「線路沿いを行く」本間いっこう

 昭和40年代の半ば、横浜市内はまだまだ昭和の香りを色濃く残していた。特に堂間和義の住む瀬谷は横浜市の西端に位置し、隣接する大和市との間には清流とはとても呼ぶことはできないが境川という二級河川が流れ、幾つもの森が点在し、また、相模鉄道(略称:相鉄)の瀬谷駅から少し離れた場所においては田畑が広がり、住宅街の路地などは舗装されていない土がむき出しの箇所が散在する、とてものどかな郊外都市であった。
 和義はそんな瀬谷で生まれ育ち、小学1年生となっていた。本来、彼は人見知りをするたちであったが、周りの人々やそれほど広くはない活動範囲内の人々とは幼い頃からの知り合いであったので、それまでは誰に遠慮をすることもない活発な少年として過ごしていた。だから、比較的勉強もでき、体育も得意であった彼はクラスでもどちらかといえば目立つ存在だった。また、学校が終わった後は、あちらこちらに店を構えていた駄菓子屋へ行くのが日常のことであった。当時は駄菓子屋が子供たちの社交場であり、情報交換を行う憩いの場所であったのだ。
「教頭先生は頭が禿げていて、いつも真っ赤な顔をしているから『茹蛸』というあだ名で呼ぶことにしよう」、「1年3組の鈴木先生は結婚して学校を辞めるらしい」、「今度の保健室の先生は可愛くて優しいよな」――などと他愛のない話題を様々な駄菓子を食べながら夢中で話し、子供ながらにも飽くことを知らない母親たちの井戸端会議のようにどこまでも話題を広げていった。それに飽きると、今度はベーゴマ回しやメンコのやり取りに興じるのだが、年長者の巧みな技術と経験によって、和義たち年少者である小学1、2年生などは散々に負かされてしまい、時には、メンコが1枚もなくなってしまった日などは口惜しさのため、目からは我慢の涙が溢れ出ることもたびたびあった。だが、家に帰って夕食を食べ、ぐっすりと眠った翌朝には、そんなこともすっかりと忘れ、何事もなかったように学校へ登校していくのであるから呑気なものでもあった。
 このような気楽で安楽な日々を送っていた和義の日常に些かの変化をもたらしたのは、冬の寒さがわずかに感じられるようになった10月のはじめの頃のことであった。彼の鼻水をすする音や鼻をかむ回数が増えたのを心配した母親が、瀬谷駅の隣りの三ツ境駅にある耳鼻科の診療所に彼を連れていったのだ。
「鼻炎ですね。しばらく通院して治療をした方がいいでしょう」
 診察後、白衣を着た恰幅の良い初老の男性医師がそう言った。
 まだ1歳になったばかりの弟を抱っこしながら話しを聞いていた母親は、
「和義の鼻炎の症状はよほどひどいのでしょうか」
 と心配そうに聞き返した。すると、老医師は笑顔で諭すように言った。
「そんなにひどいものではありません。週に2、3回通ってもらえば、半年くらいで治りますよ」
「そうですか」
 母親はほっとした様子で、ふぅっとため息を吐いた。
 そわそわしながら話を聞いていた和義も安堵した様子で胸を撫で下ろしたのであった。
 というわけで、和義は三ツ境駅の近くにある診療所に通うことになったのだが、治療はごく簡単なもので、金属製の吸引管を鼻の中に入れて鼻水を吸引するというものだった。しかし、老医師は右と左の鼻の穴へと順次吸引管を入れるだけなのに、時にはその力加減が強すぎて鼻の奥底へと当たったり、手元が狂って鼻の穴のあちらこちらへと突き刺したりすることもあり、激痛が走ることもしばしばで、その度に和義は不平を述べるように顔をしかめてみせるのであった。だが、老医師は気にした様子もなく平然と治療を続ける。それに対して和義は、それ以上の抗議をする方策も分からず、また、元来人見知りの彼はそれを文句として口に出すことなどはもちろんのことできるはずもなかった。
 それでも、和義は診療所へ通うのが楽しみの一つとなっていた。普段は幼い弟の面倒ばかりをみている母親が、診療所に行く時だけは手を繋いでくれるからであった。瀬谷駅まで徒歩で20分ほどの道のりを、母親は弟をおんぶ紐でおんぶをして、柔らかくて暖かい右手で彼の左手をぎゅっと握ってくれるのである。反抗期まではまだ十分に時間のある彼はそれだけで幸せであったのだ。
