「瀬谷の花嫁」宇野あり紗

 まだ私が川崎市民だった頃、中学時代の幼馴染と初めて乗った相鉄線。
 通学で利用していた小田急線とは違って対面式の座席。見覚えのある席の並びに私はハッとした。滋賀にある親戚の家へと向かう電車の造りとまるで同じだったからだ。窓を背にして乗客と顔合わせをする空間がどこか窮屈に感じていた。いつもドアの前の隅で、過ぎ去る景色を流し目で睨んでいたけれど、相鉄線では赤の他人をも巻き込んでプチ旅行気分にさせる。
 たしかあれは中学生の夏。私から一目惚れしたその相手とお互いの母親と鶴ヶ峰にある動物園ズーラシアに遊びに行った時のこと。それまで人を好きになることは毎年あっても、付き合うとか告白のその先が分からなくてどうしていいか分からないまま一人でむず痒い思いをしていた。
 好きな人とのお出かけ。すごく嬉しかった。
嬉しかった、でも気持ちばかり馳せて、行動で表現出来ない不器用な自分がいた。怒ってるの?嬉しいの?緊張してるの?大丈夫?とよく母親を心配させた。これでも楽しんでいるのだと言いながら顔はまだ強張って堅かったのを今でも覚えてる。
 一目惚れしたその人と海老名で映画を観て、どうだった?って聞かれても上手く反応出来なくてどうって言われても…と口どもってしまった。楽しかった。素直な気持ちを出せばいいのに、ただあの時ニコリとも出来なくてずっと地面ばかりにらめっこしていた。さぞ可愛くないどうしようもない十代の記憶だ。
 何度かそうやってデートならぬ自称親付きデートを重ねた。楽しむより暑さと上がる脈拍に連いて行けず、彼とどう接していいか分からず終始無言のまま彼を困らせてしまったと思う。三ツ境でバーベキューをしたり、彼の家で食事や二匹のゴールデンとはしゃいで遊んだ。そうやって親の助けを借りながら、彼との親交を深めるはずだった。
 当時は人を好きになっても、きちんと顔を見て話すことが出来なかった。相手の顔を見ると、顔から火が出てしまいそうに熱くなった。はじめは恥じらいだったけれど、何故かそれが躊躇いに似た嫌気に変わっていた。帰りの夜道で車越しに一人、オレンジ色に光る高速道路の明かりを見ながらそっと涙がこぼれた。
 その頃だろうか。「楽しかったよ、ありがとう」周りは楽しい雰囲気に包まれて、ぎこちない笑顔でこちらを見ている。
 最後まで楽しめなかった自分の気持ちに矛盾さを感じ、少し遅れて私も笑顔を作る。ゆっくり、ぎこちなく、そして不器用に。多分今楽しめなかった、としっかり顔に書いているはずだ。
 自分には嘘がつけない。あなたのことは好きだった。でももう好きではない。でも嫌いでもない。
 楽しめないのに自分に嘘をついて笑顔をつくること――それが胸をえぐるほど突き刺さって息苦しかった。
 誰でもいい、自分に嘘をついてまで笑顔を作ってしまう不甲斐ない私の心を見透かすほどの両親でもない誰か。いつか私の前に現れて欲しい。いつしかそう願ってしまっていた。

