「秋のアトリエ」ミッシェル・ミーシャ

 駅から少し離れたアトリエに向かう足は重かった。今日は特別に。
いつからだろう。得意顔で広告の裏に描いた絵をお母さんに自慢げに見せては絵画教室に通わせてとねだっていたのに、こんなに毎週水曜日が億劫になったのは。今日の理由は分かる。学校で進路担当の教師が三年生を集めて受験について話し合う特別授業があったからだ。授業が終わると突然風船が割れたように友人たちがどの大学を受験するか一斉に話し出した。その喧噪に包まれて、結花はいつもの友人がまるで自分より一段高みにいるような距離感を覚えた。

「私なんかが本当に美大に行けるだろうか、、、、、、
というか、行っていいんだろうか、、、、」

そう迷いがあるから、友人達に美大を受けるかもしれないと言った際に、「わー、すごーい!」と言われても、素直にその言葉を受け取れなかった。
みんながそれぞれ受ける大学や学部についておしゃべりしている時だった、

「へー!やっぱり怜ちゃんも美大受けるんだ~?!」という明るく無邪気な声が聞こえて来た。声のする方を見ると萌だった。

「ねーねー!結花ちゃん!やっぱり怜ちゃんも結花ちゃんとおんなじで美大受けるんだって~!」

知ってる、、、。

結花は更に気分が落ち込んだ。正統的で細かい絵が描ける棚田さんが美大に行くことなんてとっくに知っていた。むしろあの実力を持っていながら普通の四大に行くわけがなかった。自分とは違う誰もが〝うまい〟と言いたくなるような絵を描く棚田さんに結花は平穏な感情を持てなかった。しかも棚田さんは帰国女子で勉強も出来るのだ。自分とは見てきている世界の広さも格段に違うに違いない。

「そうなんだね!棚田さん、絵うまいし勉強も出来るから、絶対第一希望の美大に受かるね!」

自分の顔と心の声が一致していない居心地の悪さを実感しながら何とか萌に返答した。

「結花ちゃんも美大受けるんだよね??」

「え、あー、、、お父さんに、相談してからかなぁ。。。。」

結花は嘘をついた。もうとっくの前から美大に進学することを心の中で決めていたのに。
でも、本当に美大に行けるか、自分なんかが本気で絵を描きたい人たちが集まる大学なんかに行っていいのか迷っていたから、その迷いがあることで自分の中の嘘を相殺した。

「こんにちはー。」

アトリエに着いてドアを開け、革靴を脱ぎながら先生に挨拶をした。

「おっ! 結花来たか!」

いかにもゲージュツ家らしいうねった白髪にお酒で赤くなった鼻、大きく見開いた目をした先生がいつものようにユーモアある口調で出迎えた。しかし今日はそのおどけた感じに結花は少し苛立った。
夏に全国の学生が絵を出展するコンクールが終わったので、アトリエの中はどことなく実りの秋の雰囲気に包まれてのんびりとしていた。真ん中には古い石油ストーブがあり、ストーブの上にはお湯が入ったやかんが置かれていた。結花は油絵道具が入った木箱を奥の棚から取り出し、狭いながらも何とかスペースを見つけて自分のキャンバスとイーゼルを運んで設置し、ふー、とため息にも似た息を一つ大きく吐いて、描く準備を始めた。

「おい、結花、すぐに描き始めないで、一回自分の絵を見渡してから描けよ。お前は一点集中になりやすいんだから。」

それを今、言う?

結花の心の中に急に先生への反感が湧き出てきた。さっきまではおどけていたくせに、みんながいる前で私が一点集中になりやすいなんてことをわざわざ言わなくてもいいのに!

結花は聞いていますという顔つきだけして返事を声には出さず、絵から少し離れて立って自分の絵を見てみた。

どこがダメなのか分からないや。。。

キャンパスの隅から隅まで色は塗られているのにのっぺりとした絵が結花の目に映った。それが自分の絵だと認識されるまでに少し時間を要した。

全部がダメだから、全部手をつけなきゃだめだな。。。。

その日の3時間、結花は絵の中のクリーム色の壁のでこぼこと影をぼーっとしながら塗り重ねるだけで終えた。

「ただいま~。」

いつものように返事はない。しかし灯されている部屋の照明に沿ってリビングに向かうと、いつものようにマッサージチェアーに父が腰を埋めてテレビを見ていた。

「どうだった?」

小さな声で父が訊く。

 なにが? 主語くらい言えばいいのに。

と思いながらも疲れた調子で、「うん。」と答えた。その言葉を聞くか聞かないかの内に、父は摺り足でキッチンへ行き、ローゼンストアで買ってきたお惣菜をレジ袋から取り出して所狭しと物が散らかったキッチンカウンターに並べ始めた。我が家の夕飯の始まりだ。ご飯だけは結花が毎朝お米を研いでタイマー予約をして炊いていた。二人は座るスペースがないのでキッチンカウンターに横並びをし、立ちながら食べ始めた。母が病に倒れ入院してからもうずっとこの生活だった。

