「海老名的日常」本州 弘

「相鉄に特急が出来るらしいぞ。」
バラ柄のテーブルクロスで綺麗に飾られたダイニングテーブルの、これまたバラ柄模様の椅子に腰掛けて、朝の出勤の身支度を終えた邦夫が妻の雪子が庭のハーブで入れてくれたハーブティーの香りを楽しみながら、キッチンにいる雪子に話しかけたが聞こえなのか返事がない。
「もう時間よ!早く行かなきゃ!のんびりしてないで!お弁当持った?」
キッチンで忙しく手を動かしながらこちらに顔も向けずに叩き込むように雪子が言う。
「あぁ、大丈夫だ。」
邦夫も弁当の入った布の袋の重さを確かめながら顔も見ずにわざとのんびりしたように答えた。
邦夫夫婦は今はやりの年の差夫婦だ、それも珍しく21歳の年の差がある、邦夫が再婚なので仕方がない。
この年の差は羨ましがられることが多いが、世代感の違いは大きい、邦夫には分からない事が多いがなるべくそのまま受け入れるようにしている。
「水筒は?暑いときはしっかり水分を取ってよ、もう若くないんだからね!」
なんだか怒られているような気分だが、追い出されるように家を出る。
玄関まで雪子が見送りに来る。
「行ってらっしゃい、気を付けてね。今日は?」
この時ばかりは優しい、笑顔で送り出すことは長年のお約束だ。
「あぁ、行ってくる。今日もいつも通りかな?」
邦夫も笑顔で答える。
雪子が精魂込めて育てた小さな庭のバラ達も見送ってくれる。
今日も快晴で暑くなりそうだ。
朝の生命力に溢れた太陽を眩しく仰げば体に力が湧いてくるような爽快な気分になってくる
「特急の話はスルーだったなぁ。」と思いながらゴミの袋を持たされてバス停に急ぐ。

海老名に居を構えて17年、すっかり海老名市民だが、生まれも育ちも海老名と云う訳ではない二人にとってはあまり地元に愛着はない、しかしかといって属に言う神奈川都民でもない。
海老名の小学校にはプールが無い、維持費が掛かると云うことで市議会で廃止を決めたらしい。
「誰が決めたんだろうね?」
「お金、お金って夢が無くなるよね。」
「税金の使い道間違えてない?」
「海老名からは水泳選手は出ないね。」
「新規で海老名に来た人はきっとがっかりするよね。」
「実は私もそうだったのよ、公立でプールが無いなんてびっくりしたわ。」」
「相模川で泳げってこと?」
雪子には地元の若い主婦仲間がたくさんいて、朝活と称して月に何度か集まって近況報告や、お互いの趣味や特技を披露しあって活発に交流している。
中には意気投合して新規にコラボが成立して、新たな展開に発展したり、イベントを開催して発表の場を作ったりして、お互いに良い関係作りに力を入れている。
主婦たちの意見は貴重だ、邦夫の提案で各会派の市議会議員たちを一人一人朝活に招いて意見を聞いてもらう機会をもうけた。
庶民の声を直接聞いて貰いたいとの思いからだが、行政の協力は心強いはずだ。
邦夫も奥様達の意見の場にはなるべく参加して声に耳を傾けるようにしている。
二人とも海老名の現状と将来を憂える市民としてしっかり海老名に埋もれて生活している。 

 夕食の時に特急の話しをぶり返してみる。「へぇ~相鉄に特急ねぇ。私は都内が多いからね、横浜はあまり行かないしねぇ。」
おかずの餃子を自分の皿に取り分けしながら雪子はあまり関心がないようだ。
「それに横浜って観光地でしょう?中華街や山下公園、港の見える丘公園、そうそう去年は異人館を見に行ったよね。」
邦夫は餃子を取り落とした。
「そうだったね、たしかどこかの異人館でプリンの発祥地とか云ってタマゴが乗ったプリン食べたね。」
「そうだよ、最近も赤レンガにパンケーキ食べに行ったじゃない、ドイツビールフェスタ
みたいのやってたよね。ウインナー美味しかったなぁ」」
やはりいつも食べ物の話しになる。
雪子は行った場所で何かを食べないと行ったことを忘れるので、「あれを食べたよね。」と言わないとなかなか思い出してくれない、決してグルメではないが、行った場所での食事は必須だ。
「でも、行政の中心でもあり大商業地でもあるよ。」
雪子はちょっと考える風にして、
「そうねぇ、横浜駅周辺のもそうだし元町商店街とか昔から有名だしね、最近はみなとみらいもいいんじゃない?まぁ海老名はいろいろ行けるから確かに便利よね。」
雪子が次の餃子を皿に取りながら、あまり関心が無さそうに言った。

