「車窓の向こう側」佐野天

 電車の窓の向こうに流れる景色を想うということは、いわば、心の旅路である。
 相鉄線は、私が大学までの乗り継ぎの一つとして利用している。経由できる路線は他にもあったが、その中でも相鉄線を使うのは理由がある。横浜駅が始発であるおかげで――よほど運が悪くない限りは――容易に座席を確保できるためである。朝の慌ただしい目覚めから、東急東横線の満員電車に揉まれ、混雑した横浜駅構内をくぐり抜けて、やっとのことで文字通り腰を落ち着けて一息つくことができるのだ。
 座席に背を預けて、電車に揺られている間にもやることはいくつかある。その日に受ける講義の復習や予習をしたり、小説を読んだり、またニュースやメールの閲覧など様々だ。     
 けれども、たいていそれらは飽きるか面倒になってしまい、途中で切り上げてしまう。
 そうして何をするのかといえば、ノートや携帯に落としていた顔を上げ、窓の向こうを見るのだ。
 車窓からは、場所によっては線路沿いに連なる住居が、生活が垣間見えるのではないかと思うほど近くにある。そしてまた別の場所からは、やや高い位置に線路があるために、転々とある丘陵が町と一体化し、広い空に映える光景がよく見える。
 私は相鉄線での車窓からの景色を眺めることを気に入っていた。そして当然のように、いつかは自らの足で歩いて散策してみたいとも思っていた。細い小道や丘の裏側など町の隅々を見て回りたかった。私は元々散策を好んでする気質なのだが、そういった車窓からは見えない場所や、或いは車窓からも見える景色を異なる視点から見ることは非常に好奇心が掻き立てられるものであるからだ。
 しかし、他に何かしらの行く目的や用事ができる場所ならいざしらず、通り過ぎていく幾つもの駅やその町には訪れる機会が来ることはそう無かった。そのため、私にとっては相鉄線沿いの景色は、単に車窓という額に飾られた絵でしかなかったのだ。
そうして、私が下車する機会は、初めて利用してから二年と六ヶ月が過ぎた秋のある一日、昼過ぎにある筈の講義に向かっているときのことであった。
 結論から言えば私はその日、大学には向かわなかった。無断欠席というわけではない。単に私が休講だったことを、間抜けなことにその日、そのとき、その瞬間まで気づかなかったためである。メールを確認して休校の通知の存在に気づいたのは、ちょうど相鉄線が出発したあたりのことであった。
 初めに気付いたときは頭を抱えたが、これは散策するには丁度いい機会であると直ぐに思い至った。そして私は意気揚々と下車し、階段を駆けあがり、改札を抜け、離れた場所から眺めるだけであった町を歩くことに決めたのだった。
 私が降りた駅は、大和駅であった。南口の改札を抜け、さて、どこに行ったものかと悩んでいると、一つの洋菓子店が目に入った。丁度腹の虫も鳴っていることだと立ち寄ったその店で、無愛想な店員から昼食代わりにシュークリームを買った。これを道中食べたのだが、これが予想外に絶品であった。味はおおよそ予想のつく範囲内のものだったが、口に含み、噛み、そして食べているのだと実感のあるクリ―ムの弾力性、それを包む生地の触感が絶妙にマッチした一品だった。口福に恵まれるとはこのことだと、幸先のよさを感じた。
 洋菓子店を出てから向かった方面は、同じく相鉄線の駅である瀬谷であった。横浜からやってきた私にとっては逆走する形である。
 線路沿いの散歩は想像以上に静かなものであった。急な散策のために、事前に駅の周辺の施設などを調べていなかった。しかし浅く調べた程度では、例えば東京スカイツリーのような、それのために行こうという気になる場所は見つからなかった。それでも私はそうした場所の散策は苦にならないどころか、かえって自ら探し出そうと感じてしまう性質だったのでどことなく気合を入れて視線を巡らせていた。そうしていると、閑散とした町を歩いている中で、気になる景色が一つ、視界に入ってきた。
 墓と、鳥居。古めかしいそれらに誘い込まれるように向かうも、社に直接向かう脇道はなく、道は回り道を強いるように先へと続いていた。短いと言うにはやや長い道を進むと、そこには境内に幾つかの社が建つ神社があった。
 神社と石畳の道。その二つの境界となる鳥居を潜り抜けたところで、突然強い風が吹きつけてきた。すると、横でパタパタと音が連続して鳴りだしたものだから、何事かとそちらを向けば、銀杏の木が真下の小屋に実を落としていたのだった。
 私はそれから参拝して直ぐにその場を去ってしまったのだが、後になって思い返すと、あれは突然の来客へのもてなしだったのかもしれない、などと考えてしまう。勿論そんな筈はないだろうが、私はそう思いたかった。そちらの方が楽しいからだ。
 大和駅から瀬谷駅にかけての散策は、それ以後は特に記憶に残ることもなく終わってしまった。何か特別な出来事が起こるわけでも、珍しい土産を買うでもなく、終わってしまったのだ。だが、それでいいとも私は思う。
 ほんの僅かな旅の思い出として、シュークリームの食感と、銀杏の歓迎だけが微かに記憶に残っている。今まで何度も見てきた景色に、記憶という色が新たに付け足されたのだ。自分が歩いた道を車窓から眺める度に、私は思い出すのだろう。それで十分だった。

著者

佐野天