「走る老人」辰巳 巽

 玄関でランニングシューズを履いた男は、今日は西にしようか東にしようかと考えた。
 東方面の緑園都市駅を目指すことに決めて、家を出た。梅雨明けした最初の土曜日で、夏の陽射しにスポーツ用サングラスを掛けると、男は街のランナーになった。でも、カッコ良く走るわけではない。くたびれた老人のランナーだった。
 先日、男が勤め先から帰宅すると、区役所からの郵便が来ていた。中を開けると、介護保険証なるものが出てきた。案内文書を見て、六十五歳になると渡されるものだと初めて知り、さらに案内を読んでいて、男は決定的な事実に気づいた。
「俺は老人になったのか」
ネットで調べた。「老人福祉法で老人の定義は六十五歳から」「世界保健機関WHOでも六十五歳以上」男はその日から老人になっていた。

 横浜の西の端にあるこの街は都会ではない。田舎というには田舎に失礼だ。つまりどっちでもない中途半端な所が、生活の場として暮らしやすい理由である。
 スーパーマーケットの角を曲がって公園沿いの長い坂をゆっくりと下りる。目の前に阿久和川が見えてくる。川沿いの遊歩道をしばらく北上することにした。
 川の水が見えないくらい鬱蒼と雑草が生い茂り、男が走る川沿いの遊歩道まで押し寄せて、アスファルトを踏みつける足元を邪魔する。途中に小さな公園になった場所があり、水の流れる所まで下りられる。この時期は川の近くまで行く小さな歩道も雑草に覆われているが、数人の子供たちはそこを通って行ったようだ。川の近くで騒いでいる高い声がここまで響いて来る。男は川を見下ろす高台のような場所から、下で遊ぶ子供たちを眺めた。夏休みが始まったばかりの一番楽しい時期なのだろう、誰もがうれしさをいっぱいに弾き出してはしゃいでいた。小学校低学年ぐらいか、男は遠い昔の同じぐらいの歳だった頃を思い出していた。男が子供の頃に遊んだ川は都会の真ん中にあった。メタンガスを川面にふつふつとさせて、たまらなく臭いどぶ川だった。お祭りの屋台ですくった金魚を放すと、黒い川面をそれでもうれしそうに泳いでいった。日本はもの凄い経済発展をしていた時代に、川という人間にとって無くてはならない水の流れ、その重要なあり方を壊してきた。それに比べて今眼下を流れるこの川は、随分ときれいだ。所々に沈んいる缶やペットボトルが多少は気になるが、この国も最近になってやっと本来の川の環境を人々に提供できるようになったと男は思った。
 その時、男の目の前を浮遊して行くものがあった。何かの植物の種のようだが、大きい。最初は小型の蝶が飛来しているのかと思ったほどだ。そう言えば、と男は春の季節にこの川辺に咲いていたタンポポの花のことを思い出した。それも大きかったのだ。向日葵の小さいやつだと言っても大げさではないほどに。男が子供の頃に過ごした都会の真ん中で、わずかな土を見つけて咲いていたタンポポは、これの何分の一しかなかった。五十年も昔より、今の横浜の端にあるこの街の自然の方が豊かだという事実。男は川の汚染と同時に、この国が一時期に忘れていたものを取り戻そうとがんばっている今の時代を、老人となった今はとても不思議な気がするのである。
 子供たちが遊んでいる場所で、これまで男は様々な生き物と遭遇してきた。
 ある夏の日、水すましの大群が川面を埋め尽くして泳いでいるのを、少年に戻った気分で眺めた。その下を大きな影が通って行ったと思ったらかなり大きな鯉が数匹も通り過ぎて行った。その泳ぎを目で追っていたら、中州にある石の上にまったく動かない大きな亀がいた。石と一体となって初めは亀のことに気づかなかった。何か不自然な石の形が気になったのか、しばらくじっと見ていて、亀だ! とわかった。名前の知らない小魚が素早く流れに乗って泳ぎながら、川面を時々キラッと光らせる。その時、頭上に飛行機が通って行ったかのような影ができた刹那、白鷺が大きな羽を閉じながら着水し、長い嘴を水の中に突っ込んでその小魚たちを狙う。夏の終わり頃の時期、体の半分を水の中に付け、半分を草むらに横たえて、細くなってきた日差しを名残惜しそうに浴びていた、長さ二メートルはありそうな大きな蛇。
 これも夏だった。陸から水面に大きく張り出した雑草、おそらくヨシの葉、の下に隠れていたのは、カルガモ親子。子は一羽だけ。よくテレビニュースなどで見た都会の池にいるカルガモ親子は、子ガモを何羽も後ろに整列させて道路を渡っている。しかし目の前の親子は一羽だけ。カルガモも少子化なのか、それとも他の子はすべて天敵に奪われてしまったのか。親ガモが雑草の下から顔を出したり引っ込めたりしている動作は、かなり怯えているようなのでおそらく後者であろう。そっと草の陰から出てくるが、何かを感じるとすぐに草陰に戻る。子ガモはそんな親ガモの後ろにぴったりとくっ付いている。それでも何度も出ようとしているのは、しばらく食にありついていないからだと思われた。
 その一週間後にまた走って阿久和川まで来た男は、目の前の風景に驚愕した。ジャングル状態だった川べりの雑草という雑草が全て刈り取られていたのだ。冷たそうな音で流れる川の水が丸出しに見えた。隠れるところが無くなったカルガモ親子は何処かへ行ってしまった。

