「風が通る」林国康

 この瞬間だけは爽やかな風を感じられる。満員電車の中に立っていても。但し、進行方向左側の窓の傍に居なければそうはならない。

 通勤電車の中、何をすることもない。いや、何もできない。混み合う車内では文庫本を読むに必要な空間さえ確保できない。見飽きてしまった車窓の景色も眺める気にもなれない。横浜駅までの十数分間、短いと言えば短いかもしれない。しかし、ひたすら耐える苦痛な時間は時計が刻む速さよりも遅く感じられる。
 利用する電車は、二俣川駅七時五分発の急行横浜駅行きである。会社の始業時間に合わせて決めているので、いつも同じ電車。乗り込む車両やドアも、横浜駅で改札口の近くに降りられるように決めており、いつも同じ所。ホームに並ぶ人も既に電車に乗っている人もほぼ同じ。したがって、いつもの通勤通学の顔ぶれの人々と隣り合わせの、そして窮屈や退屈とも隣り合わせの車内である。
 海老名駅が始発の電車なので、座れることなど有り得ない。座れないまでも取りたいのが電車左側のドアのすぐ横の場所。手すりや網棚に手がとどき易く、電車の揺れにも体勢を保つことが容易である。また、見飽きた景色自体には意味がなくとも、間近のドアの車窓を通して視界が広く開かれ、窮屈な空間の中でもより解放感を得られる。
 そしてもうひとつ、個人的に関心がもたれることがある。そのためにも取りたい場所なのだが、なかなか難しい。始発駅から数えて二俣川駅までには、八つもの駅に停車する。それらはベッドタウンを抱えているため、多くの乗客が乗り込んでくるのである。二俣川駅から乗り込む身としては、その場所を取ることなど無謀と言わざるを得ない。
 私が乗る時点では、その人はいつもその場所に立っている。ストライプ柄のワイシャツにブレザーをきちんと着こなし、茶色の革のアタッシュケースを持った紳士である。その場所が取れずに、仕方なく私はそのすぐ隣に身を置くことになる。周りに迷惑を掛けない様に、黒いクラッチバッグをお腹の前あたりに両手で小さく抱えて立つ。そして、何をするでもなく十数分間を過ごす覚悟を固める。

 子供の頃、最寄り駅としては西横浜駅、日常の買い物としては藤棚商店街と云う生活圏であった。
 親に連れられて散歩がてら、隣の天王町駅近くの洪福寺松原商店街に行くことがあった。品物が安いことで知られている。そのためつい多めに買ってしまう。その多めの分の運搬係を兼ねる。途中で長く大きな橋である尾張屋橋を渡る。この時、下の方に電車が見える。東海道線、横須賀線、天王町駅の方からカーブして現れる相鉄線、そして一番楽しみな貨物列車の四種類である。
 橋の下には電車と並行して川も流れていた。コンクリートの護岸を持つ殺風景な川である。濁っていて色は黒っぽく、近くに寄ればくさい臭いがした。まだ環境についてうるさく言われていない高度経済成長期だった頃である。工場廃水も生活廃水も流れ込んでいたからであろう。勿論、興味などは持ち得ない。それどころか多少の嫌悪感を覚えていたくらいである。電車を見るときに一緒に目に入ってしまうので、その存在を知っているだけである。川の名前は、子供にとっては言葉も意味も難解なカタビラガワ。漢字で書けばもっと難しく帷子川。子供には読むことは出来ない。
 この付近では他にも幾つか川はあったが、いずれも同じような暗い印象で存在感は薄かった。そのため、子供の頃は、川と云うものは総じてこのようなもので、見るに値しないものと頭の中で整理され、視界の背景に小さくぼやけて見えるものにすぎなかった。

 駅名にもなっている二俣川は、名前の通り流れが二俣になっている。ひとつはこども自然公園の大池あたりを源として、私が住んでいる近くを流れている。もうひとつは源がどこにあるかは定かではない。この二つが合流して鶴ヶ峰方面に流れていき、相鉄線を横切る。二俣川駅を発してしばらくすると車窓から確認できる。
 電車の車窓から見えるので知っているもう一つの川が帷子川である。鶴ヶ峰駅と西谷駅の間から登場する。その後、横切ったり近接したりしながら横浜駅まで併走する。

