかった私の心に、小学二年生の春、変化が訪れる。それはあることがきっかけだった。
 私たち家族は、相鉄線鶴ヶ峰駅から徒歩二十分くらいのアパートに住んでいた。六畳二間と小さな台所の古いアパートだ。
 その日、私と雪絵姉さんは駅近くのスーパーで買い物をした帰り道だった。駅からはバスも出ているけれど『もったいないから』と、いつも国道十六号線手前にある帷子川沿いの細い道を歩いている。
 帷子川は鶴ヶ峰から横浜方面に、相鉄線と並走するように流れている川だ。電車に乗っていると時折この川が見え隠れする。当時は、汚染された濁った水の川だった。
 川にかかる鶴舞橋を渡ると、川沿いに並ぶ満開の桜の樹が目に映る。帷子川に覆いかぶさるように枝を伸ばしていた。
「このまま何十年も枝が伸び続けたら、川の上に桜のトンネルができちゃうね」
 私は川沿いの道を歩きながら、雪絵姉さんにそんなことを言っていた。
 風で舞い散る花びらが雪のように川の流れにすい込まれていく。濁った水の色さえ幻想的に見えてしまう光景だった。
「ねえ、これから話すことよく聞いて」
 歩調を緩めて桜に見とれる私に、雪絵姉さんが言った。姉は大切な話をするときいつもこう切り出す。
「由香の前で、あんまりお母さんの話をしないでほしいの」
 母の話をした覚えはない。きょとんとしていると雪絵姉さんは続けた。
「ゆうべ『ハッチ』を見ているときよ」
 思い出した。ミツバチの子供が離れ離れになった母親のハチを探して旅を続ける、というテレビアニメを見ていたときだ。
 主人公のミツバチが、夢で優しそうな母親とめぐりあい、抱き合うシーンがあった。
『私たちのお母さんも優しかったんだよね。きれいだったんだよね』そんなことを訊いた気がする。
「由香、あのあと寂しくなっちゃったんだって」
 あのとき雪絵姉さんだけが「そうね」と答え、父は首に巻いた手拭で涙を拭いていた。
「わかった。もう、お母さんの話はしない」
 悪いことだとは思わなかったけれど、そう答えておいた。私にとってはどうでもいいことなのだ。
「お母さんのこと訊きたかったら、お姉ちゃんに訊いて。なんでも答えてあげるから」
「あっ、電車」
 私は姉の言葉には答えず、かなたの家々の合間から見えた相鉄線の電車に目を向けた。
『ここを歩いているときに電車が走るのが見えると、いいことがあるんだぞ』以前父が言っていたのだ。
「じゃ、今日もいいことがあるね」
 雪絵姉さんはそう言って頭を撫でてくれた。
 そのあとあんなことがなければ、こんな会話も忘れていただろう。
 それから数日後、私が学校から帰ると、風邪で学校を休んでいた雪絵姉さんが、布団から身を起こしてアルバムを見ていた。
「熱下がった?」私が横に座ると、パジャマ姿の姉はアルバムを閉じた。
 赤い表紙のアルバム。私はそのアルバムに手を伸ばして広げた。
 何度か見たことのあるアルバムだった。父と母が結婚した頃の写真や、母が赤ちゃんの私を抱いている写真もある。私はこのアルバムでしか母の顔を見たことがない。
「これ、雪絵姉ちゃんの幼稚園の入園式?」
 私は写真を指差した。母と雪絵姉さんが幼稚園の前で手を繋いでいる写真。
「由香姉ちゃんの顔、ぷよぷよ」
 母が赤ちゃんの由香姉さんと顔を寄せ合っている写真。
「お母さん、雪絵姉ちゃんに似てるね。由香姉ちゃんはお父さん似かな」
 知らずしらずに口が動いていた。
「お母さんがいた頃、楽しかった? でも私ね、お母さんがいなくても、ちっとも寂しくないんだ。だって雪絵姉ちゃんがいるし。雪絵姉ちゃんもそうでしょ? お母さんがいなくても寂しく――」
 突然、「わっ」と体が浮き上がるほどの声がした。目を向けると姉が顔を両手で覆い泣いている。
「ど、どうしたの……?」
 それ以外の言葉が出てこなかった。雪絵姉さんは体を震わせ、布団に身を伏せて泣き続ける。
「……どうしたの? 私……悪いこと、言った……?」
 徐々に理解し始めた。
「……ごめん、……ごめん」
 雪絵姉さんの肩を両手で揺すりながら繰り返すと、突然、姉は立ち上がった。
「あんたが悪いんじゃない。あんたはなんも悪くない。私が弱いだけ」
 布団の上のアルバムを拾い上げると、戸棚にしまって乱暴に戸を閉めた。その大きな音で私の体は縮こまった。雪絵姉さんのことを怖いと思ったのは、たった一度このときだけだった。
 母親がいる、いない、の問題ではなく、私だけがその人を知らない。そのときから、私一人が、家族の除け者になっているように思えてしまったのだ。

