「線路のむこうの君に」紀美乃 瞳

 横浜の今年の夏は本当に暑かった。あまりの暑さに外出を躊躇する日も多かった。
 だが今日は足取りも軽く横浜へ向かった。
 前日の午後大宮に住む娘からスマホに連絡があり、5才になる男の子の孫を連れて私の住む二俣川へ来るということだった。
 相鉄線横浜駅の2階改札口を出たところで待っていると、
 「じいじ、ハルだよ」
という声とともにエスカレーターで横浜駅中央通路の方から娘に手を引かれたハルがやってきた。
 ハルは鉄道の町大宮に住んでいた。物心が付く前から毎日電車や機関車を間近に見ていた。JR東日本の全新幹線の名前や、大宮へ乗り入れている数多い路線名などを頭に入れていた。
 同一の車両で運用している湘南新宿ラインと上野東京ラインも、走っている線路の位置できちんと区別ができていた。
 相鉄線のホームにはいるとハルは3番線に入線していた「今むかしトレイン」に乗りたいと言った。
 車体側面に、相鉄の今と昔の写真を大きくラッピングしたひときわ目立つ電車だった。
 2番線には横浜ネイビーブルーの電車が止まり、1番線には銀色のアルミ車体の電車が入線してくるところだった。
 以前は横浜駅に止まっている車両は発車時刻が迫るまで車内の冷房を入れなかったが、いつ頃からか停車中の電車はいつも快適な温度に保たれていた。
 通勤ラッシュが終わった後の下り電車は空いていた。ハルを真ん中に挟むように3人で並んでロングシートの座席に座った。
 ハルは電車が発車すると後ろ向きになって外の景色を見たいと言った。
 「いいよ、空いているからゆっくり好きなだけ見ていなさい」
と娘は言ってスマホに目を落とした。
 一昔前まで子供が電車に乗るとロングシートの座席に後ろ向きに座って夢中になって外の景色を見ていたものだ。そしてたいていは横にいる母親が、子供が靴で反対側の乗客の服を蹴ったりしないように足を手で押さえていたものだ。
 最近そうした光景をあまり見なくなった。
 電車にはベビーカーのままで乗ることが当たり前になっているし、チャイルドシートのついているマイカーで出かけたりすることが多くなったのも一因かなと思っていた。
 3番線から発車した特急海老名行きの電車は私たち3人を乗せ平沼橋を通過し、順調に走行していた。
 「じいじ、見て見て」
 とハルが言うので指さす方向を振り向くといつの間にかJR湘南新宿ラインと併走していた。スピードは私たちが乗っている電車と拮抗していた。そしてJRの車両の扉の横に立っている若い女性がハルに手を振り、ハルも手を振り返していた。
 暫くすると西横浜駅の手前で相鉄がブレーキを掛け減速した。天王町駅へと続く大きなカーブが近づいていた。
 先ほどまでハルに手を振っていた女性が乗っていた車両はいつの間にかずっと前方に進み、やがて15両の列車全体が相鉄を追い抜いていった。
 今は相鉄と併走するのは上野東京ラインか湘南新宿ライン・横須賀線の車両がほとんどになったが、昔は貨物列車や東海道線、時にはブルートレインもあって食堂車の車内の様子をかいま見ることもあった。
 
 その時だった。突然脳裏を電流が走ったように鮮明な記憶が蘇った。
 
 それは昭和48年の秋だった。
 私は高校を卒業し当時住んでいた瀬谷からお茶の水の予備校へ通っていた。
 親からは浪人は1年限り、来年大学へ合格できなければ家を出るように言われていた。
 希望ケ丘にある高校で3年間青春を満喫した私は受験勉強の様なことをほとんど経験していなかった。
 予備校の授業は右の耳から左の耳へ通過し、ただ板書をノートに写すだけの日々を送っていた。
 学力向上を実感することもなく時間だけが過ぎていく日々を見つめていた。
 それでも毎日自宅のある瀬谷からお茶の水へ通い続けたのは、高校時代から互いに意識し、3年生の時に一度だけクラスが一緒だった女生徒が同じ予備校へ通っていたからだった。
 彼女は戸塚に住んでいた。
 彼女も私も、高校2年の秋の修学旅行のクラス代表委員になっていた。
 一緒に夜遅くまで学校に残り旅行冊子を作ったり、修学旅行の為の学年集会を主催したりした。
 彼女は、私にとって校内で思ったことを話せる唯一の女生徒だった。
 それまで男子クラスにいて女子とほとんど会話のない日常を過ごしていた私にとって、彼女の存在はかけがえのないものだった。毎日がモノクロ映画からカラー映画に変わったかと思うほど眩しかった。
 やがて高校を卒業し、気づいたら私も彼女も東京の予備校へ通うようになってぃた。
 
