「鶯のいる森で」海老名 治彦

 僕の名前はそう太、柴犬だ。ぼくのご主人様が、『相鉄線キャラクターのそうにゃんが大好きで、相鉄線沿線に住んでいる』という、それだけの単純な理由で、僕の名前が決まったらしい。でも、僕はこの名前がとても気に入っている。そうにゃんはすっかり有名になって、みんなに振り向かれたり、知らない人と握手したり少し窮屈そうだけど、僕は悠々自適だ。
 毎日の散歩は、引地川公園の泉の森に連れて行ってもらう。大きな広場もあり、思いっきり走りまわれる。泉の森は、相鉄線の相模大塚駅から歩いて十分くらいの広い森林公園。東京ドーム八個分の広さだそうだ。引地川の源流一帯で、約四十二ヘクタールの園内が静かな緑に包まれている。木製の斜張橋『緑のかけ橋』と『水車小屋』、そして『自然観察センター・しらかしのいえ』は、公園のシンボル的存在だ。中でも僕のお気に入りは、大きな鯉がいる『しらかしの池』である。『緑のかけ橋』のすぐそばにある。そこには、綺麗な錦鯉や、僕のお気に入りの真っ白な鯉が悠々と泳いでいる。鴨の親子もたくさんいる。皆んなすごく綺麗に整列して、お母さん鴨の後ろに四、五匹の子鴨がついていく。この前出会った鴨の家族は、一番後ろの子が遅れて、はぐれそうになると、お父さん鴨が餌場から戻ってきて、お尻を押してくれていた。そんな安らぎの池がある。
 森林の中には、いろんな種類の野鳥がいて、賑やかなさえずりが聴こえてくる。泉の森には、年間を通して約八十種類の野鳥がいるそうだ。冬に来た時は、青い体が色鮮やかなカワセミがいた。あのとんがった長いクチバシの横顔は実にキュートだった。森の中で梢を見上げると、野鳥クラブの人たちが作った巣箱がたくさんあって、去年巣立った鳥たちが帰って来る。ここは色とりどりの鳥たちが、美しい声でさえずる楽園なのだ。
    #1
 春、僕が野鳥の中でも、一番気に入っている鶯たちの雛が育つ。そして、初めてさえずる声は、なんとも愛くるしい。鳴き始めた頃はとても、
「ホーホケキョ」
とは聴こえない。
「ケキョ、ケキョ、ホクェキョ」
とゆっくり、まだ呂律のまわらない赤ちゃん言葉で一生懸命発声練習をして、一人前になっていく。春から夏にかけて、大人になった鶯は、実に清々しい声で鳴く。何と表現したらいいのだろうか、静かな森の中で響く透き通った声、特に最初の、
「ホーー」
と長く伸びる旋律と、
「ホケキョ!」
という短いアクセントの調和は、本当に美しい調べだ。
 僕のご主人様である飼い主のユキちゃんは、そんな僕がウットリと鶯の声に聴き入っている時、そばに座っていつまでもいっしょにいてくれる。ユキちゃんは僕の気持ちが何でもわかってくれる、最高のご主人様だ。
 ユキちゃんは、獣医学部に通う大学六年生で、大学のオーケストラサークルに所属してフルートを吹いている。中学生の時から始めたフルート暦は、十二年目になるセミプロ級の音楽愛好家だ。中学、高校ともフルートのパートリーダーを務め、全国大会出場経験もあるそうだ。高校の時は音大か獣医学部のどちらに進学するか、迷ったらしい。ある日、ユキちゃんがフルートを持って、僕と散歩で泉の森に行った時、
「私、吹けるよ!」
と言って、フルートで『ホーホケキョ♪』と吹いてくれた。音域が鶯の声と同じでとても上手だったけれど、やはり本物にはかなわない。
    #2
 五月のある日、いつものようにユキちゃんに散歩に連れて行ってもらった帰り道、大和市の重要有形文化財に指定されている茅葺屋根の『郷土民家園』に差し掛かった所で、事件が起きた。まだ、赤ちゃん声の鶯が、
「ケキョ、ケキョ」
と発声練習をしているところに、一羽のカラスがやって来た。
