「溢れる車窓」蓼原幹夫

 十一月初めの、よく晴れた日曜日の午後、名木勝志は保土ヶ谷駅から横須賀線の電車に乗り、隣の横浜駅で降りて、相鉄線の改札口に通じる南口通路を足早に歩いた。海老名の大型商業施設に入ったコーヒー店で、曽宮幸一と会う約束があった。待ち合わせ時間は午後二時だった。
 曽宮は三年前まで、厚木市にある水道管やバルブを作る工場に勤めていた。名木と知り合ったのはさらに六年前、五十五歳になった彼が突然、営業課から厚生課に転属を命じられ、購買会の店長を任された時に遡る。購買会とは会社直営のコンビニで、工場で使う作業着からおにぎりやパン、菓子類、さらに文具、日用品まで扱う。名木は彼が会社に出す報告書や企画書を作成するのを手伝った。曽宮が箇条書きにメモしてきた内容を名木が文章にまとめて口述し、曽宮が書き取った。曽宮が書いたものを名木が添削する場合もあった。
 二人の共同作業は、毎週日曜日の朝十時から十二時まで、海老名の同じコーヒー店で行われた。終わると毎回、一緒に適当なレストランを探し、昼食を食べた。厚木に住む曽宮は車で川を渡ってきた。名木は横浜から海老名まで相鉄線を使った。当時はボディがメロングリーンのきれいな車両が走っていた。
 曽宮よりちょうど一回り年下の名木は私立高校の非常勤講師だったが、その手当てだけでは生活できず、家庭教師をして糊口を凌いでいた。横浜駅東口にある大手スーパーの掲示板に、生徒募集のポスターを貼らせてもらった際、専門の国語のほか、比較的得意とする英語と世界史が教えられ、論文指導もできると記しておいた。最後の項目が、横浜に買い物に出てたまたまスーパーに立ち寄った曽宮の目に止まったのだった。名木の個人指導は社内報に載せる曽宮の退職の辞の代筆で終わった。
 二週間前の日曜日の午後、突然、曽宮から名木に電話があった。自宅を売却して故郷の信州飯田に介護付きマンションを購入、夫婦揃って入所するから、お別れにもう一度会いたいと言うのだった。
 JR横浜駅の南口通路は東口方面に真っ直ぐ進むと横浜市営地下鉄ブルーラインの乗り場に達するが、名木は通路の真ん中にあるエスカレーターを上った。左手に相鉄線の一階改札口が見えた。右手は相鉄ジョイナスというショッピングセンターの入口で、沢山の人が行き交っていた。若い人や家族連れが目立った。
 名木はずらりと並ぶ自動改札機の一つにカードを当てて駅の構内に入った。電車はさらに上の二階から発着する。階段が四つあり、一番左が各駅停車用の一番線に達し、その右が降車専用で立ち入り禁止を示す赤い記号の付いたプレートが見えた。その右側に発車時刻と列車種別、行先が表示されたLED仕様の電光掲示板があり、名木は三番線から特急海老名行きが十三時三十分に発車するのを確認した。
 電光掲示板の右にある階段は、優等列車が停まる二、三番線に通じる。一番左側の階段は降車専用で立ち入ることができなかった。
 名木は《特急・急行・快速》と大きく書かれた階段を上り、二番線・三番線ホームに辿り着いた。左が二番線、右が三番線だった。名木が二階に出た場所はホームの途中、先頭から六番目つまり六両目辺りに当たった。相鉄ジョイナスに直接繋がる二階改札口は背後にあった。
 周囲を見回すと、あちこちに天井から相鉄百周年を記念する垂れ幕がぶら下がっている。二種類あり、一つは青地に白抜き文字で《SОTETSU、100th》と書かれたシンプルなもの、もう一つは黄色地に相鉄キャラクターの猫《そうニャン》が青い電車に乗って、左手に一つ目の垂れ幕と同じ図柄の旗を持っているというものだった。振り返ると、二階の改札口には大きな垂れ幕が四枚見え、右から青地のもの、黄色地のもの、青地のもの、黄色地のものという具合に二つの図柄の垂れ幕が配置されている。二・三番線ホームと左側の降車ホームの上には二種類の小さな垂れ幕が一番後ろの車両から三両目まで、三両分のホーム上の天井に十枚ずつ交互に吊り下げられており、運動会に来たような賑やかさだった。
