相鉄線に乗るのは、大学受験で浪人生活を送っていた頃以来だ。大学受験に失敗した私は、今は少子化の波を受けてなくなってしまった大手予備校の横浜校に通い始めた。生来意志薄弱で友人などと話し出すとつい楽な方に気持ちが傾きがちな性格を反省し、同じく浪人組の友人の甘い誘いを断ち、独り別の予備校に通うことにしたのだった。
浪人生活は世間的な暗い印象とは異なり、それほど苦しいものではなかった。むしろ闇雲に独りで受験勉強をしていた時と比べ、プロの講師による授業は非常に明快で、不思議に思うほど勉強に引き込まれていった。そして、できるだけ多くの時間を勉強に費やそうと、授業の前後や休日も予備校の自習室に通い勉強することも習慣となっていった。
絵に描いたような青春とは程遠いものの、私の浪人生活は充実感を帯びていた。
順調に進んでいると思われた浪人生活が失速しはじめたのは、まだ暖かい十月のちょうど今頃だったと思う。張りつめていた糸が段々と緩むように、予備校で過ごす時間が徐々に少なくなっていった。何がきっかけで気持ちが低迷したのか当時はわからなかったが、もしかしたらこの暖かく包み込むような陽気に、それまで潜めていた弱気な心が気を許して現れてきたのかもしれなかった。
人もまばらな昼の快速電車に頻繁に乗るようになったのはそれからだった。それまで何の気もなしに利用していた、行き帰りの交通手段でしかなかった空間が、私にとって癒しの場になった。まばらな人影と電車の窓から差し込む日差し、路線を下るほどに増える自然とそれと調和する住宅街の景観。最寄りのいずみ中央駅に近づくほどに乗客はさらに減るが、そうなることを私は望んでいた。人とのかかわりが極端に少ない生活をしているにもかかわらず、電車の中で他人を居合わせることさえ息苦しさを感じていたのだった。
そのような車中の環境は私を慰めてはくれたが、気持ちを立て直すまでには至らなかった。小春日和に癒しを求めた期間はひと月ほど続いたが、その後は迫りくる受験のプレッシャーに尻を叩かれるように、元の生活に戻っていったのだった。
あれから七年の月日が経ち、私はまたあの時と同じような疲れた心で相鉄線に揺られている。途中の駅で停車を繰り返すにつれて徐々に乗客は減り、車両の中には片手で数えるほどしか人がいなくなった。
ふと、私は働いている今の私自身を、また今歩んでいるこの道を、本当にこれでよいのだろうか、当時の私は望んでいただろうか、と疑いたくなった。あれほど必死になって勉強して行きつく先が、果たしてこういった仕事だったのだろうか。
いいや、違う。ほかに進みたい道があったわけでもないくせに、漠然とした不安を危うく正当化してしまうところだった。結局のところ私は、受験合格や就職をゴールとしか見ておらず、それが同時にスタートであり、その先まで考えが及んでいなかった。当時も今も、七年経過したにもかかわらず中身は成長していなかったのだと、情けないようなふがいなさを感じてきた。
そしてそこではじめて、ようやく分かってきた気がした。この向いていないかもしれない仕事から目を逸らし続けていては、いつまでたっても根本的な解決はないのだと。目が覚めるようにまた体に熱を帯びてくるように、これからの訪問の大切さが感じられるようになった。
「別に上手くできなくてもいいじゃない、どうせ浪人組の私だし」
思わず小さく心の声が漏れてしまった。幸い車両の中には少ない乗客が一定の距離間で離れて座っているので聞こえてはいないみたいだった。
もともと何か秀でた才能があったわけでも、得意分野があったわけでもない。それでも、腐っても何とか続けることこそが私の原点ではなかったか。
今日こうして久々に相鉄線に乗車した機会を、私は実りあるものにできるか。
緑園都市駅の到着はもう間もなくだ。これまで数えきれないほどこの駅を通りがかったが、下車するのは今日が初めてだ。
柔らかく弾むような座席シートに押されるように立ち上がった。車窓から見えてきたのはあの頃と同じようでいて、何か違う雰囲気を感じさせる、緑豊かで温かそうな街だった。