「カア、カア、カ、カア!」
と、品の悪い声で鳴いている。近隣の住宅街では最近カラスが増えて、毎朝、日の出とともに合唱が始まる。
「あ、あのカラス、あの鳴き声、いつも、うちのそばにいるヤツよ!毎朝、うるさくてしょうがないわ」
と、ユキちゃん。
『あ、危ない!』と僕が叫んだ。でも犬なので、
「ワン!」
と吠えることしかできなかった。僕の叫び声など気にもかけずに、そのカラスは鶯の子供をめがけて一直線に急降下してきた。
「あー、逃げてお願い!」
ユキちゃんも大きな声で叫んだ。カラスの鋭いクチバシが、あと二メートル位に近づいた時、『もう、だめだ!』と、僕は思った。そこへ、鶯の子供とカラスの間に親鳥が入って来て、羽根をバタバタさせ、
「チチチッ!、チチチッ!」
と威嚇しながらカラスに立ち向かった。そして、カラスと親鳥の壮絶な戦いが始まった。我が子を助けようとする親の底力は、人も動物も本当に強い。でも、あの鋭いクチバシには、とても歯が立つものではなかった。何ヶ所か突かれ、ついに力尽きて地面に落ちてしまった。この騒ぎで散策をしていた人たちがたくさん集まってきたので、カラスは鶯の子供を追いかけるのを諦め、
「カア!」
と一声鳴いて去って行った。ユキちゃんがすかさず、血だらけになって地面に落ちた親鳥を抱き上げた。目は開けているが瀕死の重傷のようだった。ユキちゃんは、すぐに親しい大学の先輩に、スマホで電話をかけた。
「もしもし、たいへんなの。鶯が重傷を負っているから、大学の動物病院に今から連れて行きます。鳥獣専門医の教授にも診ていただきたいので、取り次いでくださると助かるのですが。」
「わかった、すぐにオペができるように準備しておくよ。」
と先輩が言ってくれた。ちょうど散策に来ていた若い夫婦が、ユキちゃんの通う大学の動物病院まで、車で送ってくれることになった。もちろん僕も一緒に乗せてもらった。この日の動物病院当直の准教授が執刀医に、ユキちゃんの先輩が助手となり、すぐに緊急手術が開始された。鳥獣専門医の教授もすぐに駆けつけてくださった。ユキちゃんも手術に立ち会わせてもらったので、僕と車で送ってくれた若い夫婦は、ずっと手術室の外で待った。三時間で手術室のドアが開いた。
「幸い急所は外れていて、手術は成功したのですが、今夜が峠だそうです。私は今夜泊まって付き添いますから、今日はどうぞお帰りください。送って頂いて助かりました。ほんとうにありがとうございました。」
と、ユキちゃんが深々とお辞儀をして、お礼を言った。そこにちょうど、ユキちゃんのお父さんとお母さんが車で到着した。お父さんも、手術中一緒に外で僕を見守ってくれた若い夫婦に、丁重なお礼を言ってくれた。そして、
「ユキ、大変だったね。今夜は泊まると思ったから、お母さんが着替えを準備してくれたよ。そう太は連れて帰るね。鶯の無事を祈ってる。頑張れよ。」
とお父さん。『僕も徹夜で見守りたい』という目で訴えたけれど、
「あなたがここにいても、邪魔になるだけで何もできないのよ。疲れたでしょう。帰って今夜はゆっくりお休みなさい。」
とお母さんに言われ、僕は、
「クウン」
と一言鳴いて、別れを告げた。
    #3
その夜、僕は全く眠れなかった。鶯の無事を祈っているうちに、あのカラスのことを思い出すと、仇をうちたくなる。最近、近所にカラスが急増しているのはどうしてだろう。そういえば、朝の散歩に連れて行ってもらうと、ゴミ捨て場のゴミをあさっているカラスがかなり増えた。餌になる物を根絶すれば、この街からカラスはいなくなるのではないか。じゃあ、どうすればいいのだろう。そんなことを考えながら、鶯の無事を祈り、朝方、やっとウトウトし始めたところに、