 左右に列車が止まっていた。横浜駅構内の線路は全部で三本、ホームは五つだった。列車の両側にホームが設けられ、そのうち左から二番目と一番右のホームは降車専用とされていた。名木が先ほど一階の階段の入口で立ち入り禁止記号の表示を見たホームだった。
 右の線路に濃紺の電車が停まっていた。九〇〇〇系のリニューアル車だった。車両の真ん中上部、広い窓の上に、LEDの行先表示が光り、《特急・海老名》と読める。名木の乗る電車だったので、彼は嬉しくなった。
 名木が毎日保土ヶ谷駅から横須賀線に乗るとまもなく左手に相鉄線の線路が現れ、横浜駅まで並走する。途中に西横浜、平沼橋という小駅まで見える。この線路をたまに青い車両が堂々と走った。終点が近くスピードを落としていたが、大きく見え立派だった。
 これが九〇〇〇系リニューアル車で、相鉄一〇〇周年記念事業の一環として従来の九〇〇〇系の内部と外部が大幅に改装された。前年の四月に運行されたが、そのひと月前の三月十日、ヨコハマブルーと謳われた新車両が新制服とともにお披露目され、体験乗車会と撮影会が行われた。地元テレビ局のニュースでも取り扱われ、名木は一度乗ってみたいと思っていた。
 曽宮と会わなくなってからも、相鉄線には、星川にある区役所と図書館や二俣川にある運転免許センターのほか、三ツ境に住む弟夫妻のアパートを訪れる時に乗るが、編成数が少ないこの車両にぶつかった試しがない。念願かなって、名木は小学生のように心躍らせて青い車体を眺めながら前方に移動した。
 左の二番線にはアルミ合金製の八〇〇〇系車両が停まった。上部に青、下部に黄色の細いストライプが入っている。大勢の乗客が降車ホームに流れ、アッという間に車内が空になったかと思うと、二番線側の車両ドアとホームドアがほぼ同時に開いた。特急海老名行きの二分後に発車する快速湘南台行きとなる。名木が立ち止って前方を見ると、左右の電車が長大な十両編成で、車両が大きいので、ホームが狭く感じるほど壮観だった。
 名木は前から三両目の八号車にボックス席を見つけ、珍しいので迷わず乗り込んだ。発車時刻までまだ間があるので、車内には数名の乗客しか見当たらなかった。ボックス席は車両の三カ所、通路を隔てて左右に儲けられ、一車両に六つある。五号車にも同数あり、一編成で十二である。白が基調の車内は、吊革と床、それにドアの左右にある二人掛け座席が灰色なので、落ち着いた雰囲気だった。ボックス席だけ車体と同じ濃紺で、明るい車内によく映えた。名木は車両の真ん中の左側にあるボックス席の窓側に腰を下ろした。
 座席はクッションが効いていて坐り心地がよかった。名木はスコットランドのミュアヘッド社製の本革が使用されていると、どこかに書かれていたのを思い出した。インターネットで車両の成り立ちと仕様を調べた時かもしれない。背もたれの通路側の上部がボックスを包み込むように内側に曲がっていて仕切の役目を果たし、閉じられた感覚をもった。巣の中に入ったように安心し、居心地がよかった。
 発車時刻が近づくにつれて車内に乗客が増え、ドアの近くの二人掛け座席から埋まった。やがて名木のはす向かいにも白髪混じりの短髪をオールバックにした初老の男性が腰を下ろした。グレーのチノパンに焦げ茶色のチェックのシャツを着て、濃紺のジャンパーを羽織っている。膝の上に小さな革の肩掛けカバンが見えた。
 彼はスマートフォンを取り出さなかった。名木もデイパックを膝の上に置いたままで、携帯機器の画面を見る気にならない。手持ち無沙汰だったので、左の窓の方に顔を向け、隣のホームを眺めた。海老名行き各駅停車が停まっていた。十両編成の一〇〇〇〇系ステンレスカーだった。