 他の楽しみもあった。和義の家族が暮らす2DKの平屋の貸家は瀬谷駅の南口側にあるのだが、駅を出てすぐのところにはアーケードのついた大きな商店街があり、診療所の帰りには必ずここを通ることになる。商店街には八百屋、魚屋、肉屋、総菜屋、焼き鳥屋、おもちゃ屋、洋服屋、靴屋、中華料理屋、そば屋、飲み屋等々が道の両側にずらりと並び、和義には遊園地のごとくワンダーランドに見えたのだ。いつもは家の近くにある小さな商店街で買い物を済ませる母親も、この時ばかりはこの大きな商店街の店々を次々とのぞいては夕食の素材となる食材をどんどんと買っていくのであった。たまに、駅前のパチンコ屋へ行く父親に連れられて駅の近くに来ることもあった和義だが、その際は商店街などには寄らず、父親の隣りの席に座ってパチンコ台を眺めるばかりで、帰りがけに洋食店のオムライスを食べさせてもらうのだけが楽しみだった。だから、彼は商店街というワンダーランドに足を踏み込むと足が勝手に躍るような心持ちとなり、気が付くと、母親の姿が見える範囲内で靴屋のおしゃれな靴やおもちゃ屋のプラモデル、八百屋のメロンなどの高級な果物等々に熱い視線を送るのであった。当然、誕生日でもなければそのような靴やプラモデル、高級な果物などは買ってもらえるはずもないのだが、どうしてもそちらへと視線が向いてしまう。そして、結局のところ、彼は好物である肉屋のメンチカツや総菜屋のおでんのはんぺんなどを買ってもらい、ご機嫌になって家路につくのであった。
(いつまでもこのような事が続けばいいのに…)
 和義は診療所での苦痛などは何事でもないようにそう願った。しかし、半年もすればきっと鼻炎の症状はよくなり、このような楽しみがなくなってしまうことも理解していた。だが、彼は子供ながらにも逆転の発想を脳裏に描きだし、半年はこのような楽しみが続くのだと思い込むようにしたのであった。そもそも、年齢を重ねるごとに時間の経過の早さが身に沁みて感じられるようになるのと比べると、小学1年生の時間の経過はすこぶるゆっくりと流れるものであり、半年というのはかなりの長き時間に感じられるのであった。
 ところが、せっかくにして脳裏に描きだした逆転の発想も、診療所に通い出してから1ヵ月ほど経った頃には、すべてが無に帰してしまった。それは、
「もう1人でも診療所へ行けるでしょ」
 との母親の断言をするかのような一言が原因であった。
 和義は突然のことでつかの間言葉が出なかった。それまで1人で瀬谷駅まで行ったことはなかったし、もちろんのこと1人で電車に乗ったこともなかったからであった。当然のごとく、1人で診療所まで辿りつくことができるのだろうかとの不安が胸をよぎったのだ。だけれども、母親の顔を上目遣いにのぞき込むと、いつもの優しい笑顔の中に『当然、それくらいはできるわよね』という確信的な眼差しを見て取ることができた。つまるところ、彼は「うん」と簡単な一言を返すことしかできず、次回からは1人で診療所へ通うことになったのである。

 季節は11月に入っていた。寒さは本格的な冬へと徐々に近づいていて、学校を終えて帰宅した和義は長袖のシャツの上にジャンパーを着て、1人瀬谷駅へ向かって歩いていた。途中には一ヵ所だけ大きな県道を渡らなければならない箇所があり、家を出発する際には、
「絶対に青信号になってから渡るのよ。黄色になったら止まって、青になるまで待つのよ。分かったわね」
 と母親からは何度も念を押された。
「分かってるよ」
 1人で診療所へ行かされることになった和義は、少しばかり不貞腐れたような返事を返すと、玄関先まで見送りに出た母親をちらりとも見ずにバタンと乱暴にドアを閉めたのであった。
