「相鉄150周年」桜田大輔

 鏡に映る自分を見て、人間て本当に年を取っていくんだなと思った。
 高橋良明は今年67歳になった。2年前に会社を退職し、今は妻と息子夫婦と孫と一緒に暮している。
 ドアが閉まり、電車が動き出す。平日の昼前だから車内は空いていた。
 車内の鏡は他の鉄道会社にはあまりない物で、その伝統は何度か途切れたが、今は全車両に付けてあった。空調の風で紙の吊り広告が揺れている。懐かしい、紙の広告なんて何十年ぶりに見るだろう。吊り広告はネイビーブルーの地に白抜きの文字で「相鉄150周年」とある。
 良明が乗った各駅海老名行きは150周年特別仕様車両だった。すっかり見られなくなった紙の広告を吊ったり、貼ったりするために車内を改装してあった。外装もわざわざ100周年の時のネイビーブルーにペンキで塗装してあった。
 色なんて今なら車体に貼られた極薄のシートでどうにでも変化させることが出来る。実際130周年の時は自動で歴代の相鉄車両のカラーリングに変化する車両が登場して、沿線住民を楽しませた。駅に着くごとに色がランダムに変わるから、車両占いなんてなものも流行った。ほほえみ号を見られるとその日はハッピーだとか。
 良明を乗せた車両が和田町駅を出ていく。和田町駅も30年前に全面改装された。でも良明が和田町に引っ越して来たのは20年前なので前の駅はよく知らない。
 こんな車両に乗ってしまっては50年前を思い出さずには居られなかった。
 50年前、2017年。良明はまだ高校生だった。
 電車は上星川駅を過ぎて西谷駅の手前に来ていた。途中地下に潜る車両とすれ違った。
 良明もJRと東横に連絡する東部方面線が開通した時、物珍しさから用もないのに友人達とわざわざ乗った。ただ就職してからは通勤に使っていたのでごく日常の通勤手段になってしまった。
 西谷駅も改築された。工事が少し長引いたから新幹線の駅になるのではと噂されたがそんなことはなかった。電車は西谷駅を出て行く。途中、カーブしながら高架を上がっていった。鶴ヶ峰駅も高架駅になっている。
 二俣川駅で乗り換えた。今乗ってきた海老名行きを見送ると隣のホームに特急平塚行きが入ってきた。停車すると車体の全面に広告映像が流れる。ズーラシアの映像だ。
「ズーラシアへは当駅乗り換え、グリーンラインへご乗車下さい」
 今から22年前、2045年に市営地下鉄グリーンラインは中山から元町まで延長されていた。先月の休日に良明の息子夫婦が孫を連れてズーラシアに行った。ズーラシアに行くたびに息子が「俺の小さい頃は地下鉄なんて通ってなくてバスだったよなあ」なんて言っていた。
 良明は特急平塚行きに乗る。やはり空いている。
 優先席に座るとドアが閉まった。
 良明は平塚行きに乗るたびに、幼い頃、父親と電車に乗った時のことを思い出す。
 良明の父は車内のドアの上にある路線案内図を指さしては、
「父ちゃんの小学生の頃はなあ、いずみ野線は将来平塚まで伸びるって言われててな」
 いずみ野線は二俣川から平塚までと計画が予定されていた。その予定は長らく忘れ去られていたがいずみ野線が、慶應義塾大学SFC、倉見へと延びていくと計画が復活した。そして7年前、2060年にいずみ野線は倉見から相模川の地下をくぐり国道129号線の地下を通って平塚に行く路線が完成した。
 特急平塚行きはゆめが丘駅に近づいていた。良明は窓の外をのぞき込んだ。何も変わっていない。特徴的な青い鉄のアーチ。そして、ゆめが丘駅から下飯田駅の間にタワーマンション、多目的ホール、広場、ショッピングセンター。かつて駅の周りが田んぼと畑しかなかったことは殆どの人が忘れてしまっていた。