「カア、カア、カ、カア!」
なんと、鶯を襲ったあのカラスが、家のそばの電線の上で鳴き始めたので、僕は飛び起きてしまった。僕は悔しさがこみ上げ、カラスに向かって、思いっきり大きな声で何度も吠えた。すぐに、お母さんが僕の気持ちを察し、庭に出て、そっと抱きしめてくれた。
朝八時頃、ユキちゃんからお母さんに電話があり、『鶯は何とか峠を越えそう』とのことだった。『よかった、頑張れ!』僕はその日一日中、鶯の無事を祈った。
 夕食前に、ユキちゃんが帰宅して、
「そう太、鶯は大丈夫よ。スポンジの水を飲めるようになったし、明日には餌も食べられるようになると思うわ。羽の怪我が治ったら、森に返してあげましょうね。野鳥は治療が終わったら、飼うことができないので、治る見通しがついてほんとうによかったわ。」
と言いながら、僕の頭と顔をいっぱい撫でてくれた。
   #4
その日の夕食は、ベランダでバーベキューをやることになった。柴犬の僕は、家の中より庭で暮らす方が好きだ。お父さんが作ってくれた大きなバンガロー風の犬小屋が、とても気に入っている。時々、庭やベランダで、家族いっしょに食事をしてもらえるのが、とても嬉しい。その日は、鶯やカラスの話題で盛り上がった。お父さんが大好きなビールのニ本目の缶をプシューと開け、
「プファー♪」
と、コップ一杯をおいしそうに飲み干して、
「そういえば、」
と、お父さんの話が始まった。
「先週の英会話スクールで、コロラド州出身のちょっとワイルドな感じの先生が、自己紹介の時に、『私の好きな動物は頭のいいカラスです。』と言っていたよ。カラスは嫌われ者だけど、頭が良くて長生きするし、カラス語は最近かなり解読されてきた、と。『ここは危険だよ』とか、『ここはみんなでくつろげるよ』とか、『食べ物があるぞ』とか、鳴き声で群れを集めるらしい。昨日の夕方、特徴のある鳴き声がするので空を見上げたら、電線をカラスの大群が埋め尽くして、すごく不気味だった。この地域でカラスが増えたのは、ゴミ捨て場のゴミを餌にしているからじゃないかな。」
「なるほど、そうよね。」
とユキちゃんが、焼きあがった牛タンを美味しそうに『パクッ!』と、一口でたいらげて言った。徹夜明けで、相当お腹も空いていたのだろう。僕も大きくうなずき、
「ワン!」
と、短く吠えた。お父さんは、もう一口ビールを『ゴクン』と飲んで続けた。
「そう言えば、今朝、家の近くのゴミ捨て場に生ゴミがあって、カラスに喰い散らかされていたよ。ネットもきちんとかけられていなかった。分別もされていないゴミがたくさんあって、収集車が持って行ってくれないから、いつまでもゴミが残っている。ネットが外れていると、必ずカラスが集って来て、喰い散らかす。」
お母さんも、
「そうよ。私も当番の日に、分別されてないゴミが出ている時は、袋を分けて、一度物置で保管してから、収集日に改めて出すのよ。他人のゴミを触るのは、やはり嫌なものね。」
「まったくその通り。お母さん、いつもご苦労様。この町内には、ゴミ出しルールを守らない人はいないと思う。問題は、通りすがりの人がポイ捨てするケースだ。実は先週の金曜日、出勤する時に偶然、それを目撃したので、『今日は生ゴミの日じゃないですよ』と、注意したんだよ。そいつが振り向いたら、髭を生やした強靭な体格の怖そうなヤツで、『ギロリ!』と睨まれた。一瞬たじろいだけど、バツが悪そうに『ごめんよ…』と言って、ゴミ袋を持って帰った。ルール違反とわかって捨てている。確信犯だよ。」
「もっときつく言ってちょうだい。あの場所は、この町内専用のゴミ捨て場よ。」
とお母さん。
