お昼ごはんを食べてから、来月号の企画とか、
色んなことを話した。思っていたより時間がたっていたらしく、ビナワンを出る頃には夕暮れ時になっていた。
「じゃあまた来週」
私がそういうと、みんな手を振り、バイバイと別れた。マキちゃんは左手のバス乗り場に向かい、いっちゃんは右手の斜めに向いた階段を上がって相鉄線ホームへ向かう。銀色の車体に赤いライン、先頭の車両の真ん中の部分が赤い色した電車が見える。走り出すいっちゃんの後ろ姿が電車に吸い込まれ、ドアが閉まって緑色の座席に座るのが見えた。
ふとバス乗り場の方へ目を向けると、ちょうどバスが来たようだ。マキちゃんの並んだ列が動き、順番にバスに乗り込む。クリーム色と緑色に塗られた相鉄バスは、ドアが閉まると駅前のロータリーをぐるりと回り、協和銀行の前で左に曲がって見えなくなっていった。
私は階段を上って小田急線ホームへと歩いていった。バッグの中から定期を取り出し、改札の駅員さんに定期を見せ、ホームへの階段を下りていった。
いつのまにか眠ってしまったらしい。膝の上の読みかけの本が閉じていた。
「海老名、海老名、終点です」
車内アナウンスの声がした。電車は止まり、ドアが開いた。藍色の座席から立ち上がってホームへ下りた。うっかり一番後ろの車両に乗ってしまったので、改札口までかなり遠い。私はゆっくりと歩き出した。
自動改札機にPASMOをタッチして相鉄線の改札を出ると正面に広い通路とエスカレーターが見える。斜めに傾斜のついた階段は、今では小田急線ホームと直角に交わる大きな階段とエスカレーターになった。エスカレーターを上ると小田急線の改札が右手に見えてくる。パンの焼けるおいしそうな香りがただよってきた。花屋の店先では色とりどりの花が飾ってある。天井が高く、広くて明るい駅の構内。
駅を出ると、駅前から通路が伸びて、左右に弧を描くように丸く広がる。向かって左側にはかつてビナワンだったビナウォークの一番館、その奥にはビナツーと呼ばれていた小さな二番館がある。右側にはビナフロントの角張った白と茶色の建物。そして真ん中の部分は広い通路がまっすぐにビナウォークの五番館と六番館に向かって伸びている。
私はまっすぐ通路を進み、ビナウォークの手前で階段を下りた。目の前に大きな広場が広がる。左手には池があり、右手には何かイベントでもあるのか、ステージの上でマイクを持った女の人が歌っている。ステージの前では買い物客が何人か足を止めて聞いている。
ステージの前を通り過ぎると、塔のような建物が見えてくる。神社やお寺にあるような古風な和風建築で、屋根が何層にも重なる。近代的な建物が並ぶ空間にはちょっと異質なこの建物のことを私たちは「五重の塔」と呼んでいる。
塔の前で立ち止まり、携帯の画面を見た。遅れるという連絡がないので、時間通りに来るだろう。
「ちーちゃん、お待たせ」
上から声がした。見上げるとマキちゃんが建物同士をつなぐ通路から手を振っている。階段を使って広場まで下りてきた。
「マキちゃーん、ちーちゃーん!」
いっちゃんの声だ。どこだろう、とあたりを見回すと、駐車場へ続く地下の階段を上っていっちゃんがやってきた。
私たちは食事をしようとお店を探した。最初はビナウォークの中のレストランにしようかと思ったけれど、マキちゃんが
「今日はちーちゃんのお祝いだから、もう少し落ちついたところにしない?」
といって、ビナウォークとは駅をはさんで反対側のららぽーとのレストランで食事することにした。
いっちゃんが車で来たから、みんなお酒は飲まず、ソフトドリンクで乾杯した。
「タクちゃんの合格、おめでとう」
マキちゃんがカフェオレのグラスを持ち上げていった。私の息子の匠(たくみ)は推薦入試で大学に合格した。それを祝ってみんなで食事をしようと誘ってくれたのだ。子供の成長や喜びごとを一緒に祝う人がいるのはとてもうれしい。
「ありがとう。マキちゃんのおかげだよ。やっぱり早めに学校見学行ってよかった。」
マキちゃんは高校で美術の先生をしている。職業柄今時の受験情報には詳しい。私たちが学生の頃とは、入試のやり方がずいぶん変わった。高校入試では公立校の入試でも面接があるとか、大学入試では、私立大でもセンター試験を利用した受験ができるとか、そんな情報はみんなマキちゃんが教えてくれた。
「世の中変わったよね。私たちの頃は、一般入試ばっかりだもの。推薦はどっちかっていうと短大を受験する子だったよね。」
いっちゃんがレモンティーを飲みつついった。
「そうだね。それが今じゃ四年制の大学でも推薦は多いよ。AO入試だってあるし、もういっぱいありすぎてわけわからん」
やがて、みんなが注文した料理が運ばれてきた。私はコーヒーを一口飲んでからメインディッシュのペスカトーレを食べることにした。
久しぶりに集まった仲間たち。いつもは麺類とか洋食でもファミレスやフードコートなど、手軽に食べられる値段のものにしてしまうけど、今日は三人ともちょっと奮発してランチといえるものにしている。ささやかなぜいたくに舌鼓を打ちながら話に花を咲かせていた。
