「父と見る富士山」ラッキーわんわん

 第一章 散歩コース
 
「今日はどのコースにしようか」玄関の扉を開けながら政利は十歳を超えた雄のトイプードル『ラッキー』に語りかけた。
 相鉄の二俣川駅北口から運転免許試験場に向かって歩き、さらに中尾町バス停を過ぎると政利とポッキーが住む家がある。
 もうすぐ四月、そろそろ鶯の声が聞こえるかもしれないと思い、政利は、ラッキーを連れて中尾バス停に向かって歩き始めた。
 途中で仲良しのワンちゃん友達と会った。近所に住む真っ白い子だ。ワンちゃん同士の挨拶を交わした後、五分ほどで、目的の場所に差し掛かった。
 すると期待にたがわず、春めいた鳴き声が聞こえてきた。まだ早春のためか、練習中といった感じの若い鶯だ。政利はこの散歩道を「鶯コース」と密かに命名している。
 実は、このコースつまり、中尾町バス停付近には、鶯コース以外にも、三つのコース名を命名している。ひとつは、「お花畑コース」。町内会でバス停付近に季節の花々を植え、皆の目を楽しませてくれる。政利は草花の名前に疎く、パンジーくらいしか分からないが、ポッキーの散歩だけでなく、毎日の通勤途中に眺めている。きれいな花を絶やさない町内の方たちの温かい気持ちが、伝わってくる。
 もうひとつのコース名は「桜コース」。バス停の近くの研修センターにソメイヨシノ、八重桜などが植えられており、三月末から、四月初旬にかけて、咲き競う。実は「鶯コース」、「お花畑コース」、「桜コース」は同じ時期に重なる。
 四つ目だけは秋限定の「銀杏コース」。バス停のはす向かいに大きなイチョウの木があり、秋になると黄色く色づき、銀杏の実が、バス通りを埋める。
 成人した二人の子供が通った中尾小学校方面も散歩コースになっている。
 このコースの途中には神奈川県立公文書館があり、その敷地裏山の遊歩道が、近所のワンちゃんの人気の散歩コースになっている。ラッキーにも通っているうちに、ゴールデンレトリバーの友達ができて、会うのを楽しみにしているようである。
 このコースを、政利は「遺跡コース」と呼んでいる。公文書館の建物がどこかギリシャ神殿を思わせる造りになっていることがその由来である。ここにも桜が植えれてており、春の華やかさは「桜コース」に引けをとらない。
 こんなラッキーとのお散歩ライフも寒い冬の朝は政利にとって少し苦痛である。どのコースも木々は枯れてしまい、花も少ない。中尾町バス停付近は高い場所にあるためか、風も強く冷たい。そこで、政利はいつもとは違う方向に行ってみたくなり、今宿方面にラッキーを連れて歩き出した。
 今宿の住宅地をしばらく歩いた。裸足のラッキーが痛々しいので、「ラッキー、寒いから、もう帰ろう」と言いながら、角を曲がった。すると、その先に数十段の真っ直ぐで緩やかな階段が見えた。ラッキーは階段を見るなり、嬉しそうに、飛ぶように登り始め、一気に駆け上がってしまった。政利もラッキーに引っ張られるように階段を登り終えたが、運動不足のためか、息が上がってしまった。「ラッキー、少し待ってくれ」と言って、顔を上げると、そこは今宿地区センターの駐車場の前。思いがけなく、雪をかぶって静かに佇む富士山があった。
 向かって右側に大山があり、その後ろで一回り大きく高くそびえている。ゴッホの「タンギー爺さん」の背景に描かれている富士山の浮世絵と同じ構図だ。
 三十年近くここで生活しているが、家から数分の所で、富士山が大きくきれいに見えた事に、驚きと、少しの誇りを憶えた。政利は、この散歩コースに、六つ目のコース名「富士山コース」と名付けた。
「富士山コース」は、ラッキーにも政利にもお気に入りの散歩コースになった。冬に限らず、台風など大雨が降った翌朝は、空気が澄んでいるので、富士山がきれいに見える。
 ラッキーも今宿地区センター前の階段を楽しそうに登る。何回か通っているうちに、地区センターの近所に住むフレンチブルドックとも仲良しになった。
 政利は、富士山を見て、
 『相鉄本線の車窓から富士山は見えるのだろうか』
 という思いが頭をよぎった。
 
