「残る言の葉」mine

ピピのことを思った。
医師に妊娠を告げられた瞬間に私は、夫と母、他に誰に報告しようと考え、咄嗟にピピを思ったのだった。父のことは頭に掠めもしなかった。
婦人科からの帰り、ひりつくような冬空の下、私は横浜方面の電車に乗った。横浜駅自体、結婚して以来だから十年以上ぶりなのだが、乗り換えのルートが変わっていて戸惑う。ようやく辿り着いた相鉄線の改札は、見違えるほど綺麗になっており、更には特急なるものが停まっていて、私を混乱させた。
特急に乗り込むと、窓がはめ殺しになっていて驚く。相鉄線の定番、窓を上下させるスイッチがなくなっているではないか。
 生まれてから結婚するまでずっと、二俣川で暮らしていた私は、小学四年生くらいには、一人で電車に乗っていた。日曜になると二俣川から横浜駅へ出て、高島屋の書店で一冊だけ本を買った。高島屋の書店には色とりどりのカバーがあり、毎週カバーの色を変えて購入しては、美しいカバーを眺めた。そんな楽しみを何年も続けていたが、高島屋から書店がなくなり、私の趣味も終わりを告げた。
 過去の自分に思いを馳せていると、いつの間にか電車は横浜駅を出発していた。通過した星川駅が目を見張るほど綺麗になっていたり、鶴ヶ峰駅前にタワーマンションが出来ていたりした。だが最も驚いたのは、二俣川駅の変貌だ。電車を下り、改札を出て左の狭い通路を進むと、グリーングリーンがなくなっているではないか。更にはバスターミナルが美しく整えられ、高層ビルが建設中である。駅前の二宮書店のビルもまた、なくなっている。この書店で一度だけ、好きな男の子に出くわした。以来、また会えるんじゃないかと、用もないのに放課後通いつめたものだ。
想い出の地が消えてしまっているのは、なんとも物哀しい。自分勝手な哀愁であることは重々承知しているけれど、私の許可もなしによくも、と憤ってしまうのは何故だろう。
様変わりした二俣川駅を背に、大池公園経由のバスに乗る。程なく大池公園に着く。家を出るまで私は、この近くの借家に住んでいた。両親と私の三人暮らし。私たちは幸せな一家で、週末には母の作ったおにぎりとサンドイッチ、ウインナーやから揚げ、コーヒーとお茶を入れた大きなポットを一本ずつ持って、ピクニックに来た。アスレチックで遊んだあとの、特に真冬の甘いホットコーヒーの味は未だに忘れられない。悴んで青白くなった手を水道水で洗い、痛いと叫びながら受け取ったコーヒーは、手にじんわりと馴染み、口に運んだそれは、食道と胃の在り処をはっきりと示すように、体内に溶け込んでいった。
これほど楽しかったピクニックを急にやめてしまったのは、友達同士で遊びに来ていたクラスの男子に、こいつ親と遊びに来てるぜとからかわれたからに他ならない。無性に恥ずかしくなり、以来ピクニックに行かなくなった。代わりに私は、横浜駅まで本を買いに行くようになった。元々読書好きだったが、この頃私の読書熱に拍車がかかり、私は自分の殻に閉じ篭った。私の周りにあるもの全てが嘘っぽいような、子供っぽいような感覚に陥った。色んなものに嫌悪感が募り、その最たるものが父だった。思春期の始まりだ。
父は豹変した私に戸惑っていたが、いつも優しかった。けれども私はその優しさが疎ましく、とにかく放っておいてほしかった。あるとき父が会社の同僚から文鳥を一羽譲り受けてきた。私はその文鳥にピピと名付けた。
父への嫌悪感はあるものの、ピピの世話をしているときだけは会話が弾んだ。父が、これをあげたら喜ぶぞ、と小松菜を用意してくれた。与えてみると、乾燥した鳥の餌とは比べ物にならないくらい食いつきがいい。
「すごい、あっという間に食べちゃった!」
 私が笑って父を見ると、父は久しぶりに自分に向けられた笑顔に束の間息を詰め、慌てて微笑み返してきた。思春期の間、父と会話をすることは少なかったが、二人の間にはピピがいた。ピピのおかげで、私と父はなんとか親子でいられた気がする。
 私はピピが亡くなるその日まで、殆ど毎日フンの掃除と水やり、餌やりを怠らなかった。風邪を引いていても、大嫌いなマラソン大会の朝でも、高校入試の当日も。
