「約束」原岡 ココ

相鉄線に揺られ、横浜駅に向かう。ほぼ10分間隔で発着する電車だから、待ち合わせ時間からの逆算もしやすい。

急行に乗れば二俣川駅から先はノンストップだし、特急も増えてますます便利になった。私が待ち合わせ時間より二本早めの電車に乗ったのは、少しでも先に着いて彼女を待つつもりだったからだ。

せっかくなのでビックリさせるような奇抜なデザインの服を着たり、変装をしても面白いかという発想もちょっぴり頭をよぎったけれど、一緒に歩くには視線が集まりすぎると彼女が恥ずかしくて困るだろうと、落ちついた外出着をチョイスしたのは大人の判断だ。

いつもの私なら正直ちょっと若ぶってみたり、かと思えば誰がどう見ても黒づくめの魔女みたいなファッションセンスの持ち主であることは自覚している。そんな私が今日は、そこそこ上品なマダム風かつ明るい雰囲気を心がけた。

車窓から眺める景色に季節の移ろいを感じながら、流れていく時を感じる。
彼女は私に何の話しをしたいのか、私は彼女と何を話そうか、楽しい話題をできるだけたくさん頭の中で考えて、ぐるぐると色々な思いを巡らせる。

いつも西谷駅の手前あたりで「相鉄線の車窓から新幹線が見えたらラッキーデー」という、私オリジナルのゲン担ぎをしている。
【今日はラッキーデー】と言える機会なら誰だって増やしたいと思うだろうが、私はその想いが人一倍どころか相当に強い。

何の根拠もないゲン担ぎや願いも、何度も口に出して唱え続ければ叶うと私は信じている。そうやって気持ちを切りかえたりして、これまで乗り越えてきたことが山ほどあるからだ。
しかも、もし見かけないと思った瞬間には目を閉じて寝たフリを決め、気付かなかったことを装うのも私なりの強引なゲン担ぎルールだ。

そして見れなかったことをリセットするために次に見るものも決めているのだから、私のゲン担ぎは万全の構えなのである。

「I♡NY」をもじったユニークな「I♡NishiYa」という白いフラッグを、西谷の商店街あたりで初めて発見したのは朝の通勤ラッシュアワーで車内は満員だった。思わずニヤついたところを見られてしまって恥ずかしかったけれど、今ではフラッグを見ることで和み、気持ちをリセットする。

今日は新幹線を見かけたし、彼女にも会える…これはもう間違いなくラッキーデーだ。

電車が横浜駅のホームに滑り込むとき、今ではホームドアも設置されているから安心だ。人の流れに乗り、足早に改札へと向かう。
横浜駅のホームにある太い柱は構造的にあるのだと思うが、その先にある扇型に広がる改札へ向かうたくさんの人の波が、柱のおかげで程よく列になっていく。
鞄をガサゴソしてカードケースを探す人が、ホームの柱を上手く利用して、人混みを遮らないよう心得ていたりもする。

彼女とは改札横にあるパン屋のあたりで、待ち合わせをしていた。久しぶりに会える喜びで、私は足早に人混みを縫うように進み、ウキウキしながら改札付近へと向かう。
待ち合わせ時間よりも二本早い電車に乗ってきたはずなのに、既にベンチに腰掛けている彼女に気づいた瞬間、思わず泣きそうになった。
隠れて涙をこらえるために、横浜駅のホームの柱を利用するとは思いもしなかった。

深呼吸してから、不覚にもじわじわと滲む涙をおさえて気合いを入れ直し、彼女のいるほうへ向かい元気に声をかけた。私が知っている以前の彼女より、随分と身体が小さくなっているように感じられて驚いたけれど、変わらぬ優しい笑顔があふれていた。
そうか…もう7年ぶりになるのだと、ここでも時の流れを痛感させられる。聞けば、ゆっくりとしか歩けなくなったため、私を待たせないようにと、待ち合わせ時間より三本も早い電車で到着してくれていたという。

彼女とは15年くらい前に知り合ったが、当初から親切で話し好きで、とても正直であたたかい人柄が大好きだ。積もる話を聞けば、空白の時は直ぐに埋まるだろうし、たぶん私は聞き役で、むしろ、それでいいのだと思う。

年明けに彼女から久しぶりに電話があり、ご無沙汰をわびつつも、開口一番の元気な声にホッとした。彼女が電話口で近況を打ち明けるなかで、サラリと言った言葉が強く耳に残った。

「会いたい人に会って、話せるうちに話しておきたいと、強く思うようになったの」

大変な想いを経験しながらも、電話では以前と変わらぬ調子で明るく淡々と話す、彼女からのランチのお誘いを迷う理由なんて私には無い。

いつでも誰かと繋がるツールとして、携帯電話などは便利なものだが、直接会って相手の表情を見ながら話す距離感には敵わない。声でしか窺い知ることのできない彼女が、悩んだり抱え込んだり、思ったり伝えたいことがあるなら、直接会って話しを聞こうと思った。