 ちょうど青信号であった県道を渡り終えると、和義はズボンのポケットの上から財布が入っているか確認してみた。わずかにかじかんでいた手には、母親が買ってくれた小さながま口型の財布の感触が伝わってきて、彼はほっとした様子となった。財布の中には、電車の往復運賃と診療代の他に、帰りに好きなものを買いなさいと母親が50円ほど多く持たせてくれたお金が入っていた。無くしたら一大事とばかりに、駅までの道のりの間、彼は何度も財布の感触を確かめ、その度にほっとするのであった。
 瀬谷駅に着くと、和義はズボンのポケットから取り出した財布からお金を出して券売機に投入し、間違えのないように慎重にボタンを押した。母親から幾度となく教わった切符の買い方ではあったが、1人きりで買うのは初めてのことだから、無事に金額通りの切符が出てきた時には思わずにんまりとなってしまった。
(ここまでは上出来だ)
 和義は自己満足したように小さく頷くと、次の難関へと歩みを進めた。とはいっても、改札口を通るだけのことなのだが、人見知りの彼にはこれが大変に大きな仕事のように思われたのだ。だから、改札口の駅員におずおずと切符を渡し、改札鋏でハサミを入れた切符を返してもらった時は端無くも有頂天となってしまい、軽くスキップを踏みながら、三ツ境駅方面へと行く電車のホームへ渡るための跨線橋へと向かっていたのであった。
 和義はほどなくやって来た電車に乗り込むと、ガラガラだった車内にもかかわらずロングシートの座席には座らずにドアの前に立って、ゆったりと流れゆく車窓の景色に見入った。母親と一緒の時は座席に並んで座り、彼は、おんぶをした弟を気にしながらもちょこんと腰を掛ける母親にいろいろと話しかけては、注目を自分の方へ向けさせるのに懸命になっていたので、車窓の景色にはほとんど視線を向けていなかったのだ。そのため、改めて眺める車窓の向こうへと広がる家並みや大きな建物、そして、所々に見え隠れする畑などが思いのほか新鮮に目に映った。瀬谷駅から三ツ境駅までは2分ほどの乗車時間ではあったが、彼はちょっとした旅気分を味わったのであった。
 三ツ境駅を出ると、和義は目の前の道路沿いを瀬谷駅とは逆の横浜駅方面へと向かって数分歩き、途中にある右折する路地へと入っていった。このすぐ先に彼の通う耳鼻科の診療所があったのだ。
 ちなみに、今でこそ相鉄線は横浜駅と海老名駅を結ぶ『本線』と、その本線の中間ほどにある二俣川駅と湘南台駅を結ぶ『いずみの線』の2路線があるが、当時は本線しかなかった。
 和義は診療所の前に立つと、子供には少しばかり重くて大きすぎるドアを力いっぱいに開けて中に入った。院内の待合室にはいつもと同じようにたくさんの患者とその家族が幾つかあるソファーに座って順番を待っていたが、土足厳禁の待合室の右側にある受付の若い看護婦さんが彼に気付き、
「堂間君、こんにちは」
 と声をかけてくれた。
「こんにちは」
 和義はささやくような声で返事を返えしながら靴を脱いだのだが、待合室にいる人数に比べるとかなり狭い玄関にはすでに多くの靴がびっしりと行儀悪くあちらこちらに並んでいて、彼の靴を置く場所はありそうもなかった。彼は仕方なく玄関脇に置かれた靴箱に入れてあるスリッパを取り出して履くと、代わりに自分の靴を仕舞いこんでから待合室に入り受付の前までいった。
「お願いします」
 和義はもじもじしながらも、母親から受付の看護婦さんにはそう言って診察券を渡すのよ、と言われた通りに実践した。すると、看護婦さんはわずかに驚いた様子で彼にたずねてきた。
「あら、今日はお母さんと一緒じゃないの」
「うん」
「だとしたら、瀬谷から1人できたの」
「うん」
「そうなんだ。それはとっても偉いわね」
 看護婦さんがとびっきりの笑顔を見せながら、たいそう褒めてくれたので、和義は恥ずかしげに頬を染めながら素早く些少に頷くと、受付を離れ、何事もなかったように空いていたソファーの余地にしずしずと腰を下ろしたのであった。だが、心の中では嬉しさが充満していて、自分はとてもどえらいことをしたかのような心持ちとなり、しばらくはふわふわとした飽き足りた気分で座っていた。だから、毎度のように診察室に呼ばれるまでは30分ほどの時間がかかり、いつもはいつまでも続くテレビのコマーシャルを見ているような不満げな思いにかられるのだが、この日ばかりはこの30分が多少短く感じられた。実際に早く呼ばれたのかもしれないが、ふと気付いた時には自分の名前が呼ばれたので、彼はドアを開けていくつかの診察椅子が置かれている診察室に入っていった。