 男の色黒でギョロ目な特徴に、名木はどこかで見たような顔だと思い、彼の方に時々目を向けた。男の方も名木に見覚えがあるのか、見られているのに反応しているだけなのか、ちらちらと名木を見た。
 男は四、五年前に廃業した地元の和風スナック《笠船》の常連客「まっちゃん」ではないかと名木は疑った。いつも背広姿で髪は黒々としていたが、背広をジャンパーに着替えさせ、髪を白くすれば、彼の容貌とほとんど違いがない。本名は思い出さなかった。「松本」だったか「松井」だったか、「松下」だったかもしれない。
 「まっちゃん」も曽宮と同じく名木より一回り年上で、当時大手予備校に勤めていた。教師でなく事務員だった。「チイちゃん」と慕われたママ、上大岡千津が八十歳になったのを機に《笠舟》を閉めた。常連客たちは《笠船》難民と呼ばれ、それぞれ思い思いの飲屋に散らばった。名木は、《笠舟》が閉店して以来「まっちゃん」に会わなくなった。
 二人は何度も視線のやり取りをしていたが、名木がじれて先に口を開いた。
 「失礼ですが、まっちゃんですか?」
 「やっぱり名木ちゃんだったか。」
男は肩の力を抜き、顔を一気にほころばせた。名木は彼が松本宏という名前だったのを思い出した。
 「しばらくでした。思ってもみないところでお会いして驚きました。お元気そうですね。」
名木が目を丸くして見せると松本も同意し、
 「名木ちゃんも相変わらず大きいね。俺なんか横へ出っ張ってきたけど、痩せたんじゃない?スタイルいいねえ。今からおじさんモデルでもやれば。今、どこで飲んでるんだい?」
松本が以前と変わらぬ口調で戯言を言ったので、名木は苦笑しながら、
 「《笠舟》の二軒隣にある小料理屋《りょうた》ですよ。中畑さんや佐倉さんも来ています。」
と答えた。そして「まっちゃんは?」と尋ねた。
 「俺、《りょうた》は気取ってるから嫌なんだよ。経木に書いた、手書きの日替わりメニューに値段が書いてないしな。今は横浜東口で飲んでる。相鉄ムービルって映画館あるだろ。あの近くさ。」
松本は店の名前を言わなかったが、名木は尋ねずに頷いた。すると松本が、
 「今日はこれからどこへ行くんだい?」
と余り興味なさそうに聞いた。名木は、
 「海老名で知り合いに会うんです。」
とだけ答え、詳細は言わなかった。そして再び「まっちゃんは?」と聞き返した。
 「弥生台にある総合病院に、予備校の同僚の見舞いに行くんだよ。俺はあと二年で六十五歳になって学校辞めなければならないけど、そいつは十くらい下だから、名木ちゃんと同じくらいじゃないかな。自宅で脚立から落ちて腰の骨を折ってね。救急車で運ばれたんだ。リハビリすれば完治するらしいけど四カ月もかかるらしい。一番元気な奴だったけど、何が起こるか分からないから恐いよなあ。」
松本は眉間に皺を寄せたが、少しも深刻そうに見えないのは、怪我人に命の別条がなく、治る見込みがあるからだろう。
 「弥生台はいずみ野線ですね。二俣川で乗り換えですか。それなら、向うの二番線に停まっている快速湘南台行きに乗った方がいいですよ。直通ですし、弥生台も停まりますから。」
名木は右手で向いのホームに見える電車を指差した。すると二人の乗った電車の発車を知らせるテープのアナウンスがあり、三番線ホームにトゥルルという高い音のベルが鳴った。一つのホームを共有している二番線の発車ベルはプーという音なので、乗客はどちらの電車が発車するかが見分けられた。松本は腰を浮かせかけたが思い留まって口を開いた。
 「そうなの。いいよ、いいよ。名木ちゃんに久し振りに会ったから、これに乗ってくよ。別々に行くのも変だからなあ。」
