――私は「レールに乗った平凡な人生」っていう今でも時々見かけるフレーズが嫌い。だって私は、レールの上をゆく列車が好きなんだもの。あのドアと窓の縦線がズラリと並ぶ通勤電車が、線路の起伏をトレースしてやってくるのを見ると、乗った人々やそれを運転する人々の織りなす素敵な物語の交響楽が聞こえる気がするから。この世の中には、平凡な電車も平凡な線路も平凡な街も、一つもない。その一つ一つが、それを愛する人のいる、大切なものだから――。
それが持論で、我が鉄道研究部(鉄研)の部誌にそんな文章を書いた私は、海老名にある高校の鉄道研究部・副部長・葛城御波(かつらぎ みなみ)。
鉄道研究部というと耳慣れない人もいると思う。要するに電車好きの子たちが集まって、鉄道模型をやったり鉄道旅行をしたりする部活のことだったりする。電車の話をただするのではなく、部活として団体で車両工場に見学に行ったりすることもあるし、最近は『高校生鉄道模型コンテスト』なんてのが東京で開催されるようになって、私たちもそれに向けて鉄道模型作りをがんばっている。そんな精一杯の青春の日々。
そんな私は数日前、地元の私鉄・相鉄の新型電車20000系が、製造した山口県下松の笠戸工場から運ばれてくる『甲種輸送』をネットで知った。線路に乗っている電車を自走させずに機関車の牽引で貨物列車として輸送するのを『甲種輸送』という……って、こんなコト知ってる私が普通の女の子なわけない。
そして今その新型電車の写真を撮ろうと、このJR厚木駅とつながった相鉄の操車場に向かっていた。
でも情報によれば、厚木駅へのその電車の到着は真夜中の0時55分。さすがにそんな深夜に行くわけにはいかなかった。だから狙うのは厚木駅に着いたその新車がかしわ台に向かうためにまた準備をするその次の日。
いつも応援している地元の鉄道・相鉄の導入した9年ぶりの新形式の新車に、気持ちがとてもうきうきする。
すでに相鉄のホームページの発表でそのイメージ図は見ているけど、実際見てみるとどうなんだろう。そう思うだけで心がとてもときめく。
実際見て、印象よかったら、私だけのものにするため、鉄道模型で自作しちゃおうかな。
営業運転に入ってはじめて乗れるのはいつなのかな。
でもこれ、デートに行く女の子の心理みたい。って、あっ、私、女の子だった! ワスレテタ!
まあ、私、たしかに変な子かも。
だって私、『原宿』と聞くと『竹下通り』とかじゃなくて『え、あそこの貴賓ホーム、どうかなっちゃうの?』ってすぐ思っちゃうもの。
原宿駅には昔、お召し列車の発着に使われてた特別ホームがある。今は使われていないらしく、その今後の活用のことのほうが私の関心事。
……やっぱり私、ズレてるかも。
途中、ケータイでTwitterを見て、情報を確認する。
ここまでのその輸送の長い650キロの旅路は、昭和の名機・機関車EF66、それも最近数を減らしている0番台による牽引だったとか、そこからは相模線に入る久々のディーゼル機関車牽引列車となったとか、さらにはその最後尾の運転台に『素敵な演出』があったとか。
そういう話を見て、私もさらに胸が高鳴る。特に前に鉄研の旅行で見た、コンテナ貨物列車の黙々と走る長い車列、そしてその後ろを引き締める赤い円の後部反射板2枚という姿にも、また独特の魅力を感じていたので、その連装でこの甲種輸送列車はそれよりさらに魅力的なんだろうな、とか……もう私は空想と言うか妄想がはかどって仕方がない。
そして、私が乗った小田急線の電車からチラリと見えた、深い濃紺の車体!
あ、いた!
20000系だ!
ついに私の目で目視したことに、興奮しながら駅の階段を降りる。
20000系は、この曇り空が残念だけど、それでも素晴らしい艶やかな塗装で輝きながら、操車場でかしわ台への出発を待っていた。
普通の人には普通の通勤電車に見えてしまうのだろうけれど、私には興奮して語りたくなる要素満載の新型電車だ。早く誰かに語りたいけど、その相手がいつもはそれ以上に語り返してくる鉄研のみんななので、ちょっとそこは不満だったりする。
そして、今日の甲種輸送のハイライト、新車を運ぶ事業用車モヤ700による牽引が始まろうとしている。
その事業用車がやってくるだろう方向を見つめて、私もカメラをまた構えて、もう一回ピントを調整したその時だった。
「やめてください!」
フェンス際に並ぶ私たちの撮影の鉄道ファンの列がざわつきだした。
「!!」
そのうちの一人が、タバコをポイ捨てしようとしてて、それに男の子が抗議している!
