「試運転」匿名希望

 小学四年生くらいから僕は西谷駅から二俣川駅まで電車通勤で塾通いをしていた。当時の西谷駅は、まだ平成に入ったばかりなので、「新時代の幕開け」には遠く及ばず、南口は疎らな人が行き交う雑多な商店街と、閑静とは名ばかりの住宅街と、北口は排気ガスだらけの一六号線やその奥に一面に広がる大地主の畑が覆い尽くしているためか、昭和と田舎くさい垢ぬけない薫りが充満している町であった。当然駅の構内も「昭和」を継承しており、小気味よく奏でる駅員さんの鋏のリズムと、申し訳程度に備え付けられている売店と、仄かに漂う御手洗の臭いが当時を懐かしく感じさせる。
 そんな僕は塾のある二俣川駅に向かうため、自宅近くのバス停から「西谷駅前」の停留所で下車し、歩道橋を快活に横断。駅前は昭和の風情漂う美容室と小汚い煙草(やに)臭狂うゲームセンターと人気(ひとけ)のない小さな本屋を横目に改札へと階段を駆け上がった。綴り式の回数券を談笑中の駅員さんに鋏を入れてもらい、二俣川・海老名方面の島式ホームへ歩を進めた。十分間隔で停車する各駅停車を待つため、ホームで自作の漢字の読み書きを認(したた)めた単語帳を眺め、また指でなぞりながら備え付けの椅子型ベンチで学習をしていると、なぜか身体を背にした、普段使用することのない一番線へ電車が滑り込んだ。いつもとは違う感覚に戸惑いつつ電車が到着した一番線へ身体を向けると、その電車の行き先表示には「試運転」と表記されている。
 
  「試運転」?
 
 得体の知れない「試運転」は、別段急行の通過待ちをするわけでもなく、また二番線の電車の到着を待たずに、一分ほど暇を費やしてから鶴ヶ峰方面へと発車していった。
 当時僕は小学四年生、多少は知識があると自己陶酔に浸った頭でっかちな少年だったが、あの一番線に止まった「試運転」の意味が理解できなかった。

  「試運転」。

運転を試すっていうことはなんとなくわかるが、一番線に停車した電車は別段よく見かける若草色六〇〇〇系の八両編成だ。電車に故障があるわけでもないだろう。では運転士が仮免とかで、西谷駅の一番線を使用して停止位置確認の練習か、または本試験なのか。いや、自動車教習所のように助手席でチェックする指導員の姿も見えなかった。では一番線の線路の点検というのはどうだろう。であれば、わざわざ西谷駅の一番線のためだけに「試運転」と大仰なことをするのか。

 鉄道オタクでもない僕は、「試運転」という独特の世界へと誘(いざな)われてしまった。

 また、あるときは横浜方面の四番線へ「試運転」は停車し、こちらも特に電車の扉は開くこともないまま、およそ新幹線の轟音が過ぎるのを計ってから、何事もなかったかのように「試運転」は上星川方面へ進んでいった。やはり電車ではなく、西谷駅の点検なのか。
 普段使用することもない一番線や四番線のレールが錆びないように、気休め程度にレールの感触を確かめているのか。そしてその当時、相鉄線で西谷駅以外に常時使用していないレールを持つ駅というのも知らなかった。当時、小学生の自分にとって「試運転」という電車が虚を突かれる存在であり、誰にも共有できるものでもなかった。
 
月日は流れあれから二十年、立派とは言えないが「一丁前(いっちょまえ)」のような大人になった私が地元の西谷を離れ、新たな住まいの瀬谷駅から通勤のため急行電車で横浜駅へ向かう車中、地元西谷駅を颯爽と通過、としたところふと、四番線の横浜行ホームに電車が停車しているのを目に停める事が出来た。しかも扉が開いた状態だ。
 
これは、また、「試運転」なのか?
いや、ホームを通過する刹那、確認できるのは乗降中の乗客だ。
ん?これは「試運転」ではなく「各停電車」?