 帷子川の印象だけで、川と云うものをネガティブに見ていた小学校の頃、林間学校で箱根に行って、この見方が大きく変わった。  
 木々に覆われた小さな川の流れに意識して見るでもなくふと目をやって驚いた。その水が透き通っているではないか。まったく濁りがなく、まさに無色透明。川底の小石や砂が一粒々々までよく見える。これまで経験したことのないこの光景に目は釘付けになり、全神経がその方向に向けられた。
 それに吸い寄せられるように水辺ぎりぎりまで近づき、川のあちこちを目を凝らして見回した。大きな岩の近くで、透けて見える川底に幾つもの小さな黒い動くものを見つけた。時にゆらゆら時に素早く動いている。数秒ほどを要してその正体が見極められた。なんと泳いでいる魚が作る影ではないか。魚の背が銀色で川底の砂利と保護色になっているためすぐには判らなかったのである。よく見れば何匹も見つけることができる。この魚の存在を知ったとき、釣り好きだった少年は息を吸うのも忘れる程の衝撃を受けた。体が勝手に小躍りするくらいの喜びである。
 その清冽な水の中に手を浸けるのを妨げることはできなかった。夏だったのでより冷たく感じられ、手から体全体への清涼感が伝わってきた。飲んでみたい衝動にも駆られた。帷子川では絶対に起こり得ない感情であった。この美しい流れと帷子川が、川と云う言葉でひとくくりにされていることに対して、大いなる違和感を持たざるを得なかった。
 この経験により、川に対する理解が深まった。帷子川も、源流がどこにあるのかは判らなかったが、そのあたりまで遡れば、小さな澄んだ流れが木々に囲まれて存在しているのではないか。この様な想像もできるようになり、川への関心を持つようになった。そして清流への憧れを強くした。

 今は環境意識が高まっているせいか、二俣川も帷子川も、子供の頃に見た帷子川よりはマシである。澄んでいるとまでは言い難いが、黒よりは遠い色である。
 歩くことが好きで、休日には家の近くを散歩していたが、その際、二俣川によく遭遇する。こちらに暮らし始めた頃は川を眺めながらそれに沿って歩いたものである。しかし回を重ねる毎に関心は薄れた。今では散歩の途中で出会っても追って行こうと思わない。
 鶴ヶ峰駅から横浜駅までの間に車窓にしばしば現れる帷子川も、以前は退屈な車内で気を紛らわす格好の材料になっていたが、今では見飽きて目で追おうとは思わない。
 車窓から見る殆どの景色は、この帷子川も含め今では目を向ける対象ではなくなってしまったが、一つだけ例外がある。出色の例外である。横浜駅へ向かう電車が鶴ヶ峰駅を過ぎた辺りでのことである。木々の間からチラっと見える小さな流れがある。左側の車窓を通して、流れる水の揺らめきが放つ光の反射でその存在が判る。このあたりで私が知っている川とはまったく違った景観を呈している。目を引かれるものがある。いや、心も惹かれるのである。電車でその横を通過する一秒あるかないかの時間だが、この一瞬だけは満員電車に身を置く苦痛から開放される。
 車内でのこのささやかな楽しみのために、通勤電車では左側のドアの傍に立ちたいのである。しかし、あの紳士にいつも一番良い場所はおさえられている。満員電車の中ですぐ隣に居るので、見るつもりはなくても、彼の動作は視界に入る。他の乗客は何ら関心を示していないのに、彼がこの瞬間に視線を車窓を通してあの方向に向けていることが判る。いつもこの一番よい場所を確保しているのはこのためなのか。同好の士なのか。ちょっとフラストレーションを与えるヤツである。