「なにやってんの!」
思わず私はそのポイ捨てしようとしている男に叫んでしまったけど、その後で『しまった!』と思った。
『鉄道ファンのマナー向上』が、わが高校の鉄研の目的の一つとは言え、相手は年上の男。
正直、怖い……。怖いよ……。
後から後から、怖さが足元からどんどん湧き上がってくる。
怖さで心が折れそう……。顔は興奮で火照ってるけど、真っ青にもなりそう……。
「まあ、よしましょうよ、それは」
しかし、その対峙に柔らかい声を傍らから上げたのは、ロマンスグレーの髪に、クラシカルなフィルムカメラを持った別の年配の男性。
「そうですよ。とくにこういう子どもたちの前でそれは、ねえ」
続いたのはチェックの上着と、一目でわかる最新鋭デジカメを構えた別の若めの男性。
「ここはひとつ」
さらに他の大人たちが次々と穏やかに続く。
周りの大人のファンたちが次々と加勢してくれた!
「……わかったよ」
そのタバコポイ捨て男は、ちょっと毒づくと、ポイ捨てを未遂でとどめて、携帯灰皿に捨ててくれた。
「ありがとうございます!」
私はそういったけど、そのあと、ガクガクと震えだした。
結果は良かったけど、私、また勇気出しすぎちゃったよ……。
どうしてこう私はつい前のめりになっちゃうんだろう…。
「ありがとう」
その男の子がお礼に来た。
「あ、ああ」
私は声が出ない。
「もうすぐ、牽引の事業用車、くるよ」
私は震えている。
「はい、深呼吸ー!!」
それを見た男の子は、笑ってそう大きく言った。
「息が浅いとつらいでしょ? 落ち着いて。もう怖いことはないよ。ここにもあんな素敵ないい仲間が一杯いるんだし。それにせっかく撮影に来たんだもの、楽しんで撮影しなきゃ」
私はまた真っ赤になった。
わーっ、なんて優しい人なんだろう!
「そ、そうよね」
うわっ、でも言葉が全然うまく出せない! 私どれだけビビってるの!
「これ、お礼かねて。ありがとうね」
男の子はポケットから名刺を出した。
それにはTwitterのアドレスも書かれている。
慌てて私も鉄道研究部の名刺を取り出し、交換する。
「あ、もう列車くるから、撮影してからまた!」
彼は去っていった。
私はその後姿を、ぼうっと見送った。
ようやく落ち着いてきた。
さわさわとした歓声に迎えられて、黄色の事業用車モヤ700が、ピカピカの濃紺色、ヨコハマネービーブルーの新車・20000系に連結される。
事業用車の先頭にはこのための記念のヘッドマークが誇らしげに飾られている。
またその20000系の最後尾の運転室には相鉄のマスコット「そうにゃん」の大きなぬいぐるみが置かれているのも、また可愛らしく、私のようなファンには嬉しい演出だった。
そして、係員さんたちの連結作業の後、20000系は事業用車と結ばれ、かしわ台に向けて走り出していく。
ほんと、素敵だなあ。相鉄100周年に相応しいなあ。
でも、あれ? 車両が素敵なの?
それとも、彼が素敵なの?
私は混乱しはじめた。でもそれをぐっと堪える。
まず新車を撮影して、心にも焼き付ける。
この日、二度とまたこない大切なこの日を、心に刻む。
素敵な新車、そして素敵な出会い。
今日はホント、嬉しい日になったなあ。
私は、とても幸せな気分だった。
でも、それが……。
なんと、彼はその撮影の直後、「じゃあ、僕、帰りの列車があるから!」と元気よく言い残すと、駅に駆けていってしまった。
えええっ!
私はボーゼンとしてしまった。
普通はこれ、満足した後、『撮影ごくろうさま』で一緒にコーヒーとか飲むパターンだったんじゃないの?
なに、その素っ気なさ! えええっ!
って、何をこんなに期待してたの、私は!
というか、これ、まさか、いわゆる、『恋』?
えええっ!
私、もしかすると、『恋』に落ちちゃったの!?
えええっ!
だって、私、恋愛より鉄道が大好きで生きてきて……えええっ!
混乱含みでしばらく立ち尽くしてしまった私だったけど、そのあと、駅に向かい、帰ることにした。
帰り道、どうにも気もそぞろになってしまっていた。
まあ、私、恋愛なんか嫌だ、とか、恋愛なんてどうでもいい、ってほど思い詰めてはいなかったけど、でもなんというか、その、あの、男の子のことは、べつにたまたま眼中にないというか、目に映るのはいつも鉄道の風景だっただけで、嫌いってわけではなかったけど……って、私、なにをこんなにうろたえてるの!?