海老名はJR相模線、小田急線、相鉄線と3線入っているので、東西南北どこにでも行けると云う便利さはあるものの、普段使わない路線に雪子は興味が無いらしい。
どこにでも行けると云っても相模線なら橋本経由八王子と茅ヶ崎、相鉄でも横浜だ、大和で乗り換えてもせいぜい藤沢、小田急は小田原、箱根で、唯一、新宿で都心に繋がり、千代田線直通で東京の中心まで行ける。
横浜も大きいが、やはり都内の規模や魅力には格段の差が有る。
川崎まで通う邦夫にとっても横浜はただの通過点でしかない。
小田急線の登戸経由の川崎行を選ばなかったのは、海老名始発の相鉄だと1本逃せば座って横浜まで行けるからで、小田急線の激しい混雑を避けたかったからだ。
年齢と共に満員電車での通勤は体力的に厳しくなってきた。
「偉ければロマンスカーっていう手もあるけどね。」
雪子に嫌味の一つも言われそうだ。
実際、登戸にはロマンスカーは止まらない。

そんな中、相鉄の名ばかりの急行に特急が加わる事は実際ありがたい、座っていても途中駅の乗降客の出入りの煩わしさが無くなるのは良い事だ。
ダイヤをいろいろ工夫して入れ込んでいるんだろうが、期待外れの名ばかりにならない特急であって欲しいと願っている。
「横浜って言ったって地方都市の大きいやつっていうところだし、田舎町の海老名と結んでいても大したこと無いからね、途中の町だって住宅中心の町ばかりだしね。」
雪子は「そうね」と言いたげに、
「特急といえば小田急線のロマンスカーみたいな特別な電車じゃないとね、実感が湧かないわ。」
少年みたいなことを云うなぁと思っていると、珍しく続けて。
「元々、相鉄の急行って変よね、二俣川まで各駅停車なんでしょう?半分以上各駅停車なんて急行じゃなくて、云うならば準急じゃないの?今更特急って何なの?特急が急行で急行が準急じぁないの。」
雪子が食卓の後始末をしながら言う。
よく使う小田急線になぞっているのだろう。
邦夫もなるほどと感心しつつ、
「名称はどうでもいいけど確かにそうだね、
『名付けるとは意味を持たせること』であれば日本語の乱れの元になったりしてね。」
「大袈裟ね。」
雪子がお茶を運びながら笑って応える。
「小田急線からの乗り継ぎ客と、急速に伸びていく海老名の通勤客をなんとか捌かないといけないだろうしなぁ、相鉄もいろいろ苦労しながら考えているんだよ。」
「そうね、でもジイジはもう少しで定年だから関係無くなるわね。」
ちょっと首をすくねてこちらを伺いながら含み笑いしている。
そういえば雪子は最近邦夫のことを「ジイジ」と呼ぶようになった。
大型のショッピングセンターなどで「ジイジ」と呼ばないと振り向かなくなったと云う事らしい、最初は抵抗もあったが、実際、前妻との間に娘が居て3人産んでいる、外孫だが3人も居るので実質ジイジで間違いじゃない。
雪子と娘との年齢差の方が近い、孫の長女は当初、雪子の存在が理解出来なかったようだが、今では来れば雪ちゃん雪ちゃんと抱き着いてくる。
雪子も可愛くて仕方がないようだ。
「ハハッそうだったね、満員電車も懐かしくなるってことかぁ」
定年まではまだ2~3年はあるが、定年になれば実際満員電車には乗らなくなるだろう。
「西谷駅から新横浜経由で東横線に乗り入れるなんて話しも有るし、そうなれば便利になるよね。」
初めて聞いたのか、雪子が驚いた声を出した。
「へぇ~そんな話しが有るの?だったら渋谷にも乗り換えなしで行けるのね、それにもしかしたら座っていけるかも、それだったら相鉄を使おうかなぁ。」
