「水天さんで豆大福を」八木塚健輔

 うちの子が家から姿を消した。
 とはいえ、「うちの子」と言っても、実の子どもが行方不明になって警察沙汰、もしかして誘拐事件? というような緊迫した事態ではまったくない。
 わたしが飼っている猫が、まる二日ほども帰ってこないだけである。しかも、この「プチ家出」は今回が初めてでもないので、わたしの方も、困ったなあ、とは思っても、そこまで心配しているわけではない。ただ、迎えに行かないとなあ、悪いもの食べてお腹こわしてないといいなあ、などと思っているだけだ。
 わたしの飼い猫は、飼い主であるわたしがあきれるほどの放浪癖の持ち主だ。
 飼い始めたころは近所を歩き回るだけだったのだが、最近はどうやら電車に忍び込むというはた迷惑なテクニックを覚えたらしく、相鉄線沿線各地が放浪範囲になってしまって、飼い主としては頭が痛い。
 スマートフォンを起動して、愛用のSNSを開く。迷い猫探し依頼の投稿に対して、半日のうちに数件の写真つきの返信が来ていた。どうやら今回は、平沼橋駅のあたりで見かけられたらしい。
 猫一匹に対する投稿が写真つきですぐに寄せられるあたり、特徴的な首輪っていうのは大事だと思う。作った直後はちょっぴり気合いとこだわりが爆発しすぎたかなあと反省したけれど、結果としては色々な人の目を引く目印として、こうして役に立っているのだから、世の中何がうまくいくかわからないものである。まあ、そもそもの話として、あの首輪が気に入らなくて最近あの子が家に帰ってこなくなってきているのではないかという心配はなくもないのだけれど。
 まあ、これもまた、新しい街の探検だと思うことにしましょう。これまでも、あの子を探していろんなご縁ができたしね。
 かくてわたしは黒のリュックにタオルと水筒、いつもの猫缶を詰め込んで、部屋を飛び出したのだった。

◇  ◇  ◇

 相鉄本線、平沼橋。横浜行きの電車の最後から二番目。各駅専用の小さな駅だ。普段は横浜に行くとき急行に乗り換えてしまうわたしにとって、あっという間に通り過ぎてしまう通過地点という印象しかない。
 ホームに降りると、線路沿い、すぐ先に横浜駅のホームが見えた。本当に目と鼻の先なんだなあ。階段を上り、改札を抜けると、線路をまたぐように渡された歩道橋の上に出た。これを使って、線路の南側と北側に降りられるようになっているらしい。右……北側には新しそうな高層マンション。左……南側は対照的に、下町っぽい雰囲気の街並みが広がっている。
 横浜駅からこんなに近いのに、線路を隔ててこんなに様子が違うんだなあ。
 個人的な好みとしては北側に降りて新しい街並みのデザインを見て回りたいところだけど、あの子の写真が撮られたのは南側だ。まずはそちらへ向かって見るとしましょうか。
 歩道橋を織りきると、目の前に飛び込んできたのは、高架下にかけられていた「水天宮 平沼神社」の看板だった。
 駅前の、しかもこんな近くに神社なんて、少し珍しいような気もする。
 よし、それじゃあまずは神様にご挨拶といきましょう。特別信心深いわけではないけれど、やっぱりその場所を長年守ってきた信仰の対象っていうのは、それなりに大事なものだと思うのだ。自分から探してお参りにいくほど熱心ではないけれど、目についた以上は足を向けないといけない気になってくる。このあたりは、よく預けられていた田舎のばあさまの影響があるのかもしれない。まあ、神頼みであの子を見つけてもらえる確率がちょっとでも上がったら嬉しいなっていう下心もあったりするのだけれどね。
 高架下を少し歩くと、小さな石造りの鳥居が見えてきた。高層マンションや高架に囲まれた中で、ぽっかりと境内の空間が開かれているのが目を引いた。この一区画だけ、なんだか時間の流れから切り取られているような、そんな気さえしてくる。
