「鶴ヶ峰の自然にいざなわれて」千村恵子

「あ、白鷺!」 緑の木々の中を白鷺が大きく羽を広げて横切って行った。なんてきれい!日本画みたいだなあ、、。ここから見ると木々の重なり具合も趣がある。横浜からそんなに離れていないのにこんなに静かなんて、、、佳織は三階のベランダから眺めながらここに越してきてよかったと改めて感じた。そう考えながら二年前のころを思い出していた。仕事に追われ、体力に自信を無くしていた頃で、睡眠時間も削られていたせいで、喜怒哀楽の感情を無くすくらい心身ともに疲れ切っていた。休日は終日仕事の専門書を読みあさり、次週からの仕事に役立つ資料作成をすることが多かった。数年前から若年組社員の業務評価の仕事も加わって、仕事に関連した自主学習会に参加することも多くなり、休日が消えてしまうことが日常化していた。仕事を忘れて気分転換することを忘れたような日常になっていた。そんな日々に慣れてしまうと、もっとさらに仕事時間を捻出しようとするあまり、食事時間まで浸食され、気がつくとふらふらになっていることもあった。あっという間に早や三十代の半ばを過ぎ、そろそろ体力回復に向けてなんとかしなければ、と考えつつも、こんな生活が定着してしまうとなかなか切り替えがすぐにはできないでいた。せいぜい軽いストレッチや短時間の散歩程度に留まっていたそんな頃、仕事で相鉄線に数回乗る機会があった。横浜駅から比較的短時間で緑の多い地域に辿りつけるラインで、ほっとする印象があった。そんな折、横浜に転勤になり、しばらくは四時起きをしながら通勤していたが、思い切って長く住んだ都内から横浜市に引っ越すことにしたのだ。以前、電車からの景色にほっとしたあの記憶がよみがえり、引き寄せられるように相鉄沿線に気持ちが向き、横浜駅から十五分程度の鶴ヶ峰駅にほど近い賃貸マンションに決めることにした。鶴ヶ峰の名はその昔、鶴が舞っていたことに由来したものだとか。手前の西谷駅から勾配のあるラインで鶴ヶ峰駅に差し掛かる手前にちょっとした森のような林があり、林から線路にかけた土手の斜面に、山ゆりが一輪、妙に爽やかに凛と咲いていた。車窓からのその景色が印象に残った。この駅にしてみようかな、決めたのはそんな気持ちからだった。林のすぐ先に駅と並んで、三十階くらいだろうか、ひときわ高いマンションが建っている。いわゆるタワーマンションだが周囲にこれほど高層のビルはないので、鶴ヶ峰のランドマークといったところだろうか。一、二階はスーパーや書店、飲食店などの商業施設になっていた。駅側周辺には庶民的な商店街が扇状に広がっている。へたったTシャツを着て商店街を歩いてもさほど気にならない気安さも疲れた身体にはありがたかった。駅から右に折れ、商店街を抜けて突き当たったところで公園にぶつかる。越してきて以来この公園が気に入り、いつの間にか散歩することが多くなった。「親水公園」という名がついていて、池を中心に回遊できる。池の中ほどにも小道があり、池の様子をまじかに眺められる。大きな鯉が数匹泳いでいて亀が石の上で気持ち良く甲羅干ししているのを時々見かける。公園内にはモミジ、梅、ソヨゴ、コナラ、松、さくらなどが多いが、何より池のそばに鎮座する「こぶし」の大樹が印象的だ。この樹は悠々とした大らかさを与えてくれる。公園からは林のほうへ向かって遊歩道が続く。遊歩道をしばらく歩いたところに、春、むらさき菜々葉が群生し、はなやかになる場所があり、歩くのも楽しい気分にさせてくれる。このあたりでカワセミを見かけることが多かった。背中を覆う鮮明なコバルトブルーの羽根と腹部の茶色の羽毛の取り合わせが美しい野鳥だが、羽根を広げた時の姿は息をのむ美しさがある。小枝の先で静かに、水面に映る川魚をじっと狙っている。と思いきや急に羽を広げ川面で旋回し、水浴びを始めたりする。観客を前に、水浴びのショウを披露してくれているのかと思ってしまうほどに、何回も披露してくれることもある。と瞬間、川面の上をヒューッと飛び去る。初めて見たときはまるで、ショウの一幕を見終えたような感動を覚えた。その頃、大型レンズを備えた趣味のカメラマン達が、よく待機するのを見かけるようになった。仕事をリタイヤーした中高年のカメラマン達がシャッターチャンスを競っているようだ。「見てみるかい」とカメラに収めた映像を気軽に披露してくれることもあった。歩道を進み太鼓橋がかかっている個所がある。橋を渡ると鶴ヶ峰駅方面に続いているのだが、この橋から眺める小川の様子がなかなか風情がある。夏にはとても清涼感のある場所だ。カワセミがふいに飛び渡ってきえていったり、最近はボランティアの働きの成果で、夏に蛍が飛び交うこともある。そして、橋を渡り切った階段のところにある秋のモミジは深紅が冴えて、とてもいい。遊歩道を進み、川の向こう岸の崖の地層などにも興味をひかれるが、その先に吊り橋などもあって野鳥の観察ができる。このあたりから川の段差で、水音がとても心地よく感じる場所がある。ストレスや疲れでピリピリした体にストンと安息をもたらしてくれるような、、、水の音ってすごいものだな、と改めて感じたことがある。周りが落葉樹の混ざった杉の林になっているので、杉林からのフィトンチッドと合わさって、マイナスイオンに相乗効果が出ているのかも、、、。となんとなく解釈してみる。このようなきっかけもあり、この遊歩道を度々散歩するようになった。