 電車が停まっているのは、「事故」でも「気休め」でもなく「通常運転」として
各駅停車が西谷駅での急行通過待ち合わせを行っているだけだった。

西谷駅の四番線は生かされていたのだ。
いつ、僕の知らない間に、西谷駅は急行通過待ちの駅へと変化を遂げていたのか。

 なぜかそのとき、二十年前の小学生の頃に目に停めた記憶が回想された。西谷駅の一番線と四番線は余った土地と余ったレールをいたずらに繋げただけの空きスペースだと思っていた。なぜなら、あれからも相鉄線を幾度となく利用することはあった。高校生の頃だって通学で西谷駅から横浜駅まで使用していた。そんな平日の朝だって三番線しか使っていなかった。四番線はほぼ野ざらし状態で、西谷駅で急行通過待ちなんて、そんなことはなかったはずだ。あの頃のように隙を見ては四番線に「試運転」が止まっていたのかもしれない。それがなぜ、西谷駅は変わってしまったのか。
 あれから二十年、間違いなく西谷駅は、変化ではなく進化だったのかもしれない。相鉄線は各停・急行とともに快速電車が追加され西谷駅は急行・快速の通過駅として使用されることとなった。普通の考えとして地元の慣れ親しんだ最寄り駅が急行の通過待ち駅として使用される場合、何か切なく大きな駅に取り残された空しい気持ちになると思うが、僕はそうは思わなかった。今まで使用されることのなかった二本の線路と外枠のホームに利用価値ができたからだ。なぜか地元民として少しだけ誇らしげになった心持ちがした。
 しかし、その急行通過待ちもつかの間、一番線と四番線にはホームを封鎖する柵が敷かれ、西谷駅で四本の線路を使用したのも短い期間で終わってしまった。僕はまた「試運転」の思い出を忘れ去られようとしていた。
 
二〇一九年、相鉄線は進化する。「都心直通プロジェクト」と題した事業は、相鉄線とJR・東急東横線と相互直通運転を行い、神奈川から東京へつながる足掛かりとなる計画だ。そのプロジェクトの中心となる駅が地元である西谷駅だ。鶴ヶ峰駅=西谷駅間はレールの拡張工事が行われ、帷子川付近から延伸されたレールと専用の橋が整備されている。また、西谷駅=羽沢駅(仮称)間は一番線と四番線から地下へと潜るトンネルが着々と工事されている。
また完成間近となる頃には、西谷駅の一番線と四番線に再び「試運転」が停まるのだろうか。そのとき、小学生の時に見た「試運転」とは全く違う光景になるだろう。なぜなら電車は六〇〇〇系の当時飽きるほど見慣れた「若草色」の電車から二〇〇〇〇系の最新車両「NAVYBLUE」へと変わり、西谷駅から未来へと繋がるトンネルを経由し、他社との乗り入れ運転が実施される。
 西谷駅の周りはあれから三十年近くが経過し、平成も終盤を迎えた今も、小学生だったあの頃とそれほど変わってはいない。南口の商店街も相変わらず閑静で心地よい空気が漂い、駅前のこぢんまりと学習塾も当時と名前は変わったが、未来の受験生を支える地元密着型の良きお手本だ。北口に関しても一六号線は相変わらずの交通量と、駅へ続く通りもお店のラインナップは多少変わったものの風情は全く変わらない。西谷駅本体に関しても自動改札と券売機が変わっただけで、駅自体の面影と佇まいはあのときのまま。
 もし、相互直通運転が開始されたら西谷駅は変わってしまうのだろうか。垢抜けない町並みも慣れない洒脱な街並みへ背伸びをしてしまうのだろうか。僕は古き良き面影を西谷駅には残してほしい。「現古融合」古き良き郷愁(ノスタルジア)を残したこの現在の駅が、未来への懸け橋となる新たな経由地点(ターニングポイント)には最適だと思う。なぜなら相鉄線の新たな玄関駅として、生まれ変わった西谷駅よりも今の西谷駅の方が町並みに溶け込んでいるからだ。
 小学生の頃に見た一番線に停車する「試運転」、当時は訳も分からず眺めていた「試運転」、西谷駅の一番線と四番線の利用価値がわからなかったあの頃、三十年以上の時を超えてようやく西谷駅が「都心直通プロジェクト」を通じて「試運転」から本番へと発車される。

著者

匿名希望