 第二章 相鉄本線との付き合い

 政利は、結婚を機に、二俣川に住むようになり、三十年経った。その間、勤務地は、横浜、川崎、武蔵小杉と変わったが、二俣川から横浜までの通勤経路は、三十年間相鉄本線である。
 往復の電車の中では、雑誌や、本を読むことが多く、また、長年見慣れているということもあり、車窓の風景をじっくり眺めることはほとんどない。そのため、富士山が見えるかどうかなど気にしたことはなかった。そうは言っても、もし富士山が見えていれば、頭の片隅に残っているはずだが、全くその感覚がない。こんな事を思い、
『横浜と二俣川の間では、相鉄の車窓から富士山を見る事はできない』
と勝手に結論付けた。
 それなら、二俣川と海老名の間ではどうだろうかと考えてみた。
 三ツ境駅前のスーパーの駐車場から、富士山が大きく見えるので、三ツ境駅付近の車窓から見えるかもしれないと思いついた。
 三ツ境の厚木街道側に、『富士見通り』という名の交差点がある事を思い出し、日曜日の昼過ぎに行ってみた。家から歩いて十五分位の距離である。そこには歩道橋が架かっていて、なんと、相鉄線を跨いでいる。
 政利は、わくわくしながら、歩道橋の上に立った。そこでは、遠くまで視界が開け、大山が見えた。晴れてさえいれば、間違いなく富士山は見えるだろうと確信した。何と言っても、ここは、『冨士見通り』だから。
 歩道橋から、線路と大山の方向を見比べると、短いながらも、車窓から視界が開けそうな区間がありそうであることが分かった。今度、海老名に向けて相鉄に乗る機会があったら、確認しようと心に刻んだ。
 
 第三章 相鉄本線と富士山 

 『相鉄本線の車窓から、富士山を見てみたい。』
 日を追うごとに、気になってしまい、地図を見る事を思いついた。相鉄本線の路線と富士山の位置関係から、走行中の車窓の、見えるとすればどちら側に富士山があるかが分かるだろうという発想だ。
 横浜から海老名に向かって地図上の線路をなぞると、
『横浜から西横浜の間は右側。西横浜から上星川を少し過ぎた地点までは左側。そこから二俣川迄は富士山を正面に見て走るようになるので、車窓からは見る事が出来ず、運転席のみ。二俣川から、さがみ野までは左側。これは、三ツ境の富士見通り交差点の歩道橋で確認したとおり。さがみ野から終点の海老名までは右側前方。』
 このように、相鉄本線は横浜から富士山に向けて蛇行しながら海老名に向かい、富士山が臨めるかもしれない車窓も右や左に変わるということが分かった。
 新幹線や東海道線などは長い区間で富士山を見る事ができるが、その車窓は山側のみだろう。短い路線であるにも関わらず、相鉄線本線は両側の車窓から富士山を見る事ができる(かもしれない)。
 『相鉄本線から富士山を見たい。』との思いが日増しに強くなってきた。
 多くの同僚が、相鉄本線の沿線に住んでいる。その中で付き合が長い三人に、車窓から富士山を見たことがあるか聞いてみることにした。
 まずは、上星川在住の佐藤さん。
 「家が高台にあって、途中の階段から、富士山の頭が少しだけ見えるよ。だけど、電車からはどうかな。気にした事はないけど見えないんじゃないかな。」
 次に、同じく上星川在住の泉田さん。彼は、希望ヶ丘高校の卒業生のため、横浜から希望ヶ丘までカバーしている。同期入社で飲み友達でもあることから、
 「そうだな、見た事があるような、無いような。飲みながら思い出せるかもしれない。今度、いつ飲みに行こうか?」
 もう一人、かしわ台在住の山川さん。三人中では、相鉄本線の利用距離が一番長い。当然、三ツ境周辺もカバーしている。期待したが、他の二人と同じ回答だった。
 通勤と通学で利用している二人の子供たちにも聞いてみようと思ったが、期待できないことは明白なので諦めた。何故なら、二人とも、車内ではスマホに集中している。窓の向こうでUFOに乗った宇宙人が手を振っても気づかないだろう。
 妻の珠美も、中学から会社勤めを通して十年以上、二俣川と横浜の間を往復したが、印象にはないらしい。
 そう言えば、横浜から武蔵小杉に向かう総武線の新川崎付近では富士山が良く見える。政利はあることに気が付いた。それは、総武線と相鉄線では窓の高さが違うという事。
 政利の身長は178センチ。総武線の窓の上部は政利の目線より高いが相鉄線はそれより低い。つまり、つり革につかまって見える視野が相鉄線は広くないので、総武線の様に、遠く迄見渡すことはできない。
 これでは、富士山が車窓の向こうにあっても、体を屈めないと視界に入らない。通勤途上にそんなことをしたら、あらぬ誤解を受けてしまうだろう。
 話を聞いた同僚たちの身長も、175センチ前後。山川さんに至っては、190センチ近い高身長である。これでは、窓の向こうに富士山があっても、見える訳がない。
 ここで、ひとつの仮定を思いつくに至った。
『相鉄本線の車窓から富士山を見たいのなら、二つの方法がある。一つは、富士山があると思われる側のボックス席に座る。これで、遠くまで見渡せる広い視野を確保する。もうひとつは、少し恥ずかしいが、海老名側の車両の運転席の真後ろに陣取り、正面に現れる富士山を待つということ。いずれも、晴天の冬の朝など空気が澄んだ日に限るという条件付き。』
残念ながら、通勤途上ではほぼ不可能だ。ところで、数年後の総武線や東横線への乗入れで、新しい車両が導入される様だが、その窓は果たして高くなるのだろうか。