 だから高校入学直後、突然ピピが死んだときには、世界がぐにゃりと変形して、息が出来なくなった。手足をじたばたさせて泣いた。
 ようやく落ち着くと、父がピピの墓を作りに行こうと提案した。私は泣きながら頷き、ピピをティッシュにくるんで、大池公園内の目立つ樹の下に埋め、手を合わせて祈った。私はピピを、生涯忘れないと伝えた。
 それからは、毎日ピピの墓参りをした。墓の前で手を合わせるたびに、涙がぼろぼろ出てきた。それは何年経っても変わらなかった。
 しかし結婚してこの街を出ると、さすがにその行動は断たれた。今は東京に住んでいるので、ここまで通うのは難しい。実家があれば別の話だが、私が家を出てすぐに両親は離婚し、母は私の新居近くに移り住んだ。父はしばらくここに留まっていたが、度重なる金の無心や、酒のトラブルに辟易した私が一切の連絡を拒否すると、父からの連絡はなくなり、やがて、うちの傍に引っ越してきたと、千葉の叔母から連絡が入った。
 ピピが亡くなった頃だろうか。父の会社が倒産した。父は再就職を目指したが、どんな職に就いても長くは続かず、結局夜間の工場の生産ラインでバイトを始めた。専業主婦だった母もパートを始め、私もバイトを掛け持ちした。親子三人、なんとか暮らしてはいたが、父が昼夜逆転のバイト生活に身も心もやつし、自分を失っていくのに時間はかからなかった。元々酒好きではあったが、一日中飲酒し、酒臭い息を隠すようにマスクをして出勤していく。やがて、酔った状態での勤務がばれ、解雇される。新しくバイトを始めても同じ。そんな日々が何年も続いた。
 私はピピの墓で、昔のお父さんに戻して、と祈った。祈りながら、昔のお父さんって何だろうと思った。優しかった父を、思春期とは言え蔑ろにしてきたのは、私の方なのに。
 大学は、奨学金で進んだ。父の酒はますます深くなり、仕事も一日で辞めてきた。その頃には、家計の殆どを母が支えていた。
 社会に出て、今の夫と出会って恋愛して、結婚が決まったときには、この家から逃げることだけを真っ先に考えた。母に結婚の話をすると、自分もこの地を離れる、と言った。
 父とバージンロードを歩きたくなかった。だから結婚式は挙げなかった。新居に移るとき、私は父に、暴言を吐いた気がする。せいせいするとか、私の新しい暮らしを邪魔しないでねとか、そんなことを言った気がする。
 家を飛び出し、ピピの墓に向かった。
「なかなか来られなくなるけど、赤ちゃんが出来たときには、最初に教えに来るからね」
 もう、父のことは何もお願いしなかった。
 私たち夫婦は赤ちゃんに恵まれなかった。不妊治療を始めた。何年も続けた。共働きだったけれど、貯金がみるみる減っていった。やがて私たちは、妊娠の話を避けるようになり、治療もやめてしまった。そんな折、突然降って湧いたように、赤ちゃんが出来た。
 妊娠を告げられたとき、夫と母に言わなきゃと思ったのに、電車に乗っていた。最初に伝えるのは、ピピだ。あの日、そう約束した。
 そして私は今、ピピの墓の前にいる。十年以上ぶりだが、墓の在り処はすぐに分かった。
「ピピ、私はお母さんになるんだよ」
 小学生のときにピピに出会ってから、三十年近く。人生の節目を、全部報告してきた。
「もっと私、強くなるからね。見ていてね」
 ピピに別れを告げ、バスで帰ろうかと思ったが、不意に、当てもなく歩いて別の駅まで行ってみようと思いついた。どうしてそんな気持ちになったのだろう。私の身体中にまとわりついた過去、特に、思い出したくもなかった父の記憶をこの地に蒔いて捨て置き、母親として力強く踏み出したかったのだろうか。
 大池公園から南本宿へ。右折して左近山方面へと向かう。途中、小さな公園があったので、自動販売機でお茶を買ってひと休みした。公園脇を抜けてひたすら進む。不安が広がった。自分が迷子になっている気がした。
