「色褪せない輝きと移りゆく風景」吹雪 舞桜

 透き通るような水色の青空と、肌寒さを覚える冷たい風。
 道端に見かける植物は徐々に緑色を帯びていく。
 厳しい冬を越えて芽吹きの春が訪れる間際。
 巣立ちの時期を迎え、僕らは大人になる。

  ・

 卒業式を終えて数日が経った。
 就職活動で散々袖を通したスーツは卒業式と二次会と大活躍をした後、一段落した今のうちに駅ビル内のクリーニング店に出した、その帰り。
 和泉川の河川敷で大の字になって転がっている友人を見かけた。
 区のホームページによれば「二ツ橋の水辺」と呼ばれるそこは、俺たちにとって小学生の頃から遊んでいた場所で、徐々に開発され変わっていく度に楽しみが増えたような減ったような複雑な気持ちを抱いていたことは今でも記憶に残っている。
 今は川の向こう側へ渡る手段として木板の橋が掛かっているが、俺たちが現役だった頃にはそんなものなくて近くにある大きい石を飛び越えてでしか渡れなかったことなど、どのくらいの人が覚えているんだろうか。
 ふと浮かんだ哀愁を誤魔化すように、友人へ声を掛ける。
「おーい、玲音。何してんだー?」
 俺の声に反応した友人は上体を起こして人懐っこい笑顔を見せた。
「おー良澄、久しぶりだなー」
 子供のように手を振るそいつは、俺の質問など聞いてないのだろう。立ち上がって髪やコートに付いた葉っぱや土を払い落とし始めた。
 厚木街道から水辺へ入る緩やかな階段の奥に、だだっ広いスペースがある。そこから河川敷へと下りる階段の側まで歩くと、階段の途中に玲音は立っていた。
「懐かしいよなー。覚えてるか、お前、そこの石を飛び移ろうとして足滑らせて川に落ちてたよな」
「何でそんなこと覚えてるんだよ……。つか、お前だって、向こう側の、保育園近くの川ですっ転んで泥だらけだったじゃねえかよ」
「保育園じゃなくて幼稚園な。教会もあったよな、あそこ」
 懐かしいなー、と楽しげに呟いた玲音は、あろうことかその場に座り込んだ。
「は? そこ座んのかよ」
「別に良いじゃん。どこも変わんねーよ」
「そう言うことじゃなくて……」
 すぐ近くに屋根付きのベンチがあるというのに、階段に座り込む様子は昔から変わっていない。さすがに二十歳を過ぎてそんなところに座るのには躊躇いがあったので、俺は玲音の隣に立って、今やこの水辺のシンボルと言っても過言ではない立派な木の橋を眺める。
 この水辺は以外と敷地が広く、あの橋はちょうど中間地点に設置してある。ジョギングを楽しむ人用に整備されたであろう散歩道なんかもあって、玲音は高校生の時に愛犬の散歩でここを何度か訪れていたらしい。四季折々の花が咲くこともあり、それが何度も足を運ぶ理由のひとつになっているのだろう。来月にもなればこの河川敷にも桜が咲き誇る。
「そういや、知ってるか? ここのもう少し下流に、新しい住宅街あるじゃん」
「駅に向かう裏道んとこの、森伐採して出来たとこだろ?」
「そうそう。その近くにある赤い道の橋、大神上橋って言うんだけど、そこの少し下流辺りに、新しい川辺が出来るんだって」
「へぇマジかよ」
 一方俺はと言えば、高校生になってから通学路以外は遠のいていたし、この川辺だって厚木街道からちらっと眺めていたくらいだった。
「本当、知らないうちにどんどん変わってくんだな。……あーでもそっか。そう言えば、クモの巣もなくなったって言ってたもんな」
 実際に見たわけではないが、玲音ん家の近くにある通称クモの巣公園のクモの巣がなくなったことは彼から聞いていた。あれは高さのある遊具だったから安全面を考慮してだろうと、頭ではわかっているが、どうしても寂しさは拭えない。
「ま。でも、良澄的には良かったんじゃないか、クモの巣がなくなって」
「何でそうなるんだよ」
「だってお前、あれ登るの苦手だったじゃん。上まで登れなくて泣きついてきたもんな」
「はぁ? 別に泣きついてないだろ。変な言い掛かりつけんなよ」