 鳥居と境内を背にして眺めると、駅前の線路沿い道より広い通りがまっすぐに伸びている。平沼橋の駅ができるよりこちらのお宮さんができた方が早いだろうし、元はここにお参りに来る人のための通りの方が当然主要な道だったんだろうなあ。駅ができて人の流れが変わっても、道はすぐには変われない。人と街とでは、時間の流れが違う。人が変わっていっても、街は変われないことがあるということなのかもしれないなあ。
 少しばかり感傷的な気分にひたりながら、私は改めて石造りの鳥居をくぐった。
 入ってすぐの手水舎で手を清め、口をそそぎ、タオルで手を拭きかけて、思いとどまる。ええと、確か、手水の清めは拭ってしまうと意味がなくなるとか、そんなことをばあさまが言っていたような気がする。……でも寒いしなあ。
「あらあら、濡らしたままじゃあ、お肌によくないわ。ハンケチはお持ちでなくて?」
 と、後ろから声をかけられた。振り返ると、そこには小柄なご婦人が私を見上げていた。年のころは田舎のばあさまよりも少し上くらいだろうか。さすが都横浜のご婦人、うちのばあさまよりもずっと垢抜けてお洒落な感じだけれども。
「その、手を清めた後って拭いていいんでしたっけ。お作法で」
「あらあら、お若いのに真面目ねえ。水天さんも、そんなことで怒ったりされないと思うわ。わたしはいつも拭いているけど、ばちなんて当たったこと、この70年と少しの間で一度もないもの」
 70年! どうやらこのご婦人は、この地元に長く住まわれている方らしい。物心ついてからの年数だとすると、御歳7、80歳といったところだろうか。うちのばあさまよりも確実に年上だ。
 勧め通りにハンカチで手を拭いた私を見て満足そうにうなずくと、ご婦人もまた慣れた様子で手、口を清めだした。杖を持ってはいるけれど、足取りにおぼつかない様子は見られない。背もしゃんと伸びていて、見ていてこちらの背筋が伸びるような、凛とした佇まいの女性だった。
 なんとなくご婦人を気にしつつも、まずは当初の目的を果たすべく、私は真正面の拝殿へと足を向けた。石畳が敷き詰められた境内はとても清潔で、掃除も行き届いている。
 まずは一礼。お邪魔します、の気持ちをこめて。
 そして、呼び鈴代わりの鈴をからんころんと鳴らして5円玉を投下、おじぎを2回、柏手を2回。瞳を閉じて神様へのご挨拶を心の中で念じてみる。
 ちょっぴり西からまいりました。うちの猫が水天さまのおひざ元に迷い込んでしまったみたいですので、探しにまいった次第です。どうか、よそものがうろちょろするのをご容赦ください。あと、なんか面白そうだと思ったら、ちょっぴりご加護なんかいただけて、あの子を見つけるお手伝いなどしていただけたらとても嬉しいので、気が向いたらなにとぞなにとぞお願いします。
 ……よし。こんなところかな。最後に一つおまけにおじぎ。
「ずいぶん熱心にお祈りされていたわね。おひとり? 付き添いもしてくれないなんて、旦那さまも少し冷たいのではないかしら」
 帰ろうと拝殿に背を向けようとしたところで、隣で同じく参拝していた、先ほどのご婦人に話しかけられた。ご婦人の言葉が何を意味するのか、私には一瞬理解できなかった。そもそも、私に向けられた言葉であるということ自体が、飲み込めなかったくらいだ。
「ええと、その、それはどういう?」
 首をかしげる私に、ご婦人はぽん、と手のひらを叩くと、ころころと笑い出した。芝居がかった素振りなのに、それがとても自然な様子で、ああ、まるで舞台の上の役者さんのようだ、と私は的外れなことを考えた。
「あらあら、ごめんなさいね、安産祈願に来られたのかと思って。ほら、水天さんにいらっしゃる若い女性っていったら、ねえ。おばあちゃんの一人合点。恥ずかしいわあ」
 ああ、そういえばさっき見た看板にも「安産・水難避」とか書いてあった気がする! 妊婦さんだと思われていたのか。……うん、まあ、世間的には適齢期ではあるのだろうなあ。でも、生物学的にヒトは単為生殖はできないので、私には未だ縁のない願いというか。言ってて寂しくなってくる話だけれど。
「あの、今回はそういうわけではなくて」
「あら、安産祈願でないとしたら、お若い女性が水天さん参りなんて珍しいわね」
「その、初めてここの駅で降りたので、地元のお宮さんにご挨拶をと思って」