「緑がたくさんあって、のんびりとした所に住みたいわ。」

という母の最期の我儘を聞いて、父は誰にも相談をせず母の言葉から一か月後にはここ鶴ヶ峰の家を契約して来た。仕事があるのにいつの間に探してきたんだろうね、と母と笑いながら父のせっかちさを可笑しがった。。あの日から、もう一年半が経つ。その一年半で、母はぐっと病気が進行した。近所には幹線道路や中小企業の会社や事務所が入った雑居ビルしかない灰色めいた町でしか暮らしたことがない結花にとって、引っ越してきた時に初めて相鉄線という電車に乗ったのだ。横浜からこんな電車が出てるなんて知らなかった、と結花はコロンブスがアメリカ大陸を発見したかのように浮き浮きとした気持ちで電車に相鉄線横浜駅に降り立った。初めて見る改札、ホーム、駅員たちの制服、なんだか自分の中の全てが刷新されたような気持ちになり、わくわくしながら電車に乗り込んだ。電車の中の人たちもどこかのんびりとあくせくせず、ゆったりと自身の人生を送っているような気がした。それは東京にはないやさしい雰囲気だった。窓の外に広がる景色も灰色ではなく緑や青があった。夕方の相鉄線の車内は、沈む太陽の光をいっぱい浴びて柔らかい黄色の光に包まれて、座っていると眠くなるくらいに平和だった。そんな沿線を結花も母もすぐに気に入ったのだった。しかし今、その主人公である母はここにはいない。

「今日、進路の特別授業があった。」

 結花はお茶碗を片手に持ち、ご飯を掻き込みながら言った。

 「。。。  で、どうするの?」

 「どうするって?」

 「どこの学校に行くの?」

 「まあ、どっかの美大に行けたらいいけど。」

 「美大に進んだ後のこと、お前は考えてるの?どんな仕事に就くとか。」

 「。。。  それは、入った後に、考えるよ。」

二人の間の会話は終わり、夕飯をむしゃむしゃと食べる音だけがキッチンに流れた。結花はその無言を断ち切るために、箸と茶碗をがちゃりと置き、キッチンを出て恨めしそうにこちらを見ている犬のポテロが閉じ込められているゲージを開け放して彼を外に出した。するとポテロはスタートを切った競馬の馬のように大ジャンプをして食べ物の方へ走り出した。

「出すなって!」

父が大声を出したが結花は無視し、ポテロに駆け寄り頭を撫でた。

「ポテロ~! お前は本当に食べ物には目がないね~! よし! いい子にしてたらあげるよ! ポテロ出来る??」

その言葉を理解しているのかしていないのか、とりあえずポテロは勢いよく雑に座った。

「よし! ポテロいい子!  はい! あげる! 」

結花はそう言って自分のおかずを一口だけ遠くにぽーんと投げた。ポテロはすぐさまその標的物を追いかけダッシュした。

「食べている時は出すなよ!」

父の毎度毎度のプチ説教を流し、ポテロが小さなかけらをむさぼる姿を愉快に観察するという逃避に結花は移った。ポテロと接している時だけは、いい意味で心が空っぽになれた。何も憂うことなくいられたのだ。

