「秋の休日」伊関 孝

 「乾杯!」
 隣に座っている猪俣の発声で同席の六人が声を合わせた。場所は相鉄線二俣川駅近く運転免許試験場側の商店街にある、和食処「くぬぎ」の小上がりである。度会はコップのビールを一気に飲み干しながら来年はいい年にしたい、なりそうと思った。

 度会が猪俣と約十年振りに大型スーパーでばったり会ったのは今年の春三月であった。
 度会は昨年暮れの日曜日に趣味にしていたロロ―ドバイクでのツーリング中、車道から歩道へと車線変更した際路肩にタイヤを引掛けて転倒した。通りがかった人の機転で救急搬送され、頸椎を損傷したものの幸い手術には至らなかった。しかし、両手が動きにくく痺れる症状があったのでリハビリ入院を一ヶ月した。退院後も痺れが残り、手の動きが鈍いままで握力も大幅に低下した。その為会社での仕事を以前より軽くしてもらっている。年齢が五十三歳でまだまだ働いて家族を養っていかねばならない事を考え鬱々としていた頃、家族と気晴らしにスーパーに出かけた際に猪俣に声を掛けられたのである。偶々猪俣は娘一家に連れられ買い物にきていたのだ。
 猪俣とは仕事上、度会が資材担当で猪俣が出入りの営業マンという関係で数年付き合いがあった。気が合ったのか個人的な話もする仲であった。猪俣が定年を迎え、再就職先が二俣川の運転免許試験場近くと聞いたが、詳しく聞く機会もなく、定年の挨拶状を貰ったきりになっていた。偶然会った時はお互いのメールアドレスを交換し、時間を見つけて旧交を温めようと言って別れたのだが、その一週間後の土曜日には和食処「くぬぎ」のカウンターで会って話をしていた。
 「くぬぎ」は、入って左手にあるカウンターには七席、右手に四人がけのテーブルが三つ、奥は小上がりになっている小さな店である。店は大将と女将さんの夫婦二人で営んでいる。二人は同じ高校の吹奏楽部の先輩後輩の間柄で、大将が三年生の部長の時に入ってきた可愛い新入部員を好きになって付き合いが始まり、結婚まで行き着いたらしい。二人の間には近くの女子大の音楽学部に通う一人娘がいて、偶に店に出て手伝っている。
 ただ、度会とてこんな個人的な事情を女将さんから初対面で一遍に聞き出したわけではない。
 場所に詳しくなかったので、約束の時刻より三十分ほど早く店に着いた。猪俣と約束していると言って、カウンターに座り、出されたお茶を飲みながら客がいなくて手の空いていた女将さんに
「お住まいはどちらですか」
と聞かれて
「西谷です」
「私、西谷で育ったんですよ。今は母が鶴ヶ峰に住んでいますけど」
 それからお互いに知っている西谷関連の話をした。女将さんが度会の娘達の小学校、中学校の先輩になると判り、親近感を持った。すっかりくつろいだ気持ちで話をしていたので、店に入ってきた猪俣から
「知り合いだったのか。すごく打ち解けているね。」
と言われた程であった。
 その日は再会までのお互いの事を話した。
猪俣は再就職先で三年ほど働いて退職し、その後は趣味とボランティア活動で自由きままな生活をしているらしい。二人の子供は既に独立し三人の孫もいる。夫婦二人の生活だからお互い贅沢しなければ年金と蓄えでやっていけると言う。猪俣はそこそこ充実した生活を送っているようだ。顔は日に焼け、七十歳には見えないほど体の動きも敏捷だ。秘訣はと聞くと趣味の写真で旅行に出かけたり、家庭菜園で日に当たっているお陰だろうと答えた。 
 猪俣の元気振りに比べ自分は何と元気がないのだろうと思いながらも、自転車事故の顛末と現在の鬱状態、何にもやる気が起こらない状態を素直に言えた。猪俣の心配してくれる親身な口調と店の穏やかな雰囲気のせいだったのかも知れない。
 それからは月に一度くらいのペースで猪俣と「くぬぎ」で会った。大将と女将さんとのなれ初めもその間に聞いた話である。二人の一人娘香奈にも店で会った。