 仕事の関係で三年ほど仙台に住んでいた時期があった。その頃、市内を流れる広瀬川の大きな河原をよく散策して楽しんだ。その川は青葉山と市街地を隔てるように流れる。水量の多い流れにより幾つもの大きな中州が形成されている。勢いのある流れとその下の地形との干渉が、途切れることのない力強い波やうねりを起こし、場所によってはしぶきも上げる。その川底は川幅が広いので水際あたりしか透けて見ることはできない。しかし、清流に棲むと云う鮎を釣る人をいつも見かけるので、水はきれいなのだろうと推測できる。河原と同様に多く木々が茂っている中州を背景に、釣り人が竹で編んだ浅い笠をかぶり、腰まである長靴で川の中に立ち釣り糸をたれる。川だけの魅力と云うのではなく、岸も中州も木々も、さらには人も全部入っての調和した美しさにしばし見とれたものである。

 あの車窓から一瞬見える場所では、このあたりでは珍しく川の両側が結構急な斜面になっていて高さがある。崖と言ってもよいくらいである。線路のすぐ横つまり崖の上部に自生する木々の隙間から見下ろす格好になる。その際、茂った枝葉に邪魔をされて煩わしい。見える範囲では、崖の上の方は木々が青々とし、下の方は土の茶色い地肌も見える。それらと光を反射して白く揺らめく川の流れとのコントラストが美しい。
 横浜駅に向かう電車なら左側の車窓から見下ろすことができる光景であるが、下りの電車の右側の車窓からでは上り線の線路に視界が妨げられる。結果として、あの場所は上り電車からでないとお目にかかれない。それも一瞬しか見えない貴重な場所なのである。

 広瀬川の河原を散策していた初夏の或る日、青葉山に入り込む支流の入り口を見つけた。散策路が整備されている訳ではなく、他に歩いている人はない。聴覚的にも視覚的にも崖に挟まれたその空間はしんとしていた。流れが小さく浅く、その両側には砂利や小石があるくらいで、行く先を妨げる岩や流木など見当たらなかった。地形的には歩いて行けそうに見えた。少々の勇気を持って、足元に注意しながら上流へと入って行った。
 奥へと進むにつれ次第に迂回を必要とする大きな岩などの障害物も現れ、足元も怪しくなってきた。それらに行く手を圧迫され靴底が流れに浸からねば進めない場所が増えてきた。無理な歩き方を強いられるため運動量は増し、体はほてり汗が滲んできた。その肌を、清らかな川の流れから水分を吸収した涼やかな風がひんやりとなでていく。崖や岩そして川と相俟ってその風がもたらす清涼感は、まさにこの場所に居なければ享受することはできない。
 崖は高くなり、直射日光の届くところも減って、溪谷と云う景観を呈していた。溪谷全体がどのようになっているかと見上げれば、両側の崖を割って青空がまぶしく輝いている。
 崖の上の方には青々とした木々が生い茂り、中腹あたりでは茂りが減っていくとともに、上の方の木々の影で暗がりが増えていく。さらに下の方では、両側を切り立った茶色の崖に挟まれた小さな水の流れがある。そして、その傍らに自分もたたずんでいる。勿論そこには清涼な風も流れている。そんな自然の中に居る自分を客観的に眺めて、ふっと顔がほころんだ。
 仙台を離れる頃には、子供の頃に持っていた川と云うもののネガティブな印象は、まったく払拭されていた。

 あの場所の車窓からの光景は、仙台の青葉山の溪谷の景観やたたずまいを連想させる。スケールは全然違うが、それらがオーバーラップする。そのときの経験や想像が今車窓から見えるこの光景に偏向をかける。そのため崖に挟まれて流れる川の水もきっと清澄であろうと想像を駆り立てられる。さらには、自分がそこに降り立てたなら、どんなに清々しい気持ちにひたれるだろうかなどと云う想像も加わる。この偏向の後押しにより、私にはあの場所が特別に魅力的に見え、見れば爽やかな風さえ感じてしまうのである。