 長く休息しすぎた男は、川沿いの遊歩道をまた走り出した。左手にテニスコート場を見ながら行くと、相鉄電車の高架下をくぐる。その先の瀬谷柏尾線という道路にぶつかった所で、Uターンして今度は川の反対側の遊歩道を走った。こちらの道の方が幅広のためか風を少し強く受ける。風が川の流れに沿って吹いていくのである。その風は秋が近づく季節になると、川辺に咲くポピーの弱々しい茎を折ろうとするかのように揺らし、本格的な秋に入ると同じように弱々しい茎のコスモスを揺らす。季節は、川と一緒に確実に流れてゆく。
 西田橋の交差点を渡り、緑園都市を目指す。長い上り坂がかなり続く。一番苦しい坂だ。男は昔から上り坂が好きだ。反対に下り坂は嫌いだ。若い時に痛めた左膝は、いまでも大事にかばっている。下りでその膝の故障が復活するのを恐れているということもあるが、上り坂が好きなのは男の走る目的と関係がある。自分の肉体をより苦しくさせるために坂道を駆け上がる。そしてその肉体のつらさの中に、日常の様々な悩み事など精神的な苦しみを閉じ込めることができる。また頭の中が空っぽになることで、日々の細事を忘れることができる。たとえそれが走っている間の一時の時間だとしても。
 男は若い時とは違う、ということを走る度に思っていた。男が電車の線路に沿った方向を選んで走るのは、走れなくなった時に電車で戻れることも考えてである。緑園都市駅までの往復を何とか走ることが、ここ数年前から精一杯だった。四十代、五十代,そして六十代と走る距離は短くなったが、それでも走った後の満足感はずっと変わらないし、下り坂より上り坂の方が好きなのも、まだ変わらない。
 坂の途中に老人介護施設が見えてくる。この辺りもこのような施設が増えて来た。男がこの街に住み始めた頃は、計画的な開発による大規模な宅地化で高層住宅や低層住宅の団地が次から次へと生まれ、人口は右上がりに増えていった。最近は新しい住宅の開発をあまり見かけない。駅に乗り降りする人の数も増えていない。むしろ減ってきたのではないかと男は思っていた。毎朝の通勤電車の混雑具合でそれを感じていた。こうやって昼間の街の中を見ると、人の数はまだまだ多い。つまり、住民の高齢化で通勤しなくなった人が増えたということだろうか。それにとって代わって建設されるのは、高齢者の住むところ、今男がその前を走っている、こういった老人介護施設。坂の途中にあるのでどの部屋も陽当たりが良いだろう。ふと、男は近い将来にこの中で暮らしている自分自身が目に浮かんだ。
 老人施設を過ぎて上り坂は続く。道の両脇にはマンション群が並び、坂の頂上あたりを超えて下りに入ると、ただ雑木林だけが続く人気のない道になる。男はひたすら走った。豊かな緑がいっぱいに続き、空を見上げると真っ青な世界に夏の雲が白い綿菓子を所々に置き忘れたかのように見えた。緑園都市というこの地名、皮肉なことに随分以前ではあるが、隣接する市営の廃棄物処分場の影響を受け、ダイオキシンによる大気汚染が基準値を超える問題が発生した。緑園と汚染、環境問題はこの新興住宅地にもあったのだ。それでも今日の空の青さと雲の白さと、男の走る道の両側の緑は、たとえ老人になっても地球上で生きて行くことの未来への希望を感じさせた。