「うん、都内組の雪子にもいいかも?帰りは座れそうにないけどね。
僕も武蔵小杉経由で川崎って手もあるし、実際その方が速そうだよ、東海道線の混雑も免れるしね。それに新横浜経由なら新幹線に乗るのも便利になるよ。」
新幹線に乗るときも雪子は町田経由で邦夫は横浜経由だ、二人で行くときだけ、定期券が使える邦夫に合わせて横浜経由になる。
雪子は、「そうそう」と相槌を打ちながら、
「新幹線と云えば相模線の倉見駅に新幹線の駅が出来るなんて話しも随分前から聞いているけど・・・どうなの?」
「さぁ、詳しくは分からんけど、本当に出来たら更に便利になるね。」
お茶をすすりながら「うんうん」と答える。
平塚市との誘致合戦の末、寒川町の相模線に乗り継ぎができる倉見駅になったと聞いたことがあるが、実際いつになるのかわからない。
「海老名もどんどん発展していくのね、もしかして土地の値段も上がっていく?」
雪子が思いついたように云う。
「大型ショッピングセンターも出来たし、映画館のスクリーン数だってかなりあるからね。」
「それが一番助かるわ。最近は映画三昧だもんね。」
「圏央道も開通したし、新東名も門沢橋で繋がるしね。すごい勢いで充実してきているからね。本当に倉見に新幹線の駅が出来れば今は単線の相模線も複線になるだろうし、湘南台で止まっている相鉄も倉見まで伸びて来る可能性はあるね。
陸の孤島なんて言われている御所見(用田)あたりにも新駅が出来そうだし、便利になってくるのよ。」
「へぇー、藤沢の奥座敷なんて言われている御所見に駅がねぇ。それは凄いことになりそう。」
「インフラが整ってくれば少子化や人口減少と云っても増えるところは増えるだろうし、
人口が増えれば土地の値段は必然的に上がっていくだろうからね。」
「そうなの!だったらこの家も高く売れるの?老後はこの家を売って田舎にでも行きましょう?」
雪子の目が輝いて来た。
「それも手だね、海老名からバスとは言え歩ける距離だし、閑静な住宅地だからね。高く売れるかどうかは分からないけど、買ったときくらいで売れるといいね。」
邦夫が家を建てたときはまだ手の届く範疇だった。
ローンも減って来たし価値が上がっている実感はある。
「人が増えて便利になるのもいいけど、我々には必要ないかも、だんだん騒がしくなるのもイヤだしね、田舎に帰ってのんびりするかぁ?」
雪子の故郷は高知県だ、東京生まれで親も東京生まれの邦夫には田舎が無い、子供のころは夏休みになると友達が皆帰省して誰も居なくなると云う淋しい思いをした経験がある、田舎のある友人が羨ましかった。
地方で暮らすことに憧れさえ抱く邦夫にとって高知県は条件なしに気に入っているところだ。
何といっても「空が高い」これは初めて高知に行った時からの印象だ。
遠い昔には「島流し」のように遠国に左遷された場所でもある、遠く都からも地形的に隔離された独特な文化があるような土地だ。
性格は明るく昔から「竹を割ったような性分」と言われる。
男は「イゴッソ」(頑固者)女は「ハチキン」(お転婆)と言われるようだ。
飲み屋に行けば『返杯』の習慣で誰とでもすぐに友達になれる。
『返杯』とは自分のお酒を相手のコップに注いでやり相手が飲み干すと、今度は相手のお酒を注いでもらい自分が飲み干すという単純な儀式だが、これで知らない人同士はその場で友達になる、実に便利で煩わしさのない習慣だ、これも酒豪の国ならではの習慣かもしれない。