 第四章 昔の父と相鉄本線

 富士山問題で煮詰まってしまっていたある日、『横濱』という雑誌が目に留まった。今回は相鉄百周年を特集しているらしい。政利は躊躇なく購入し、帰宅途上の相鉄本線の車内のつり革につかまりながら読み始めた。
 相鉄線の創成期から現在に至るまでの、路線延長、車両、電化、複線化などの変遷が詳しく書かれていた。
 中でも政利の興味を引いたのは、昔の駅の写真である。どの駅もこぢんまりとしていて、周辺に大きな建物はなく、まだ開発が始まっていないといった風情。海老名駅に至っては、その駅前はバス停のみで、何もなく広々している。
 そんな記事を読みながら、
『お父さんも若いころ、相鉄線で通勤してことがあったな。』という思いが頭をよぎった。
 政利の父親は、電電公社の職員で、昭和三一年頃から、三重県に転勤する四一年迄、小田急線の相武台前にあった社宅に住んでいた。政利はこの間の昭和三十二年生まれである。父の当時の勤務先は桜木町。小田急で海老名まで行き、そこから相鉄本線で横浜、さらに東横線か根岸線。もしかしたら、トロリーバスで桜木町という通勤経路である。
 昭和三十年代の相鉄の様子を『横濱』の記事から思い描いてみた。車窓の風景は、今のように高いビルやマンションはなく、遠くまで見渡せたはずだ。
 大和から海老名はまだ単線だったので、この区間では、上り下りの電車すれ違いのために、途中駅での待機があっただろう。当時の駅舎は小さく、ホームの屋根も小さかったようなので、停車中に車窓の景色を見る事ができたはずだ。
 もうひとつ、今と違うのが車内の空気。車両は、湘南電車型。写真の印象では、今より小ぶり。車内では煙草を吸う人もいて、空調はヒーターと扇風機。通勤ラッシュ時は、雨が降っていなければ、窓を開けていたのではないだろうか。
 さらに、父の身長は165センチ程なので、車窓から眺める視野も政利より広かっただろう。
 今の政利よりも、父の時代の方が、車窓から富士山を見るための条件が揃っていたようだ。
 当時の父は三十歳代。今の政利よりはるかに若い。どんなことを考えながら、毎日通勤し、また、視界に富士はあったのだろうか。
 昭和三十年代というと、公害による大気汚染が始まる頃。勤務地の桜木町を含む工場地帯はスモッグで視界が悪くなっていたと思われるが、相鉄線から眺める西の方角はどうだったのだろうか。海老名に近いほど、空気は澄んでいたと考えられるが。『横濱』に掲載されている昔の写真は白黒なので、空の様子はよくわからない。
 
