「電車と僕と青い春」風空加純

 二俣川駅から横浜駅間の急行は、僕にとって言い難い難所の一つである。
 朝の十分というのは、何ともスリルに満ちている。お腹的にも、精神的にも。
 何のことか大体お察しがついたところで、今日もまた、二俣川駅出発に決意を固めた。
 僕は大学浪人のため、横浜駅にある予備校に通っている。大和駅始発の急行で上手く座れれば、参考書を広げることが出来るのだが、三日に一回ぐらいは座れない。そんなときはスマホのアプリで勉強をするのだが、立って電車に揺られるのはどうにも落ち着かないのだ。
 こんな落ち着かない、緊張しがちな性格もあって、大事な大学試験当日も万全と言える体調で望むことが出来なかった。僕にとって試験とは、覚えることの努力よりも、その努力の分だけ緊張してしまうことと、いかに向き合うかにかかっていた。
 電車に揺られ数分。横浜駅まではまだ少しかかるが、お腹が言い難い状況になってきた。各停に乗れ、と言われそうだが、この朝の十分は、僕にとっても貴重な時間である。早く着いて。
 僕は何事にも真面目に取り組む方だと思うし、何事もちゃんとせねばと思う方だ。そんな性格が、極度の緊張を招くのだと周囲には言われる。もう少し適当なぐらいで大丈夫だと、出来なかったから、上手くいかなかったら死ぬわけではないのだと。周囲は励ましてくれる。
 だけど現に、試験には落ち、思い詰めて苦しい思いだってしたわけで、そんな甘言が心に響くわけもなく。
 スマホに映し出された計算問題と、早く解けとばかりに減っていく残り時間を、僕はただ耐えるように見つめた。
 電車が駅に着くなり、僕は慣れたコースを頭に思い浮かべ、最短ルートで小走りに飛び出す。
 今日も自分との戦いに勝ち、予備校への道を足早に歩く朝。到着してもいないのに、達成感がある。
 今日は、予備校終わりに友人と横浜駅で遊ぶことになっている。早く授業が終わればいいなと、呑気に思う。
 授業が終わり、僕は待ち合わせ場所に来ていた。
 いつも大体遅れてくる友人なので、待ち合わせ時間を過ぎて来ていないのは、いつものことだ。
 まあ、今日は十分遅れぐらいあれば来るんじゃないか、とのんびり構えて待っていると、僕は突然横で待っていた同世代の女性に話しかけられた。
「あの……交番って、ここ以外にもありますか?」
 どういう意味だろう。僕は少し考える。察するに、彼女も僕同様、誰かと待ち合わせをしているのだろう。その待ち合わせ相手が現れていない。交番。つまり……
「えっと、西口は交番二つありますよ。ここと、向こうにも一つ」
 要は、そういうことだと思う。
「やっぱりそうなんですね! 向こうも待ってるっていうのに、全然見つからなくて、おかしいなあって思っていたんです。交番で待ち合わせ、って言っていたのに」
 彼女は解決したらしく、にこにこっと笑顔を見せた。
 彼女の待ち合わせ相手がこちらにやって来ることになったらしく、電話で少し話をしているのが聞こえた。
「やっぱり向こうの交番にいたみたいです」
 彼女は恥ずかしそうに笑った。
「私、引っ越してきたばかりでこの辺りのこと、全然知らなくて」
「僕もまだまだ知らないんですよ。最近予備校に通うようになって、やっとわかってきたぐらいで」
「そうなんですか」
 そこへ、僕の待ち合わせの友人、田鶴がやって来た。
「よー、お待たせ」
 別段悪びれる様子もなく、さらっとそう言って、視線を横に向ける。
「あれ?」
 田鶴が僕と彼女を交互に見る。
「知り合いだったっけ?」
 田鶴は不思議そうに言う。
「えっと、こっちが俺の友人で、今横浜の予備校に通っている友原。こっちが、最近こっちに来た、幼馴染の辺見さん」
 ん? どういうことだ?
「彼が友原君なんだ!」
 ん? 何か理解したらしい。
「あれ、言ってなかったっけ。今日、遊ぶって言ったじゃん。辺見さんも含めて」
「いや、聞いてないよ」
 つまり、辺見さんが探していたのは田鶴だったというわけだ。
「ま~いいじゃん、男二人で食べるより、女子もいた方が楽しかろう」
 田鶴に言われ、そこは同意する。
 僕らは適当に街を歩き、水路沿いのちょっと雰囲気の良い店でご飯を食べることにした。
 彼女は田鶴と同じ高校出身で、同じく横浜に出てきているらしい。僕と田鶴は中学の友人で、田鶴がこっちに出てきているのをSNSで発見し、こうしてたまに食べに行く仲になっていた。
 田鶴と辺見さんに付き合っているのかと尋ねてみると、辺見さんが「それはない」ときっぱり言った。そういうことなのだろう。ちょっと田鶴が落ち込んでいたが、見なかったことにする。
 田鶴はおしゃべりで、辺見さんの鋭いツッコミも面白く、僕は久しぶりに楽しいひと時を過ごした。
 帰り道、辺見さんと方向が一緒だったので、僕らは急行の電車に乗った。
 急行、海老名行き。
 朝は天敵と見間違わんばかりのこの急行電車。しかし辺見さんと乗るこの電車、二俣川間の十分は、いつもより遥かに短く、呆気なく感じた。
 彼女が二俣川駅で降りるので、名残惜しいが手を振って別れる。
 物事は考え方一つであっさりと変わる。
 上手にやろうと考えるなとか、失敗して死ぬわけではないとか、色んな言葉を自分に言い聞かせるよりも、もっと案外簡単に、解決してしまうものなのかもしれない。
 明日乗る時、きっと彼女のことを思い出すだろう。そうしたらこの彼女との時間を思い出して、今日交換した連絡先に、メッセージを入れてみるのもいいかもしれない。
 こんな風に気楽に。
 この先にある、面倒な物事にも、向き合っていけるかもしれない。
 確かな手応えを感じて、僕は窓の外、遠くの景色を眺める。
 電車が揺れる。線路を進む。
 急行電車は、今日も速い。
                   

著者

風空加純