 五年後の十八歳の春。当時大学生の私はドーナツ屋さんでアルバイトをしていた。仲の良い男の子の紹介で、瀬谷に住む彼と出会った。残念ながら、タイプでもない白い眼鏡をかけた彼。ムードメーカーで明るい一面が色濃く印象づいたけれど、その笑顔が本当かなんて彼の隣に座っていたイケメン君よりも虜になってしまった。
 後日すぐに食事会を開く話になり、私は幹事の権利を使って白眼鏡に幹事代理を任命した。参加メンバーの最寄り駅の関係で横浜のお店を下見することになった。ダメ元で白眼鏡に下見の同伴を依頼したら、あっさり了解してくれた。当日の昼前、駅の改札口で待ち合わせした。後になって分かった話だが、私の顔を全く覚えていなかったらしい。この日会うまではメールや電話のやり取りを重ねてはいたのだが、あまりに印象が薄かったのかと考えると悲しすぎる話だ。
 気のある相手を前にすると、無言になっていた私。好きか不明の相手と二人、下見とはいえ傍から見ればデートだ。意識しないようにしていたが、下見する店で通されたのは向かい合わせの二人席だった。まして食事する顔も見られたくないのに、もう逃げられず腹をくくる思いだった。
 何を食べ、何を語っていたかははっきりと覚えていないが、この人となら好きな物を好きだと堂々と言えるし食べれる、とどこかで自覚した。そしたらどんどん楽しくなって、この人とまたどこか出かけたいと思った。不思議だけれど、楽しむより先に好きが先走ってしまっていたんだと今までの私のありがちを振り返ることが出来た。
 こうして私と白眼鏡の彼は徐々に親交を深め半年という短い友だち関係を築きながら、
ムードメーカーで明るい性格とは裏腹に誠実で真面目な忍耐に惹かれ、恋人になった。
 歳は同い年だけど、家族構成、家庭環境、学歴がまるで違った。雨の日はゆっくり家でくつろぐタイプの彼は両親が小学生の頃に離婚し、祖母と二人で幼少時代を過ごしてきたのだという。一つ年上の姉は親戚と暮らし、父親は仕送りを渡しに月に何度か帰る程だった。学歴は高卒、その後は働きながら祖母の介護をしたそうだ。
 両親の離婚とはニュースやドラマの話だとばかり思ってきた私だったが、その時ばかりは両親に恵まれて生きてきたことを改めて感謝した。両親と離れて十年近く、彼の孤独との闘いをなんとか和らげたいと思うようになった。しかし私の想いとは真逆に彼は孤独なんて母親と別れた日を境目にこれっぽっちも感じたことはなかったと語った。彼には家族のように親しい友人たちがいて、これまで支えられてきたのだそうだ。両親に甘やかされてきた私が思うほど彼との将来は甘いものではなかった。
 私と彼が八年という月日をかけて結ばれるまで、彼とは人間として、異性として、女性として、恋人として、パートナーとしてお互いに向き合っていくことが必要だった。後にも先にも白眼鏡の彼に出会っていなければ、本気でこの人と向き合いたいなんて思わなかったと思う。ただ『誰でもいい、自分に嘘をついてまで笑顔を作ってしまう不甲斐ない私の心を見透かすほどの両親でもない誰か。いつか私の前に現れて欲しい』という希望はさすがに困難だったけれどお互いケンカは半年に一度程度、向き合う時はとことんぶつかる。男だから女だから、同い年であれ、たとえ血の繋がらない他人であったとしても。それこそがこれまでも今後も夫婦が上手くいくコツなのかも知れない。
 旦那と婚姻して一年と少しが経った。二人は今年の十一月で二十八になる。実家では火や包丁を持たせてくれなかったけれど、恋人になった頃から料理に挑戦し始めた。料理上手になりたい理想と手料理を振る舞いたい思いがあったからだ。主婦になってから、完璧を目指すことを辞めた。有難いことに旦那は家事も料理も協力的なので、分担して助かっている。
 来春には瀬谷の海軍道路の桜をゆっくり散策し、夏は白鳳庵の紫陽花を楽しんだり、秋は竹村町の新そば祭りで味覚に舌鼓を寄せ、冬には瀬谷七福神巡りに出かけたいとそう企てている。まだまだ瀬谷をはじめ相鉄線沿いで知らない名所が私を待っているのだと思うと動かざるにはいられない。一期一会を大切に、家庭の健康と幸せを守りながら私は瀬谷で生きて行く。

著者

宇野あり紗