 第五章 父と富士山
 
 父は、昭和二年、静岡県熱海市網代の旧家で生まれた。家の前は海。幹線道路を隔てて後ろは山なので富士山は見えない。学校を卒業し、電電公社に勤めるようになった。勤務地は小田原。網代から伊東線で熱海、さらに東海道線で小田原という経路。富士山は小田原付近でチラッと見えたかもしれない。
 その後、知人の紹介で母と知り合った。母の実家は、静岡県沼津市西浦の蜜柑農家。
 蜜柑山に登る急な坂道から、駿河湾を挟んで富士山がよく見える。    
 父が美しい富士山をじっくり眺めたのは、この時が初めてだろう。
 結婚し網代で数年生活した後、転勤に伴い、小田急線の相武台前に転居した。
 相武台前の社宅付近からは、大山がよく見えたが、富士山はその陰に隠れてしまっていたためか、見る事はできなかった。ここでの十年余り、相鉄線本線を通勤で利用し、車窓から富士山を見る事が出来たはずだ。
 昭和四十一年に、転勤。家族共々、富士山とは縁のない三重県に転居した。
 三重県で三年間勤務したのち、横浜に転勤となり、磯子区内の社宅に転居した。その後何回か転勤があったが、いずれも横浜周辺だったため、転居することはなかった。当時は京浜急行で通勤したが、富士山は車窓にはなかった。
 定年退職後、静岡県の函南(熱海と三島の中間)に家を建て、母と移り住んだ。函南で三〇年余り生活し、二年前に八七歳で生涯を終えた。
 函南の父の家は田園地帯にあり、数分歩くと、大きな富士山がよく見える。家から数分という事では、横浜の政利の家と同じ立地である。
 父は、長男だったため、本来は実家を継ぎ、いずれは、実家が創建した菩提寺の墓に入るはずだった。しかし、弟が後を継ぐ事になったため、父は自分の墓所を新たに求めることになった。
 父と同居していた兄の話によると、いつの間にか気に入った墓所を見つけ、申し込んできたとの事。家の近所に歩いて行けるお寺が幾つもあるのだが、車で二十分位要する古いお寺の小高い丘にある墓所だ。
 寺の本堂から、不揃いな石を積み上げた、細く苔むした階段を数十段登ると墓の前に立つことができる。兄は冗談半分に、
 「あんなに長い階段を登らせるなんて、墓を守る身にもなって欲しい」
 とこぼしたほどである。
 
 第六章 違和感

 富士山の事が気になり始めてから、一年近くが経過した。中尾町バス停付近も、この頃は「お花畑コース」が影を潜め、「銀杏コース」真っ盛り。空気も冷たくなり、富士山が見える時期になってきた。昨日、雨が降ったこともあり空は高く澄んでいる。
「ラッキー、久しぶりに「富士山コース」に行ってみようか」
と言うと、ラッキーも嬉しそうに尻尾を振る。
 中尾商店街の通りを渡り、今宿の住宅街を歩き、今宿地区センター前の階段を登ると、期待にたがわず、大山を、まるで太刀持ちのように従えた富士山が佇んでいた。
 息を整えながら、しばらく富士山を眺めていて、政利は、何となく違和感を憶えた。
 『富士山が素直に心に響かない。』 
 家に戻ってしばらくすると、函南の兄から電話がかかってきた。久しぶりに、飲みに来ないかとの事。兄とは二歳違いで、アルコールの嗜好も一致している。富士山の事を肴に飲みに行くのも悪くないと思い、丁度、翌週月曜日に休みを取っていたので、日曜から行くことにした。
 翌週の日曜日、函南へは車で行くことが多いのだが、今回は相鉄本線で行く事にした。
 二俣川から海老名、さらに小田急で小田原まで行き、東海道に乗り換え、函南に向かう経路である。三ツ境を出たあたりで富士山に出会えることを期待しての事だ。
 二俣川で、わざわざ一本見送り、ボックス席がある電車に乗った。日曜の午前中のためか、運転免許試験場目的と思われる多くの乗客が降車し、車内は空席が多くなった。その結果、お目当ての左側のボックス席に座ることができた。
 天気も良く期待したが、ここ数日、晴天続きで空気がそれほど澄んでおらず、遠くまで見渡すことができなかった。残念ながら、駄目だった。海老名に近づいたので、運転席の後ろから前方を眺めたが、やはり富士山が政利の視界に現れることは無かった。
 その夜、政利は兄が用意してくれていたワインを酌み交わしていた。互いの近況報告から始まり、しばらくして、富士山の話題に移った。話が違和感のところまで進んだ。
 「結論も出ないし、そろそろ飽きたのかな。相鉄線から富士山が見えても、見えなくても、困ることはないし、もう考えるのをよそうかな。」
 少し間をおいて、兄が語りだした。
 「そうだな、確かに、電車の窓から富士山が見えようが、見えまいが、通勤途上のサラリーマンには大した問題じゃなよ。仕事の事、家族の事、中年過ぎると、メタボとか自分の体の事も気になるしな。考えることは山ほどあるから、富士山が視界に入っても、何も感じないで、見過ごしちゃっているんじゃないか。」
 「そう言えば、相鉄沿線の会社の同僚達も富士山が見えるかどうかなど、気にしたことが無いといった感じだったな。」
 「お父さんも、そうだったと思うよ。政利も、定年で嘱託になって暇になったろうし、子供たちも成人した。心に余裕が出てきたから、富士山に対する思いが目覚めはじめたんじゃないかな。明日、墓参りに行って、お父さんに聞いてみたらどうだ。」
 兄のこの言葉で富士山の話題は終わりになった。
 