松本がそう言っているうちにホームドアとともに電車のドアも静かに閉まった。名木はこのまま特急に乗って二俣川で降りても、連絡するのは各駅停車の海老名行きなので、弥生台に行くには結局向いの快速に乗らなければならないのを知っていたが、松本には敢えて指摘しなかった。二人の座るボックス席には他の乗客は座らなかった。
 プシューという空気が抜ける音がしたかと思うと、電車がモーター音を上げて動き始めた。加速が強く、あっという間にホームが後ろに消えた。濃紺の車両が晩秋の少し黄色がかった太陽の光をいっぱいに浴びた。
 「この電車は明るいなあ。」
松本が車内を眩しそうに見回した。名木は少し大げさな仕草だと思ったが、何も言わずに頷き、続けて口を開いた。
 「日が沈むと照明の色合いが変わるみたいですよ。調光機能付き照明と言うんですって。」
それもたぶんインターネットで調べた情報だったのだろうが、名木は情報の出所を説明しなかった。
 「へえ。凝ってるんだなあ。」
松本は唸り声を上げ、天井を見上げた。
 左に横須賀線と東海道線の線路が見え、ちょうど車体に青いストライプが入った横須賀線の上り電車が行き交った。十五分前には名木が向こうからこちらを眺めた。一本遅れれば、行き過ぎた車両に乗っていて、また羨望の的で今自分が乗るネイビーブルーの車体を見るところだったと思うと、名木は奇妙な感じを受けた。
 電車はグンと加速した後、スピードを上げなかった。右側に平沼橋の狭い島式ホームが見え、側線が何本も広がった。ヘッドの貫通ドア部分が赤い、最も古い七〇〇〇系の車両が一台停まっていた。西横浜を過ぎ、右にセメント工場の太い斜行パイプが見えると、電車は右にカーブして、JRの線路と分かれ、左に巨大マンションが現れた。マンションの反対側を横須賀線が通っており、名木はいつも建物の別の面を見ているのだった。
 帷子川を渡る頃、線路は高架となる。右下に護岸のためのコンクリートで覆われた川を見下ろしながら電車は進んだ。左右に高層住宅が点在する中、天王町駅を、スピードを落とさず通過した。名木と同様、しばらく車窓を黙って眺めていた松本が口を開いた。
「一か月くらい前、カミさんと二人で、この辺を通ったことがあるよ。俺の住んでる樹源寺の近くから、旧東海道を通って、神奈川まで歩こうというんだ。一度トライしたかったんだけど、先延ばしにして、ようやく重い腰を上げたんだ。」
名木は「ホウ。」と興味を示した。彼も昔保土ヶ谷宿と言われた場所に住み、各地に本陣跡など史跡を示す看板を目にし、説明文を熱心に読んだりしていた。
 「僕もいつか旧東海道を辿ってみたいと思っていました。どうでしたか。神奈川宿までは、かなり遠いんじゃないですか。」
名木は身を乗り出して尋ねた。
 「うちから保土ヶ谷駅まで旧東海道を歩いてニ十分以上かかるからね。保土ヶ谷駅から天王町駅まで、今は広い県道になって真っ直ぐだけど十五分の距離だね。天王町の駅からは県道と平行に走ってる狭い通りになるんだけど、京浜急行の神奈川駅までは一時間以上だね。」
名木は頭の中で地図を描きながら松本の話を聞き、「へえ。」と感心した。
 「でも、天王町駅から十分くらいの所に洪福寺松原商店街があるんだけど、その中の中華料理屋でお昼を食べて、餃子に生ビールを飲んだら、いい気分になって、カミさんも疲れたって言うから、ここから先はまたの機会にしようと言い合って、天王町駅まで戻って相鉄に乗って横浜回りで帰って来ちゃったんだよ。」
松本は悪びれずに真相を打ち明けた。名木は一方的に興味を殺がれたので、「何だ。」と心の中で呟いたが、酒飲みの性向は理解できたので、散策を途中で放擲した行為には触れず、
 「洪福寺松原商店街はハマのアメ横と言われて有名ですけど、僕、行ったことないんです。大きいんですか?」