 話は逸れるが、お母さんは、お父さんには結構厳しいことを言う。だから、僕の忠犬順位は、ユキちゃん、お母さん、お父さん、留学中のお兄ちゃんの順になっている。ちなみにお兄ちゃんもユキちゃんと同じ獣医学部を卒業した後、オーストラリアの大学院博士課程に留学中で、爬虫類系の研究をしているそうだ。お兄ちゃんも、泉の森が大好きで、子供の頃はトカゲやイモリ、いろんな種類のカエルなどを見つけるのが、とても上手だったそうだ。今は、きっとオーストラリアのワニやイグアナたちと仲良くしているのだろう。僕は、まだ一度もお兄ちゃんに会ったことがないので、とりあえず忠犬順位はLASTだが、お父さんよりは、ずっと動物の心を掴むのはうまいだろう。一度会えば、きっとすぐに忠犬順位はお父さんと逆転すると思う。今度の夏休みには、お兄ちゃんはフィアンセを連れて帰国するそうなので、会えるのがとても楽しみだ。
 話が逸れてしまったが、お父さんの会話に戻そう。
「そんなこと言ったって、喧嘩になったら危険だよ。町内会のパトロール報告でも、『一人で注意したら、相手が逆上して危ない目にあった。くれぐれも気をつけるように』と、注意喚起されているんだぞ。」
すると、ユキちゃんが、
「町内会のパトロールでも問題になっているの?それじゃあ、監視カメラをつけるとか、パトロールの頻度を増やすとか、何か改善策を立ててほしいわ。」
「確かに。今度、町内会長に話してみるよ。抜本的な改善をしないと、このままだとカラスの思う壺だ。市長への手紙にも、監視カメラ設置の予算取りなどを、提案してみよう。」
「お父さん、お願いします。パトロールは町内会に任せるだけでなく、何人か集まって頻繁にやれば、効果があるかもしれないわね。うちが率先して、隣近所に声をかけてみない?」
と、ユキちゃんが言った。すかさず僕も尻尾を大きく振って、
「ワン、ワン!」
と吠えた。
「そうか、そう太もやりたいのか。よし、パトロール隊長はそう太に任命しよう。隣近所は、お年寄りも多いから、まずうちが率先垂範して、この指止まれ方式でボランティアを募り、進めていくことにしようか。」
「それはいい考えね。そう太には隊長らしい帽子と襷を作ってあげるわ。赤と黄色の目立つ色がいいわね。金色の刺繍も入れてあげようか?」
と、お母さんが言ってくれた。
「皆んな、くれぐれも無理をしないようにしてくれよ。トラブルになりそうだったら、すぐ警察に連絡すること。有害物質が混入している恐れがある物などには、絶対に触れないこと、それを絶対守ると約束してほしい。近隣のゴミ捨て場もさることながら、先ずは鶯のいる森や、公園周辺の清掃活動からスタートさせてはどうだろうか。そうだ、相鉄線の会社にも投稿してお願いしてみよう。ふるさと清掃活動として、電車内にも広告を出してもらうといい。あらかじめ、『そう太清掃パトロール隊』が不法投棄の場所などをチェックして、重点清掃箇所を決めることにしようか。初回は、鶯がカラスに襲われた場所から始めてはどうかな。管理事務所の許可がとれるか、お父さんが確認してみるよ。お母さん、百均ストアで、トングと軍手を、たくさん調達しておいてくれないか。」
「了解。分別用のゴミ袋もたくさんいるわね。準備しておくね。」
僕は、すごくわくわくしてきた。そして、思いっきり尻尾をふりながら、お父さんの膝の上に前脚を乗せて、ビールの臭いがする頬っぺたや顎を、ペロペロ舐めた。髭がザラザラして、少し苦いビールの味がした。
    #5