 予備校通いにようやく馴れた4月のある朝だった。
 私は横浜駅で相鉄線から降り、当時東海道線と横須賀線が共用していた国鉄7・8番線ホームに入ってきた横須賀線の最後尾のドアにやっとの思いで乗車した。ドアが閉まり電車が発車しホームが後ろへ去り、7・8番線の線路がポイントを通過し一本の上り線路になった時だった。
 「おはよう」と突然後ろから声を掛けられた。
 当時、国鉄の朝の東京行きの電車は、現在とは比べものにならないほどに混雑がひどく、すぐに体を声の方に向けることもできなかった。
 「おはよう、岩井君」          ともう一度小さな声がした。間違いなく私を呼んでいる声だ。
 少しだけ体を無理にひねって声の方を見ると人混みの中に埋もれるように小さな肩の彼女がいた。
 電車の小刻みの揺れや、加減速の振動に合わせて少しずつ立ち位置をずらし、ようやく正面を向き合った。
 「久しぶり、元気?」
と訪ねると
 「元気そうに見える?」
と言われた。
 電車が揺れ2人の間に会話を躊躇する距離が広がった。
 やがて川崎に停車し、降りる人と乗車する人が入り乱れ渦を巻き彼女の姿を見失った。
 
 それでもその日を境に朝の横須賀線車内で顔を合わせ、帰りに待ち合わせをして話をすることは何度もあった。場所はいつも決まってダイヤモンド地下街の左手奥にあったカウンターだけの、サイフォンで入れるコーヒー専門店だった。客が全員店の外に背を向けて座っていた。知り合いが外を通っても彼女と並んで座っていることに気づかれることもなく何となく安心できる空間だった。
 
 彼女と話をした内容は今でもよく覚えていたが、楽しかった高校時代のことを2人で振り返ることはあまりなかった。
 将来が見えない閉塞感と毎日どうやって対峙していくかとか、現役で大学に合格した○○さんは学生運動に日々明け暮れているらしいとか、今の予備校通いが本当に意味があるのかとかそんなことばかりを他の客に聞こえないくらいの小さな声で話していた。
 カウンター席ではとなりの席の彼女を振り向くことより、目の前のコーヒーカップを眺めている時間の方がずっと長かった。それでもお互いを大切にしていたいという気持ちは通じていると思っていた。
 それは、ふたりが暗く閉ざされた浪人時代の日々の中で、私がもっとも大切にしていた時間だった。
 
 そして秋になり予備校の後期の講習が始まった。
 夏前まで利用していたいつもの横須賀線電車の最後尾のドアから私は毎日乗った。同じ車両に彼女が乗っていることをほとんど確信しながら、混雑した車内でおはようと言い合えると思っていた。
 だが彼女に会えない日が数日続いた。体調を崩したのかな、今年の夏は暑かったから。それくらいに思っていた。

 そしてまた何日か経過した。
 
 その日は相鉄が遅延していた。
 いつも私が瀬谷から乗る急行も徐行運転を繰り返し横浜駅に近づいていた。
 「遅れは5分くらいかな」
 と腕時計に目をやると平沼橋駅を通過したところで電車は止まった。すぐに反対側の線路を海老名行きの電車がすれ違って行った。横浜駅のホームがひとつ空いた。入れ違いに私の乗っている急行が横浜駅へ向かって動き出した。
 何気なく窓の外を見ると、夏までいつも彼女と待ち合わせて乗っていた横須賀線が減速しながら国鉄横浜駅へ入るところだった。
 普段なら私が最後尾の車両へ乗車する電車だった。
 その横須賀線の最後尾の車両が、相鉄横浜駅へ入線しようとしている私が乗っている急行電車と一瞬併走した。
 その時だった。
 横須賀線のドアのガラスに押しつけられ身動きできないような状態の中に彼女がいた。
 それでも彼女はしっかりと私を見ていた。
 混雑の中で小さく手を振っていた。
 さよならではなく、私、元気ですといった手の振り方だった。
 小さく口元が動いた。「岩井君」と呼んでいるようだったが、何と言っているのか解らなかった。
 間違いないのは線路の向こうに確かに君を見たということだけだった。
 次の瞬間、私の乗った急行は横浜駅のホームへ入り彼女の姿も横須賀線も視界から消えた。
 人混みの中を縫うように国鉄7、8番線ホームにたどり着いたがいつもの横須賀線はずっと前に発車し、いくら探しても彼女を見つけることはできなかった。
 
 その日を最後に彼女に生涯会えなくなる日が来るなんて思いもよらなかった。
 しかし、その日以来、彼女の姿に出会うことは今日まで1日も無かった。
 何人かの友人を介して、彼女の噂が私の耳にも入ってきた。
 それは、小樽の豪商であった彼女の祖父が夏の終わりに急逝し、横浜に住む一人息子だった彼女の父が急遽呼び戻され一家転住したこととか、もともと彼女が高校を卒業したら一家で転居する予定があり懇意にしていた女生徒の間では知っていた人も少ながらずいた
ということだった。

 二人でいつまでもコーヒーカップに視線を落とし、喉まで出掛かっている言葉を砂ふるいにかけるよう吟味し、紡ぎ、一瞬を共有していたあの日、あの時を思い出していた。

 「じいじ、じいじ、起きてよ、もうすぐ二俣川だよ、」
 と呼ぶハルの声がした。
 われに返ると同時に気づいた。そうか、
 「今むかしトレイン」に乗ったから蘇った遠い日の光景なのだ。
 
 この子が大きくなった頃に、この子もまた横浜・西横浜間で新しい併走シーンに出会えるのかなと思いつつ空を見上げた。夏空の中から工事中のタワーマンションが私たちの乗る「今むかしトレイン」を見下ろしていた。

著者

紀美乃 瞳