 その日の朝も、連日の残業で疲れが溜まって体が重いと感じる以外は、いつもと同じように始まった。
 電車が二俣川駅を出て、この先の停車駅を案内する車内アナウンスが流れる。これは毎日同じ内容を聞かされるので聞く耳は持たない。すぐにポイントを通過するゴトンとの重い音と共に揺れを体に受ける。加速度を感じつつ体が少々後ろに引かれて傾斜する。その勢いで隣の人と体が接触する。あまり強く接触しないように足や腰に力が入る。勿論つり革につかまっていれば、腕にも力が入る。一定の速度までに達し、その速度を数秒間保つと、揺り戻しが一回あって、その後、元の直立した体勢に戻る。ここまでは、いつものお決まりのことであるが、意識がそちらに向けられ気が紛れる。その一連の手続きが終わってしまうと、一分も経たないうちに、退屈感がひょいと頭をもたげる。これが出てくると、その後は速い。もう止められない。あっと言う間に体じゅうに充満してしまう。いや、車内に充満して、周囲から私の体や頭を圧迫してくるのである。この退屈な時間に入ってしまってからは、何もすることも考えることもない。まさに暇で苦痛な時間が始まる。
 その日は、昨日会社でやり残した仕事のことが気になっていた。そのために今日でグループとして完了予定の仕事が遅れるおそれがあった。一緒に仕事している人達に迷惑をかけてしまいそうで落ち着かず、何か遅れを取り戻すことを考えずにはいられなかった。そのお陰で、いつもこのあたりから始まる退屈な時間からは免れられていた。
 しかし、資料もなくメモをとることもできずに頭の中だけでの挽回のための思索は容易ではない。朝から疲労感を引きずっている延長線上ですぐに睡魔に襲われ、手も足も出ない。立ったままではあるが、すぐに瞼が閉じたままとなった。いや、瞼だけでなく意識も閉じていた。これでも退屈からは免れていることになるが、少々始末が悪い。頭がスーっと前に倒れ、隣の人の肩に軽くぶつかった。はっとして瞬間的に目を開けてその人を見て、ゴメンナサイと云う気持ちで会釈した。相手も会釈を返した。混んでいる車内でもありオタガイサマと云う意味だと解釈した。いつも隣に立っている紳士だった。気まずかったので、再び目を閉じて眠りを継続する振りをしていた。冷や汗もかいていた。
 その後、退屈と向き合うこともなく、再び意識が薄れたりまた戻ったりを繰り返した。いつも楽しみにしているあの場所もいつのまにか通過して横浜駅に到着し、東海道線に乗り換えて会社へと向かった。
 やはり、昨日からの繰越分の仕事が時間を圧迫し、今日で予定通り仕事が終えられるか怪しくなってきた。終電までやって片付くかどうかギリギリであるとの悲観的な気持ちが出始めた終業時間を過ぎた頃、自分の仕事を片付けた同じグループの同僚から協力の申し出があった。勿論渡りに船であり、遠慮なく持て余している分をお願いした。さすがに二人でやるとなると二倍の処理速度となり、終電にはまだ二時間も余して全て終えることができた。この期待もしていなかった突然現れた二時間は有効に使わねば勿体無い気がした。仕事が終えられた清々した気持ちと共に、協力してくれた同僚へお礼かたがた、一緒に会社近くで飲みに行ってしまった。
 お互いに終電は意識していたので、店を出るまでは予定通りだった。気持ちが軽くなった勢いで増した酒量と最近溜まっている疲労とが相乗効果を起こす。駅へ向かう足取りは既にふらついていた。頭も足取りと同様である。この酔っ払い状態にも係わらず、何ら帰路への心配も用心もすることなく電車に乗り込んだ。
 東海道線の車内では眠っていたが、立ったままドアに寄りかかる格好になっていた。そのお陰で、横浜駅に着いてドアが開く動きに体を揺さぶられて気がつき、無事電車から降りることができた。座れなかったことが幸いしたようである。これまで何度か、座れてしまえた結果として藤沢あたりまで連れて行かれたことがあった。
