「電車は上に上がっていった」ゆみこりん

『ちゃんと上にいった?』
『いったよ。』 
 二俣川から緑園都市に行くには、いずみ野線に乗らなければならない。 ちゃんといずみ野線に乗れば、電車は二俣川駅を離れて間もなく徐々に上に上がっていき、ビルの三階くらいの高さを走っていく。 しかしもし間違えて本線に乗ってしまうと、電車は上には上がらず、そのまま住宅地を抜けて海老名方面へと向う。 つまり、ちゃんと乗ったから緑園都市駅に着いたのに、おばあちゃんは毎回、ちゃんと上にいった? と聞いてきた。
 小学校は夏休み、でも私の両親は共働きだし小さな弟は保育園へ行ってしまう。 私は家でひとりぼっち。 それで私は夏休みの間、二俣川駅から電車に乗り、祖母の住む緑園都市へ行っていた。
 この日もおばあちゃんはきれいな刺繍の付いた日傘をさして、緑園都市駅で待っていてくれた。 おばあちゃんはこの日も、
『ちゃんと上にいった?』
 と聞いてきた。 私は うん、と答え、おばあちゃんの日傘の下にもぐり込んだ。 私たちがバス通りをのぼっていくと、その脇をきれいなお姉さんたちが通り過ぎて行った。 私はひとりのお姉さんのスカートのすそが太陽の光を受け、ゆれてキラキラと光るのを見ていた。
『夏休みでも大学はあるのかねえ』
駅から大学の方へ向って十数人の女子大生らしき人々が歩いて行く。
『江里ちゃんもこの女子大にしたら? 近いしねえ。』
 おばあちゃんが話しかけてきた。 私は、んん、と曖昧な返事をし、男の子のいない学校ってどんなだろう、と考えながら、キラキラと光るスカートが信号を渡って遠ざかって行くのを見ていた。
 間もなく祖母の住むマンションというところで、
『ドドーン』 
 どこかに雷が落ちた音がした。 私は思わず、ひい、という声をあげてしまった。
『雷が怖いのかい。』
 おばあちゃんは言った。
『怖いよ、当たったら死ぬんだって。 おばあちゃんは怖くないの。』
『当たらないから怖くないよ。』
『じゃあおばあちゃんは何が怖いの、お化け?』
『お化けなんか、つっ立ってるだけだよ。 本当に怖いのは人間だよ。』
『人間?』
 人間?って、どういうことだろう。 もっと続きを聞きたかったがマンションに着いてしまった。 そしてマンションに入るやいなや雨が振りだした。 雨はたちまち勢いを増し、外の景色が白くなってしまうほどになってきた。
 おばあちゃんちは三階だった。 エレベーを降り、 ドアを開けて中に入ると、おじいちゃんがベッドを起こして外を見ていた。 おじいちゃんは御飯の時、トイレの時、テレビで水戸黄門を見る時、ベッドを起こす。
『ねえおじいちゃん, 怖いものある?』
 今度はおじいちゃんに聞いてみた。
『は,は、は、トマトかな。』
 私はますますわからなくなった。

『ちゃんと上にいった?』 
『いったよ。』
 その日もおばあちゃんはきれいな日傘をさしていた。 そしてその日傘を半分私にさしかけてくれた。
『今日はスーパーに寄るよ。 おじいちゃんがあずきバーを買ってきてって。』
『あずきバーいいね。』
『帰ったらみんなで食べよう。』
 スーパーでは野菜や牛乳も買い、おじいちゃんの待つ家へ。
『おじいちゃんあずきバー買ってきたよ。』
 おじいちゃんはもうベッドを起こして待っていた。 私はおじいちゃんにあずきバーを一本渡し、私もその横に座りあずきバーをかじった。 とその時ベランダを足音もなく歩く猫を発見。
『おばあちゃん、猫だよ。』
『ああ、その茶トラね、時々来るよ。 どこかの家の猫だろうねぇ、人慣れしてるし。』
 実は動物が苦手だった私は恐る恐る、ネコちゃん、と声をかけてみた。 すると短く、ニャ、と一発声を発し、ほんの数センチのすき間をくぐり、隣のベランダへと滑り込んで行った。
『おばあちゃんは猫は怖くないの?』
『恐いわけないだろ、おばあちゃんは子供の頃に猫を飼ってたんだよ。 そうだね、あの茶トラと似てたね。 トミという名前だったよ。』
 それからおばあちゃんの、ちょっと長い昔話が始まった。