 和義が看護婦さんに導かれるようにして座った椅子でおとなしく待っていると、
「待たせたね」
 と老医師がやってきて、早速、金属製の吸引管を手にして治療を開始した。和義は、1人で診療所に来たことを老医師にも褒めてもらえると思っていたのだが、老医師はそのようなセリフは一言も発せずにいつものごとく坦々と治療を開始した。よく考えてみれば、老医師が和義が1人で来たことなど知りえるはずもなかったのだが、小学1年生の彼にはそのようなことはうかがい知ることができず、幾らか物足りない心持ちとなっていた。しかし、治療を終え、会計を済ませて外へ出た時にはそんなことはすっかりと忘れてしまい、薄暗くなってきた三ツ境駅までの道のりを急ぐのであった。
 再び電車に乗り、瀬谷駅に戻ってきた時にはさらに暗くなっていたが、改札口を出た和義は直ぐにと商店街のアーケードへと足を向け、いろいろな店のめぼしい商品へと視線を送りながら、何を買うか物色しはじめた。だが、なかなか決めることができなかった。なにせ手持ちは50円なのだから慎重に選ばなければいけない。そんな彼の目に留まったのが、長方形のガラス箱の肉まん・あんまん蒸し器の中に並んでいたあんまんだった。白くふっくらとしたあんまんは温かそうな湯気を出していてとても美味しそうに見えたのだが、値段を見ると50円では買えない代物であることが分かった。彼はあんまんに未練を残しながらもアーケードの端から端まで見て回ったが、結局のところ、慣れ親しんだ肉屋のメンチカツを買い求め、夜のとばりが落ち始めた家路を歩きながら、かぶりついたのであった。
 和義がもうすぐ家に到着する時分には外はすっかりと暗くなってしまった。しかし、家が小学校の近くにあった関係なのか、周囲には電灯がずらりと並んでいて道路を明るく照らしてくれていたので、彼は少しも怖いとは思わなかった。だけれども、家の前で心配そうにじっとこちらを見ていた母親の姿を認めた瞬間、彼は思いっきり走りだしていた。なぜだか分からないが、目が潤み、気が付いたら母親に抱きついていた。
「よく1人で行けたわね。頑張ったわね」
 母親がそう言ってぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれるのに、しばらくの間、和義は気持ち良さそうに身を任せたのであった。

 子供の順応力というのは驚くべきもので、半月もすると和義は1人で診療所へ通うことにすっかりと慣れてしまい、当初抱いていた不安も遥かなる時の彼方へと吹っ飛んでしまった。家から瀬谷駅に行くまでの道のりも、母親から教えられたものよりずっと近い道を見つけ、家々の間の路地を通り抜けてはすっかりと1人ご満悦となっていた。
 帰路に使うことができる50円についても、商店街で買い物をするばかりでなく、途中に幾つかある町中の駄菓子屋も利用するようになっていた。駄菓子屋でなら50円もあれば、小袋に入ったスナック菓子やラムネ、きなこ棒、よっちゃんいか等々、様々な駄菓子が2つ、3つと買えるからお得なのであった。
 年が明けて2月。冬の厳しい寒さが毎日のように続いていた或る日のこと、和義は風邪をひいてしまった。熱こそでなかったもののしばしば咳をするようになっていた。というわけで、学校が終わって診療所へ向かっていた彼は、いつものようにセーターの上にジャンパーを着たほかに、母親が編んでくれた毛糸のマフラーと手袋を身につけ、口にはマスクをしていた。だから、診療所に着いて、受付の看護婦さんに診察券を渡す際、
「マスクなんてして、風邪でもひいたの」
 とたずねられてしまった。
「そうです」
 和義がマスク越しにくぐもった声で返事を返すと、
「それじゃ、先生に言っておくから、風邪も診てもらいましょうね」
 と看護婦さんが言った。