桜が咲く頃になったら連絡するつもりだったが、冬が過ぎて春が訪れ、すっかり葉桜になった頃、先に彼女から電話があった。
あらためて日時を決めて約束し、相鉄線の横浜駅で待ち合わせをした。

いつも変わらずに人が溢れかえる横浜駅の雑踏のなかを、早足でスラロームのように軽快に歩き回るのは、コツとテクニックが要ると思う。
あれだけ多くの人が思い思いの方向に歩きながら、上手に行き交うことができるという【横浜駅の歩行スキル特別コース】なるものがあるとして、それを履修し見事にスキル習得されているであろうヘビーユーザーには感服だ。
人混みはそれぞれの目的地まで繋がる流れとなり、私たちも、ゆっくりとのみこまれながら、それに乗る。

おかげさまで半世紀を超える時を、何とかかんとか、どうにかこうにか、ひたすらにひたむきに生き抜いてきた私たちは、人にぶつからないように、ご迷惑をかけないように気をつけながら、彼女のペースに合わせて歩く。

横浜駅まで出れば買物にも食事にも困ることはないし、互いの最寄駅からのアクセスにより今回の待ち合わせ場所を選んだ。
特別スキルを持つ多くの人々は、歩みの遅い私たちを見事にスルリと交わしながら、足早に通り過ぎていく。

「現状維持につとめていく決心をしたの。今より体調が悪くならないように気をつけていれば、そのうちに良い治療法が見つかるかも知れないと信じているから。」

こちらが拍子抜けするくらい、あっけらかんと明るい笑顔で彼女は言った。

ひとえに現状維持といっても大変なことだけれど、彼女の決心は諦めではなく、明日への希望なのだと思う。彼女は、今日という一日の貴重な時間を使い、私に会うと決め、とても楽しみにしてくれたのだ。マイナス思考になりがちな出来事をプラス思考に変えられるまでの、彼女の苦悩の日々を思うと切なくなるが、今ここで私が泣くわけにはいかない。

どうやら彼女は、私に色々ひとしきり話しをしたら、気持ちがスッキリしたらしい。
「ランチもデザートも美味しくて幸せだわ~」と話す、彼女の元気そうな様子に、正直とてもホッとした。
次回お互いにオススメの美味しい手土産を交換しよう。お互いに良い意味で現状維持していよう。彼女と大事な約束を交わして、久しぶりの再会はお開きとなった。

帰りは一緒に相鉄線に乗り、彼女が先に降りた二俣川駅のホームで振り返る姿に、私は笑顔で小さく手を振り続けた。

生きることは、ときに身体や心に痛みを伴うけれど、どんなに辛く苦しくても、命ある限り生きていかなくてはならないのだ、人は。

彼女に会ったことで、言葉ひとつひとつ、日々の行動や、これから私がなすべきことを、より深く考えるきっかけとなった。
歳を重ねてきたせいか「いつかまた」が「それっきり」になる可能性があることを、より強く感じるようにもなった。

「また近いうちに」「また今度ね」「またの機会」が訪れるかは、老若男女問わず決して確約されてはいない。
ならば出来る限り時間を作って、会いたい人には会いに行こう…そう彼女に教えてもらった気がした。

そしていつも、いつまでも、誰かの「会いたい」「話したい」「楽しくて心がホッとする」そんな人であり続けたいという、新たな目標ができた。
おかげさまで、私に会いたい、話したいと言ってくれる友人や知人がいてくれることは、とても嬉しくて、とてもありがたいことだ。

会いたい人、会って話したい人、会うべき人、なすべき事が待つ場所に向かって、今日も電車は走る。
私自身と私の想いを一緒に乗せて、線路が続いている限り、どこでも連れていってくれる。

気づけば、また季節が変わった。
そろそろ約束の美味しい手土産を準備して、私から彼女に連絡しよう。
次は同じ時間の電車の、同じ車両に乗って、もっともっと話しながら出かけたい。
私オリジナルの強引な【ゲン担ぎ】のベストポジションも伝えてみようと思う。

彼女は笑いながら、一緒に車窓からの景色を、願いをこめて祈るように眺めるに違いない。
もちろん見かけそうに無かったなら瞬時に寝たフリすることも、和みのフラッグを見つけてリセットするのも全て伝授するつもりだ。

あれもこれもと何事においても欲張りがちな私は、楽しいことをひらめいたり面白いことを見つけたり、人の笑顔を見るのが大好きだ。

とびきりの笑顔をひきだす楽しい話題を準備万端にして、私は特急に乗りこむ。
五十肩に優しく、見つけると嬉しい、少し低めの位置でユラユラ揺れては癒してくれる「そうにゃん吊り革」は、新たなゲン担ぎだ。
しっかりとラッキー吊り革を掴み、車窓からの景色を眺めながら約束の場所へと向かう。

また今日も、私は「会いたい人」になれる。

著者

原岡 ココ