さて、電車を降りてふわふわした気持ちで泉中央公園付近の畑沿いの道を歩いた日から3週間ほどした頃、今度は「焼き鳥を食べに行きましょう」とメールが来た。金曜の夕方6時くらい、ちょうど数時間に渡る月例の会合が終わったところで、中高年のわがままに振り回されて疲れ果て、そんなものにかかずらわったがために専念すべき仕事も手につかず、はたらかない頭で今日のビールのつまみはローゼンの餃子かヨーカドーの餃子か、6時半なら半額シールが付いているか、などということをぼんやり考えていたそのとき、見透かしたかのようにメールが携帯電話を揺らしたのである。私は急に気持ちが軽くなって、携帯をパクッと閉じるや一目散に二俣川に向かった。
二俣川にはおいしい焼き鳥屋が3軒あると妻は言う。鶏肉を生(刺身)で食す文化圏で育ったのだ、味覚は確かだろう。そのうちの一軒に二人で入って、ネギマ、ナンコツ、皮など目についたものを2本ずつ頼んでいく。まあ食べるわ飲むわ、一般的「焼鳥盛り合せ」は1人前8本前後だと思うが、我々が食べたのはそれぞれ10本や20本ではない。お店の人も、呼ばれて「会計か」と思って来てみたら追加注文だった(人は不思議とそういう思いが表情や口調に出てしまうらしい)、ということが繰り返され、もう終わりの頃は「よく食べますね」と直球を投げかけられた。
この、飲食店の従業員に量的な確認をされるという体験は結婚後もしばしばあることで、例えばイートインのある洒落たパン屋さん(緑園都市)で調理パンやらサンドイッチを10個くらいレジに出して店内で食べていくむね伝えたところ、「えーと、全部ですか?」と訊かれたり、中華街で締めに大皿の五目焼きそばとチャーハンを頼んで、「うちのは結構量がありますが…」と丁寧な警告を受けたりしている。そういえば妻の実家に挨拶に行った帰り、鹿児島空港のレストランで妻の母親がメニューの単品ページを指さしながら「ここからここまで全部」みたいな頼み方をしていて、店員さんが思わず苦笑したということがあった。
焼き鳥屋では双方したたか酔って、女の方から「彼女いないんですか」と切り出した。「いない」と答えた。「じゃあ私と付き合いましょう」と勢いよくおっしゃるので、「望むところです」と答え、私は30代後半にして自分だけのために仕事をして缶ビールで慰労をする生活から救出された。翌月、妻の誕生日に長後街道沿いの静かな和食店の個室で食事をし、「結婚」を前提に交際したいむね、改めてこちらから伝えると、「そのつもりでした」と確かな返事があり、半年後には泉区役所に婚姻届を出している。
結婚後の住居は前述の3DK賃貸マンションで、二俣川からは車で30分くらいだから数日かけて何往復もして、引っ越し屋は頼まなかった。妻がそのことをママ友などに話すときには「旦那の家に転がり込んだ」と表現していた。女同士で共有される何か独特の語感がありそうだが、うまくつかめない。浮いた引っ越し代でダイニングテーブルや大きな冷蔵庫を買ったが、すぐに手狭になって結婚から1年半で転居した。5kmほど西に移動しただけなので、生活圏はほとんど変わらない。ゆめが丘で蕎麦を食べ、いずみ中央でパンやトンカツを食べ、緑園のイタリアンに5歳の娘を連れて行って結婚記念日を祝う。娘がもう少し大きくなったら、二俣川の例の焼き鳥屋に行こう。そこに行く以上は「恋ばな」がなされるのだろうが、それは母娘で勝手に盛り上がればよい。父は選りすぐりの美味しいものを頼んでおいてやる。「ここからここまで、全部3本ずつ」。