 私が自立する決意を固めたのは高校一年のときだった。偶然にもそれは、私の小さな胸のつかえがとれた日と同じ日になる。
 小さな胸のつかえとは、ある記憶のことだ。人の記憶は何歳から残っているのだろうか。私がはっきりストーリーとして覚えているのは幼稚園からだ。私が何をしてその結果どうなったか、というように。けれど、断片的な記憶としては、さらに幼い頃の記憶がある。大きなポケットのついた服を着て「なんでも入る」と言って歩いている私。乳母車に乗っているとき「少しは歩かないと足がなくなっちゃうよ」と雪絵姉さんに言われている私、などだ。
 そんな記憶の中で実際の記憶なのか、夢で見た記憶なのかわからないものがある。それは帷子川での記憶だ。帷子川にかかる小さな橋の上で父や姉たちと川を見ている記憶。
 私は毛むくじゃらの太い父の腕に抱えられ、欄干から川面を見ていた。その川には布が流れている。長い鯉のぼりのような布がいくつも川に流れている。流れに揺れる布の模様がはっきりと記憶に残っているのだ。
 この記憶が夢ではないかと思う理由は、私の知る帷子川は『汚染された濁った水の川』だということだ。絵の具の筆を洗うバケツの水のように濁っている。とても綺麗な布を流すような川ではない。そのことがずっと心に引っ掛かっていた。
 その小さな橋がどこの橋かもはっきりとわかっている。その後何度もその橋を渡っているからだ。
 その橋は、相鉄線上星川駅から歩いて五分くらいの所にある。私たち家族が、父の仕事の先輩である西山健司さん夫妻の家に遊びに行くときに渡っている橋だ。
 父は西山さんのことを〝恩人〟と言っていた。仕事を教え、自立するまで生活の面倒を見てくれたときいている。
 西山さん夫妻はともに五十歳代だった。大の子供好きだけれど子供に恵まれず、父に子供を連れて遊びに来るようにと、言っていたらしい。私や由香姉さんが生まれる前からよく遊びに来ていたという。私たち姉妹は、健おじさん、久江おばさんと呼んで二人を慕い、月に一度は遊びに行っていた。なので、その橋はもう数え切れないほど渡っている。けれど何度も渡っているはずなのに、流れる布を見たのは一度きりだった。やはり夢で見た光景かテレビで見た場面を、実際の記憶として、無意識のうちに脳に刻んでいたのだろうか。
 高校一年の夏休み、星川にある図書館で宿題を片づけていた私は、たまたま帷子川の歴史に関する本を目にして、手に取った。
 私の記憶は正しかった。かつて保土ヶ谷区の上星川付近は染物の町で、捺染業が多く存在していたのだ。捺染とは色糊で布地に模様を印刷する染色法のこと。染料を生地に染めつけたあと、余分な染料と糊を落とすために川で水洗いが行われていた。
 しかし、昭和三十年後半には、生活排水や工場排水などで川の水質が悪化し、捺染業も姿を消していったという。私が生まれたのが昭和三十九年。それから断片的とはいえ記憶に残っているのだから、三歳くらいの記憶だろうか。私が見たのは〝最後の最後〟の捺染だったのだろう。