ドキドキが止まらない。何か目印になるものを、と小走りすると、先ほど相鉄線内から見えた鶴ヶ峰の駅ビルが見えて、ほっとした。しかしそちらに向かっても距離は縮まらず、それどころか坂を下るたびにビルが見えなくなってしまう。徐々に陽が傾いてきた。横浜に来たのは昼過ぎだった。妊娠初期の妊婦が、こんなに歩いて大丈夫なのか……。
 不安が募り、古びたアパートの一角で立ち止まる。その名に「荘」がつく、時代から取り残されたようなアパート。ベランダには、錆びた洗濯ピンチが永遠に忘れ去られたかのように、風に揺れている。
バッグを漁ると、チョコレートが入っていた。甘いチョコレートを口にすると、少し気持ちが落ち着いた。小さく吐息を漏らすと、微かに電車の音が聞こえた。
 線路の近くまで来ているんだ! 音の方向を探る。前のめりになって進んでいくと、小学生の頃に社会科見学で行った高梨乳業の工場が見えた。踏み切りの音が聞こえる。電車が通過する音も。もう少し。もう少し!
 細い路地を抜けていく。やがて、私が目指していた鶴ヶ峰の駅ビルが、不意に現れた。私は、腰を抜かしそうなくらい安堵した。
 小走りで鶴ヶ峰駅へと向かった。家へ帰るまでが、まるで小旅行のようだった。
 その日の夜、帰ってきた夫に妊娠の報告をし、母には電話で告げた。母はすぐにうちに駆けつけてきて、三人で夕飯を食べながら、今後のことについて話した。話の合間に、ピピの墓に行ったことを告げた。駅も街並みもすっかり変わってしまったことを告げた。帰りに、迷子になったことは言わなかった。
 私の、想い出と郷愁に塗れた一日は、こんな風にして終わった。今日という日は、それ自体で独立しており、過去にも未来にも何の影響もないものだった。そのはずだった。
 家の電話が鳴ったのは、その数日後だった。受話器の向こうから聞こえてきたのは、懐かしい千葉の叔母の声だった。
「莉子ちゃん、今、話せる?」
 私はちょうど、食べ悪阻というか、何か食べていないと落ち着かない状態で、電話に出たときは、Mサイズのデリバリーピザを丸一枚食べ終えたところだった。
もやもやした。叔母が一体何の用で電話をかけてくるのだろう。思い当たるのは、父のことしかなかった。父が、酒か、金か、その両方か、とにかく迷惑をかけたに違いない。
「先ほど警察から電話があってね、お父さん、亡くなりました」
「え……?」
 ああ、その選択肢はなかった、と冷静に思った。父が迷惑をかけたり、騒ぎを起こしたりする姿はいくらでも思いついたのだけれど。
「アパートで一人、亡くなっていたんですって。玄関に新聞が溜まってて……近所の人が不審に思って警察を呼んだらしいの。私も今から行くから、莉子ちゃんも向かってくれる? たぶん莉子ちゃんの方が早く着くわ。場所は横浜だから」
「横浜? 父は叔母さんの近くに住んでたんじゃないんですか?」
「古いアパートだったから、立ち退きにあってね。そのとき結構なお金を貰ったみたいで、横浜に戻ったの。結局は、莉子ちゃんたちと暮らした横浜が良かったのね、きっと」
 そう言われても特に感傷はなく、胃の中のMサイズのピザが急速に攪拌されて、胃液と混ざって胸焼けを起こすばかりだった。叔母にメールで父の住所を送ってもらうと、驚くべきことに住所は鶴ヶ峰であった。
 昼過ぎの相鉄線内はひどく閑散としていて、冬の日差しはまろやかで暖かく、穏やかに揺れる車両に光の粒が飛沫していた。七人掛けの席には私しか座っておらず、うつらうつらしそうな、そんな平日の午後のひとときだった。私の姿を見て誰が、孤独死した父の元に駆けつける娘の姿だと想像し得るであろう。
鶴ヶ峰駅からタクシー乗り込み、運転手さんに、叔母に貰ったメールの画面を見せた。
 車は水道道を上り、途中で右折する。細い道を進んだ。知らない道。知らない場所。それなのにドキドキした。ああ、父の死が明確に近づいている、という恐れがあった。でも恐れは、そのせいだけではなかった。
運転手さんがメーターを止めたとき、そして警察車両と不動産屋と思しき車両を認めたとき、私の恐れはひやりとした冷たいものから、ざわざわとした漣に変わった。
(この間の場所……!)
