「in my life」月嶋ヨーコ

 地下ホームへの階段を真ん中まで降りたとき、海老名へ向かう列車の風が吹きあがった。ワンピースの裾を抑えながら、履きなれない靴に注意して階段を降りる。元気に駆け下りていく女の子がかつての私と重なる。大学を卒業してからはあまり使わなくなった路線。だけど、今でも感覚は覚えている。
 アルミの色に青と黄色の線が入った車両がホームに滑り込んだ。私がよく使っていた頃には新型だった車両だ。五両目の一番後ろのドアから乗り込む。土曜の十一時。電車は通勤時間帯を過ぎ、かつての記憶よりは空いているようだった。両親と子ども二人の家族連れが四人掛け座席に座っている。普段着というより少しよそ行きの洋服で、この街から横浜に出るということが「お出かけ」なんだなと思わされる。私も新しい靴にワンピース、ノーカラーのジャケットを身につけて四人掛けの進行方向窓際に座った。通勤電車であっても向かい合わせの四人掛けの座席は旅を感じさせる。窓枠に肩肘をついてぼんやり外を眺めた。
 特急電車は私が大学を卒業してから出来たからあまり馴染みがない。大和から二俣川まで一気に走り抜けていく。どんどん通り過ぎていく懐かしい景色。もちろん、相鉄に乗ったのが卒業ぶりなどということはないけれど、毎日のように乗っていた頃を思い出すと随分と昔のことのように思う。
 しばらく乗らなかっただけでも、車窓の景色は変わっていく。
 たとえば、二俣川駅に建設中のマンション。以前はあんなに高い建物はなかった。いつの間にか各駅停車の駅も新しくなっている。通学経路だった頃なら瀬谷に出来たアイスクリームチェーン店に寄ってみたかもしれない。今は変わっていく駅に追いつけないまま車窓を眺めているだけだ。無かったものが出来ていたり、作りかけのものが出来上がったり、あったはずのものが無くなったり。もちろん、変わらずにそこにあるものもあるけれど。
 二俣川に着くとたくさんの人が降り、またそれ以上多くの人が乗り込んでくる。家族連れはそのまま座席で楽しそうに話をしている。
「ねーぇ、あと何個ー?」
女の子の声が車内に明るく響く。
「あと一つだから、もう少しだからね」
母親が抑えた声で優しく女の子に答えた。再び動き出した電車。二人の子どもは窓に貼り付くように外を見ている。私もつられるように車窓に視線を戻す。やがて電車は大きな工場に差し掛かった。思い出したように私は窓の外を食い入るように見つめた。
 あの頃、毎日のように楽しみにしていた景色があった。二俣川を過ぎて鶴ヶ峰に着く手前、大きな牛乳工場の脇にある小川だ。工場敷地のバラ園を通り過ぎてすぐ、小さな川がある。鬱蒼とした木々の合間に流れる小さな川は通学の癒しだった。めったに降らない雪が降ったあとなどは、なぜか郷愁のようなものを感じた。季節ごとに移ろうその一瞬の景色、電車が通るその瞬間をいつも息を詰めるようにして待っていた。
 それは今も変わらずそこにあった。一秒程度の景色。今でも変わらない懐かしくて癒される風景。
ふぅと一呼吸して何気なく天井を見上げると工事の進捗状況があった。確か、西谷から羽沢を通って新横浜や渋谷に繋がるんだった。
カシャンと窓枠が鳴って、横の線路を濃紺の列車が走り抜ける。
十年前、そのニュースを初めて見たときに新幹線に乗りやすくなるねと恋人と話した。少しはしゃいで、授業帰りに新しい経路で新横浜に出て京都への旅行を想像した。この座席に座って繋いだ手を鞄で隠しながら。だけど完成予定年度はずっと先だとわかって「それじゃ無理だね」とガッカリした。それでも、その頃にはもう三十くらいだから家族連れになっているかもしれないなんて夢を見て、隣に座る人を見ながら勝手に照れたりして。
もうその人は隣にいないけれど、経ちすぎた時間のおかげでただただ懐かしく照れ臭く思い出せる。
西横浜を越えるとランドマークタワーが見えた。横浜が近づいている。時計を見ると約束の時間には余裕で間に合いそうだ。
階段を降りて一階の改札に向かうと彼が手を上げた。横浜で式を挙げようと言い出したのは彼の方だった。交通の便も良くて私の友達も出席しやすいだろうからって。
「めずらしい、早く来てる」
そう言って茶化すとスーツの襟を軽く直しながら
「こんな日に遅刻したらさすがに怒られるでしょ」
と笑った。左手の薬指を親指で触れると、この間もらったばかりの指輪の感触。
「久しぶりに相鉄乗ると、やっぱり懐かしいな」
「横浜出るといつもそれ言うね」
 改札にICカードをタッチして通り抜けながら「新居も相鉄沿線にしたい?」なんて聞いてくれる。もしそれが出来るなら、あの川を見られる駅がいい。二人の環境からそれは不可能じゃないけれど、一緒にきちんと考えたいから。その優しさに私は「ありがとう」を込めて微笑んだ。
「時間あるからお茶していこうか」
「そうだね。あ、お茶だけだよ。このあとコース料理の試食するんだから」
「わかってるよ。今日はなんだっけ?中華?」
「そうそう。大きいシウマイに入刀するところ」
右手を彼の大きな左手に繋いで歩き出す。電車で見かけた家族連れが前を歩いていた。親子四人楽しそうに歩いている。その姿が未来の私たちになるように願いを込めて、彼の手を握る指に力を込めた。

著者

月嶋ヨーコ