 それは小学生上がりたての頃。近所の同級生と遊んだ際にどうしても俺だけクモの巣のてっぺんまで登れなくて悔しい思いをした時の話だ。後日玲音に特訓に付き合ってほしいと頼み込んで、声援を送られ背中を押され何とか一番上まで辿り着けたのだ。
「……まあ。結局、俺がてっぺんまで登ったのは、お前に付き合ってもらったあの一回しかないんだけど」
「そっかそっか。折角俺に泣きついてまで登る特訓したのに残念だったな」
「だから泣きついてないって!」
「わははっ。別にどっちでも良いんだけど」
 てっぺんまで登れたあの時、何度も助けてくれた玲音が自分のことの様に喜んでくれたのだ。太陽の様な笑顔で片手を掲げてきた玲音と、手を離すのが怖くてちょっと手の平を浮かせただけの俺とで、不格好なハイタッチをしたことは、今でも覚えている。……余談だが、その日以来、嬉しいことがある度に玲音がハイタッチしてくるようになったのは良い思い出だ。
「でも、登れる登れないの話以前に、クモの巣がなくなると不便になるな」
「ん、そうか?」
「そうだよ。もうクモの巣ないんだから、これからクモの巣公園って言っても通じなくなるかもしれないんだぞ」
「あーそっか。シンボルなくなっちゃったもんな。まさかこんな日が来るなんて思わなかったなぁ」
「だな。ずっとあるもんだと思ってたし」
 和泉川もクモの巣公園もしかり、時代と共にいろいろと変わってきている。小学生当時の俺たちが自転車を乗り回して網羅していた遊び場は今どうなっているのだろうか、全く想像がつかない。そして同時に、当時の俺たちが遊んでいたもののどれくらいを、今の小学生たちが知ってるのだろうか。
 何だか感慨深いものがある。
「…………そういやさぁ」
 やけに気の抜けた声と共に立ち上がった玲音は、踊るような足取りで階段を上って行く。頂上に着くと彼は、どこかアンニュイな表情でこちらを見下ろしてきた。
「良澄は決まったのか、就職先」
「んーまぁ、一応はな」
 一応、と言ったのは気持ちの問題だった。
 やりたいことがあって専門学校に入り将来を夢見て毎日授業を受けて、あっという間に三年が過ぎた今、手を伸ばしても届くかわからない夢ではなく、目先の安心を選んだ。
 何だか、三年前進路を専門学校へ選んだ高校生の自分を、ずっと抱いていた自分の夢を、裏切ってしまったような気分だった。
 煮え切らない俺の返事に玲音はカラカラと笑う。
「何だそれ。実はまだ内定貰ってないとかかよ」
「そんなわけないだろ、もう来月には社会人だよ。……そうじゃなくて、本当にそれで良かったのか少し不安なんだよ」
「良かったも何も、お前が選んだ会社なんだろ? もしブラックだったらまたそん時に考えれば良いだけの話で、今から考えたって仕方ねーじゃん」
「いや、そういうことじゃなくて」
「はぁ? じゃあ、何が不満なんだよ」
「……夢を投げ出して、適当なとこに就職して社会人になっちゃって良かったのかわかんないんだよ。逃げたみたいじゃん」
 笑える話だが、同じ学校に通う学友で、夢を掴んだ人はいない。そして、もう一年学校に通う人もいれば地元に帰る人もいたり、バイトしながら夢を追う選択をした人もいたが、俺のように、完全就職モードになるやつはクラスの中では見かけなかった。
 だからこそ余計に思ってしまうのだ。
 現実に打ちのめされて夢を投げ出し逃げたのではないか、と。
「ふぅん。でも、お前は就職を選んだんだろ」
 気のせいだったのかもしれないが、玲音の声音には突き放すような冷たさがあった。
「それが逃げかどうかはお前が決めることだけど、俺にしてみりゃ、現実から目を反らしていつまでも夢にしがみついてる方がよっぽど逃げてるように思うけどな」
 ジャンルは違うが玲音も専門学校を進路に選んでいる。だから、かもしれない。玲音自身思うところでもあるのだろう。
「……ま、その話に関してなら言いたいこと色々あるけどさ。社会人になれた時点でお前はある意味勝ち組だよ。俺なんて、まだ就職先決まってねーし」