何度か散歩するうちに野草にも目が行くようになり、ある日、子供の頃よく目にした懐かしい植物に目が留まった。大きめの葉っぱから伸びた線状の長めの茎に赤い点々が茎の先までついた植物、これなんていうなまえだったかなあ、、、?しばらく考えたが思いつかない。通りかかった中年の女性が「何かいましたか?」と声をかけてきた。「あ、いえ、この植物懐かしいな、と思って。これなんて言いましたっけ」「ああ、水引だね、結構あっちこちありますよ」と気安く声をかけてくれる。私の記憶としては数十年ぶりに見かけた気がしたが、案外気が付かずに通り過ぎていただけなのかもしれない。自然とほかの野草や樹木にも興味がわき、書店で写真と解説付きのを買い求めてしまった。頭が疲れている時などぼんやり眺めるのも案外楽しいものだ。白い清楚な花をつける「やまぼうし」、小さい可憐な白い花をいっぱいつけ、下を向いて咲く「エゴノキ」、アジサイのように固まって小さく咲き、赤い実をつける「ガマズミ」、モミジ類も種類が多いが「イロハモミジ」がこのあたりは多い。形が丸みがかっている「ハウチワカエデ」も見かける。モミジとカエデでは、カエデのほうが樹液に糖分が多いそうだ。その他「トサミズキ」や「ヤマザクラ」などがこのあたりでは好きな木だ。野鳥の種類も多く、「メジロ、シジュウカラ、ヒヨドリ、コジュケ、」カラスのように甲高く鳴く「オナガ」など。以前はコジュケの家族ずれにばったり出くわすことがたびたびあった。コジュケはウズラに似たような鳥で鳴き方に特徴がある。散歩中のおじさんが「この鳥を見かけた日はとても得した気分になってうれしくなるんですよ」と言っていたのを思い出す。穏やかにさらさら流れる遊歩道の小川はその昔、氾濫することが多かったそうな。その改善策で昭和の末頃、帷子川が整備、造られたと聞く。大きな川となって開通した帷子川にはカモ、白鷺、アオサギ、カワセミなどよく見かける。アユが遡上しやすいように河川工事を加えたことでアユの数がとても増えたらしい。春の季節、この川の周囲はあまたの桜でおおわれる。ソメイヨシノが中心だが、グリーンがかった白色の桜、ピンクの色彩が濃い桜、いくつかの公園とも連なり、この川はお花見ロードになる。越してきたころは特別変化のある川に思えなかったが、春になって一変した。滝のように河川に傾いて咲く風情は見ごたえがある。以前は桜の花が散れば、その後の桜の存在にあまり意識が向かなかった気がするが、紫の実をつけ、秋には紅葉もきれいだ。近くで見ると深紅とそのぼかし具合が美しいので、二、三枚持って帰ることもある。秋は落葉樹の場合それぞれの色に染まって葉を落とすが、次の春になれば見違えるようにたくさんの新緑のみずみずしい葉をつける。落ちた葉っぱと光を養分にしてどんどん勢いずく。こんな自然の循環の繰り返しも、日々変化を目にしているととても励まされる気持ちになる。樹木の形にしても、崖の際でぐっとせり出しながらまっすぐ上に伸びているさまは、実に力強く逞しい。岩を砕きながら根を張っている樹もある。‘頑張ってるね!”となでてやりたくなる。ある日遊歩道を歩いていて白鷺の川魚の捕獲場面を始めて見た。二、三メートルの距離だったので目が釘付けになった。川の中を、抜き足、差し足そおっと進みながら、浮いた片足の足先を小刻みに震わせて、その刺激や振動で姿を現す魚を待ち受け、出てきた瞬間、長いくちばしで仕留める。見事な体の連携だ。しかも川底の泥が濁らないようにあくまで慎重に、そこまで神経を使っているようだ。一方視線はしっかり水中に集中させ、緊迫感がある。こんなに、いくつもの動作を同時にコントロールして行える知恵や繊細な神経を持っていることに佳織は感じ入ってしまった。白鷺がチラと佳織のほうを見たが、危害を加える相手ではないと判断し、またその動作に戻った。もっと見ていたい気持ちもあったが、あまり邪魔をせずその場を離れた。こんな貴重な場面に遭遇することもある一方、あまり好きにはなれない蛇にも遭遇することがある。この二年間で二回出くわしたことがある。一瞬、息が止まりそうになった。これも回を重ねれば慣れてくるのだろうか、、、?この二年で草木や樹々や鳥や昆虫類、爬虫類も含めて四季の変化を見聞きし、生命力をまじかに感じ取ることができた。自然からエネルギーをもらい、とがった神経も和らげることができ、日々の仕事や行動にも反映されていたように思う。頭が煮詰まって思考が進まなくなった時でもこのあたりを散歩することで、思いがけなく新たな気付きも得られた。ここに越してくる以前は、人工的な環境に囲まれて物事を考え、行動し、仕事や生活をしてきた気がする。人間も自然環境の一部という言葉を時に、耳にするが、本当にそうなのだとこの頃佳織は実感している。そんなことに思いを巡らしていると、遠くのほうで保育園児の元気な声が響いている。天気がいいからきっと散歩中なのだろう。保育士さんに付き添われて、園児たちが散歩しているところにときどき出会うことがあった。視線が合うと先にあいさつしてくれるこどももいる。後頸部に日よけの付いたかわいい帽子をかぶり、何とも動きが愛らしい。通り過ぎた後も、つい、振り返って後姿を眺めてしまうこともあった。こんな平和な自然と環境がいつまでも維持されますように。そんなことも思いながらベランダから部屋に戻り、いつもの仕事の資料を広げた。

著者

千村恵子