「そういえば来る途中、これ買って来たよ。」私は一冊の雑誌をいっちゃんに差し出した。
「あれ?Reinbowじゃない…。なんだ、いってくれればちーちゃんに送ったのに。」
「いっちゃんの本が本屋さんに並んでると、うれしくてつい買っちゃうのよ。」
いっちゃんは、出版社でグラフィック・デザイナーの仕事をしている。月刊Reinbowは地域のタウン誌で、私の住む町のことものっている。
「桜が小さい頃、紙に何か描いて遊んでたの。それを見たら、絵が描いてある上の方に『げっかん・れいんぼう』ってひらがなで書いてあったのよ。」
「お母さんのまねしたんだ?。」
「そうなの、よく見てるよね!」
「今でも絵は描いてるの?」
「どうだろ?今は絵よりサッカーの方が好きみたいだよ。」
桜ちゃんは運動神経がよくて、足が速い。どちらかというとだんなさんに似ているみたい。いっちゃんは社会人になった頃、Jリーグが大好きで趣味が高じてサッカーチームに入ったほどだ。だんなさんとはそこで知り合った。そんな両親の影響からか、小学生の頃からサッカーを始めた桜ちゃんは、中学生になった今もずっと続けているらしい。彼女いわく、「足が速いのと動体視力のいいのはお父さんゆずり」なんだとか。
「私はいつか一緒に漫画描けたらいいなあ、って思ったんだけど、ダメそうだな。」
「なかなか思う通りにはいかないね。」
「まあいいじゃん、そのうちなでしこジャパンに入るかもよ。」
冗談まじりに好き勝手なことをいって盛り上がっている。これも学生時代から続くノリだ。
「だけどさ、私たちの中で一番がんばったのはやっぱりちーちゃんだよ。」
パスタで口がふさがっていたので、そうかな?と目で聞くと、いっちゃんもマキちゃんもそう思うらしい。
「いや、絶対そうだって。いくら仕事がメチャクチャ忙しいからって三回も入院する人はいない。それで退院してすぐまた現場に戻るんだもん。」
「だって人手が足りないから来てくれ、っていわれたんだもの」
「それでも普通はいかないよ。」
学校を卒業して就職したのはアニメ制作会社だった。といっても、アニメ番組の動きの元になる動画や原画を担当するアニメーターではない。アニメーターが描いた動画をもとにセルという薄いプラスチックの板の上に線を写すのをトレースという。私の仕事はトレースの済んだセルに裏側から専用の塗料で色を塗る、セル彩色の仕事だった。仲間うちでは仕上げをする人、という意味で自分たちの仕事をシアゲーターなんて呼んでいた。
「親に反対されてどうしてもアニメ系の専門学校行けないからって、ツテを頼って高卒で入ってさ。」
「仕事のわりに給料安くて、朝から晩まで働いてさ。三回目の入院のとき、タクちゃんがいなかったらまちがいなく過労死だね。」
そうかもしれない。お給料が安くても、自分のやった仕事をたくさんの人に見てもらえるのがうれしかった。無理をして倒れても、人手が足りないといわれると、必要とされていると感じてうれしくてまた無理を重ねた。三回目に倒れたとき、お腹に匠がいることがわかり、もう少しで流産するところだった。さすがにこの仕事を続けていくのは難しいと思った。そうして私はシアゲーターをやめて家庭に入った。
「ちーちゃん、今度のクリスマスには、どんな劇をやるの?」
「教会でやるんだけど、毎年降誕劇ばっかじゃ飽きるから、かさじぞうになったよ。」
「それいいね。どうせ年末だし。」
「ちーちゃんが人形劇始めたのはいつ頃からだっけ?」
「匠が小学生のときだね。PTAの役員に手伝ってくれっていわれたの。」
その人形劇は最初、読み聞かせのボランティアだった。子供たちに好評で、関わっていくうちに読み聞かせに加えて朗読劇、人形劇とやる内容が増えていった。他に書店で週三日のパートもしているが、今ではどっちが本業かわからなくなってきている。
「今年は匠も劇の手伝いするのよ」
「そうなの?じゃ、私見に行く!」
「私も!桜も連れていこう!」
世の中は変わって、街も人も変わっていく。でもそんな中で変わらないものだってある。
「そういえばさ、今月号の原稿できた?」
「そういうと思って持って来たよ。」
「私も。メールで送った方が楽だけど、せっかくみんな集まるんだから紙で持ってくる方がいいよね。」
カラーできれいに描かれた表紙。小説に挿絵がわりに入れられている色鮮やかな写真。昔は白黒コピーだった原稿はカラープリンターを使って家で印刷するようになった。
いっちゃんとマキちゃんは、私がぼんやりしているうちに話題を変えてこのあいだのハロウィンの話で盛り上がっている。
「桜といっしょに魔女のコスプレしたよ。」
「パレードか、いいなあ。美術部の教え子たちと来年私もやろうかな。」
学校を卒業しても、みんな別の会社に就職しても、結婚して遠くの町に住むことになったって、あの日の誓い通りに今でもMilKは続いている。きっとこのままずっと続いていくのだろう。
長いつきあいの友達と過ごす楽しい時間はあの頃と少しも変わっていないのだから。