 現在、猪俣は趣味の写真撮影で横浜にある同好会に属し、年に初夏と初冬の二度開催される展覧会に向けて都度風景写真を撮りに出かける。今年の春は奈良の吉野山で桜を撮った。秋は愛知県の香嵐渓に行き紅葉の写真を撮る予定だ。いつも同じ同好会の三好さんと二泊三日の撮影旅行に出かけ、一日中場所を変えながら撮影する。帰ってきたら現像に出し、うんうん唸りながら展覧会用の二、三点を選ぶ。選ぶ時も三好さんに見てもらい意見を参考にして選ぶ。三好さんの写真も同じように猪俣が意見を言い二人で選ぶ。二人に競争心は微塵もないからもめる事はない。同好会の会合に出るのも展覧会中の当番もいつも一緒にやっている。三好さんは猪俣よりやや年上の穏やかな人だ。他にボランティアで近所の体が不自由な年寄りの施設への送り迎えを車でしているとのことである。
 猪俣のもう一つの趣味は家庭菜園である。
猪俣の住んでいる瀬谷区には家庭菜園の出来る畑がある。その一つで二区画を借りて主に夏と冬に収穫する野菜の種や苗を植え、週に二度、多いときは三度通って育てている。ジャガイモやサトイモ、ニンジン、タマネギなどの根菜類、小松菜、ホウレン草や水菜などの葉物の他にナス、キュウリ、トマトなども作る。収穫物は自分や娘達家族だけでなく近所のひと達にも分ける。会って美味しかったと言われるのが最高に気持ちがいい。家庭菜園での親しい仲間は小原さんという横浜市の福祉関係の部署に定年まで勤めていた女性である。猪俣と年齢は同じくらい、ご主人は藍染めの染織家で専門家の展覧会で何度も入賞するほどの人で、カルチャーセンターで講師を務めているとのことである。畑で会えば、栽培方法を話したり、時には収穫物の交換をしたりする。猪俣の妻は菜園での作業を手伝いによく来るので小原さんとも親しい。一緒に手製の燻製器でベーコン、卵や焼き魚を燻製にして、家を行き来しているのは妻の方である。
 猪俣は会社生活から足を洗った後世間でよく言われているボランティア活動とはどんなものか体験するため幾つかのボランティア活動に参加してみたが、今ひとつしっくりくるものがなかった。そんな時、本を借りに行った図書館で本修理のボランティア募集の張り紙を見た。まず教育を受け、技術を習得してから集められた傷んだ本の修理をするということだった。借りた本に修理した方がよいと思われる本を何冊も見た事があったので、早速図書館に申し込んだ。図書館で所定の教育を受け、以来時間と日程が合えば図書館に行って本修理のボランティアをしている。ここでの相棒は堀川さんという、五、六歳年上の紳士である。本が大好きで家の書斎には数千冊以上の蔵書を持ち、一日に五時間以上も読書をし、月に二十冊以上、年間で三百冊を超える読書量を誇っている。あくまでもご本人の自己申告ではあるものの、その知識たるや並ではないことは、会うたびに猪俣が実感する所である。テレビで知ったプチ知識を言うと、それに呼応して堀川さんは関連の知識を披露して話題が話題を呼び、目を白黒させている猪俣に気づいて話を納めるのに三十分はかかる。堀川さんは会う度に、あなたほど話易い人はいないから是非家に来てほしい。妻の作るフランス菓子と紅茶でもてなすから、自分の書物愛と今取り組んでいる研究の事を語りたいというのである。どんな方面の研究ですかと問うと明治初めの尾崎紅葉、坪内逍遥、二葉亭四迷や山田美妙らの言文一致体を巡る苦闘を主題にした研究作品との事の為、理解するのが難しいと判断し、多忙を理由に家に行くという返事を先延ばししている。詳しくは知らないが堀川さんは大学の文学関係の研究者だったのではないかと推測される。お宅に伺えば、はっきりするだろうと思うが推理小説や流行りの本しか読んでこなかった身としてはやや心が重い。従って本人には堀川さんと呼ぶが他人に話をする場合は堀川先生と敬意を持って呼ばせてもらっている。打てば響く話題の広さと面白さに、会えば毎回一時間以上話し込み、他のボボランティア仲間からはあきれられている。ただ堀川さんの書物愛は他のボランティア仲間も一目置いているので、二人の会話に文句を言う人はいない。年末にはボランティア仲間が集まって図書館の担当の人に意見を言う機会があり、それが終了したら必ず家に誘われるに違いないので、その時には観念して家に行ってもいいかなと思い始めている。

 猪俣はこれら日々の活動をする時に最低一人ずつは仲間即ち相棒を作っている。生来社交的で恬淡とした性格の為に人から悪く言われることがない。だから会社でも営業職を入社以来続けた。
 そんな猪俣から見て、度会は大会社の社員だけあって優秀なのだろうが融通がきかず潔癖な所があるように思った。その反面人の言う事をよく聞く素直で公平な人柄だと評価している。何度も会ううち、首の怪我で落ち込んでいる度会には何か自信を持てるようにしてやるのが必要だと考えるようになった。
 猪俣は再就職先した後、最寄りの二俣川駅
と会社への道の途中にある和食処「くぬぎ」
を見つけて通い、大将一家と親しくなり、これはと思う人たちを連れて来ては飲み食いをしてきた。度会と再会した時もピンと来るものがあり、早速「くぬぎ」で会うことを約束した。猪俣の予感は当たり、度会は最初から「くぬぎ」に馴染んだ。いい店にはいい人が集まると猪俣は深く実感している。
 これだけ足繁く通っているのだから、猪俣は大将と女将さんのなれ初めや一人娘の香奈とそのボーイフレンドの友也君の存在も知っているし、二人にったこともある。友也は香奈と小中学校の同級生で同じ合奏部に属し、小学校の音楽室でドラム演奏の友也とアルトサックスの香奈でよく一緒に練習していた仲なのだという。大学入学後、共通の友人を介して同じバンドで演奏しているということだった。友也を香奈から紹介された後で女将さんに
「カエルの子はカエルだね。香奈ちゃんは両親とそっくりの生き方しているね。」
と言うと
「でも友也君はミュージシャンになりたいんですって。料理には興味がないみたい。」
女将さんは笑いながら答えた。