 いつものように30分ほど待たされて、マスクをしたままで診察室へ入っていくと、
「風邪をひいたそうだね。鼻の治療が終わったら喉を診てあげるからマスクをはずしておいてね」
 と老医師に指示されたので、和義は幾らか慌てた様子でマスクをはずし、ジャンパーのポケットに突っ込んだ。
 老医師は最前の言葉通り、鼻炎の治療後、和義に口を開けさせて喉の奥をのぞき込んだ。
「おっ、ずいぶんと腫れて赤くなっているな。ルゴール液でも塗っておくか」
 老医師はそう言うと、長い綿棒に赤黒い液体をつけて喉の奥の方へ塗りつけたのだが、和義は反射的に、おえっと嘔吐してしまった。綿棒がのどちんこに当たり違和感を覚えたのも不快だったが、ルゴール液の苦いような、辛いような、それでいて甘いような、とにかく今まで経験をしたことがない不味い味に辟易してしまったのだ。そんな彼の様子を老医師は可笑しそうに顔を歪めて見つめながら、
「これで風邪はよくなると思いますよ」
 と簡単な一言を投げかけた。
 診察室を出た和義は喉に残る忌々しいルゴール液の味を噛みしめながら会計を待っていたのだが間もなく自分の名前が呼ばれたので受付へ行った。すると、会計担当の看護婦さんからはいつもより高い金額を告げられた。
「えっ」
 と思わず和義が驚いたような声音を漏らすと、
「今日は喉にお薬を塗ったから、その分だけ高いのよ」
 と看護婦さんが諭すように言った。
 和義は戸惑いながらも、得意だった算数を活かして頭の中で素早く計算をしてみた。その結果、財布に残っている金額から告げられた治療代を差し引くと、帰りの電車賃が足りなくなってしまうことに気付いた。
(どうしよう)
 彼にもう少し人生経験があれば『お金がないので次回に支払います』などのセリフが出てくるのだろうが、なにせ小学1年生のことなので、そのような考えは出てこない。和義は頭の中であたふたと活発に思考を進めてみたのだが残念ながら良い方策はまったく浮かんでこなかった。その代りに全身が硬直してしまい、つかの間黙り込んでしまった。
「堂間君、どうしたの」
 看護婦さんの心配そうな声で我に返った和義はようやくのことで硬直から解放された。そして、諦めたようにゆっくりと財布を取り出すと、告げられた金額を支払った。
(さて帰りはどうしよう)
 不安げに顔をしかめた和義は、
「お大事にね」
 と声をかけてきた看護婦さんに小さく頷くと、肩を落としながら診療所を出たのであった。
 外はまだ明るさを残していたが、西日の光はずいぶんと色が薄くなっていた。もう少しで日が暮れてしまうことは容易に想像できた。家に電話があれば、電話をして迎えに来てもらうこともできるのだが、生憎なことに和義の家には電話がなかった。また、彼が人見知りでなければ誰かに助けを乞うこともできたのかもしれないが、それもできそうにない。
(こうなったら歩いて家に帰るしかない)
 和義はそう決めると、ポケットから出したマスクをつけながら瀬谷駅方面へと歩を進めたのであった。しかし、彼はどの道を通れば家まで辿り着けるのかが分からなかった。そんな時である。ゴー、ゴー、ゴーという電車の走行音が聞こえてきた。
(そうか、相鉄線沿いに歩いて瀬谷駅まで行けばいいんだ。駅からなら道も分かる)
 不安でいっぱいだった和義は、一筋の光明を見つけ出したことで無意識のうちに笑みを浮かべたのであった。
 というわけで、しばらくは線路を左手に見ながら道路を歩いていたのだが、突として前方に現れた大きな建物が線路沿いの行く手を阻むように建っていた。和義はどうにか通り抜けることができないかと建物の前を何度か見て回ったが、どうやら無理であることが分かった。そこでいったん右側へ曲がって迂回してみることにした。線路沿いから離れるのは心細かったが致し方ない結論だった。