と聞いてみた。実際、名木は天王町駅を何度か使ったが、駅から少し離れた洪福寺松原商店街も天王町商店街も行った試しがなかった。松本は思わぬ質問を受けて戸惑った様子を示したが、少し間をおいて答えた。
 「俺も初めて行ったよ。思ったより大きくて、賑やかだったよ。休日だったからかもしれないけど、通りは人で溢れてた。魚も安いけど、コロッケなんかの総菜屋が多かったな。」
名木はまた「ホウ。」と感心し、
「今度、僕も行ってみますよ。」
と付け加えた。
 名木は松本とおしゃべりをしている間も、左右の車窓を眺めるのを怠らなかった。電車は住宅やアパートの軒をかすめるようにして進み、駅を次々ととばして行った。駅名は識別できなかったが、頭上で踏切解消のための連続立体交差の工事をしていたのが星川で、次が和田町、その次が上星川だった。一軒家の庭木や集合住宅の中庭の並木に紅葉が目立った。
 長い直線区間が終わり、S字カーブが始まると、電車はスピードを緩め、ゆっくりと進んだ。駅名票がようやく読め、西谷駅だった。上を東海道新幹線の高架橋が交差した。ホームと反対の左側にコンクリートの路盤が見え、駅の周囲のあちこちで工事が行われていた。松本も気が付いて口を開いた。
 「東急東横線との連絡線を作ってるんだね。再来年の開通だったな。新横浜を通るから新幹線に乗れるし、日吉につながって、都心に直接行けるから便利になるなあ。」
松本は自分が相鉄線を使っているかのような口ぶりだった。
 「来年には同じトンネルを使って、東海道貨物線を経由して鶴見に出て、東海道線とつながります。一大ネットワークができますから楽しみです。僕は賃貸マンション住まいだから、相鉄沿線に引っ越してもいいと思いますよ。」
名木は特優賃の補助を受けているから、家賃が年々上がっていく。数年以内に許容範囲の上限を越え、住まいを移らなければならなかった。引っ越しは現実味を帯びていた。
 「東海道線への乗り入れの方が早いんだね。確かに凄い連絡網だな。」
松本はまた大げさに頷き、腕を組んで何か考える素振りを見せたが、何も言わなかった。
 突然、外で踏切の警報音が鳴り、交互に点滅する赤い灯が視界に入った。道路は車で渋滞していた。すぐにホームが現れた。横浜市旭区の区役所がある鶴ヶ峰駅だった。先ほど駅舎に接して建てられた高層ビルが一瞬垣間見えた。ホームが後方に消えると、列車は急にスピードを上げ、モーターの音がうなるように大きくなった。直線の緩い上り勾配が続いた。加速はすぐ収まり、エンジン音も静かになった。
 沿線には住宅の間に少し畑が見られるようになった。何を作っているのか、収穫は終わり茶色い地肌がむき出しだった。駅間距離がこれまでの倍ほどあったが、ほどなく車内アナウンスとともに電車は減速し、二俣川駅の広い構内に滑り込んだ。松本が乗り換える、いずみの線の分岐点で、二面四線のホームが設けられていた。
 「早いなあ。十一分で着くのか。またどこかでお会いしましょう。お元気で。」
松本はそう言い残して立ち上がり、ドアの前に立った。ちょうど開いたドアからホームに降り、名木の方を二度と振り返らなかった。
名木が「まっちゃんもお元気で。」と後ろから声を掛けたが、聞こえたかどうかも分からなかった。
 多くの乗客が入れ替わったが、乗って来る方が多かった。向かいのホームに八〇〇〇系の海老名行き普通電車が停まっていた。この電車に途中駅から乗り、特急に乗り換える乗客が多いのだろう。名木のはす向かいに二十歳前半の若い女性が座った。髪を茶色に染め、黄色いブラウスに臙脂のベストを羽織り、白いフレアスカートを穿いていた。彼女はすぐに肩掛けポーチからスマートフォンを取り出し、いじり始めた。ボックス席は二人だけだった。
 名木はホームに松本の姿を探したが見つからなかった。彼はどこかに佇み、あるいは空いたベンチに腰掛けて、数分後に到着する快速湘南台行きを待つのだろう。