 ホームの階段を降りて改札を通り、相鉄線へと向かった。ここは歩く距離が結構長く、酔っ払いにはこたえる。昼間は賑やかな店が並ぶ通りもこの時間ではひっそりとしている。漸く改札が見えてきた。いつもこのあたりから、目の前で電車に発車されそうな気がして焦らされる。酔って疲れた体を持て余しながらも、早足で改札を通った。気持ちだけですぐに足はついてこなくなったが、ホームをめがけ歩を進めた。電車に乗り込むときは、もう重い足を一歩ずつ運んでいるだけだった。
 電車に乗り込むと幸運にもすぐに座席を獲得できてしまった。同じ長椅子に座っている人への配慮などもせずにどっかと座った。さっそく目がとろんとしてきた。このまま眠ってしまったら二俣川駅で降りられるかな~、との心配も車内アナウンスの音声とともにかすかになり、意識も遠ざかっていった。首を前に折って大人しい姿勢を保っているのか、隣の人に寄りかかっているのか、もはやそんなことには無関係な熟睡状態に陥った。
 寄りかかった隣の人から肩でクっと押し返されても判らないほど深く眠っていた。どのくらい時が経ったか判らないが、電車が止まった勢いで体が進行方向に傾いた。傾いた方の隣の席が空いていたため、水平になるくらいまで体が倒れた。それを感じて半分意識が戻り、未だ眠い目も漸く半分開けられた。どこかの駅に停車したのであろう。乗っている電車が急行なのか各駅停車なのかも覚えていない。急行なら一番初めに停車する駅が降りるべき二俣川駅なのだが、各駅停車なら八つの駅を経て漸く二俣川駅に到着する。ここはその途中の駅なのだろうか。それともその先の駅なのだろうか。
 気がついたときは前方に見えるドアは開いていたが、その外の様子に見覚えはない。いや、ドアや車窓の向こうが断片的にしか見えず、ホームのながめとして合成するには未だ頭がまともに働いていないのである。車内アナウンスが何か言っていたが、知りたい駅名は聞き取れなかった。
 長い時間眠った感覚はあるので、乗り越しという言葉が頭をよぎった。早く駅名を確認しなければと駅名の書いてある看板を捜して、後ろの車窓から外を見渡そうと右に左にせわしなく振り返った。なかなか見つけられない。もはや時間がない。ここがどこの駅かは判らないが、乗り越したと判断して、取り敢えず降りることにした。急いで座席を立ち、ドアの外へ飛び出そうとした。ダッシュである。
 その時である。「ちょっと」と後ろから声がかかり、肩を叩かれた。体はドアに向かって移動している最中。バランスを崩しながら「えっ」と振り返った。網棚を指さして「カバン」と言っている人がいるではないか。私に何か指摘している口調である。その人も、私の焦り具合を目のあたりに見て、それが伝染したようである。他にも何か言葉を継ぎたいようだが単語ひとことしか発せられない。
 しかし、この緊急事態では、その的確で必要十分なひとことだけで即座に理解できた。自分の手元を目で見るでもなく手のひらの感触で判った。重みも感じない。いつも持っているカバンが手にはないことは確実だった。間髪を入れず目でもその通りであることを確認した。両手ともに何も持っていない。それが判ったショックで、頭に血が上ったか、頭から血が引いたか、または脈拍が上がったか、何か循環器系の状態の変化があったことを体の中から感じた。益々焦りが高まった。
 確かにカバンを忘れていたが、それを網棚に置いたことさえ覚えていない。網棚を見れば、私が座っていた席の真上にそれが乗っている。ドアは閉まりそうで気が気でない。振り返った体のバランスは崩れて前傾し手を伸ばしても網棚の端にもとどかない。
 そのとき、その人がさっと網棚から黒いクラッチバッグを取って私に手渡してくれた。それを受け取りお礼を言う間もなく、ドアが閉まるシューと云う音と共に初動の動きを視界の端に見ながら、急いで飛び降りた。歩幅を伸ばして車内からホームへ横っ飛びにジャンプである。間一髪セーフ。直後に後ろでドアの閉まるバタンと云う音を聞いた。着地した足の膝がカクっと折れてふらつき一歩二歩と余計に踏み出したが、辛うじて踏みとどまった。酔っ払いにしては精一杯の迅速な動きだった。あー、間に合った。

