「記憶をたどって・・・二俣川の思い出」夏野向日葵

白珠の乙女我ら
眉清き乙女我ら・・・

これは私が通っていた高校の校歌の一節。
もうだいぶ前のことなので、中学と高校の校歌の歌詞やメロディーがごちゃ混ぜになって、記憶が曖昧になってしまっている。
その高校は今もあることはあるが、カリキュラム変更、校名も変更し、すっかり変わってしまった。
神奈川県立衛生短期大学附属二俣川高校。衛生看護科の女子高だった。通称F校もしくはF高。
今は神奈川県立二俣川看護福祉高校で、比率は女子が多いものの、看護科と福祉科の半々となり、共学になっているそうだ。
もちろん女子高ではないので、校歌もだいぶ前に変わってしまったので、昔の校歌の歌詞を調べる術は私には無くなってしまった。

二俣川駅の改札口を出て、北口に進み、運転試験場行のバスの上を、歩道橋を渡って越えると、左側に小さなカウンターの簡素な『きよのや』という食堂があった。在学中に改装されて小奇麗な店に変わったけど。
それから二俣川銀座という商店街を通る。商店街の手前に小さな古本屋があって、本や漫画を買って帰った記憶がある。
そのそばのビルは1階が本屋、2階に、『べにづる』という喫茶店があった。
ビルの前を左に曲がって商店街の中へ。F校や、共学の高校があるためか、ファンシーグッズショップがあったり、小さなピザ屋ができた時には、『べにづる』と共に一部の同級生や先輩方のたまり場になっていたりした。
運転試験場の最寄り駅なので、申請書類の代書屋があったり、学科試験のレクチャーをする所があったりもした。
在学中に開店したパン屋があって、帰りに買ったのはいいが、何しろ家が遠かったので、香ばしく甘い香りに我慢できずに歩きながらや、二俣川駅のホームで食べたこともある。まだホカホカ温かくておいしかった。
突き当たって左の方向に坂道があって、その坂を登る。バス通りの坂を登る道もあるが、ちょっとカーブになっていて遠回りに感じられたのでほぼ皆バス通りの坂を登ることはなかった。
途中に中華料理店があった。確か一度部活の皆で週末の部活の時に食べに行った記憶がある。
坂の途中の細道を下ると、在学中に新しくできたビルの1階に喫茶店が開店し、ケーキ目当てでしばらく通って、気づくと常連になっていた。
坂のてっぺんの、神奈川ライトセンターの向かいに小さな菓子屋があった。通称『ねこや』。猫がいるわけでもないのになぜ『ねこや』なのかよくわからないが、部活帰りに飲み物やお菓子を買ったり、通学途中で昼食を調達するために立ち寄ったりした。優しいおばさんのお店だった。『ねこや』と代書屋、学科試験のレクチャー教室を過ぎると、運転試験場の実技試験コースが見える。さらに左折すると左に県立がんセンターがあり、道路を挟んで右には運転試験場の建物。さらに進むとわが母校が左にある。

私は3年間通った挙句、一度進路を変えて、同級生とは別の道を歩もうとしていたが、結局、原点回帰し、早数十年。
その間に母校の卒業生でだいぶ年上の先輩や、すぐ下の後輩と一緒に働いたりもした。
最近も、福祉科の卒業生と働いたり、偶然、在校生の女の子に会ったこともある。

一度母校を訪ねてみようと思ったけど、当時の先生方はもうリタイヤされたり、転勤されて誰もいないだろう。
二俣川には、昔別れた人が住んでいると風のうわさで聞いたので、駅ビル徘徊をしただけでやめた。
グリーングリーンという南口の駅ビルはなくなって、新しい建物を建設中だし、北口もライフが出来たり、バスターミナルも立派になっているし、北口のパチンコ屋と昔部活で使うものを買いに行った店のあるビルはディスカウントストアに変わってしまった。がんセンターは移動し、がんセンターのあった場所には県警の運転免許本部が新たに建設中ということも最近知った。
年月が経つといろいろ変わるものだなぁ・・・とちょっと寂しい気持ちにもなったが、今後二俣川がどのように変わっていくのか気になっている自分がいる。

今はもう、
白珠の乙女でも眉清き乙女でもない、おばさんになってしまったが、気持ちを新たに、未来に希望をもって今の道を邁進しようと思った。そして、これからも沢山の後輩達と働くのに恥じないように生きていかなきゃ、と心に誓った。

二俣川。私の青春の1ページの場所。

著者

夏野向日葵