 ちょうどその日だった。
 私が家に帰ると、雪絵姉さんが夕食の支度を切り上げ、ちゃぶ台の前に正座をした。
「弓子、これから話すことよく聞いて」
 いつもと違う雰囲気に嫌な話だと直感した。
 雪絵姉さんの話は、父の再婚話だった。再婚の話は今回が二度目になる。一度目は私が小学五年のとき。そのときは私と由香姉さんが猛反対して父は再婚をあきらめた。『結婚するなら、健おじさんの家の子になる』当時中学三年の由香姉さんが泣きながら叫んだのを覚えている。
 今回二度目の再婚話がでたのは、その由香姉さんが結婚して二カ月前に家を出たからだろう。由香姉さんは十九歳で高校の先輩だった人と結婚したのだ。
 雪絵姉さんの話では、今回の再婚話の相手も前回と同じ人だという。父はその人と交際を続けていたのだ。
 そういえば、父は仕事だといって何日か家に帰らない日があった。きっとこの人と会っていたのだろう。
 私は、あのときと同じく反対した。相手の女の人は一度、父が家に連れてきたことがある。美人ではなかったけれど、ポッチャリとした優しそうな人で、私たち姉妹に気を使いながら話をしているのがよくわかった。その人に不満があったわけではない。ただ、家族の中に別の人が入ってくる、そのことに抵抗を感じてしまったのだ。
 雪絵姉さんは私を諭すように言った。
 父も若くはない。今までずっと私たちを育ててくれた。そろそろ自分の幸せを掴ませてあげたい。
 どの言葉もそのとおりだ。高校一年にもなれば、そのくらいのことは理解できる。けれど、家族が壊されるような気がして賛成はできなかった。
 すると姉は最後に、私の気持ちを大きく変える話をした。
「じつは、私も結婚を考えている人がいるの。弓子が高校を卒業したら、その人と結婚して家を出るつもりなの」
 私がいるから、今まで結婚を我慢していた。そういうことだ。
 私は、高校卒業まで父に結婚を待ってもらうことを条件に、この結婚を認めた。同時に高校を卒業したら、自分も家を出なければならないと決心したのだった。

   *
 ホームに着くと、優香は腕時計と構内の電光掲示板を交互に見て、電車の時間を確認していた。
「おれ、何か飲もうかな。お姉ちゃんは?」
 茂が自動販売機に目を向けた。
「いらない」
「私もいいわ」
 優香のあとに答えると「お母さんには訊いてないよ」と茂はうるさそうな顔をする。
「今日はおれが奢るからさ、何か飲みなよ」
「へー、茂が奢ってくれるなら飲もうかな」
「カフェオレだよね、ホットの。なかったらアイスでいいね」
 なぜわかるのだろう。優香の飲みたいものが。私にはわからない。
 茂が販売機に小走りで向かうと、優香は私に顔を向けた。
「ねえ、ゆうべ話したことだけど、本当になんでも言ってね」
 茂のことだ。就職が決まってから何度か同じ話をしていた。茂は大学への進学を希望している。その学費に困ったら、自分が負担するというのだ。
『できる限りのことはするから』と生意気にも強い口調だった。
「そんなこと、お前に心配されなくても私がなんとかするよ」
 吐き捨てるように言うと、優香の眉間に皺が寄った。
「せっかく言ってるんだから、『そのときは頼むよ』でいいじゃない」
 その表情を見て気づく。私はいつも子供たちにこんな口調で喋っているのだ。
「ホットあったよ」
 缶コーヒーを二つ持った茂が戻ってきた。茂はカフェオレの栓を開け優香に渡す。
「じゃ、これがおれの就職祝いね」
 茂はもう一つの缶を開けて、優香と楽しげにぶつけ合う。私は子供たちとこんなことをしたことがない。
「茂、しっかりしなくちゃダメだよ、お母さん、病気もあるんだから」
〝病気〟という言葉にカチンときた。
「わかってるよ。家のことはおれに任せて」
 その言葉も私を苛立たせる。
「偉そうなこと言うんじゃないよ。お前に何ができるって言うの」
「ほら、お母さん、また――。茂がそう言ってるんだから、『よろしく頼むね』でいいでしょ」
 自分でもわかっていた。優香の棘のある物の言い方、すぐに食ってかかるところ。みんな私が作り上げたものなのだ。子供の頃から怒鳴りつけてばかりいた。『うちはよその家とは違うの』『お母さんは一人で大変なの』『お姉ちゃんなんだから茂の面倒見て』
 言ったあと後悔しても、仕事で精いっぱいだから、病気がこうさせているんだから、と自分に言い訳していた。いまでもはっきりと覚えている。優香が小学生のとき、私に言ったこと。
『お母さんは、お父さんが死んでから変わった。昔みたいになって』
 幼い子にまで心を見透かされているような屈辱を感じ、私は言葉の刃物を浴びせた。震えながら、目に涙をためていた優香の顔が忘れられない。茂がおおらかに育ったのは、優香が私の代わりに愛情を注いでくれたからなのだ。
 私は黙り込んだ。目の前ではすぐに優香と茂が楽しげな会話を再開する。
〝まもなく電車がまいります〟ホームにアナウンスが流れた。急行の横浜行きが到着する。
「ねえ、お母さん」優香がぽつりと言った。
「あの……」少しのあいだ口ごもる。「今までありがと。感謝してる。この服も」
 頭を下げる優香を見て、思わず涙が出そうになった。
 優香は続けた。「最後に生意気言うけど、お母さん、もう少し楽に生きて」
 体の力が抜け、私はうなだれた。乾いた地面に涙の粒がこぼれ落ちる。
「……そうね、そうする。ありがと、優香。それに、ごめんね、今まで」
〝黄色い線までさがって下さい〟
 ホームに電車が入ってくる。
 私は閃いたように自分が東京に出たときのことを思い出した。
「優香、電車に乗ったら、何をするの?」
「え?」
「だから、電車の中で何をするの?」
 優香は首を捻る。
「これ?」私はスマホをいじる仕草を見せた。
「ああ、まあ、そうだけど……。なんで?」
「最後なんだから、窓から外の景色でも見たら、何かいいものが見えるかもしれないよ」
 優香は考えたあと、素直に頷いた。
「わかった。そうする」
 電車が到着し、ドアが開く。
「お姉ちゃん、困ったことがあったら、電話してね。相談にのるからさ」
「ありがと。頼りにしてるよ、茂」
 優香と茂の会話を電車のドアが遮る。無邪気に手を振る茂に優香も手を振り返す。ちらっと私と目が合った。私が手を振って見せると、優香は笑ってくれた。
 あの子は本当に、窓から外の景色を見るのだろうか。それともシートに腰をおろし、スマホとにらめっこだろうか。
 それならそれでいい。それもあの子の人生だ。優香はスマホの画面から何か大切なものを見つけ出すのかもしれない。まだ、心が乱れていなかった、あの日の私のように――