「お若いのに感心なこと。そうねえ……よろしかったら、これ」
 ご婦人は手にした鞄から何やら透明な袋に入った手のひら大の白いものを私に差し出した。これは……
「……おもち?」
「豆大福よ。このあたりにね、古い和菓子屋さんがあるの。百年以上続いているお店で、今は三代目さんが和菓子を作ってるの。四代目さんは洋菓子の職人さんでね、フィナンセ? なんていうのもおいしいのよ」
 フィナンセ? ……フィナンシェか! はあ、和菓子屋さんの四代目が洋菓子職人さんだなんて、面白いなあ。
「その、おばさまが召し上がるお茶請けじゃないのですか?」
「大丈夫、いつも二つ買って、一つは余らせてしまうものだから。もらっていただけると嬉しいわ」
 ……二つ買って、一つは余らせてしまう? どういうことだろう。
 ちょっとした違和感はあったものの、ご婦人の勢いに押されて私は豆大福を受け取ってしまった。実際、少し……というか、かなりお腹はすいていたし、なにより甘いものは大好きだ。地元の老舗の豆大福なんて、興味がわかないわけがない。
 そんな連想をしたせいだろうか。とたんに、くるるる、と、お腹が情けない音を立てた。恥ずかしいなあもう! ご婦人にもばっちりそれは聞こえていたようで、彼女はくすくすと口元に手を当てて笑っていた。思わず顔が熱くなる。
「いいのよ、そういう時間だものね。もうすっかりお昼時。ねえ、もしよかったら、このおばあちゃんとお蕎麦でもご一緒してくださらない? こんな日に、安産祈願でなしに水天さんにお参りされてた素敵なお嬢さんなんて、珍しいもの」
 はあ……。猫探しに来たわけではあるけれど、たしかに昼食の時間ではある。地元のご婦人が紹介してくれるなら、それなりにおいしいお店かもしれないし、でも、一刻も早くあの子の探索に取り掛かりたくもあるし……。 
「天ぷらがとてもおいしいお店でね、ごま油でさっくり揚げた海老が絶品なの」
 うん、ごめん我が家族。君も気ままなお散歩の結果の迷子だし、私もちょっとくらい寄り道していいよね。空腹に香ばしいごま油の匂いとかさくさくの天ぷらとかいう話をされて耐えられるほど私は我慢強くないのでありました。
「ぜひよろしくお願いします!」

◇  ◇  ◇

 ご婦人に連れられた私は、水天さんからまっすぐ道なりに歩くことしばし、大きな交差点に面した歴史ある店構えのお蕎麦屋さんにいた。大通りの向かいにはスーパーがあるのに、このお店は戦後まもなくの風情を漂わせた店構え。
 どうやらご婦人はこちらの常連らしい。にこやかな店員さんの案内で、奥の席へと通された。そこで、私が平沼橋へと来た経緯をおおまかに話したのだけれど、webで情報を求めたり、そのレスが手がかりになったりということは、ご婦人にはうまく伝わらなかったようだ。 
「あらあら、猫さんを探してここまでねえ。よく、こんな遠いところにいるなんてわかったわね。お友達でもこの辺りにいらしたの?」
「いえ、SNSで……あー、その、迷い猫探していますっていう張り紙……みたいなものを張っていたら、親切な人が教えてくれまして」
「こんな街まで張り紙を張っていたの? それともたまたまそちらの街に平沼橋の人が行ったときに張り紙を見たのかしら。すごい偶然ねえ」
 ううん、妙に感心されてしまったれど、SNSでの拡散の話とかしても混乱させるだけかもしれないし、まあ、そこは本筋ではないから説明しなくてもいいか。
 それよりも、私の注意を惹いてやまないのは目の前に鎮座する一品だ。ご婦人が座るなり「いつもの二つ」と注文してでてきたのは、ざるに乗ったお蕎麦と、つけ汁だった。それだけなら、ただのもりそばなのだけど、違うのはそのつけ汁にどでんとつかった巨大な海老天。習字で使う大筆を連想してしまうくらいのボリュームに、思わずご婦人を見てしまった。
「ふふ、驚いた? お味も逸品なのよ。天下の岸さんのお墨付きなんだから」
 キシさん? ナイト的な何か? こんな純和風のメニューを? 海外の要人がきてSPさんが食べに来たとか?