 その後、和義はすぐに見つけた左側の狭い路地に入り込み急ぎ足で歩を進めた。左手にある家々の間からは相鉄線の線路が見え隠れするように垣間見えたので、とりあえずは安堵しながら歩いていたのだが、アスファルトの道路がいつの間にか土の道へと変わり、今度は広い畑が行く手を立ち塞いでしまった。だが、よくよく見てみると、畑の向こう側にさらに先へ進めそうな道があることが分かった。勝手に畑を通ることは決してよくないことであることは理解していたが、見回すと人影はまったくなかった。彼は済まないとは思いながらも、
「よし!」
 と気合を入れると、畑の中へ入り込み、全速力で走りだした。幸い足の速さには自信があった。和義は土がなるべく固められていた箇所を選んで走ったが、途中でぐにゃっとした柔らかい土の感触を足で捉えると、せっかくの野菜をダメにしてしまったのではないかと申し訳ない心持ちとなった。が、この時ばかりは敢えて気にしないことに努め、畑を突っ切ることだけに集中した。だから、誰にも見つからずに向こう側の道へ到着した時には息がぜいぜいしてしまい、つけていたマスクを外しジャンパーのポケットに入れたのであった。
 比較的広いアスファルトの道路に出た和義は、左手に線路が見えるのを確認してから歩き出したのだが、道路は緩い下り坂となり、ほどなくT字路に突き当たってしまった。しかし、左側を見ると線路が道路の上を走っているのが見えた。彼は迷うこともなくそちらへ向かい架道橋をくぐると、すぐに右の路地へ曲がった。線路は右手へと移った。しばらく道なりに歩いていくと今度は大きな道路にぶつかってしまった。しかし、薄暗くなった遠くに相鉄線の踏切が見えたのでひと安心したのだが、左右を見回しても信号機のついた横断歩道は視線の中には入らなかった。車の往来はとても激しくて途切れることはない。
(どうしたらいいんだろう)
 彼が途方に暮れたように道端で様子をうかがっていると、踏切が鳴り出した。それを潮に車の流れがぴたっと止まった。彼はチャンスとばかりに道路を横切ると、線路側にあった急な上り坂の路地へ入った。
 その後は、線路沿いの道路を見つけては急ぎ足でどんどんと進んでいった。右へ曲がったり左へ曲がったり、坂を上ったり下ったり、架道橋をくぐったり戻ったり、時には行き止まりの路地に入り込んでしまうこともあったが、線路があるのを確認すると力強い援軍を得たように瀬谷駅へと進んでいった。そのうちに西日がすっかりと消えてしまい周囲は薄暗くなる一方となった。自然と涙が込み上げてきては、泣くものかと我慢していたのだが、和義は無意識のうちに涙を吹き飛ばすように無我夢中で走り出していた。全身からは汗が出はじめた。彼は首に巻いていたマフラーをとると、ジャンパーのポケットに無理矢理に押し込んだ。
 そして、長い坂道を上りきった時、ようやくのことで瀬谷駅の近くの踏切に出たのであった。すっかりと暗くなってしまった先には商店街のアーケードと瀬谷駅がある。和義は歩調を緩めると、アーケードをやり過ごして瀬谷駅へ向かった。瀬谷駅こそが徒競走のゴールのごとくに思われたからだ。だから、駅に着いた彼はまるでテストで100点をとったかのような満足感に包まれた。家まではまだ20分ほどもかかるのだけれども、瀬谷駅の改札口の穏やかな灯りに包まれた彼の内心からは、ここまでの不安げな心持ちはすっかりと消えてしまい、何事もなかったように家路についたのであった。

 それから半世紀近く経った現在、和義は横浜駅から10数分ほど歩いた場所にある中規模の貿易会社で経理部長として働いている。両親はいまだに健在で、ずいぶん前に購入した瀬谷駅近くの建売住宅に住んでいる。2人の娘はすでに結婚してしまい、今では妻と2人で暮らしているが、その家は、地元の同級生と結婚したこともあり、お互いの実家の中間ほどにある。だから、今でも相鉄線の瀬谷駅を利用している。いたって平凡な日々ではあるが、電車が三ツ境駅に停まったり、瀬谷駅に到着した際、彼はどうかすると三ツ境駅から瀬谷駅まで歩いた小学1年生の頃の自分を思い出すことがある。三ツ境駅は商業施設が併設された駅ビルとなり、瀬谷駅は近代的な橋上駅舎となり、便利に進化しているが、その時だけは遠い記憶の中に残っている懐かしい両駅の面影を思い出すのであった。

著者

本間いっこう