 一週間後、鶯は無事飛べるようになり、森に離すことになった。お父さんは出勤日なので、ユキちゃんは執刀してくださった准教授の車に乗せてもらって、泉の森に行くことになった。僕とお母さんは、森でユキちゃんと待ち合わせた。僕たちが駐車場に着いた五分後に、准教授が運転する車が到着し、鳥かごを持ったユキちゃんが車から降りた。そして、カラスに襲われた場所まで、皆んなで一緒に歩いた。ユキちゃんが、鳥かごをそっと置き、扉を開けると、鶯は少し戸惑った様子だったが、一歩外に出た後、軽くお辞儀をして飛び立っていった。
まるで、『皆さん、助けていただいて、どうもありがとう』と言っているようだった。美しい新緑の枝から枝へと、鶯は元気に飛び回った。
「よかった。ほんとうによかった。早く親子再開できることを祈ってるね!」
と言ってユキちゃんが、僕の首を思いっきり抱きしめた。僕は首を締めつけられて『く、くるひい!』と言おうとしたが、
「キャイーン!」
としか鳴けなかった。僕の目からは涙が溢れていた。苦しかったからではない。ここにいる皆んなが笑顔と嬉し涙で溢れていた。
    #6
 お母さんが作ってくれた帽子と襷が完成した。そうにゃんも、帽子と襷を身に纏っていることがあるが、悪いけど僕の方がずっとカッコいいデザインだ。ユキちゃんとお父さんが次の日曜日に、清掃パトロール活動をすることに決めたが、僕は待ち遠しくてしょうがなかった。
 日曜日の朝、素晴らしい晴天に恵まれた。九時半、鶯がカラスに襲われた『郷土民家園』の門の前に、ボランティアの皆さんが集合した。ユキちゃんが大学の研究室やサークルの有志を募ったところ、三十人と犬二匹が集合した。ユキちゃんとお父さんが『そう太清掃パトロール隊』設立の趣旨を説明し、参加メンバーの自己紹介が行われた。ちなみにもう一匹の犬は、最近、准教授の家で飼うことになった、警察犬を退役したゴールデン・レトリバーで、十歳になるお爺さん犬だった。早速、僕たちも犬語で自己紹介をしたが、凄く物知りで、これからいろんなことを教えて貰えそうなので、僕はとてもワクワクしている。
 トング、軍手、ビニール袋を配り、十時に清掃活動がスタートした。今回は管理事務所の人も参加して頂いた。ゴミが多いところをいっしょにチェックして、パトロール記録に書きとめるのが、僕とユキちゃんの任務だ。レトリバーのお爺さん犬は、匂いを嗅ぎ分けるのが凄く上手で、いろんなことを教わった。
 『郷土民家園』から、『ふれあいキャンプ場』を経由して、森林の中を通り、途中何度か休憩しながら、十一時半頃『自然観察センター・しらかしのいえ』に到着。最終的に燃やせるゴミ、燃やせないゴミ、缶、瓶、ペットボトル、等の分別を確認して、パトロール記録と一緒に、管理事務所に引き渡しを完了した。そして、ゴミが多かった所にチェックマークをつけた簡単な地図を渡して、ゴミ箱の追加設置を提案した。でも、ゴミは思ったより、少なかった。ここを訪れる人々は皆マナーが良く、自然を愛し森を大切にしているのだと思う。
 春の清々しい風が優しく吹いて、透き通るような新緑の葉っぱがキラキラと輝いていた。清掃活動で森が一層綺麗になったという気持ちが、その美しさを引き立ててくれたのだと思う。ここにいる皆んなが、そういう気持ちで森の植物を眺めていた。
    #7
 お昼になり、二年がかりで作られたという古風な『水車小屋』の近くで、昼食をとることになった。『水車小屋』あたりから、『しらかしの池』までの一帯は、『湿性植物園』となっていて、ハナショウブ、アヤメなどの植物が自生しており、六月には、白、ピンク、紫、黄色‥‥色とりどりの花が咲く。来月の開花が待ち遠しい。米マツを利用して作られた斜張橋『緑のかけ橋』の上から眺める『湿性植物園』は、来月、絶景となる。
 「ここが落ち着いて良いわね!」
