「電車のきこえる町」たけうち まちこ

 海にほど近いのどかな町に暮らす美津子は
、お母さんのふるさとである海老名のおばさんの家に遊びに行くのがたいそう好きでありました。
 大都会というのでなくとも、美津子の町よりはずっとにぎやかで、なんとなく心がうきうきと踊りますし、一番は、おばさんの家に居ると、電車や踏切の音が聞こえるからであります。
 お兄ちゃんの雄一は、男の子らしく、乗り物が好きで、図鑑を持っていて、いろんな電車が何系だとかくわしいことも知っており、今日も、乗った電車がヨコハマネイビーブルーだといって、大はしゃぎをし、電車をバックにしてお父さんに写真を撮ってもらっておりました。
 美津子も、電車に乗るのは好きですが、きれいな電車や面白い電車だと、そりゃあうれしいですが、古い電車であっても同じように楽しいのでありました。電車に乗っておでかけするときには、事前にスーパーで、あるいは駅の売店で、お父さんがお菓子を買ってくださいます。ハイレモンやチェルシーを口にふくみながら、窓の外ののどかな田んぼや山や家々、あるいは、立ち並ぶビルや道行く人々。それらをなんとはなしに眺めていると、旅愁というのでありましょうか。どこに行っても、その町を自分の町として暮らしている人々がいる。そのことを不思議に思いました
。そして、うれしいような少しせつないような、どこまでも心が、どこかしらへと広がってゆくような、そんななんともいえない心地がして、美津子はいつまでも、真剣に窓の外を眺めるのでありました。
 
 駅から歩いて十数分ほどのところにおばさんの家はありました。駅に着いたとたん、美津子はうれしくて小躍りしながら歩いていましたので、道行く知らないおばさんが、くすっとほほえましく笑ったほどでありました。
 美津子には、もうひとつ、心待ちにしていたことがあるのです。それは、おばさんの家に行く途中にある図書館。それは、遠い昔を思わせる豪華な造りの建物と、そして遠目にも人が大勢にぎわっているのが感じられて、はじめて見たときには、美津子は、あの建物はいったい何かしら?と不思議に思ったことを覚えています。そして、図書館と書いてありますが、オシャレなコーヒーやさんがあるのです。中に入る前にも、外でのんびりコーヒーを飲みながら本を読んだりしている人々が居て、え、これが図書館なのか、と美津子はお母さんに大きな声で何度も確認したものです。今ではすっかり馴染みとなっており、美津子は誇らしそうに中に入りました。
 美津子とお兄さんは、どちらかの誕生日のときには、二人とも、一冊ずつ本を買ってもらう習慣がありました。子どもにたくさん本に親しんでもらいたいという親の方針もあったのでしょう、美津子はそれが楽しみで楽しみで。お母さんが選んで買ってきてくれることもありますが、小学校へ入ってからは、美津子が一緒に本屋さんに行き、自分で選ぶこともありました。
 美津子の誕生日は来月なのですが、今回は
、先取りして、この図書館の中の本屋さんで買ってもらう、と事前に約束していたのです

 一歩入るともうそこには色とりどりの本たちが並んでいます。絵本コーナー、手作りの手芸キット付きのブックなど、気が惹かれるものが多く、美津子はとてもワクワクし、いろんな本を手に取り、開いてみました。どの本も、新しい本特有の、新鮮な香りがいたします。それがうれしくてたまりません。美津子は本が好きで、学校の図書室や地元の図書館にもよく通っています。お母さんが読書ノートを付けているのを習って、美津子も借りてきた本をリストアップすることをしているのですが、去年はついに一年間で百冊を超えたので、えらいと言って、お母さんが特別に一冊本をプレゼントしてくれたほどでありました。ですが、今日惹かれたものは、これまで好きだった少女文学物ではなく、珍しく、刺繍のポーチを作るセットが付いている、オシャレな本でした。お母さんは、文学は好きで、お料理も得意ですが、手芸や裁縫に苦手意識があるため、え、美津子はこれ作れるの?と驚いて聞きました。うん、夏休みの宿題にする、と美津子が勢いよく言うので、お母さんは、あら、美津子は私に似なくてよかったわ、とひそかに感心いたしました。お兄ちゃんは、宇宙の本を選び、お父さんがまとめて買ってくださいました。
 
 おばさんの家に着くと、おばさんと従妹の春美ちゃんが、お茶と手作りのケーキを出してくれました。それに地元から持ってきたお土産のおまんじゅうもあったので、大満足でおなかいっぱいになりました。でも、美津子は、よくを言えば、今度は、あの図書館のコーヒーやさんでコーヒーを飲んでみたいな、とひそかに思っておりました。おばさんの家から近すぎて、途中で飲んでゆくにはもったいなく、一度も飲んだことはなかったのであります。
 もしもここが近かったなら、毎日、本を見たり、図書館コーナーの本も借りられるだろう、時にはコーヒーを飲んだりもできるのになぁ、と時折ふっと思うのでした。美津子は甘いものが好きで、たま~に缶ジュースを買ってもられえるときには、幼稚園の頃から、甘いミルク入りのコーヒーを選んで大人に驚かれたりしていたのです。ですので、きっとカフェのコーヒーもおいしいのではないかと思いました。
 
 今日は泊まってゆくので、和室に荷物を置き、くつろいで居ると、電車の音が聞こえてきました。美津子の心は、静かに踊りました
。この音がなんとも言えず好きなのであります。電車の音が、近づいてきて、そしてまた遠ざかってゆく。そこにどんな人が乗っていて、列車はどこに行くのか、ということまでは考えません。ただ近づいて去ってゆく。そのことが、その音が、美津子の文学心をくすぐるのでありました。美津子は、電車の音が聞こえる度に、ひとりでそっと耳をすましました。そして、しあせな気持ちをかみしめました。

 二日泊まり、帰る日。駅まで歩く途中、荷物は重いし暑いし帰るのはさみしいのとで、てろてろと美津子が歩いていると、コーヒーを飲んでゆこうか、とお父さんが言いました
。え?ほんと?と美津子は一気にシャキッとしました。何度か来ている図書館でもカフェの席に座って大勢の人を眺めていると、なんだかちがった空間に来たような不思議な心地がします。ストローで飲むコーヒー味のかき氷のようなめずらしい飲み物を注文し、お兄ちゃんは大人みたいに、あったかいコーヒーをかっこよく、得意げに飲んでおりました。
また来年も来ようね。と美津子は飲みながら何度も口にしました。

 そして、それは、楽しい夏休みの一コマであり、もっと大きくなった後にも、美津子の心に残ったのでありました。

著者

たけうち まちこ