父が自分と同じく医学の道に進んで欲しかったのか、今でもそこはよく分からない。ちゃんと話したこともなかったし、受験期がだんだん迫ってくる内にいよいよ話しづらくなって行った。もう少し前だったら、父の希望を叶えるプレッシャーの重さを感じない状況で軽く聞けたのだろうが、時はもう秋だ。理系科目の受験勉強をしていないという現実からなし崩し的に医学部受験という選択がなくなったことで父も言わずとも理解しているのだろう。母は結花が芸術の道に進むことを応援してくれていた。
 「結花ちゃんは私と違って器用で感受性も豊かだからね~。」
 母はいつもそう言って、結花が描いた絵や、図画工作の授業で作った作品を褒めてくれた。しかし母がそう褒めてくれる間、隣にいた父は母に迎合して一緒に褒めてくれるわけでもなく、かといって無視するわけでもなくただ黙ってその言葉を聞いていただけで一体何を考えているのか結花には全く見当がつかなかった。ただ、家が豊かではない中、難関の国公立大学の医学部に合格し、大変な研修医の時期も乗り越え、やっと医師になった父と比べて、文系や芸術の道に進もうとしている自分について見くだすとまでは行かなくても褒め讃えるような感情はないだろうなと結花は考えていた。だが医師になりたいと思わなくなった理由は父にもあったのだ。結花がまだ子供の頃、母と一緒に父にお弁当を届けに父の職場に行った際、折角だから、と父が働いている診察室の前で父が診察をする様子を聞いていたのだが、そこで聞いたのは思いもしなかった言葉であった。

 「じゃあ、どうなっても知りませんよ?! ちゃんと診察に来ない、薬も真面目に飲まない、なのに薬がなくなるとふらっと来て2週間だけ薬を飲んで、また半年来ない、これじゃあ悪化しても自分の責任ですよ! 手術も我儘言ってやらないし! あんた自分の体をなめてるんだよ!」

 「で、でも先生っ、私は、、」

 「でももへったくりもないんだよ! 今までに何回もこの話をしてますよねぇ??あんたはその度にちゃんと私の話を聞かず、逃げているだけじゃないか!」

 「い、いや、先生の話はちゃんと聞いてますっ、、、そうじゃなくて、、、」

 「何回も言いますけど、本当なら一年前にもう手術した方がよかったんですよ。でもあなたがしたくない、って言うからじゃあ薬でなんとかしましょうね、って二人で決めたのに、真面目に病院に来ない、それじゃあ約束違反でしょうよ?!」

「すみません、、、」

 結花はびっくりして口をパクパクしながら母の服を引っ張った。

 「お父さん、怒ってる!!」

結花は緊急事態といわんばかりに泣きそうになりながら声を息にして母に言った。母は困ったような、でもどこか可笑しそうな顔をして結花を見つめ、肩をすくめた。

「かんじゃさん、かわいそうだよ! お父さんに怒られて困ってる!
このままだと泣いちゃうよ?!」

結花は母の袖をさっきよりも強く何回も引っ張って、母に仲裁に行ってもらうようせがんだ。母はやっぱりどこか可笑しそうに結花を見つめて頭を撫でた。
「大丈夫よ。」
そう母も結花に合わせて声を息にして結花に答えた。

家の中ではいつも不愛想な父だが、仕事では患者さんに優しく接しているかと思っていたのに、まさか更に怖くなっているなんて思いもしなかった。診察室へ来てお父さんの働いている姿を見れば、自慢できる所を見つけられるだろうと子供ながらに計算していたのに、結花は自分がまだ大人の世界を全然知らないばかな子なんだと思い知った。そしてそれから父の仕事について誰にも言うことはやめようと決心し、自分が風邪で病院という場所に行くのですら嫌になった。

結花は夕飯を食べ終わると流しで自分の分だけ食器を洗い片づけた。父はシンクに食べ終わった食器を置いたままもう元の定位置に戻ってテレビを見ていた。
「散歩行ってくる」
結花はそう言ってポテロの首にリードを付け、イヤホンを耳に捻じ込んで家を出た。帷子川沿いを往復二十分程度するのがいつもの散歩コースだった。大好きな音楽を聴きながらポテロを散歩させるのは結花の密かな息抜きだった。

「I read the news today oh boy~♪」

シャッフルでかけている曲の中で、結花のお気に入りのビートルズの曲が流れた。
「やった~!」
真っ暗の夜空の下で、結花は思わず声に出し、知っている歌詞の所だけ一緒に歌った。ビートルズは母が好きで教えてくれたのだ。「お母さん、ご飯作る時よく歌ってたなぁ」結花は曲を聴きながら母の姿を思い出した。

「ただいま~。ポテロ、また落ちていた食べ物を拾って食べちゃったよ。」
結花は大好きな曲を一緒に口ずさみながら綺麗な月夜の下で散歩をしたことで、少し機嫌がよくなっていた。