 30年前、2037年に良明はかなり無理してゆめが丘駅近くのマンションに移り住んだ。その頃のゆめが丘駅は、緑園都市駅からいずみ野線を代表する駅の座を奪っていた。
 11年住んで、良明一家はゆめが丘から和田町に引っ越した。両親がずいぶん費用を出してくれたので一戸建てを建てた。二世帯用の住宅にしたのにの両親は同居を拒んだ。
 どういうわけか良行は父親のことを思い出してしまう。
 ゆめが丘駅と湘南台駅の間から地下に入った電車が慶應義塾大学SFC駅を過ぎるとまた地上に出た。巨大な車両センターが窓の外を流れていく。そしてまた電車は地下に潜っていった。
 倉見駅に着いた。良明はここで降りた。この駅に降りたのは初めてかもしれない。
 倉見駅はリニア中央新幹線が大阪まで開業した5年後、2042年に東海道新幹線の駅が出来た。それと同時に相鉄の倉見駅も地下に開業した。
 なぜ、良明がこの倉見駅に来たかというと、そうにゃんがお気に入りの孫のためだ。相鉄150周年記念の限定のそうにゃんのぬいぐるみが、あちこちの駅で発売されていて、それを買いに来た。
 150周年記念コーナーが広い地下連絡通路の一角に作られていて、良明はそこに入って若い店員のお姉さんに尋ねた。店員は人間だ。一時期どこもかしこも人の形をした接客ロボがいたが、今は飽きられていて人が接客している。
 限定そうにゃん倉見駅バージョンを無事手に入れて150周年記念コーナーを出た。
「あ」思わず声を出してしまった。
 ちらちらと父親の事を思い出しているその理由がわかった。
 倉見駅には来たことがある。正確に言うとそばを通り過ぎたことがある。寒川神社に父親と大学合格祈願の為に初詣に行った。48年前、2019年。
 高校三年生にもなって父親と一緒に初詣なんて恥ずかしかったが「うちは浪人なんてさせられないからな」とよくわからない理由で無理矢理連れて行かれた。そのわりには父の方がそわそわとしていて黙ったり、距離を取ったりしていた。良明の実家は海老名だからJR海老名駅から倉見駅の次の宮山駅まで相模線に乗っても良かったのだが、相鉄の臨時バスで寒川神社に向かった。
 お参りをした後、夜店でたこ焼を買って食べた。父はよほど腹が減っていたのか自分の分をぱっと食べてしまうと良明の食いかけの分も奪うようにして食べてしまった。
「お年玉はずむから勘弁しろ」と父は言ったがそういう問題じゃないだろと思った。
 父と二人きりで出かけたのはそれで最後だった。
 良明は帰りの電車の中にいた。地下を走る電車の窓ガラスに自分の顔が映っている。
「父さんか……」
 電車が地上に出た。車内に陽の光が差し込んだ。
 二俣川駅で電車を降りると各駅横浜行きを待った。
「良明!」
 後ろから声を掛けられて、良明は振り返った。
 父が立っていた。
「父さん? 何で?」
「何でって、お前の嫁さんは人使いが荒いなあ、これ買って来いってちょっと前に連絡があってよ」
 父は半透明のビニール袋を掲げた。中にそうにゃんのぬいぐるみが入っている。
「海老名駅限定そうにゃんだって。俺も今年で97歳なんだからちょっとはいたわって欲しいよな。まあ可愛いひ孫のためだ。あの子は本当にそうにゃん好きだな」
 今の90代は医学の発達のお陰でピンピンしてる。まあ父はそういうこと関係無しに元々元気なんだろうと良明は思っている。
「それとこれな」
 もう一つの袋には海老名名産のいちごワインが入っていた。
「まさかぬいぐるみだけ持って、息子と孫とひ孫の所には行けないだろ。三日前に電話したときに言ってくれれば、他にもおみやげ用意出来たのになあ」
 ホームに各駅横浜行が入ってきた。
 電車に乗ると良明は父と並んで座った。
 正面の窓の横に「相鉄150周年」の広告が映し出されている。
「次は相鉄200周年だな」父はそう言った。

著者

桜田大輔