「鉄道ものがたり」HAPPY

「おはようございます!」 
 開店準備を進める商店街の皆さんに向かって娘が挨拶をしていく。まだまだうまく話しの出来ない息子も小さな手を大きく振って挨拶をしている。自宅から娘の通う幼稚園に行くには上星川商店街を通る。他の経路もあるにはあるのだが、商店街の人々に子供達の顔を覚えてもらい、何かあったら助けてもらい叱ってもらえる。そんな昭和な関係を築けたらいいな、と勝手に思ってこの道を選んでいる。そして何より子供達が元気に挨拶をして回る姿を見ていると、嬉しいような誇らしいような気持ちがして、朝から私も元気になれるのだ。
 私は商店街が好きだ。スーパーも勿論行くのだが、今はあれが旬だ、今日はいい何々があるよ、とあれこれ話しを聞きながら、おすすめのものを買ったり、買う予定のなかったものを買って献立を考えるのも楽しい。冬には商店街の端にパン屋がオープンするらしいので、また商店街に行く楽しみが増えそうだ

「でんしゃ、みる!」 
 娘を幼稚園に送り届け、しばらくは息子とのお散歩時間。「今日はどこ行く?何する?」の、私の問いかけに対する息子の答えは大体決まっている。
 国道十六号線沿いを西谷方面にしばらく歩いて行くと、踏切が見えてくる。そこで「次は上り電車がくるかな?下り電車がくるかな?」と、小さな賭けをしながら三十分程電車を眺める、というのが日課になっている。この場所は歩道も広く、踏切の左右に建物もなく拓けているので、電車が間近でよく見えるし、立ち止まっていても邪魔にはならない。私達のような親子連れもよく見かけるし、「相鉄線ヨコハマネイビーブルー」が運行を開始したときは、その姿をカメラに収めようと「撮鉄」さん達が毎日のようにこの場所に張っているのを見かけた。
 踏切の警笛がなる度、身体を左右に揺らして電車の通過を心待ちにしている息子を見て、電車好きだった父のことを思い出す。
 実家の父の部屋には鉄道模型ジオラマが部屋の大半を占拠し、本棚には時刻表の本が並んでいた。
 私は正直、その趣味が理解出来なかった。私にとって電車とは、公共交通機関であり、単なる移動手段だった。息子が産まれ、大きくなるにつれどうやら電車が好きらしいことがわかっても、その感覚はそれほど変わるこ
とはなかった。私には三つ年上の兄がいるが
、兄は幼少期の男子によくみられる、電車好きか車好きかの分かれ道で車を選んだ。そのまま車関係の仕事に就いたので、それはそれで尊敬すべきなのだが、やはり電車好きの父とは趣味を共有することはなかった。

「こうえん!」
 しばらくして満足したらしい息子が振り返って言う。ここから更に十六号線を西谷方面に進むと、環状二号線の高架下にぶつかる。そこに恐竜の形を模した遊具がある公園がある。そこは線路沿いの公園で、定期的に電車の通過を見ながら遊ぶことのできる、もう一つの息子のお気に入りの場所だ。
 ここから東戸塚方面に向かう環状二号線の高架下は、夏場には水遊びの出来る公園や、巨大なザイルクライミングのある公園が並んでいて、その先は陣が下渓谷公園に続いている。
 数年前、上星川に引っ越してきたときには
、何もないところだなぁ、と思っていた。ところがこうして街を散策してみると、公園は多いし、こどもログハウスがあったりと、子供達と遊ぶ場所には不自由がない。一見入りづらいお店だが、美味しい料理が食べられる飲食店も幾つかみつけられた。「住めば都」とはよく言ったものだ。
 息子は行き交う電車に時々動きを止めながら、滑り台やブランコで遊んでいる。
 父の一周忌の時、何の話の流れだったか、兄と、昔、父と三人で行った旅行の話になった。
 話は「なぜ三人で、なぜあの場所に行ったのか?」だった。私も兄も小学校低学年だった為、記憶が曖昧だったが、おそらく「母はいなくて三人で新幹線で新潟へ行き、雪のない夏の山を登り、下りホームから駅舎までが日本一長い、土合駅に行った。」でまとまった

 しかし、当初の疑問は疑問のままだった。
後にも先にも三人での旅行はこのときだけだった。
 父はあの時代の父親に多かったであろう、子育てにはあまり積極的ではなく、仕事を優先する人だった。電車好きの父が土合駅に行きたかったことは納得できるが、母を置いて全く電車に興味のない子供達だけを連れて行く理由がわからなかった。その時は結局、父の気まぐれ、ということで話は終わってしまった。