 この場所を、私は知っている。ピピの墓参りの帰りに、無謀な散歩をして迷子になり、遭難したかもしれないと不安に震えながら、立ち止まってチョコレートを食べた場所。古びた、「荘」のつくアパート。それが、父の住んでいた場所だったのだ……。
 恐る恐る玄関に回る。警察官がすぐに私の姿を認め、娘さん? と訊く。声にはならなかったが、口だけは「はい」と動かした。
 警察官は、中に入ってお父さんの遺体の確認をするよう、私を促す。
「いやです。怖いです。無理」
 身体を捻った。
「死後数日経っているけれど、冬だからとても綺麗な状態ですよ。それでも難しいかな」
 もう一度訊いた。私はかぶりを振った。
父の遺体が怖かったのではない。父に会うこと自体が、怖かった。生きていても、死んでいても、同じくらい怖かった。それほどまでに私は、もうずっと長いこと、父を憎み、父を避け、父を忘れて生きてきたのだ。
 家を出るときに夫に連絡したので、夫が仕事を早退して駆けつけてくれた。警察官は、私が遺体の確認を出来ない旨を告げた。夫は代わりに、室内に入って確認してくれた。
「間違いなく、お義父さんでした」
 警察官にそう告げると、夫は私の隣に立ち、
「眠ってるみたいだ。布団に真っ直ぐ入ってね、もがき苦しんだような感じもなくて。眠るように逝くことが出来て良かった」
 と言った。
「莉子ちゃんはいつも、あんな奴、苦しんで死ねばいいって言ってたけど。でも、苦しまずにすんだんだ。良かったね」
「別に、私はどっちでも、いいよ」
 私は苛立ちながら答えたが、本当は身体中が震えるほど安堵していた。苦しまずに逝ってくれて良かったと、素直に思えていた。口にはしなかったけれど。
 やがて千葉の叔母も到着し、父の遺体をアパートから警察署へ運び出した。運ばれたのは旭警察署だ。警察署の一階の、免許の書き換えを待つスペース近くで検死の結果を待った。結果は多臓器不全。死亡推定日時は……。
「ああ……!」
 と思わず声が漏れた。そんな気がしていた。私が通った日だ。あの日が、父の死亡推定日時であった。私が道に迷って途方に暮れていたとき、チョコレートを齧ったとき、夕方の空気の切れ間から踏み切りの音を拾いあげたとき、父は、まだ生きていただろうか。
 何故あの日、妊娠が判明したのか。遠い昔のピピとの約束を果たしに、墓参りに行ったのか。まっすぐ帰ればいいものを、わざわざ遠回りして知らない街に足を踏み入れたのか。そもそも父は、どうして家族が誰も住んでいない横浜に戻ってきたのか。
 奇跡なんて信じない。奇跡がこの世にあるのなら、父は酒に溺れなかったし、家族は仲良くいられたし、私は結婚式を挙げて父とバージンロードを歩けたはずだ。でもじゃあどうして、こんな嘘みたいな偶然が起こり得たのか。ピピが私を、呼んだのか。
 警察官に、準備が整いましたと言われた。警察署の裏にはひっそりと、小さな建物がある。父の遺体は、そこに安置されていた。
 遺体の確認をするよう言われたときとは違い、今度はすんなりと中に入れた。線香の煙が揺らいでいる。けれども線香の匂いは全くせず、ひどく人工的な、消臭剤のような匂いがむせ返るほど小部屋全体を包み込んでいた。
 その匂いの印象のあとに、父の遺体が目に入った。確かに、死後数日が経ったとは思えない、綺麗な遺体であった。けれども、酒に身体中を支配されたことが一目で分かるような風貌でもあった。夫が私の背を押す。私は父に少しだけ近づいて、両手を合わせた。そしてすぐにその小部屋を出た。
「もういいんですか?」
 声をかけてきたのは、葬儀屋さんだった。
「あー、大丈夫です」
 街で声をかけられてアンケートを断るみたいに、あっさりと応じた。強がっているのは分かっていた。夫も私の性分を分かっていた。