 「何が入っているか分からないのにバカな犬だなぁ。」

ポテロの足を拭いてリードから解放してやると彼は一目散に水飲みへと走って行き、ぺちゃぺちゃぺちゃと音を立てて水を飲んだ。
「ちっ。」
父は嫌そうにポテロを見た。ポテロは犬が大好きな母が知人から貰った犬だ。知人の飼っていた犬が子供を産みすぎて困っていたので母が「ちょうどいいわ、犬を飼いたかったの。」とまだ体が元気な時に貰って来たのだ。でも父は特に犬好きではなかったので、家の外ではなく中で飼うことに未だに抵抗があるのだ。ポテロに意地悪をするまではさすがにしないが、自ら可愛がったりは決してしない。だがその割にはポテロの餌や犬グッズは頼んでもないのに度々買って来るという不思議な接し方だった。

ポテロをかわいがっていると、父が見ているテレビで偶然にも母の病気についての特集が始まった。

「他のチャンネルにしようよ。なんか面白いやつ見よう。お笑いがいいよ!」

結花はつとめてフラットな声の調子で言ったが、父はそのまま動かずテレビを見つめていた。

「ねぇ、回してったらぁ!」

もう一度結花が少し語気を強めて言うと、父はしぶしぶとリモコンに手を伸ばし、他の番組にチャンネルを回した。

「母さんの病気、今みたいに動けなくなったり、こっちから見ると全然反応ないように見えるけど、死ぬまで意識ははっきりあるらしいんだよな。」

それを聞いて突然結花の中で猛烈に怒りと悲しみが湧いてきた。今言う意味がないことばかりわざわざ言うのは何故??お母さんが、全然動けないのに、そんな状態で意識だけはあるって、どれくらい辛くて苦しいことなのか分らないの??そんなの私だったら想像しただけで、息するのも苦しいくらいことなのに!!お母さんが目にする世界はもう病院の天井だけで、耳にするのは相部屋のおばあさんのうめき声や面倒を見る看護師さんの声ぐらいなのに、、、それだけ小さな世界で毎日毎日頑張ってるのに、なんで夫である父はそんな残酷なことが言えるのだろう?!結花はマグマのように熱い涙が込み上げた。体育座りをしながら、ポテロの頭を撫で続け、震える背中を父に見せていたが、とうとう堪え切れなくなった。

「なんで今そんなこと言うの?! 言う必要がどこにあるの?!
自分が医者だからって、そうやって冷静に言えたって、言われた方の気持ちは考えなくてもいいの?! デリカシーなさすぎるよ!!」

結花は久々に大声を出して言った。もうどうなってもいい!と、苦しい胸の中からほとばしる言葉をむしゃくしゃに言い放った。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔になっているのも、鬼のような形相になっているのも、そんなのこの人のデリカシーのなさに比べたらどうでもいい! そんな結花の勢いに父は面をくらい、本当に困惑したように何とか言葉を絞り出した。

「ごめん、そういう意味じゃなくて。。。」

子供の頃、結花が見た父に怒られていた患者さんのように父は狼狽して謝った。

どうして受験期という一番大変な時期に母が病気になっちゃったんだろう。
周りのみんなはちゃんと両親二人に支えられているのに。塾に通っている子は毎日毎日親に送り迎えしてもらっていたりするのに。その様子を見ると結花はうらやましくて仕方なかった。「こっちはお母さんは入院してるし、父は仕事だし誰も来てくれる人なんかいないのに、、、」
母のことは仕方ないとしてなんでこういう時期でも父がああいう人なんだろう
大体私は絵が本当に好きなの??
私には才能があるの??
他の人より絵で抜きん出ているの??
絵でやっていけるの??
美大受かるの??
私に何ができるの??
だれかの役に立てるの?? ただ消費して生きているだけみたい。。。私なんて一体なんのために生きてるんだろう。。。役立たずだ。。。食べて寝て、ポテロと遊んで、よく意味が分からないのに絵を描いて、全然なんの役にも立ってない!
結花はとめどなく溢れ渦巻く思考の中で吹き出る悲しみに包まれた。涙と共に嗚咽が漏れ出し、ベッドに飛び込んで泣いた。悔しかった。なんにも取柄がない自分が。みんなは自分の取柄が分かるからあんなに楽しそうに笑って生きられるんだ。私は勉強も出来ない、絵も中途半端、もう嫌だ、全部が! そして酷いことを人の気持ちを考えず言いたいだけで言う父も大嫌いだ!!!