 ともあれ、確かにこれはすごいインパクトだ。私はあまり興味がないけど、インスタ映え? というやつがするのではないか。ともあれ、天ぷらは熱いうちが一番なので、まずはいただきます。手を合わせて、さっそく巨大海老天を一口いただきましょう。
 うわ、さくさく! 衣は厚めだけど中身の海老も負けないくらいの大物でぷりぷり。そばつゆを吸ってもしんなりしすぎないし、うちで作るてんぷらとは雲泥だ。
 夢中になっておそばと天ぷらを代わるがわる食べていると、あっという間に目の前のざるは空になっていた。満足。おいしかった。手を合わせて一礼をすると、ご婦人はすでに食べ終わっていて、満面の笑みで私を眺めていた。どうやらご婦人の方はあらかじめおそばの盛りが少なめにしてあったようだ。
「ふふ、いい食べっぷり。あの人の若い頃を思いだすわ」
 うえ、そんなにがっついてましたか私。恥ずかしいなあ。 
「おいしくごはんを食べられるのは才能よ。いいことだと思うわ」
「そんなもんでしょうか」
「ええ、大事なことよ。それに、これから猫さんを探すのでしょう。腹ごしらえはきちんとしておかないといけないですものね。ああ、それなら、水天さんにお願いをしたのは正解ね。きっと、猫ちゃんはすぐに見つかると思うわ」
 妙な断言だった。水天さんって、失せ物探しに御利益があったりするのだろうか。あんまりそういうことは強調されていなかった気がするけれど。
 疑問が顔に出ていたのだろうか、ご婦人は説明するように言葉を続けた。
「おばあちゃん、昔ね、水天さまに、好きな人が帰ってきますようにってお願いをしたことがあるの。うちに下宿していたお兄さんが兵隊さんになってね。まだ二十歳にもなってなかったんだけど、若い人も兵隊さんにしますって決まりができて。学徒出陣って、学校で習ったかしら?」
「……はい」
 社会の授業か何かで聞いた記憶がある。第二次世界大戦、日本の戦況が悪化して、終戦間際になってから学生を前線に出すようにしたこと。
 ぞくり、とした。紙の中の出来事、二次元の情報が、当然のように三次元、同じ場所で食事をしているご婦人の口から語られたことで、急に自分との距離が近づいた気がした。
「そのときのおばあちゃんはお嬢さんの半分よりもう少し子どもでね。お兄ちゃんが帰ってきますようにって、毎日お参りに行ったのよ。また、お兄ちゃんがいつもみたいに豆大福をお土産に買ってきてくれて、一緒に食べられますようにって」
 ご婦人は別に特別なことを語っているつもりはないのだろう。
 ただ、自分の体験したことを当然のように思い出として話しているだけ。私が、高校時代にこんな先生がいてね、と思い出すのと同じようなことだ。
「水天さんって、御神体が海から流れついて、海に返しても何度もこのあたりの浜に戻ってきたから作られたそうなの。なら、御利益には書いていないけど、海に出たお兄ちゃんが帰ってくるようにってお願いを叶えてくれるんじゃないかって、そう思ったのね」
「それで……その、お兄さんは?」
「ええ、ちゃんと帰ってきてくれたわよ。空襲でうちも豆大福のお店も焼けちゃったけどね。それでも、水天さまは残ったし、街も水天さまを中心にまた、建て直せた。和菓子屋さんも豆大福をまた作ってくれるようになったし、全部元通りとはいかないけど、おばあちゃんが大事にしたかったものは、だいたい取り戻せたわ」
 ……いま、さらりと、すごいことが口にされなかったか。
 焼けた? 空襲? このあたりが? 全部? 水天さまは焼け残った?