「戻ってもいいからね」
 夫が優しく言う。私は振り返りもせず、お腹空いたあ、と呟いた。その呟きが、すっかり暗くなった空に吸い込まれていく。
 諸々の手続きを終え、叔母は車で千葉まで帰って行った。送ってくれようとしたが、車内で父の話をしたくはなかったので、断った。
 旭警察署から二俣川駅まで歩く。風の抜けるホームで、夫と電車を待つ。ようやくやってきた急行に乗り込むと、私の中で一度は幻となった、あの自動窓があるではないか。
「まだ現存してた! これぞ相鉄線の象徴」
 縦に二つ並んだ緑のボタンを見つけ、私はにんまりほくそ笑む。そして座席に座ろうとしたとき、窓の横に備え付けられた鏡が目に入った。横浜駅に向かうとき、いつだってこの鏡を見つめては、髪型をチェックしたり、リップを塗り直したりした。女子が数人集まれば、この鏡の前は争奪戦となる。私は大人になるまで、日本中の全ての電車に、この鏡がついていると思い込んでいた。けれどもこれは、とてもレアな存在なのだ。青春を映した鏡。楽しかったときも、失恋したときも、試験勉強で徹夜したときも、私を映した鏡。
 そして……。
 鏡の中の私が、みるみる壊れていった。完成したジグソーパズルが真ん中からぼろぼろと崩れていくように、私の顔が破壊されていったのだ。何が起きているのかよく分からなかった。分からなくて、じっと見据えていると、破壊された目の周りが赤く腫れ上がり、瞳からは大量の液体が迸っていた。
(お父さんが、死んじゃったあ……!)
 唐突に思った。強烈に、理解した。
 鏡の中の私は、夜の街を一定の律動ですり抜けて、声を押し殺しながら泣いた。夫は何も言わなかった。他の乗客はどう思っただろう。どうでもいい。このときこの場所には、私と、鏡の中の私しかいなかったのだ。
 横浜駅まで、涙が止まらなかった。電車を降りる瞬間、もう一度鏡の中の自分を見る。泣き顔の私はここに置いていこう、鏡の中に閉じ込めていこう、と思った。電車を下りるとき、強く顔を擦って涙を拭った。深く息を吐き、駅の雑踏に足を踏み出す。人の行き交うコンコースには死など紛れていない。コンコースのざわめきに、死は不釣合いであった。
 数日後、父の葬儀をひっそりと執り行った。納骨の日まで、遺骨は私が引き取った。
 四十九日まで、父の好きなものを観せたり聴かせたりした。父は、音楽ならエルヴィス・プレスリー、小説なら池波正太郎などの歴史小説、映画ならクリント・イーストウッド、野球なら巨人。それ以外を絶対に認めない、偏った考えがあった。朝にプレスリーを流し、日中はイーストウッドの映画。夜、夫が帰ってきてからは何も流さず、父の死を忘れたかのように振舞う。
 葬儀が終わった直後の日曜日、夫と二人で、父が暮らしていたナントカ荘に、遺品整理に行った。室内は大量の食材や日用品がストックされていて、それがそこかしこに積んであって、小奇麗なゴミ屋敷といった状態だった。
 酒を飲んで、金がなくなって、病んで、酒を飲んで、金の無心をして、酒を飲んで、年老いて。そんな風に暮らしていても、洗面台には男性用化粧水や、アフターシェーブローションがあった。育毛剤もあった。
 同窓会に参加した形跡もあった。写真が飾られていたのだ。日付を見ると、三ヶ月ほど前のものだった。そこに写っている父の姿。それは、母と離婚直後に会ったとき、あまりにもみすぼらしい格好をしていて情けなく思った私が、近所で適当にTシャツとネルシャツ、ジーンズを買って渡したときのものだった。周りの男性たちは、カジュアルスーツや、かっちりとした背広を着ているというのに、父だけが私の買ったネルシャツを着ていた。