 名木は何年か前の一月、いずみ中央駅の近くにあるマンションで、現役受験生に世界史を教えたのを思い出した。二俣川からいずみ野線に乗って五つ目の駅である。眼鏡をかけた小太りで小柄なおとなしい男の子だった。もともと歴史が嫌いな生徒ではなかったが、歴史事項の前後関係や大まかな流れの理解に混乱を生じていた。水曜日の夜と土曜日の午後の週二回、合計八回の特訓で、名木は彼の頭の中を整理してやった。その甲斐あり、彼は第一志望の都内にある二流私大に合格した。
 いずみ野線は線路も駅も新しく、長いトンネルや切通しの中と高架橋の上を電車が通り、踏切が一つもなかった。南万騎が原や緑園都市には丘陵を開発したニュータウンが広がり、松本が降りる弥生台にも、駅から少し離れたところに西が岡という高級住宅地があった。
 丘陵の中に作られた駅、いずみ野を過ぎると高架の線路は左に大きくカーブしておよそ九十度方向を変えた。眼下を眺めると畑の中に工場が点在した。そして電車は高架上に作られた、いずみ中央駅に到着した。横浜市泉区役所の最寄り駅だった。
 名木は家庭教師の帰りに何度か終点の湘南台まで行き、そこから小田急に乗って藤沢回りで自宅に帰ったことがあった。湘南台は地下駅で、途中にゆめが丘という平成十一年開業の、相鉄で一番新しい高架駅があった。
 特急海老名行き電車は二俣川を定刻に発車した。名木は連れがいなくなり、落ち着いて窓の景色を眺めることができた。電車は引き続き平地を走り、大小の踏切を通過した。バーの前に車が止まり、時には立ち止まる人や自転車を降りた人の顔が見分けられた。希望ヶ丘を過ぎると、線路が右へ左へと曲がり、上り勾配が続く。またモーターが音を上げてうなり始めた。
 三ツ境は橋上駅で、駅舎の隣に大型ショッピングセンター《三ツ境ライフ》がある。弟夫妻は駅から十分ほどのところに建つアパートに、十歳になる女の子と三人で暮らす。瀬谷区役所に近い、閑静な住宅地だった。名木に馴染みの深い三ツ境駅は乗降客が多い駅だが、特急は停まらなかった。
 線路は下り勾配となり、直線区間が続いた。電車は一段とスピードを上げた。左右には相変わらず住宅が広がるが、畑が所々に残っている。瀬谷は二面四線の広い構内をもつ駅だったが、ここにも特急は停車しない。やがて眼下に畑や川が広がり、絵に描いたような農村風景が現れた。しかし、電車は突然真っ暗なトンネルに入り、しばらく進むと大和駅の地下ホームに滑り込んだ。
 大勢の人が降り、乗って来た。ここでも乗る人の方が多かった。ユニフォームを着た、試合帰りのサッカー少年たちが五、六人、ドアの近くに立った。それぞれがエナメルのスポーツバッグを床に置いていた。名木の横にも前にも新たに座る者はいなかった。はす向かいの女の子は大和で降りず、相変わらずスマートフォンの画面を熱心に見ていた。
 電車はすぐに動き出し、地下区間を、速度を上げて上った。地上に出た途端、両側に聳える緑の低い山が、名木の目に飛び込んだ。短いトンネルに入ってすぐ抜け、左に何かの工場が見えた。線路は東名高速道路の上を横断した。乗用車やトラックが物凄いスピードで近づき、遠ざかった。
 相模大塚には何本かの留置線があった。電車は高い場所を走っている。名木は丘の上に作られた住宅地の中にいるようだった。さらに進むと、右後方に広大な住宅地を見下ろせた。さがみ野を過ぎると右側に広い車庫があり、様々な形式の車両が停まっていた。名木は車庫のよく見える、かしわ台駅のホームにカメラを持った若者が何人かいるのを認め、微笑ましい気持ちになった。名木も鉄道写真が嫌いではなかったからだ。
