「相鉄一大プロジェクト「ストレス解消つり革」」花日

相鉄グループには長年の間、密かに進めていた世界初の一大プロジェクトがあった。

世界初の「ストレス解消つり革」だ。
AIやIOTの最新技術を駆使して開発されたそれは、つり革を握った手から心拍数や血圧、体温を検知してその人のストレス度合いを測定する。さらにその人に最適な周波数の電流をつり革から手に通電させることで交換神経を緩和しリラックスさせる効果があるのだ。電流は極微量のため、人体に害はなく通電中も電流が流れていることなど感じないほどだ。

このつり革が導入されれば、通勤時間帯の満員電車でのストレス緩和に効果が期待でき、電車に乗る時間をより快適にすることができる。ただの移動手段としての電車ではなく、このつり革で癒されたいがためにわざわざ相鉄線を使う乗客も増えるだろう。

相鉄グループ全体がこのつり革に注目し、世に出すのを心待ちにしていた。

長年の研究を続けてきた成果が、相鉄グループ創立100周年記念を前に、やっと形になろうとしていた。
この世界初の機能を公開する前に、そうにゃんつり革の一つに極秘で設置し、そうにゃんつり革に掴まった乗客を被験者として効果を検証することになった。何か不具合が生じた際にすぐ対応できるように開発グループメンバーの貝、橋下、田中の3名が乗客になりすまして近くで経過を観察する。

極秘プロジェクトのため、社外に情報が漏れないように始発前や終電後の時間を使ってコツコツと準備を進め、いよいよその日がやって来た。貝はそうにゃんつり革のすぐ下にある座席、橋下と田中は被験者の両隣を担当する。

検証するのは最も混雑し乗客のストレスも高いであろう、朝7:40に二俣川からでる急行横浜行きの3号車だ。貝が被験者を確認後、二俣川を出たところで起動する仕組みになっている。
始発の海老名からスーツを着た貝、橋下、田中の3人が乗り込み、そうにゃんつり革に掴まり被験者となるのはどんな人なのか、今か今かと待ち構えていた。

電車が二俣川に到着し、降りる人々に続いて乗客が電車に入って来た。希望ヶ丘までそうにゃんつり革につかまっていた乗客も二俣川で降りてしまった。二俣川に到着する前はわずかに空いていた乗客の距離がどんどん縮まり、すぐにおしくらまんじゅう状態になる。橋下と田中は車内の中央へ流されそうになりながらも、そうにゃんつり革から離れまいと、両隣のつり革にしがみついて自分の担当場所を死守した。そんな二人の必死な表情を見て、貝は吹き出しそうになるのを堪えることに必死だった。

しばらくするとスーツを着た大柄な男性が貝の前に立った。
ちらりと顔を確認すると濃い眉毛を寄せて口は歪み、まるで金剛力士像のような不機嫌顔だ。

田中と橋下が横目で動きを注視していると、男性はカバンを棚にあげ、金剛力士顔のまま、大きな右手をそうにゃんの顔に見立てたオレンジの輪に猫耳がついた可愛らしいつり革にかけた。

「7:38 被験者確認!」

貝がメールで本社にメールをすると発車とともに新機能が起動する予定だ。

電車が動き出した。

3人は緊張した面持ちで怪しまれない程度にその男性を観察する。
男性はしかめ面のままスマホを睨んでいる。

鶴ヶ峰を通過したあたりで本社からのメールを受信した。
本社ではつり革が起動している間のログを取得し経過を観察している。

「ストレス度分析完了。30秒後に通電開始。」

3人のスマホを握る手に力が入る。

貝が何気無く男性の表情を再度確認するが、変化なし。そうにゃんつり革はしっかり持ったままだ。

きっかり30秒後に通電開始を確認したとの連絡が入った。

ちゃんと効果は出るのか、誤作動を起こすのでは・・・。つり革から手を離したら・・・。
期待よりも不安が大きく、心拍数が上がっていくのを感じる。橋下と田中の額に滲む汗が窓から差し込む太陽の光で光っている。

1分が経過した。
そろそろ効果が出てくるはずだが、何の変化もない。
能天気な貝は、そんなにしかめ面してどれだけ嫌なことがあったのか、もしかしてこれが普通の顔なのか!?などと全然関係ないことを考え始めてしまっていた。

しかし程なく男性に変化が見られた。
ずっと睨んでいたスマホを胸ポケットにしまって窓の外を眺め始めたのだ。

橋下が最初に気づき、「表情はどうだ?」と貝に目で訴えようとするが、貝は気づいてないのか、腕組みをして俯いている。
足場をずらすふりをしながら貝のつま先を軽く蹴ると貝も男性の変化に気づいたようだ。

男性のしかめ面の原因を考えているうちにいろんな妄想を広げていた貝は、橋下の足が当たってはっと我に帰った。
ドア上の電光掲示板を確認するふりをして男性の顔を見ると、眉間に寄ったシワが消え目も穏やかになっていた。

おおお!あの顔が普通じゃなかったんだ!と自分で立てていた仮説の一つを頭の中で消しながら、表情の変化と確認時間を本社に伝える。橋下と田中もこの変化を知りたいだろうと宛先に加えて送信した。

スマホを見る橋下と田中の目が輝いたのが見えた。
この変化が通電によるものなのかは改めて分析する必要があるが、
本社に帰って、ストレス度がどれだけ下がっているのか確認するのが楽しみだ。

それから1分もしないうちに男性の表情がまた変わっていた。
今度は目が笑い口元が緩んでいる。明らかに幸せそうな表情だ。

「これはすごいものを開発した!」
「ボーナス期待できるな!」
「表彰されるんじゃないか!?」

と3人でメールを送りあいながら喜んでいると、橋下と田中の耳に小さな鼻歌が聞こえてきた。

2人が驚いて思わず男性を見ると、満面の笑みで楽しそうに鼻歌を鳴らしている。

ちょっと効きすぎな気もするがまあいいやと思っている間に鼻歌はどんどん大きくなり、しまいには口を開けて車両全体に響き渡るほどの大きな声で歌い出してしまった。

ひどく音痴である。

何の歌かはわからないが、音程は絶対に合っていないだろうし、とにかく声が裏返っている。鶏が首を絞められながら叫んでいるかのような歌声だ。

橋下と田中は驚きのあまり呆然としてしまった。
貝は慌てて本社に確認するが、通電はとっくに終了しているという。

周囲の乗客も最初はクスクス笑いながら男性を見ていたものの、あまりに耳障りな歌声にだんだんと眉をひそめ始めた。
それでも男性は歌い続けるので乗客のイライラがだんだんと高まっていることが3人には手に取るようにわかった。

橋下が男性に声をかけるも男性の大声にかき消され、肩を叩いても1人のびのびと歌い続ける。

幸せそうに歌う男性とその周りで慌てる3人を囲む乗客はどんどん不機嫌になっていき、ストレスがピークに達したところで横浜駅に到着した。

著者

花日