「街の灯り」髙橋裕二

 帰宅途中でバーに寄る。二俣川駅近くの店だ。重いドアを引き開けると、小さなベルが鳴る。先客はいなかった。暗い店内に煙草の香りが漂っている。白髪のマスターと会釈を交わしたら、いつもカウンターの奥に座る。古いレコードが流れている。ダブルのウイスキーを飲み終えるまでに、三本の煙草を吸った。
 電話を取り出して、メールを見た。やっと返信が来た。
「ママと話すことはありません」
とだけ書いてあった。

 四月に産まれたから春美。当時は私の夫でもあった春美の父が名付けた。いいかげんな人だった。生真面目と言われる私とは、まさに水と油だった。
 春美が小学生になった年に離婚した。春美は私が引き取った。あれから九年が経つ。仕事も子育ても、自分だけの力でやってみせると思った。仕事は今のところ順調と言えるのだろうか。子育てには既に失敗したのだろうか。
 勤務する病院では外科部長となった。腕は良いと思っている。患者からの評判は悪くないが、同僚からの批判は多い。男性が幅を利かせる外科医の世界で生き残ることは、楽ではない。良き母でもあることは、さらに難しかった。
 春美が学校に行かなくなった。自分の部屋から出てこない。たまに出てきても口をきいてくれない。しばらく顔も見ていない。春美とどう向き合えば良いのかわからなくなっていた。父が亡くなってから、進学や就職など、大事な局面は自分ひとりで乗り越えてきたと自負している。今の仕事だってそうだ。しかし今回は誰かに助けを求めたかった。
(お父さんなら、なんて言うだろう……)

 店を出た。今年の夏は暑い。暗い店内から出たら、夕方の空が眩しかった。駅前の喧騒に混じり、蝉の鳴き声が聞こえる。
 二俣川駅の改札を通り、横浜行きの電車に乗った。離婚してからは春美と二人、横浜駅近くのマンションで暮らしている。
 電車が走り出す。座席が空いていても座ることは無い。幼いころからの習慣だ。
「元気な子供は立っていなさい」
父と電車に乗るたびにそう言われた。父はいつも吊革につかまって、窓からの景色を眺めていた。私は父の手につかまり、背伸びをして同じ景色を見ようとした。
 父は私が九歳のときに肺がんで亡くなった。母が働きに出るようになると、私の生活は一変した。父の不在を受け入れるのには時間がかかった。多忙で留守がちになった母と喧嘩することが多くなった。
 車窓に私の顔が映る。母に似てきたと思う。母は認知症と診断され、三年前に老人施設に入所した。しばらく面会に行っていない。
 窓に顔を近づける。灯りの点いた家々の光が流れる。起伏の多い街だから、光の連なりは高台にも広がる。遠くを見遣れば、たくさんの灯りを一望できた。ところどころ、夕暮れの残照に木々が映える。

 時々私は横浜駅に着くまでの短い時間、空想に浸る。流れ去る景色を見ながら、幸せな家庭を思い浮かべる。
 部屋にともる灯り。子供が遊ぶ声。夕食の匂い。家族の笑顔……。

 それは私が失った幸せ。選べなかった人生。

 やがてウイスキーの酔いが手伝い、空想と思い出が混ざりあう。私は子供のころ過ごした家に居た。煙草の匂いが染み付いた父の書斎に居る。台所では母が夕食の支度に忙しい。父のお気に入りのレコードを聴きながら、二人でソファーに腰掛けている。私は覚えたばかりのオセロゲームをしようとねだる。父は何度でも繰り返し相手をしてくれた。時々ヒントを出して、私を勝利に導いてくれる。
 父は折にふれて言ってくれた。
「お前が困っていたら、必ず助けてあげる」

 林立する高層ビルが見え始めた。横浜駅が近づいている。空想は終了。現実に戻る時間だ。
 帷子川(かたびらがわ)が流れている。この川は横浜市内の小さな源から始まり、電車と並走しながら拡がっている。
 電車が速度を落とし始めると、西口繁華街のネオンが見える。帷子川の水面は繁華街の光をそのままに映し出す。
(子は親の鏡)
 ふと、そんな詩の文言を思い出した。
(確か)
 子供としっかりと向き合えば、しっかり育つ。愛してあげれば、愛してくれる。
(そんな意味だったかしら……)
 電車は横浜駅に滑り込む。ホームの光景が素早く流れ、そして止まる。アナウンスが到着を告げると、ゆっくりとドアが開く。私は勢いよくホームに踏み出し、早足で改札に向かった。

著者

髙橋裕二