 今週もまた水曜日がやってきた。父と喧嘩したこともあってアトリエに向かう足は先週よりも更に重くなっていた。

「こんにちは。」

いつもより語尾を短くして結花は革靴を脱ぎながら挨拶をした。

「なんだ、なんだ~? 結花、いつもより元気ないじゃないか! 元気の押し売りじゃなくて元気の出し惜しみか~?? あ、それとも恥ずかしいのを隠しているのかな??」

もう先生のこういったおどけた具合に怒る気力すら結花にはなかった。昨日結花は気付いたのだ。自分から何かしたり何かを感じ取ったりせず、受動的でいることが一番楽なんだと。結花は先週より大人になったのよと言わんばかりの雰囲気を醸し出して、奥にある道具箱を取りに行った。

「おい! 結花、一言何もないのかよ~?? つんとすましちゃってよぉ!」

先生がそう言いながら結花の真似をすると低学年の生徒たちが面白がって笑った。しかし、どの子の笑顔にも意地悪な雰囲気はなく結花は違和感を覚えた。

「結花! お前もしや県内新聞見てないな??」

新聞??この辺で何かあったのだろうか?

「見てないですけど。何か事件でもあったんですか?」

「見てないですけど、だって!」

再び結花の真似をして先生が言うと、今度は水彩画の子供の生徒たちも一緒にウケ始めた。

「お前、やったじゃん!
入選だよ! 夏、がんばってたもんなぁ~! 途中泣いたりなんかしてよ~!! 私、模写は出来てもオリジナリティなんかありましぇん! ってよ!」

そう結花のセリフと真似をすると、もう子供たちも低学年の生徒たちもゲラゲラと大ウケし始めた。根底に結花へのお祝いの気持ちが生徒たちにあったから、先生の冗談にも笑えたのだ。

結花は父の喧嘩とは違う涙が込み上げてきた。

「えっ。
 あ、そうなんですね、知らなかったです。」

そう言って、結花はそそくさと子供たちの座る間を縫って部屋の奥へイーゼルを取りに行った。頬に大粒の涙がこぼれ落ちてきた。「まさか入選していたなんて。。。。私が、そんなことやりきるなんて、、、、。」目に涙が滲み、視界がもうよく見えなかった。鼻をすすって泣いているのがばれないように必死だった。
「どれだろうー。」
そう呟きながら、もう見つかっているイーゼルを探しているふりをした。

「お母さん、
お父さん、

私、やっと何かできたかもしれない!」

絵画教室が終わり、母の面会時間が残り20分となっていたが、一分でもいいから母に会いたくて、もう真っ暗になった秋の寒空の中走って病院へ向かった。

「はぁ、はぁ、はぁ、
お母さんっ、早く行かないと。」

結花は息が上がり、足も絡まりそうになったが止まらず走り続けた。

残りあと6分。面会受付のノートに自分の名前と母の病室番号を書き殴り、早歩きで母の病室へ向かった。病室へと向かうにつれて緊張して来た。今日はどれくらいこないだ来た時より悪くなっているんだろう。。。母が日に日に悪くなっていくのを見るのが怖かった。病室の前に着くと、まるで人間なんて誰もいないような静けさだ。幸い母はドアのすぐ隣の照明の明るいベッドだったので、結花は少しほっとした。

「お母さん、来たよ、、、。」

おそるおそるベッドのカーテンを開けると、母は先日より更に?せて小さくなり、頬がこけ、そのせいでお化けのように髪だけがやたら目立った。目は薄く閉じられ、もう自分で瞬きをする筋力すら残っていないようだった。その姿に結花はおののき、絵が入賞したことを一瞬忘れそうになるくらい苦しくなった。

「あ、そうだ!」
結花は父の言葉を思い出した。たとえ体が動かなくなって、こちらに反応を見せなくなっても、最後まで意識があると。結花は学校のバッグの中から母が選曲してプレゼントしてくれたipodを取り出した。

「ほら、これお母さんがくれたやつ! 大切に今でも使ってるよ!」
結花は母のためと自分を元気づけるためにも明るく言った。そして、母が好きだったビートルズの曲を選んだ。

「Let me take you down Cause I`m going to Strawberry Fields~♪」

「お母さん、好きだったよね! ビートルズ、私もあれから好きになったの!」

するとうすく閉じられた母の目から一筋の涙が流れた。

「お母さん!
 聞こえてるの?! ビートルズ、聞こえてるの?!」

 母は小さく自律的に一震えをし、少なくなった睫毛の間を涙が濡らし始めた。

「お母さん、聞こえるんだね! よかったぁ~! あのね、私ね、、、」
結花も母と一緒に泣いていた。今までの全部が入り混じった涙は温かかった。

「油絵入賞したんだよ!」

「Nothing is real ~♪」

母の目が、大きく見開いた。

著者

ミッシェル・ミーシャ