 こんな格好で同窓会に行ったのか。情けない。情けないけれど、父にとっては娘に買ってもらったこれが、最高の礼装だったのかもしれない。三ヶ月後に死ぬことを予感させない笑顔が、そこにはあった。一人だけネルシャツで、居心地悪そうにしている風でもなかった。むしろ楽しそうで、堂々としていた。
 部屋中の不要品を、45リットルのゴミ袋に入れていく。財布とか通帳とか手帳以外は、どんどん捨てた。財布の中を見た。千円札一枚と、小銭だけが入っていた。通帳の残高を確かめた。六千円しか残っていなかった。父は年金を貰っているはずだが、こんな状態で、どうやって暮らしていたのだろう。
 そして手帳の中。親戚の名前と住所と電話番号。行きつけのスナック、年金事務所、区役所、大家さん、ラーメン屋、居酒屋、床屋の営業時間と電話番号。
寺と葬儀場の電話番号もあった。父は、少なからず死を予感していたのか。
色んな情報が書かれていたけれど、私の名や電話番号はなかった。私からは一切連絡を取っていなかったわけだし、別にどうでもいいのだけれど。ぺらぺらと手帳を捲り、最終ページに行き着く。ついに最終ページにも、私に関する記述はなかったが、父の震える文字で、こんな言葉が認められていた。

逢うときは語りつくすと思えども
別れとなれば残る言の葉

「これ、何かな」
 夫に手帳を渡した。本当は見せるのが躊躇われた。書かれている文字があまりにも震えていたから。この震えは、身体の不調のせいなのか、それとも酒のせいなのか。
夫はしばらくそれを見つめたあと、
「大石主税の歌だね」
 と言った。私は首を傾げる。
「莉子ちゃんは歴史に疎いから、たぶん分からないと思うけど、大石内蔵助の息子。赤穂浪士の討ち入り、知ってるかなあ」
「赤穂浪士って、新撰組ってこと?」
 私が訊くと、夫は諦めたように苦笑した。私は本当に歴史に疎く、同じことを何度説明されてもさっぱり理解できない。きっとこれも父の影響ではないかと思う。父は歴史小説以外の本を軽視する人だったから、私はそれに反抗して、絶対に歴史に纏わる読み物を手にしようとは思わなかったし、テレビも観なかったし、日本史の授業も聞いていなかった。
「赤穂浪士の説明は今日はしないでおくけど、とりあえずこれはね、主税の時世の句」
 時世の句、と夫が言った途端、冷たい部屋の中に、更に冷たい風が流れた気がした。
意味は? と尋ねた。自分の声じゃないみたいに掠れていた。
「顔を合わせていたときは、全部ちゃんと話せていた気がするけれど、こうして別れを迎えるとなると、まだまだ伝えたい言葉はあったなあ、というような意味かな。お義父さん、この歌と自分を、重ねたのかもしれないね」
 私は衝撃を受けつつも、
「お父さんがこんなカッコいい演出をするわけがない。そもそも、私たちは会っていたときから語り尽くしてはいないよ。酒をやめてとか、ちゃんと仕事を見つけてとか、そんなことばかり。私は主税って人を知らないけど、お父さんの人生と重ねちゃ気の毒だよ」
 努めて冷たく応じた。
「でもお義父さんはきっと、莉子ちゃんに言いたいことがたくさんあったはずだよ」
「私には、何もない!」
私はたぶん、下唇を突き出して、不貞腐れていたと思う。自分で言うのもなんだが、こんな風に不貞腐れた私は、自身でも手に負えないところがある。
「何もないなんて、それは嘘だよ」
 夫が口を挟む。珍しい。こういうとき夫は、私の苛立ちが去るまで、絶対に話しかけてこないのに。
「毎週家族で、ピクニックに行ってたんだろ。おにぎりとサンドイッチを持って。家族みんなでたくさんアスレチックで遊んだ。お腹がぺこぺこになるくらいいっぱい遊んで、お弁当を残さず食べて帰ったんだろ。あの頃って、大人も子供も日曜日しか休みがなくて、そんな貴重な休みを、家族のために使い合えるなんて、どれだけ仲良しなんだ。どれだけお互いがお互いを、大好きだったんだよ」