「……このあたりって、空襲受けてたんですか?」
「あらあら、これは習わなかった? 終戦直前、五月末。朝からひどい空襲で、横浜あたりはどこもかしこも全部焼けてしまったわ」
 ここまで歩いてきた街並みを思い出す。あれら全てが、一度まっさらに焼けた後の建物ということか。いや、そもそも、横浜という街全てが、そうだということなのか。
「そんなことを知らない人が増えたってことは、いいことかもしれないわね。おばあちゃんの世代が死んでしまえば、あの空襲は誰も経験したことのない昔話になる。それが一番なのかもしれないわ。……ごめんなさいね、変な話をしちゃって」
「その……いいえ。大事な、お話だと思います」
 ああもう、私は何を言っているのだ。もっとこう、気の利いた返事はできないのか。
 けれど、私のない頭では、バカみたいなシンプルな言葉を返すのが精いっぱいだった。
「とにかく、戦争にいった兵隊さんだって返してくれたんだもの。水天さまにお願いしたんだから、猫さんはきっとすぐに見つかるわ、っていうこと。ごめんなさいね、長話に引き留めてしまって。今はあまり人とお話することがないから、嬉しくなってしまって」
 そう語るご婦人と、湯気を立てる湯飲みを見ながら、私はぼんやりとこれまで見聞きしてきたものを思い出していた。
 70年水天さんに通い詰めている老婦人。
 いつも余らせてしまう豆大福。
 水天さんは、いなくなった人を返してくれる。
 好きだった人。地元の和菓子屋さんの豆大福の約束。
 今はあまり人と話をすることがないから。
 点と点が繋がり、ぼんやりと像を結ぶ。
 このご婦人の抱えてきたものを、私はなんとなく理解した。
「――まだ、水天さまに毎日来られてるのは、ご主人のためですか?」
 きっと、この人は、帰ってきた豆大福の「お兄さん」と結ばれたのだ。
 そして、きっと、ここ数年のうちに、彼に先立たれたのだろう。
 戦後間もない時点で二十歳であれば、おそらく大往生だ。
 それから彼女は、二人分の豆大福を買って、毎日水天さまを訪ねている。
 おそらくは、幼い日と同じように、帰ってこない彼との再会を願って。
「すごいわね。あなた、探偵さんみたい」
 ご婦人は私の唐突な言葉に目を丸くすると、お茶を一口すすり、そのあとでゆっくりと首を横に振った。
「でも、私だって、そこまで水天さまに厚かましいお願いはしないわ」
 ご婦人の口元がつりあがり、刻まれたしわがより深くなる。
 年輪のように重ねられた時が形になったそれが、私にはまぶしくにじんで見えた。
「あのときは、生きているか死んでいるかわからない人に帰ってきてほしいとお祈りした。可能性はあったのだもの。でも、今は違う。わかっているわ」
 わかっていても、変われないことがある。
「でも、あの人がこっちに帰ってくることはなくても、私があの人のところへ行けるようにっていうことなら、お祈りしてもいいかもしれないわね」
 わかっていても、わかれないことがある。
「だって、生まれ変わる先っていうのは六分の一なのでしょう? サイコロで1が出るようにくらいの希望があるなら、水天さんも叶えてくれるかもしれないもの」
 変わっていっても、変われないことがある。
「ふふ、つまらないお話。ごめんなさいね」
 変わっていっても、わかれないことがある。
 街並みと人とが違う時間を生きて食い違うように。人と人ともまた然りなのだろう。
 水天さんでも引き合わせられない所に、待ち人は逝ってしまったのだと老婦人は笑った。
 それでも、彼女はいつかと同じように、約束の豆大福を持って、今日も水天さんを訪れたのだ。
 もう届かないとわかっていて、それでも、繰り返しているのだ。