と、ユキちゃんが言った。僕は、もうお腹がペコペコに空いて、早くお昼ご飯にして欲しかったので、大きく頷いて、
「ワン、ワン!」
と吠えた。レトリバーのお爺さん犬にも、その気持ちが伝わり、一緒に吠えてくれた。准教授の家族も隣の場所に来てくれて、ビニールシートを引き、お弁当タイムとなった。
「先生、いつもユキがお世話になっております。今日はどうもありがとうございました。まずは、一杯、どうぞ。」
と、お父さん。のんべえのお父さんは早速、准教授と乾杯して談笑し始めた。
 僕とレトリバーのお爺さん犬は、一緒にお昼ご飯をお腹一杯食べた。
 あ、そういえば、まだお爺さん犬の名前を紹介してなかったが、彼の名前は『ゴルビー号』だ。警察犬時代は難解な捜査で功績を挙げて、何度か表彰された名犬だそうだ。ある事件の捜査中に怪我をして退役し、その時執刀した准教授の家族が育てることになった。准教授の家族には九歳になる男の子がいて、ゴルビーと一番親しい。お腹一杯になった僕たちは、ユキちゃんと男の子に散歩をせがんだ。泉の森ではロープを外せないルールなので、飼い主にも一緒に走ってもらう。『しらかしの池』の横に、大きな『しらかし広場』があるので、そこで思いっきり走りまわった。ユキちゃんと男の子は、僕たちの食後の運動に付き合わされて大変だ。
「ちょっと、待ってよー。もう、走れないよう!」
ユキちゃんと男の子は、ゼイゼイ言いながら悲鳴をあげた。ゴルビーは体が大きいので、小学生の男の子は、ズリズリと引きずられているようだった。
    #8
 食後の運動が終わり、皆んなの所に戻ったちょうどその時だった。『緑の架け橋』の森林側の方角で、
「ホーー、ホケキョ!」
と、澄んだ鶯の鳴き声が聴こえた。准教授の家族は、この森で鶯の鳴き声を聴くのは初めてのようだ。その美しく澄んだ鳴き声に、皆んな感激して聴き入っていた。いつの間にか、ゴルビーと男の子が鶯の鳴き声がする『緑の架け橋』の方に走っていく。近くで鶯を観たいのだろう。彼らはずっと遠くまで鶯の姿を探しに行って、戻って来なかった。
 お父さんと准教授は、まだビールを飲みながら、談笑している。
「ここは、水辺空間と樹林地が、特色ある生態系を形づくっていると言われていますね。ここを見渡すと、野鳥や様々な生き物が、生息しやすい環境を育んでいることが実感できます。清らかな水辺と豊かな緑は、まさに生物たちのオアシスですね。」
と、准教授。
「その通りです。ここは四季折々、植物と生き物たちが自然の姿をストレートに見せてくれます。私たちは、このかけがえのない自然と生態系を守っていく必要がある。それを後世に伝えていくことが、私たちの義務だと思っています。」
と、お父さんが言うと、
「ご子息もお嬢さんも、こんな素晴らしい環境で育てられたのですね。獣医学部で、動物を愛する二人のお子さんの姿をみているので、よくわかります。獣医師はまさに生き物の命を預かる仕事、今後の二人の活躍がとても楽しみです。」
と、なんだか、難しい話になっていた。ゴルビーと男の子がなかなか戻ってこないので、ユキちゃんが、
「私たちもいくよ!」
と、僕を連れ出した。『緑の架け橋』入口の階段を駆け上がり、コトコトと気持ちのいい音を立て、木製の橋を森林の方に渡った。
 その時だった。
「ケキョ!ホクェキョ!」
と、まだ、大人になりきっていない鶯の鳴き声が聴こえた。僕たちは顔を見合わせ、
「もしかしたら、あの子かも知れない!」
と僕たちは叫んだ。そして、その声がする方に静かに歩いて行った。そしてゴルビーと男の子とも一緒になり、新緑の間から明るい木漏れ日がさす切り株に座って、いつまでも、いつまでも、鶯の子の鳴き声を聴いていた。

著者

海老名 治彦