 夫が捲し立てる。
「莉子ちゃんの心に、あのときの想い出、ちゃんと残ってる。そのとき、きっとたくさん語り尽くしたよ。でも足りなかったんだよ。だから毎週ピクニックに行ったんだよ。そのピクニックがなくなった後も、そのときの絆を信じていたはずだよ。家族がばらばらになって、お義父さん、一人で酒を飲みながら、毎晩天井を見つめて、あのピクニックを思い出したかもしれない。明日起きたら真人間になって、みんなと会いたい、会って語り尽くしたいと思っていたかもしれない」
「そんなの……憶測じゃん」
 私は俯きながら、ぼそりと呟いた。
「さっき俺は、キッチンを片付けてた。冷蔵庫の中の飲み物、流しに捨てたよ。ビールと缶チューハイがあった。でも二本だけ。残りは全部ノンアルコールビールだった。お義父さん、少しずつ、酒をやめようとしていたんじゃないのかな」
「お父さんが酒をやめる? あり得ない」
「あの日、俺が遺体の確認をしたね。お義父さんの枕元にあったのも実は、ノンアルコールビールだった。変だなって思ったけど、今思えば、あれこそがお義父さんにとっての『残る言の葉』だったのかもしれない」
 もう会いたくないと、数え切れないくらい言った。でも酒さえやめてくれれば、私もお母さんも、また会ってもいいと思うかもしれない、と伝えた気がする。それは口からでまかせで、しつこく金の無心をしてくる父を追い返すために、適当に吐いた言葉に違いなかった。父がそれを、信じていたら。父が、家族三人で会えることを、夢見たとしていたら。
「三人で、会いたかったんだよ、また」
 夫が、噛み締めるように言う。
「だって、じゃなかったらどうして、横浜に帰ってきているの。横浜には、家族の幸せな時間があった。それを、取り戻したかった。少しずつ酒を断って、もしかしたらまたみんなで、あの頃みたいに、大池公園に……」
 大池公園、と聞いて、ピピの墓を思い出す。思えばピピの墓参りの帰りに、私は迷子になり、路地をうろつき、このナントカ荘の脇でひと休みしたのだ。父の命が、尽きるか、尽きないか、その魂の灯火を背にして。
きっと私はもう父を許している。酒に溺れたこと、仕事をしなくなったこと、数々の苛立ちや暴言、突然の金の無心、何もかも許している。でもね、許しているって、もういない人にどうやって伝えればいい? 伝えられないと分かって、初めて実感するのだ、死を。
 そして私ははたと気付く。私は、許した。じゃあ、父は? 父は私を、許してくれるのだろうか。私にとって父は、良い父ではないままに逝ってしまったけれど、父にとっての私も、あまりにもひどい娘ではないか。
私にも、残る言の葉があったよ、お父さん。伝えなきゃいけない言葉があったよ。
「私はどうしたら……いいんだろ……」
 洟をすすりながら呟くと、
「どうもしなくていいよ」
 と夫が笑った。
「今度の休みは、大池公園に行く。ピピの墓参りをして、ピクニックをする。おにぎりとサンドイッチ、両方持っていくんだ」
 夫が強い口調で言った。
「俺たちの子供が生まれたら、また大池公園でピクニックをする。やっぱり、おにぎりと、サンドイッチは両方ね」

 横浜には、幸せも哀しみも別れも恋も青春もときめきも挫折も憎しみも、何もかもがあった。この場所を離れていても、心が、想い出が、この地に帰ってくる。
 何度でも帰って、何度でも想い出を作って、何度でも語り尽くそう。きっと語り尽くしても足りないけれど、それでも私にはこの街があるから平気だ。この街を舞台にして、大切な人と、残りのお喋りを楽しむのだ。私たちはどれだけ語り尽くしても、それが足りるということはないのだから。

著者

mine