 下りが終わってふたたび男の好きな上り坂になると、今度は道の両側に一戸建て住宅が立ち並んだ静かな街に入る。横浜という所は、古い下町だろうが、ニュータウンだろうが市内のどこへ行っても坂ばかりの街である。2回目の長い上り坂が終わって少し下りに入ると、地図上では線路の近くを走っているはずだ。この辺りは相鉄線が地下を走っている。男が走っているこの足元の下の方を電車が走っている。そう考えると不思議な気がした。さきほど阿久和川では頭上を走っていた電車が、少し離れただけのこの場所では足の下の深い所を走っている。男は走りながら、線路の高架下の場所から線路の上空にある場所まで駆け上がったことになる。その間の時間はたった九分だ。電車並みのパワーの人間。そんな男が老人だろうか。六十五歳になって老人だと言われたその瞬間に、老人に変わってしまうなんてことはあり得ない。でも社会の中では、そう定義されてしまう。
 緑園都市駅に向けて暗い地下から明るい地上に電車が姿を見せる。休日の昼間に乗車する電車と、普段の朝と夜に通勤で乗車する電車とは、異なる種類の電車だと男は思っている。今目の前を走って行った電車は、子供たちを遊園地へ運び、大人たちを行楽地や繁華街へ運ぶ。遊びに行く人々が多い車内は、明るい空気を自然に作っている。男が四十年以上も通勤で、朝の重い体を無理矢理滑り込ませる混雑した電車。仕事に疲れてさらに重い体を立ったまま吊り革にあずけて帰途につく電車。車内の照明は明るいのに、何となく暗い電車のイメージを拭えないままもうすぐその通勤も終わるのだろう。
 そうだ、男の通勤は近いうちに終わるのである。あんなにいやだいやだと思いながらも四十年以上続いた通勤電車に乗らなくても良くなる。毎日暗かった電車から解放される。乗車する時は明るい車内の時だけになる。
 でも、と男は思った。長い間我慢してきたことが無くなったら、本当に心は解放されるだろうか。むしろ心の中に空洞が生まれ、冷たい木枯らしがそこを吹き抜けるのではないか。仕事から引退した諸先輩たちからよく聞くことがある。土日が嬉しいのは月曜から金曜までの五日間があるからだ。毎日が日曜になれば、待ちに待つ休日は来ない。同様に、通勤電車に我慢した五日間があるから、休日に遊びに行くため乗車する電車は明るい空気を車内に撒き散らしているのではないか。

 緑園都市駅はもうすぐそこだ。電車も暗い地下トンネルを抜けて、夏の太陽をいっぱい浴びた車体を輝かせながら駅のホームへ滑り込んでいくことだろう。男が長い間乗ってきた通勤電車。いつも暗いトンネルばかりを走っていたかのようだった通勤電車。やはり、可能なら、許されるなら、まだ通勤電車に乗り続けたいと考えていた。毎週毎週、休日を待つことで過ごしてきたこれまでの通勤人生は、今思うと充実した日々に違いなかった。男は六十五歳として、まだまだ働けるなら働こうと心の中で思いながら、線路沿いの道を走って行った。
 走る老人は、緑園都市駅に到着した。いつもなら駅前の広場で一服して、折り返しも走るか、それとも帰路は電車に乗ってしまうか、体調を見ながら決めるのである。しかし、この日男は走るのを止めなかった。自分が老人という区分に入れられたという事実に対する静かなる反抗心が沸き上がっていた。
 男は顔の汗をタオルで拭うと、緑園都市より一駅先の南万騎が原駅まで走ることを決めた。そして、そのもっと先へ。
                 ―了―

著者

辰巳 巽