 そう言って玲音はにへらと口角を上げた。
「……ってお前、まだ決まってないかよ?!」
「そーなんだよ。さすがにヤバイよな」
 そうは言っているが、言葉と裏腹に口調は普段と変わらない。本当に焦っているのだろうか、こっちが不安になる態度ではある。 そもそも、それほどヤバイ状況だと言うのなら、玲音は何でこんな所で油を売っていたのだろうか。
 すいと目を細めて階上を見やれば、バツが悪そうに苦笑いを浮かべた彼は逃げるかのようにくるりと歩き出した。その背を追うように階段を上れば、玲音はすでに屋根付き休憩スペースを横目に、川岸へ下りるなだらかなスロープの中腹から、和泉川を眺めている。
「俺にとっては、ずっと変わんないよ」
 コートのポケットに両手を突っ込んだ玲音が、ぽつりと零した。
「何の話?」
「この町の話。良澄は変わったって言ったけど、俺はそう思わない。…………確かに昔と比べていろいろなくなったり増えたりしてるけどさ、変わってねーじゃん。この川も、公園も、ずっとある」
 その横顔は川を眺めているようで、けれど、別のものを写しているようでもあった。
「俺たちが大人になってくみたいに、この町もどんどん変わってくかもしんないけど、……けど、同じだよ。俺たちが遊んでた場所は、今でもガキどもの遊び場だ」
 休憩スペース近くに自転車を停めて、靴が濡れるのも気にせず川で遊んでた小学時代。岩を飛び越えたり、川を歩いて下ったり。俺たちが遊んでいた和泉川は様変わりはしても、彼の言葉通り、変わらずにここは遊び場だ。川辺だけじゃない。クモの巣公園だって、遊具がなくなった今でも公園だ。
 きっと、他の公園も同じだろう。
「俺、いつか給料貯めて自転車買うつもりなんだ。ホームセンターで売ってるようなママチャリじゃなくて、本格的なやつな。駅前の自転車屋で売っててさ。そしたら、昔みたいにいろんなとこ走り回るんだ」
 玲音はキラキラと眩しげな笑顔を浮かべる。
「記憶と違ってたら寂しいかもしんないけど、でも俺はそれ以上に楽しいと思う。昔と変わんねーなとかここが変わったとか、そんなの絶対楽しいじゃん。想像するだけで妄想が広がるぞ」
 楽しみだなー、と続けた玲音は、すでにどんな道を走るのか決めてるらしい。あそことそこと、などと指折り語り始めた。
「じゃあ、まずは就職先を見つけなきゃな」
「やめろ現実に戻すな」
 頭を振ったその顔はあっという間に曇っていく。
「もう何社落ちてると思ってんだよ、就活ブルーだよ俺は。ってか、履歴書はともかく、証明写真て何であんなに高いんだよくそー」
 言葉と共に玲音がその足元に転がっていた石ころを八つ当たりに蹴っ飛ばす。それは綺麗な放物線を描いて草むらに沈んだ。
「まあ良い、今の俺は充電期間だ。今の失言は忘れてやるよ」
「何だその充電期間って」
「あまりにも受かんなさすぎて精神病んできたから、今は少し就活から離れてんの。気分替えないと受かるもんも受かんねーだろ」
「相変わらずだなーお前」
 苦笑いを浮かべた俺に、玲音はニヤリと笑みを見せた。
「そう簡単に変わってたまるかよ。俺は、……俺にとっては、ずっと変わんない。お前もそうだろ?」
「そうかもな」
 俺も、玲音も、きっとこの町も。
 流れた月日と共に少しずつ変わっていくけれど、きっと本質はそのままだ。今までも、そしてこれからも。俺にとって、相変わらずであり続ける。
「俺もいつか買うよ、自転車。そしたら一緒に走ろうぜ」
 片手を掲げれば、一瞬キョトンとした玲音だったがすぐ同じように片手を上げた。
「ああ、楽しみだな!」
 だが彼は、すいとその手を下げ俺の背中を叩く。
 行き場をなくした手と背中に走った衝撃に、どうしたものかと隣の友人を見やる。
 玲音は、太陽の様な笑顔を浮かべていた。
 その笑みと叩かれた背中が妙にむず痒くて、俺はそれを誤魔化すように先程掲げた手で、同じように叩き返す。
 乾いた音が川辺に響いた。

著者

吹雪 舞桜