 第七章 父と見る富士山

 翌日、兄の車で、墓所に向かった。小高い丘の上で、半年前に、父と同じ八七歳で亡くなった母と、夫婦で眠っている。
 寺の駐車場に車を停め、兄と、階段を登りはじめた。もし、ラッキーと一緒だったら、「猪コース」とでも命名していただろう。住職の話では、境内に猪が出没するとのこと。猪と遭遇しないかと少し気を揉みながら、兄の後を辿った。言葉を交わすこともなく、数分で墓の前に着いた。
 墓の周りの枯れ葉を取り払い、近くに敷かれている水道から手桶に水を汲み、墓を洗い清めた。きれいになった墓に、函南の家の庭から摘んできた菊の花と、父も好きだったお酒を供え、線香を上げた。
 墓前に手を合わせ終えると、政利は、兄と申し合わせたように、墓を挟んで立ち、目の前に広がる景色を眺めた。
 麓を見下ろすと、真下には、寺の古い屋根があった。その先は、狩野川を中心に平野が広がっている。
 狩野川と並行して、伊豆半島を南北に走る国道と、伊豆箱根鉄道の単線の鉄路が遠くに見える。平野の向こうには、伊豆の山々が連なっている。しばらくの間、平野を見渡した後、雲が漂う空を見上げると、雲の上に、横浜より何倍も大きな富士山が浮いている。
 『頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして』そのものだ。
 政利は、あたかも隣に立っている父に語りかけるように話し始めた。
「お父さん、相鉄線で通勤した時の事を憶えてる?もう六十年も前の事だけど。ホームや電車の窓から富士山が見えたでしょ。転勤したての頃は、珍しくて、目を凝らしていたんじゃないのかな。丹沢の後ろから時々頭を出す小さくてきれいな富士山を。
 それと比べると、ここから見る富士山は大きくて、高くて、圧倒されるね。
 遮るのは何もなく、お母さんとゆっくり見られていいね。」
 並んで富士山を見上げていた兄も政利の言葉に何度も頷いた。
 丁度その時、修善寺から三島に向かう伊豆箱根鉄道の三両編成がゆっくり視界に入ってきた。
 濃い空色と、白に近い薄い空色のツートンカラーだ。伊豆の田園地帯と見上げるような富士山によく馴染んでいる。
 この電車に乗っている人の中には、若い頃の父や政利のような勤め人もいるだろう。彼らは、この大きな富士山を車窓から見ているのだろうか。見て何かを感じているのだろうか。
 政利は、いつの日か、父の様に、自分だけの富士山と出会うことになるのだろうと思った。それが、「富士山コース」から眺める富士山なのかはまだ分からない。

著者

ラッキーわんわん