 猪俣が秋に度会の案内で相鉄線の駅前で待ち合わせて散歩程度のウオーキングをやろうと度会に言い出したのは九月の半ば頃であった。参加人数は七、八人で昼前に集合し最寄り駅近くで軽い昼食を食べる。訪ねる所は二
か三ヶ所、午後五時には切り上げ最後に「くぬぎ」で打ち上げという大体の目安を示して細部を地理等に詳しい度会に考えてくれと頼んだのである。
 度会は猪俣の依頼に従い色々考えた末、相模国の古代を体感するツアーと銘打って、相鉄海老名駅で待ち合わせて史跡相模国分寺跡を訪ね、その後小原さんのご主人の工房を訪れる。駅に戻り遅い昼食を駅前の商店街で食べた後、相鉄で横浜方面に戻って一駅目のかしわ台駅で降りて五つの古墳が確認されている秋葉山古墳群を見るという計画を立てた。計画の概要を猪俣に話すと賛成してくれ、ツアー内容をワープロで作ってほしい。それを知り合いに添付してメールして参加者を募るからということだった。度会は一枚ほどの概要と簡単な地図を添付して猪俣に送った。翌日には猪俣から知り合いに連絡されて計画は固まった。日時は十一月十二日、日曜日午前十時に相鉄海老名駅改札口に集合し、それからは度会の先導で動くことになる。参加者は猪俣、度会の両名他三好さん、小原さん、堀川先生、「くぬぎ」の香奈ちゃんと友也君の七人となった。堀川先生はあまり話を長引かせないよう注意した上での参加となった。

 十一月十二日は絶好の行楽日和となり、参加者は自分を含め皆の日頃の行いに感謝しながら定刻には駅の改札口に全員集合した。全員集合を確認した上で海老名駅からビナウォークというショッピングセンターを抜け相模国分寺跡へと向かい、十五分程で到着した。ざっと国分寺跡を見てから近くの海老名市温故館に入り見学した。更に現在の相模国分寺の境内を廻り、そこから歩いて十分ばかりの所にある小原さんのご主人の工房に行った。ご主人の徹さんは入り口で迎えてくれた。徹さんから藍染めの工程の説明を聞き、その作品も見せてもらった。お茶をご馳走になり、小原夫妻共々ビナウォークに戻ってきたのは午後一時過ぎであった。ビナウォーク内のカフェレストランで昼食を取ったが、歩いたせいかお腹が空いており美味しかった。昼食後しばらく休み、海老名駅に戻り相鉄線でかしわ台駅に着いたのは二時を少々過ぎていた。      かしわ台駅から歩いて約一キロ半で秋葉山古墳群の第一号墳に着いた。確認されている五つの古墳のうち第一、第二と第三号墳は前方後円墳である。第二号墳は高さが海老名市一の八十四、六メートルで晴れていたので横浜ランドマークや新宿高層ビル群がはるかに見えた。次に行った三号墳からは丹沢の山々が望まれた。古墳が作られた古代に思いを馳せながら付近を散策後駅に向かうと早夕日が差してくる時間となっていた。かしわ台駅で再び横浜行きの相鉄線に乗り込み、瀬谷駅で用事で家に帰る小原さんを見送り、残り七人は無事二俣川駅近くの「くぬぎ」にたどり着いた。

 皆揃って小上がりに上がった所で待ち構えていた女将さんがコップと瓶ビールを運び入れ乾杯となった。
 「今後このメンバーで、勿論小原さんも入れて忘年会、新年会をやり、春にはまた度会さんの企画で桜の花見をしよう。」     日焼けした元気な顔を少し赤くしながら猪俣が言うと
「異議なし」
と大きな声で皆が返事をした。
 ビールを飲んでいる六人を眺めながら、いい店にはいい人が集まるという猪俣の口癖を度会は思い出していた。
 今日のよき日のことを考えれば、来年には手の痺れなど治り、機能も回復するような気がする。新年恒例の家族の前での年頭の抱負で明るい事が言えるなと度会は思った。
                 了

著者

伊関 孝