    ***    ***   ***
 その日、お父さんは来てくれなかった。前日の夜、見送りに行こうか? と訊かれたとき断ったからだろう。私としては別にいいよと言っただけで、それでも来てくれると思っていた。
 昭和五十八年三月。私は高校を卒業して東京の大手化粧品メーカー製造部に就職が決まり、社宅に入ることになった。
 相鉄線鶴ヶ峰駅、改札口前までは雪絵姉ちゃんが来てくれた。
 由香姉ちゃんは三年前に結婚し、二俣川駅近くのアパートで暮らしている。見送りに来てくれるはずだったけれど、体調を崩し行かれないと、昨夜、電話があった。由香姉ちゃんはいま妊娠九カ月。無理はできない。
「お父さん、泣いちゃうから来なかったんだよ、きっと」
 雪絵姉ちゃんが私を慰めるように言う。
 私もそう思っていた。少し寂しい気はしたけれど、駅で泣かれても恥ずかしい。
 雪絵姉ちゃんは、二カ月後に結婚が決まっている。お父さんも時期は決まっていないけれど、近いうちに結婚するだろう。
 券売機で横浜行きの切符を買うと、雪絵姉ちゃんも切符を買おうとした。
「いいよ、ここで。もったいないから」
 その一言で私たちは大抵のことを納得する。雪絵姉ちゃんは改札口前で見送ってくれた。
 ゆうべは十二時過ぎまで、感謝の気持ちを伝えたけれど、それでもまだたりない。
「それじゃ、これからは一緒じゃないけど、頑張ってね」
 雪絵姉ちゃんがそう言いながら手を振った。
 ホームに続く階段の手前で振り返る。
 雪絵姉ちゃんはまだ手を振り続けている。