 あの日はね、なんでもない普通の一日になるはずだったの。 だけどあの空襲警報ですべてが変わってしまったんだよ。
『また空襲警報だよ。 めんどくさいな。』
 なんて思ってたんだよ。 雷と同じでどうせ焼夷弾なんてのには当たらないってね。 だけど玄関の外から、火事だ、早く逃げろ、て聞こえてきてね。、 どうやらすぐ近くに焼夷弾が落ちたみたいで、焦げ臭い臭いが生ぬるい風に乗って押し寄せてきたんだよ。
『早く防空壕へ。』
 お父さんがそう叫ぶと同時に、おばあちゃんはお兄ちゃんと手をつないで玄関を出たんだよ。 振り返ると玄関脇に積んであった座布団の上に、トミは前足を折り曲げて座っててね
『すぐ帰ってくるからちゃんとお留守番して
 てね。』
 それからお父さんが家に鍵をかけてみんなで防空壕へ行って。 だけどね、その時トミを見たのが最後になちゃったの。
空襲がおさまって防空壕をでると、あたりは一面焼け野原。 家があったあたりに行ってみたんだけど、柱一本立ってないんだよ。 
『トミ、トミ!』
みんなで名前を呼んだんだけどね、どこにも姿がなくて、とうとう見つけられなかったの。 でもね、頭のいい子だったからきっと家が崩れるまえに逃げたんだよ。

 おばあちゃんはちょっと寂しそうな顔をしていた。
『ねえ、布巾をちょうだい。』
 その声でおじいちゃんを見ると、あずきバーが溶けて手がべちょべちょになっていた。 そして急に現実に戻された私の手も同じくべちょべちょになっていた。

 そんな夏休みが何回が過ぎて中学生になった頃は、部活だなんだと忙しくなり、緑園都市のおばあちゃんちを訪ねるのは週に一回程度になっていった。 それでもおばあちゃんは毎回駅まで迎えにきては、
『ちゃんと上にいった?』
 と聞いてきた。
 ところが私が高校に入った年のことだった。 あんなに元気だったおばあちゃんは、半分寝たきりのおじいちゃんを追い抜いて、逝ってしまった。 始めはおなかが痛いと言っていたが、検査の結果、末期の癌ということがわかった。 それからすぐ入院したものの、もう家に帰って来る事はなかった。Lそしておじいちゃんは家に一人となってしまった。 これは大変! ということでとりあえずみんなでおじいちゃんちに引越そうということになった。 しかし、父、母、弟、そして私がみんなで行って住むにはおじいちゃんちは狭すぎるという話になり、私の両親が駅前の不動産屋に相談に行った。 不動産屋のお兄さんは、どうせならバリアフリーの一軒家はどうかと、勧めてきた。 どうもそのお兄さんが母のタイプだったらしく、母はすっかりその気になり、ほぼほぼ決めかけた時,おじいちゃんは救急車で病院に運ばれ、そしてまた帰らぬ人となってしまった。 おばあちゃんが逝ってからちょうど三ヶ月のことだった。
  
『拝啓
 おじいちゃん、おばあちゃん、また仲良く
 やっていますか。 私は今大学生、でもご
 めんねおばあちゃん、私は男子もいる大学  
 に入り、そこで彼氏もできました。
 そうそう、弟の後をついてきた子猫を飼う
 ことになりました。 やっぱり茶トラ。 
 名前をトミにしたかったんだけど、よく見
 たら男の子。 なので、トミーという名前
 になりました。 トミーは花瓶を倒したり
 ゴミ箱をひっくり返したり、時々お母さん
 を怒らせちゃうけど、でももう立派な家族
 の一員になりました。 皆で楽しく元気に 
 暮らしています。
 でもね、ちょっと不安なこともあります。
 時々頭の上をミサイルが飛んでいます。 
 もちろん見えないし、焼夷弾も落とさない
 けど、もしかしたらもっと悲しいものを落
 とすかも知れません。 私は生まれてから
 ずっと平和の中で暮らしてきました。
 だから時々落ちる恐いものはお父さんのヵ
 ミナリくらい。 でも時々思い出します、
 おばあちゃんが話してくれた、トミを失っ
 た日のことを。 そんなことがある日突然
 起きたら、どうなってしまうんだとう。
 でもなんかピンときません。 こういうの
 を平和ボケって言うんですって。 私はま
 だ十九歳。 ボケてるなんて言われたくな
 いので、今日はこれからお父さん、お母さ
 んと一緒に投票所に行き、選挙デビューし 
 て来ます!
 あ、トミーは置いて行くけど、大丈夫だよ
 ね?

           草々×××  』  

著者

ゆみこりん