 取り敢えず、降りることだけはできたとホッとしているところで、空いているベンチが目に入った。何はともあれ、この一連の混乱した状況から脱したい。酔って疲れた重い体を、そこにどかっと投げ出すように座り込んだ。四人掛け用だが、丸々空いているので誰に遠慮もなかった。そして一息ついた。「フー」と声だか息の摩擦音だか判らない自分に言い聞かせるような大きな一息だった。
 もう大丈夫だとの安心感から、高ぶっていた気持ちが少しずつ落ち着いてきた。いや、落ち着くまで座っていた。他に急がねばならないことなど何も考えられない。忘れそうになったカバンも大事に膝の上で両腕の下に抱えられていた。カバンの中には、サイフ、銀行カード、クレジットカード、健康保険証、運転免許証、社員証、手帳等々、大事なものが全て入っていた。これをなくしてしまったら、金額だけの話ではなく、悪用される心配や、再発行や復旧手続等々で大変なことになるところだった。そうなった場合に抱えることとなる色々な面倒から逃れられ、ホっと胸をなでおろした。「あ~、助かった」と心の中で何度もつぶやいた。周りには誰もいないし、声にして一段落付けたい気分であった。
 この騒動と安堵で漸く酔って鈍っていた頭が回転し始めた。ところで、この駅はどこの駅なんだ。こんな大事なことも後回しにされていた。座ったままではあるが左右を見渡すと、車内からよりもはるかに視界が開けている。そのため直ぐに駅名の書いてある看板を見つけることができた。長く落ち着けていた腰を上げ、そこに寄って行った。その看板で駅名を確認するまでもなく、数歩歩いたところで、目に入ってくるホームの様子から判った。何とここはいつも利用している二俣川駅ではないか。またまたホッと胸をなでおろした。
 色々バタバタしたが、結果は全ての項目で一点の失点もなく、マイナス千点くらいの地獄の寸前から、運よく戻って来られたような気分であった。
 改札口を出て、家に向かって歩きながら、さらに冷静さを取り戻した頭で降車寸前のひどく慌てた十秒間くらいの顛末を振り返った。
 目覚めた直後で頭の回転は鈍く停車している駅がどこだかも判らない状況下で、数秒の間に降車するか否かの判断をせまられていたのである。カバンに気を掛ける余裕など皆無に等しい。あの切迫した状況から無事に脱せられるなんて、通常では不可能なことと考えるのが自然である。それが首尾よく脱せられ、その直後は結果としては問題なくそれで良しとして済ませていたが、今となってはその過程がすんなりと受け入れられない。僥倖にばったり出会えたとでも言うのか。いや、そんな単純には片付けられない。不可思議なものの関与があったと云う感覚が拭い去れない。
 あの場面では、私の忘れ物を指摘してくれた人が現れたことが望外の幸運であり、その他の全ての幸運を寄せ集めたところで、それにかなうものではなかった。この際立つ一点が最も引っかかるところであった。
 他人が忘れものをしたのではと気づいた場面でも、別の人の物と勘違いしている可能性もあるとの危惧から、せっかく起った親切心が押し戻されてしまうこともある。自分だったら指摘できたであろうか。確信はなかった。
 何故あの人はできたのであろうか。私のカバンがあの黒いクラッチバッグだと知っていたのか。家族や会社の同僚でもあるまいし、そんな事を知っている人など居るとは考えられない。私とあのカバンの関係をよく良く知っている人なんて。他に居るかな~っと頭の端で考えながら、あの時の状況を思い返した。ホームに降りた場面から巻き戻した後ひとコマずつ先送りしていった。すると、あるところで止まった。「あっ」と思わず声がこぼれ出そうになった。
 呼び止められて振り返り、自分で網棚に手を伸ばしてカバンを取ろうとしたが果たせなかった。振り返ったときにバランスを崩して前のめりになってしまったためである。その時に目に入ったもの。茶色の革のアタッシュケースである。あの人の足元に置かれていた。私のカバンを網棚から取るために、それを足元に置いて背伸びして手を伸ばしていたのか。毎日の通勤電車の中で、隣に立っている紳士が持っているものと似ていた。いや、あまりにも酷似していた。後からやっと思い出すくらいの一瞬しか捉えていない画像なのに妙に網膜に焼き付いている。大きさ、形、茶色の深み、使い込まれている程度。こうなると否定する材料が出てこなくなる。私だって、あの紳士のカバンをこんなにも覚えているのだから、相手も私のカバンを覚えていても不思議ではない。
 あの人があの紳士だったらと考えるとさらに想像が展開できた。私が二俣川駅から乗るときに既に前の駅から乗ってきている人なので、私が二俣川駅を利用していることも知っているはずである。ひょっとしたら、私は電車の揺れで眠りから覚めたと思っていたが、あの人が私の肩を揺すったか叩いたかして目覚めさせたのではないか。あんなに深く眠っていたのである。その可能性は否定できない。帰り道にそんなことを考えながら家に着き、布団に入ってからもその延長線上でウトウトしながら眠りについた。完全に眠りに落ちる前におぼろげに頭をかすめたことがひとつあった。今朝の電車で居眠りしてしまい頭をあの紳士の肩にぶつけて会釈を交わしたな~。