 昨日も、一昨日も、一月前も、一年前も。
 たぶん、明日も。明後日も。
「あなたが猫ちゃんと再会できるように、明日も水天さんにお祈りしておくわ」
「ありがとうございます。……私も。おばあさまのお祈りが叶うといいなって、思います」
「あらあら、ありがとうね」

◇  ◇  ◇

 交差点角のそば屋でご婦人と別れた私は、改めて水天さまへと足を向けた。
 うちの子の目撃証言があったのがそのあたりということもあるのだが、何より、もう一度、この場所を見ておく必要があると思ったからだ。
 水天宮平沼神社。このあたりの氏神様。
 安産と、水難避け、そして、横浜の大空襲から免れたとして、火伏の御利益があるとされているお社。そして、あのご婦人曰く、想い人との再会を約束してくれる神様。
 小銭を握りしめて境内を歩く少女。
 懸命に手を合わせ、大切な人の帰りを願う姿。
 それが霞み、二人で手を合わせる若い男と身重の女の姿になり。
 さらに霞み、三人で手を合わせる子ども連れの姿になり。
 またも霞み、五人で手を合わせる親子孫の三代の姿になり。
 やがて霞み、一人で手を合わせる老いたご婦人の姿になった。
 そんな早回しの時間の流れを、私は一瞬だけ幻視する。
 にゃあ、という鳴き声に、私の視界は現実へと引き戻された。
 足元には、派手にデコられた首輪をつけた黒猫。
「……何よ。ずいぶんとタイミングがいいじゃない。水天さまのご利益? てきめんすぎない?」
 まぎれもなく、行方不明になっていたうちの子であった。
 はた迷惑な今回の度の原因を電車持ち込み用のかごへ入れると、私は改めて水天さまの拝殿へと一礼して、平沼橋の駅へと歩き出した。
 ご婦人にもらった豆大福をかじりながら、彼女が何度も歩いたであろう道を行く。
 小豆の甘味と豆の粒の歯ごたえと、そして、ほんの少しの塩味が混じって、口の中に広がった。
 にゃあ、と相棒が私を気遣うように鳴く。
 大丈夫。別に悲しいわけじゃない。ただ、いつも電車で通り過ぎている街で起きていたことをあまりにも知らなかった自分に、少し恥ずかしくなっただけ。感傷的になってしまっただけだから。
 そういう意味では、君の放浪癖に感謝しないと。また、新しいご縁を繋いでくれたのだからね。……でも、あんまり家出はしないでくれると嬉しいなあ。そのたびにこうして遠出をするのも大変なんだぞ。
 と。愚痴をこぼしながら歩いていると、平沼橋駅の改札に差し掛かったところで、青いスカーフをつけた栗毛のしま猫が足元を駆けていった。
「そうにゃん! ああもう!」 
 少し遅れて、ニットの帽子をかぶったえらい美人さんがしま猫を追うように走ってくる。
 私は思わず吹き出してしまった。
 そうにゃん、というのが、彼女の猫の名前なのだろう。気ままに歩く猫を追って走り回る。まったく、どこかで聞いたような話だ。
 ここにもまた、猫に連れられて、新しい街を冒険する女性が一人。
 彼女はいったい、この街で何を見つけるのだろう。
 おいしいお店? その土地の歴史? 地元の人々との交流?
 いつもなら電車に揺られて通り過ぎてしまうような駅も、気まぐれに降りて歩いてみれば色々な別の面が見えてくる。
 次は、この子を探しにではなく、自分からこの駅で降りてみよう。
 あのご婦人に再会できたら、もう少し、詳しく話を聞いてみるのも面白いかもしれない。あの空襲で焼けてもなお再建して、この豆大福を売っているという和菓子屋さんを訪ねるのもいいだろう。四代目のフィナンシェにだって興味がある。
「でもまあ、今日は帰ろうか。ね」
 平沼橋の改札をくぐる私に応えるように、かごの中の猫がにゃあと鳴いた。

著者

八木塚健輔