今は孫達が田舎へ行くと言って我が家にやってくる。
そんなに田舎ではないと思うが、三つの川が合流する大きな三川公園やポニーに乗れる総合運動公園などがあり孫達にとっては非日常なのかも知れない。
お正月の凧揚げも自由に出来る、凧を揚げられない若いお父さん達が多い中、邦夫は年齢的に余裕な世代だ。
凧を持って走り回っている子供を見るが、そんな必要はない、風の向きを見てから、凧を手元に持って風を待つ、少しでも凧に風が当たれば凧を風に乗せるように手元の糸を緩めて
スルスルと上げていく、あとは自然任せだ。
もっとも今の凧は上げやすく出来ているが、糸が短いのが残念だ。
あまり上がらないと子供も嫌になって凧あげそのものが廃れてしまうんではないかと心配になる。

いつも通りに海老名始発の急行横浜行に乗り込み座席の確保に成功、一通り落ち着くと同乗の人達は各々携帯電話を取り出して何やら操作を始める。
本を読み始める人はまれで寝に入る人も少ない。
座っている7席中7人が一斉に始める、実に見事だ。
座れなかった人達ももれなく携帯電話をいじりだす。
皆、一生懸命に携帯電話をいじる。
これはなんという現象なんだろう。
アナログ世代の邦夫には不思議な光景だ。
しかし、良く見ると邦夫と同世代と思われる人もご多分に漏れず携帯電話に夢中だ、邦夫は自分の地代遅れに気が付かざるを得ない。
やっぱり田舎向きかな?などと思いつつおもむろにカバンから本を取り出して威厳を込めて読み出すが、どうも落ち着かない。
邦夫はまだ「恥を知れ」の世代の名残りの人間だ、周囲に気を配り、プライドを維持して見せる、つまらん事かも知れないが、良い大人を演出して良い市民たるべく振舞う事を心掛けている。
多分に古い考え方なんだろうが、土佐で言う「イゴッソ」たろうとする。
多少意地を張ってでも、かろうじてつま先立ちしながらつっぱっている。
雪子に携帯の話しをすると「携帯?あぁ、スマホね。」と笑われた。

携帯電話と云えば、雪子とメールのやりとりをしていたら、突如ライトが点いた、どうやっても消せない、結構な光量で電池の消耗が気になるくらいだ。
いろいろいじったが消し方が分からない、仕方がないので隣の席に座っていた高校生と思われる友達連れの女の子に、
「これってどうやったら消せるの?」
と聞いてみた。
「あっ、これね。」と言って、あっさり消してくれたが、見ていたはずなのにもうやり方が分からない、また点いたら多分自分では消せない。
便利だが結構不便だ。
女の子は邦夫の携帯電話を持とうとしない、指先のみで画面をいじって直してくれた。
携帯電話を手に取る事に抵抗があるようだ。
「僕はそんなに汚くない」と自分では思っているが、警戒しているような姿勢にちょっと引いた。
抗菌抗菌と言われて育った世代だから仕方がない、電車の吊皮にも抗菌って書いてある時代だが、オジサンはみんな汚いと思われていたら悲しいことだ、第一お父さんが可哀そうだ。
小さいころからチクロ入りの駄菓子を食べて大きくなったが、もしそれで死んでも
「これで死ぬ奴は生き残る事が出来ない。」
などと言う周辺の大人達に教育され一種の自然淘汰だと考えていた。
ずいぶん雑な時代に育ったのかも知れない。

休日の夕方、邦夫達は食事の支度の前に夫婦の会話の時間を持っている。
以前、なんの話しをしていたときか忘れたが、雪子が話を振ってきた。
「相鉄のボックスシートってあれ何?笑っちゃったわ。通勤電車に要るの?第一邪魔じゃないの?」
雪子にはかなり不思議なようだ。
「そうだね、東海道線にもあるけど移動距離が違うからね、なんであの短い距離の相鉄に付いているんだろうね、知らない人と向かい合うって言うのもね、僕はちょっと敬遠しちゃうよ。
僕は小さい方だからいいけど、今は結構大きい人が多いからね、みんな窮屈そうだよ。」
気になって座席数を数えてみたらボックスシートにすると確かに一座席多くなることを発見した、相鉄は一列7人掛けだから、ボックスシートに4人座って左右に2人づつ座れば8人になる、一車両で6ボックスあれば6人多く座れることになる。
「座れる人が少しでも多くなるように工夫してるんじゃないかな。」
「ボックスシートって昔は楽しかったね、旅行してるって感じだったね。お弁当食べたりお茶を飲んだり、おしゃべりもしやすかったよね。高知ではJRのことを汽車って呼んで、路面電車はそのまま電車。あまり汽車に
は乗らなかったけど汽車に乗ると言われるとワクワクしたわ。」
誰でも対面式ボックスシートの思い出はあると思う。
「そうそう、僕も小学校の日光へ行く修学旅行は黄色い専用列車でボックスシートだったよ、懐かしいねぇ。」
ところでさぁと前置きして
「長年相鉄に乗っていて、いつも不思議に思うことがあるんだよ。」
邦夫はいかにも不思議そうな真顔で雪子に話しかけた。
「不思議って?お化けでも出るの?」
「いや、お化けの方がまだ分かり易いんだけど。」
雪子が急に真面目な顔をして言う。
「お化けの方が分かり易いなんて、お化けが聞いたら怒られるよ。」
邦夫は一瞬、ムッとして
「だいたい、お化けなんて居る訳がないよ!」と語気を強めた。
「居るに決まっているでしょう!」
どうしたのかいつになく雪子が興奮して言う。
「だって怖いもん!」
少しトーンが落ちたがやはり怖がっている。
「そりゃ気持ち悪いけど、怖がるように人が作ったもんだからね。実際には居ないよ。」
「絶対居るもん。」
本当に怖がっているようだ。
「じゃぁ見たことある?」
雪子はちょっとためらったが、
「そりゃ見たことないけど絶対居るよ!なんで居ないって言うの?」
ほらね、と言わんばかりに邦夫が答えた。
「そうだね、例えばゲジゲジとかゴキブリとか居るだろう。」
「やだ!大嫌い!」
あのグロテスクな姿を想像しているのだろう、かなり嫌いというか怖がっているようだ。
「イヤだよね、でも彼らも自然の中では居なくちゃならない大切な生き物なんだよ。
生きているってことは必要だからなんだけど、お化けはどうかな?居なくてもせいぜいお化け屋敷の人が困るくらいで誰にも影響しないだろう?そんなもの初めから居やしないさ。」
邦夫は得意の持論を持ち出した。
「理屈ばかり言って!でも居るよ!」
邦夫はちょっとあきれたように
「まあ、そう思う人の心の中には居るかもね。」
「えっ、私の中にいるの?」
びっくりして体を触りだす雪子、
「かもよ、お化けも信じてくれる人にしか拠り所がないじゃん、お化けに感謝されているかもよ。」
邦夫は体をよじってお化けを絞り出すような雪子の仕草を面白そうに見ていたが、自分は結構幸福者なんだなぁと思った。