 一人で鶴ヶ峰駅のホームに立ち、中学生のときに流行った歌を思い出した。『見知らぬ街では、期待と不安が一つになって』[注1] そんな歌詞だった。けれど、いまの私には不安しかない。一人暮らしはもちろん、東京に出たことすら数えるくらいしかないのだ。
 すぐに駅構内にアナウンスが流れた。うす緑色の電車がホームに入ってくる。
 一つ息をして、頑張ろう、と自分に声を掛けた。
 電車に乗る。車内はガラガラだった。大きなバッグを棚に置いてシートの端に腰をおろす。荷物はこれ一つだ。
 電車が走り出すと、私は立ち上がって、ドアの窓からホームの階段を見た。雪絵姉ちゃんはいるはずもない。
 そのままドアの窓にもたれて外の景色に目を向ける。考えてみれば子供の頃は電車に乗るといつもこうして外の景色を眺めていた。それが本を読むようになり、高校生になると、座ればすぐに爆睡だった。
 窓の外には見慣れた光景が広がっている。遠くに見える帷子川。あの川沿いの道を毎日のように歩いた。
「あっ……」と声が出た。
 川沿いの柵の向こうに大柄な男の人が立っている。
 お父さん……
 毛むくじゃらの腕を組み、こちらをじっと見ていた。
 私は窓に顔を寄せた。お父さんの姿はすぐに小さくなり消えて行く。数秒だった。私は父が消えて行った方向をずっと見つめていた。
 駅まで見送りに来て泣いたなら、からかったかもしれない。こんな見送り方されたら、かえって泣けてしまう。
 窓の景色は次々と走り去っていく。その景色に、毛むくじゃらの腕を組んで立つお父さんの姿をかさねた。目に焼きついて消えない。お父さんの姿、毛むくじゃらの腕のお父さん……
 不意に頭の中が小さく揺れ始めた。
 川の前に立つお父さん……
 微かだった頭の揺れは、しだいに大きな揺れへと変わっていく。
 川の前に立つ、毛むくじゃらの腕のお父さん……
 うずを巻くように頭の中が揺れる。その揺れは何かを壊すのではなく、形作っていく。
 あのときの記憶……
 揺れながら浮かんでくる……
 橋の上の記憶……
 私は毛むくじゃらのお父さんの両腕に抱えられて、橋の欄干から流れる布を見ていた。色とりどりの布が澄んだ川の水に流れていく。身を乗り出して流れる光景を見ている私……。
「弓子、落ちないように気をつけて」後ろから雪絵姉ちゃんの声が聞こえる。雪絵姉ちゃんの声……。お姉ちゃんの……
 頭の中の揺れはそこでぴたりと止まった。おぼろげだった光景が鮮明になっていく。
 違う。雪絵姉ちゃんじゃない。あのとき雪絵姉ちゃんは、私の横で由香姉ちゃんを両手で抱え、川の流れを見せていた。
 じゃ、あの声は……
 そうだ、あのときあそこにもう一人誰かがいた。そのあと声の方から舞い降りた手は、優しく私の頭を撫でてくれた。
 私を撫でてくれたあの手……
 柔らかい手……
 ずっと雪絵姉ちゃんだと思っていた。けれど、両手で由香姉ちゃんを抱えていた雪絵姉ちゃんに、私の頭を撫でられるはずがない。久江おばさんなら、私を弓子ちゃんと呼ぶ。
 胸が一つ大きな音を立てた。
 お母さん……
 どうして気がつかなかったんだろう。あのとき振り向いてさえいれば、私の目にお母さんの顔が映っていた……
 お母さんが死んだのはおそらくあのあとすぐのことだろう。自分の命が短いことを察していたかもしれない。どんな気持ちで橋から身を乗り出す私を見ていたんだろう。どんな思いで私の頭を撫でたんだろう。
 私は、長く柔らかい息を吐き出していた。軽いめまいがする。
 私の中にもずっと生きていた。お母さんの記憶が。
 その名を聞いただけで寂しくなる由香姉ちゃん。声を上げて泣きだす雪絵姉ちゃん。けれど、私の中にもずっと眠っていた。お母さんの記憶……
 車内にアナウンスが流れた。
 私は我に返る。もうすぐ横浜に到着する。
 横浜駅付近、窓からは、間近に帷子川が見える。ゆっくりと流れる濁った水。
 けれど昔、この川の水は澄んでいた。私はその流れを、お母さんと一緒に見ていたのだ。
 橋の記憶を思い浮かべる私に、駅で掛けてくれた雪絵姉ちゃんの言葉が甦る。
「これからは一緒じゃないけど、頑張って」
 もう、一緒にいられない、けれど、頑張って――
 その言葉はあの日、あの橋の上で、お母さんが私に掛けたかった最後の言葉だったのかもしれない。

               了

[注1]引用:「大都会」作詞 田中昌之 歌 クリスタルキング

著者

宮崎辰夫