 特急電車は峠を抜けたような感じで、下り勾配をゆっくり進んだ。右に厚木線が分岐し、跨線橋を通って、小田急の線路を越えるのが見える。電車は左にカーブしながらさらに下り、終点の海老名駅のホームに到着した。ホームにある時計の針は九時五十五分を指していた。右の窓から遠くに丹沢の山々の姿が一望できる。目の前には小田急海老名駅、右後方には小田急の車両基地が見下ろせた。
 名木ははす向かいに座った女の子の後について、ドアの外に出た。彼女はスマートフォンから一度も顔を上げなかった。ホームに降りても、機器を右手に持ち、画面を見続けた。
 名木は向いのホームに一一〇〇〇系の各駅停車横浜行きが停まっているのに気づいた。すっきりしたデザインで、車体は実際に大きいが、その通り大きく見えた。名木はじっくり外観や内装を見たかったが、曽宮との待ち合わせ時間の十時に五分もなかったので、改札口に向かって大股で歩いた。
 名木が大型商業施設の一階にある、待ち合わせ場所のコーヒー店に着いたのは十時一分過ぎだった。曽宮は昔から時間にルーズで、五分、十分は平気で遅れて来た。名木は文句を言わなかった。個人指導は十二時までと決めてあったので、遅れた分は延長しなかった。延長したら延長料金を請求したから、名木の損にはならなかったのである。
 案の上、広い店内を見回しても曽宮の姿は見えなかった。大手チェーン店の中でも比較的空いている店舗だった。三年前に二人の《指定席》となっていた一番奥の四人掛け席が空いていたので、名木はブレンドのSサイズを買って、手前の席に座った。
 曽宮は十時十二分に店に現れ、いつものホットミルクを買って、奥の座席に腰を下ろした。名木の正面に彼の顔があった。
 「遅れちゃってすいません。空いた駐車場を見つけるのに時間がかかったんです。」
当時と変わらぬ言い訳だったので、名木はムッとしたがこらえて、
 「しばらくです。お元気そうですね。」
とお世辞を言い、改めて曽宮の顔を見た。薄かった髪はほとんどなくなり、額に皺が増えた。小さい眼はさらに小さくなり、低い鼻はしぼんだように縮んでしまった。グレーのシャツに紺のブレザーを羽織る姿は前と変わらなかった。
 「会社を辞めてからシルバー人材センターに登録して、近所の小学校の管理人をしてるんですよ。校庭の掃除もして体を動かしてるのがいいのかもしれません。先生はどうです。痛風の方は?」
名木は曽宮が、アメリカンチェリーが痛風にいいというのをどこかで聞き付けて、大量に買ってくれたのを思い出した。
 「薬を飲み続けていますので発作は収まってます。ただ薬を止めるとだめですね。」
 「それは大変だ。お酒を控えて、お大事にしてください。」
曽宮はそう言って話題を締め括った。
 「曽宮さんが飯田に越すと寂しくなります。遠くてめったに会えないですからね。」
名木が本題に入ると、曽宮は「いやー、面目ない。」と髪のない頭に手をやってから、恥ずかしそうな顔をして話を続けた。
 「女房が急にわたしの田舎に行きたくないと言い出したんです。飯田に行くならわたしだけにして、厚木の土地家屋を売った金の半分はくれと言うんです。自分は実家のある鶴ヶ峰に中古マンションを買って住むって言いました。」
名木は餞別の一万円をのし封筒に入れるまでしてきたので、腰を折られた格好だったが、
 「それでどうするんです?」
と先を促した。
 「あの話はキャンセルしました。女房の望み通り、鶴ヶ峰に中古マンションを買って、二人で住みます。女房は五十台後半ですから介護付きマンションは早いでしょう。それまでのつなぎですよ。先生とは近くなりますので、またお会いできます。」
名木は人のいいところのある曽宮らしい結末だと思った。曽宮の将来が配だったが、これから彼に鶴ヶ峰がここ数年のうち都心と結ばれて便利になる話をしてやろうと思った。
                (了)

著者

蓼原幹夫