「そうそう、お化けじゃないんだよ。」
邦夫は話しを戻すように話し続けた。
「相鉄って名前なんだけど、相模鉄道だろう、でも相模原市には少しも入っていないじゃん?」
「なんだ、そんなこと?」
「いや、名前のルーツは大事だよ、ここは確かに相模の国、でもほんの一部で相模原には走っていない?」
「確かにそうね。」
「小田急線だって小田原急行だろう、だから小田急じゃん、相模線だって海老名急行で海老急でも良かっただろうにって思うんだよね。」
急におかしくなったのか、さっきの深刻な雪子の顔が崩れた。
「海老急!面白い!相鉄より良いかも、もし社名変更とかになったら、海老急応援するわ。」
雪子のはしゃぎようにちょっと引いたが、これも気になっていたので調べてみた。
もともと茅ケ崎から橋本を走る路線を相模鉄道と呼んでいて相模の国を真っ二つに縦断していた、それとは別に海老名横浜間は神中鉄道として開業した、途中で両社は合併して名称を相模鉄道にした。戦中、東海道線と中央線を結ぶ茅ケ崎橋本を走る区間を国が重視して接収した、これがJR相模線で残された海老名横浜間が名前を引き継いで相模鉄道となった。
なかなか歴史を感じる重要な事柄の中での誕生だったのだ、これでは海老急は誕生しないだろう。

「さあ行くよ!」
雪子に呼ばれて玄関に行く。
運動靴を履いてちょっとウキウキ気分の雪子の後に続いて家を出る。
近くの東名高速道路の海老名サービスエリヤまでちょうどよい散歩コースだ、最近地元にも開放されてコンビニの入り口のようにウエルカムで駐車場まで用意されている。
昔は従業員用の通路を通って中に入っていたがちょっと気が引けていた。
お土産を忘れても大丈夫だし、売店や飲食店なども楽しい。
「ねえねえ、あの二人ちょっと変じゃない?。」
様々な車が立ち寄るサービスエリヤ、人間ウォッチングには最適だ。
テラスでコーヒーを飲みながら、二人で出入りの車を観察しては、いろいろ想像して楽しんでいる。
いかにも不倫カップルに見えると言いたげに雪子は小声で話しかけてくる。
こっちも不倫カップルと思われているかもしれないのに。
観光バスがやって来ると急に騒がしくなる、
大賑わいの後は潮が引いたように静かになりまた次のバスがやって来る、一日中こんな様子なんだろうと思うと海老名の名前もかなり浸透しているだろうと思う。
自衛隊の車両も時々寄ってくる、制服姿の若い兵士も一時の休息に笑顔だ。
東名高速も混むのは大和トンネル辺りから先が多く、厚木インターで圏央道に離れる海老名は大きな渋滞の巻き込まれることもなく帰って来れる。
遠出の多い邦夫達には便利な場所だ。

「なんだかんだ言っても、海老名も結構いいじゃない?」
「住めば都っていうけど、都になるように努力しないといけないね。」
高知の田舎に帰る話しは当分先になりそうだ。

今日も夕日がキレイだ、大山の輪郭がはっきり明暗を分けオレンジの空にドッシリと黒い富士山が座っている、明日への希望が湧いてくるような景色に二人でしばし見入っていると、ささやかな幸福の日々に感謝が湧いてくる、
「さぁ、明日もしっかり頑張ろう。」
邦夫の声に雪子が頷く。

著者

本州 弘