 翌日、昨夜のアルコールが未だ残っているらしく、体は熱を持ち少々の頭痛があった。家を出て、外の風に当たって少し楽になった。駅に向って歩きながら、忘れ物を指摘してくれたと思われるあの紳士にお礼を言おうかどうか迷っていた。あの人だった気がするが、確たる自信はない。人違いだったらお礼を言われた人も困るだろうし、私だって恥ずかしい。あのときお礼を言っておけばよかった。そうすれば顔を確認できただろうに。いや、あの場面でそんな余裕は有ったものではない。そんな迷いを抱えて改札を通ると、いつもの電車がすぐに来てしまい、考えをまとめる事もできずに電車に乗り込む羽目になった。
 車内に押し込まれながらいつも狙っている左側のドアに目をやると、あの紳士がドアのすぐ横の場所に茶色の革のアタッシュケースを持って立っている。あのカバンだ。なのに、紳士は昨夜のことなど無関係と云う様子である。ちょっと自信が揺らぐ。あのカバンに目をやればそれが払拭される。昨夜見たものはあれだったはずだ。揺れる気持ちのまま、あの紳士の隣まで移動してしまった。乗車後のルーチンになっている動作であり自然とそうなった。隣に立つと、段取りなど事前に考えていた訳ではなかったが、頭と体が勝手に動いた。
 目をちらっと向けて紳士の方を見た。向こうもこちらを見る様な見ない様な微妙な視線の方向であった。気がついてくれているとの確信はなかったが、お腹の辺りに抱えていた黒いクラッチバッグを、相手の視界の下隅に入るくらいの位置までちょっと上げた。ほぼ同時に、目をゆっくり半分伏せる様に目礼をした。昨夜はオセワニナリマシタ。視線を向けた訳ではないが、視界に入った相手の頬がちょっと緩むのが見えた。いやタイシタコトシテナイデスヨ。やっぱりそうだったのか。昨夜からのもやもやした霧が一気に晴れた。
 だからと言って、改めて言葉にしてお礼を言うこともなく、いつも通りの満員電車の中で居合わせた他人同士であった。しかし周囲を満たす空気は、いつもの無機質なものと違って、一瞬生じた共鳴の余韻が尾を引くような感覚が残っていて心地良い。気がつけば、熱も頭痛も霧散していた。電車が出発して数分後、鶴ヶ峰駅を通過してあの場所にさしかかった。紳士は視線をドアの車窓を通して下に向けた。私も同じところに視線を向けた。木々の青と崖の茶色と流れの白い色が美しいコントラストを作る小さな渓谷である。
 爽やかな風が頬をなでた。

著者

林国康