「しんかんせん、みる!」
 勢いよく滑り台から滑り降りてきた息子が言う。西谷駅のちょうど真上を東海道新幹線が通っていて、それを見たいと言っているのだ。
 今日はとにかく鉄道を見る日なのか。お迎えまではもう少し時間がある。早く早く、と息子に手を引かれて十六号線を西谷駅に向かう。
 一周忌から数日後、兄から連絡があった。
一周忌の機会に実家にまだ残っている父の遺品の片づけを手伝っていたら、父の箇所だけ記入済みの古い離婚届と離婚後に渡すつもりであったであろう、私達へ宛てた手紙をみつけた、と。そして、手紙の内容と離婚届に書かれた日付から、どうやらあの三人旅行の後
に出すつもりだったらしい、と。
「この前、ちょうど三人で旅行に行った話しただろ?偶然にしては出来すぎてるよな。」と
、兄は笑っていた。
「手紙にはなんて?」
「父さんがいなくなっても強く生きていけ、とか、お前達の幸せを願っているとか。」
「あの旅行は最期の思い出作りだったってこと?」
「そうみたいだな。親父の行ってみたかった場所らしい。あの駅のやたら長い階段覚えているか?また一人で行ったときに、あの階段を一段一段登りながら子供達のことを思い出す、みたいなことはかいてあった。」

 結論から言えば、両親は離婚していない。
私は両親を、特別仲の良い夫婦とも思っていなかったが、離婚を考えているほど問題のある夫婦とも思っていなかった。兄も似たような印象を持っていたから、あの旅行の本当の目的に気づかなかったのだろう。
 私も結婚し、子供を授かりわかったことがある。夫婦とは、家族とは、常に変化するものだ。愛が尊敬に変わり、また違う愛になる 。二人が三人になり四人になり、何より大切な存在を知り、成長の喜びが嬉しい寂しさに変わったりもする。日々の生活を、思い出を積み重ねていくことで目には見えない家族という絆を作っていく。しかし、どんな家族でも常に順風満帆とはいかない。変化をうまく受け入れられず、悩み苦しむ時がある。そんな時の少しのすれ違いや、相手を思いやる余裕のなさから距離や隙間が生まれてしまう。それが歪みとなり、積み重なれば歪みはヒビとなり、どこかで歩み寄らなければやがて絆は崩壊する。
 父は離婚届を出さなかった。なぜ出さなかったのか?あの旅行が父を思いとどまらせたのか?父が亡くなった今、父の真意はわからない。

「そろそろお迎え、行こうか?」
 西谷駅前の歩道橋から、何本か新幹線の通過を見て息子に声をかける。少し不満そうだが渋々、息子が頷く。電車に乗って上星川に戻る為、西谷駅の改札をくぐる。
 何年か先に、西谷駅から東横線とJR線の相互直通運転が決まっている。開通すれば、乗り換えなく父のお墓に行けるようになるので、今よりは頻繁に孫達の顔を見せてあげられるかもしれない。その時は、たとえ答えは返ってこなくても、あの旅行と離婚届の真相を行く度に聞いてやろう、と思っている。
「ママ、きた!」
ホームに上り電車が入ってきた。

「ただいまー。」
「お帰り。久しぶり。」
 幼稚園や習い事、家族の用事でなかなかタイミングが合わず、実家に帰るのは久しぶりだった。軽く挨拶と近況報告をして、子供達は庭に出て行く。孫達の為に設置された、小型の滑り台の順番を巡って早速、二人は小競り合いを始めている。
 とりあえず二人を収めてから、紙の束をテーブルに置く。
「鉄道小説大賞っていうのがあってさ。書いてみたんだけど、読んで感想くれない?本、よく読んでいるでしょ?」
「へえ、そんなのがあるんだね。読ませてもらう。」
歓声とも奇声ともつかない声を上げながら、庭で遊ぶ二人を眺めながら、読み終わるのを待つ。
「初めての割にはまあまあかな?」
「ありがとう。少しは上星川の魅力が伝わる
かな?」
「意外と色々なところがあるのだな、ということはわかる。ただ」
「ただ?」
「なんで父さんは死んだことになっているんだ?それに、開通後に近くなるのは墓ではなく、ここだ。」
「なんとなく。死んだことにした方が劇的かなって。フィクションだし。」
「陳腐な発想だな。」
「厳しいね。」
その後も細かい表現にアドバイスをもらう。
「ところで、お母さんは?」
「夕食の買い物。張り切ってたからな。まあ
、もうすぐ戻るだろう。」
「ねえ、お父さん。」
「ん?」
「あの離婚届って・・・」
「じいじ!でんしゃみる!」
ほぼ同時に発せられた息子の声に遮られる。
いつの間にリビングに戻ってきていたのか。
父の部屋にある鉄道模型を見せて欲しいと、息子が父の足元にまとわりついている。
「何か言ったか?」
まあ、いいか。父には父の、私には書けない物語がきっとあるのだ。
「ここまで電車一本で来られるようになったらさ、子供達だけで来させてみようかな?改札まで迎えに来てもらって。」
「心配だな。」
「可愛い子には旅をさせるんだよ。」

 鉄道。
それは人や物を移動させる公共交通機関だ。
けれどそれは、時に旅の思い出を作り、家族の距離を近づけ、人と人の関係を繋ぐものでもある。

「ねえ、孫は可愛い?」
「当然だ。」
電車好きなら尚更か、と二階に上がっていく二人の後ろ姿を見ながらつぶやく。

著者

HAPPY