電車を見る前には、帰りに海老名の新しいショッピングモールとかをちょっと見て帰ろうかと思っていたけど、その気持ちの余裕は今、全然なかった。
それでもがんばって、海老名駅の改札の中にあるお寿司屋さんで、お母さんに頼まれてたお寿司を買って、電車に乗る。
私の家は相鉄かしわ台駅の近くにある。
車両基地もあって、小さい頃からフェンス越しにいつまでも眺めていたかしわ台駅。小さい頃から、この車両基地の海老名側の留置線が高架になってるのが好きで、幼い頃の電車の落書きに必ずこれを描いていた。それぐらい思い入れのある駅。かつての蒸気機関車と客車も展示されている。そして一足先に最新鋭の20000系は行っているはず。
そこまでのたった一駅の短い乗車時間だけど、でも、馴染んだ日常の車内が今日は、なにかがおかしい。
そして突然、電車の中でケータイの通知が鳴った。
うわ、私のケータイだ! マナーモードにするの、忘れてた!
慌ててケータイを見ると、彼から「今日はありがとう」のTwitterメッセージが入っていた。
ケータイをマナーモードにしながら、また慌てて返事の挨拶を指で入力する。
そんななか、アナウンスで電車がかしわ台に着くことが流れる。わああ、時間がないよう!
そんな混乱のまま、駅から歩いて、家についた。
お母さんにただいまを言ってお寿司を渡し、私の家の子供部屋に入って、ドアを締めたあと、ふうっと大きな息を吐く。
部屋のなか、小さな頃に買ってもらった学習机とセットの椅子に座って、また息を吐く。その椅子には最近鉄道車両メーカーのグッズ部門から発売された、電車の椅子と同じ布で作られたクッション。そしてその隣、私のベッドにいるぬいぐるみはさまざまな鉄道各社の作ったキャラクターぬいぐるみ。そして自作と完成品で手にい入れたお気に入りのNゲージ鉄道模型の並んだ戸棚。そんないつもの私の部屋に包まれて、私は少しずつ平静を取り戻していく。
でも、おちつきかけて、カメラの中の今日撮った写真を見たら、またぼうっとしはじめた。
そんな家の中でも、窓越しに遠くで相鉄の列車の車輪がカーブレールで擦れる、冷たい鋼の音が聞こえる。
幼い頃からいつもこの音を聞いてきて、それがすごく好きだった。
毎日、夕方のこの音に聞き惚れていた。
相模野の起伏ある大地に抱かれた、この街も、私は好き。
緑もまだ残っているこの相模野の住宅街。
大昔の蒸気機関車の頃の相鉄の話を調べると、このあたりはもっと緑豊かな野山だったらしいけど、今は造成されて近代的に発展した郊外のベッドタウンが大きく広がっている。
モダンでドライなところもあるけど、これが平成生まれの私にとっては、間違いのない『ふるさと』。
その一角の公園の砂場も、台地の上に造成された小学校も、家族で休日に通ったバイパス沿いのファミレスも、何度も経営が変わったディスカウントストアも、大きなショッピングモールも。
そして近所のコンビニでさえも、私にとっては生まれたときにはすでにあって、懐かしさを伴う、いろんな思い出の詰まった風景。
その真ん中を相鉄の列車が走っているのも、すっかりなじんだ、いつもの心安らぐ素敵な風景。
でも……。
ケータイのTwitterの画面を見ながら思う。
彼も、素敵だったなあ。
一緒にもっといろんな旅や電車の話、したいなあ。
そして、一緒に……いろんな所に行きたいなあ。
行けたら、きっと素敵だろうなあ。
手つないで、時々振り返ったり。一緒に来てくれてるかどうか確認するために振り返るの。そのたびに彼の笑顔を何度も見て。
そして一緒に食事を楽しんで。
楽しいだろうなあ。向かい合わせに座ったりして。素敵だろうなあ。
憧れちゃうなあ。彼、すごく明晰そうで、それに爽やかだったもんなあ。
わあっ、妄想がはかどり始めちゃって、ぜんぜん止まらないよう!
でも。
そう思いながらやりとりするTwitterにきた彼のメッセージに、私は驚いた。
「ええっ、大阪なの!?」
彼はなんと、大阪在住だった。
しかもすでに高校を卒業後の大阪での就職もほぼ内定しているらしい。
でも、大阪からわざわざ、この神奈川の相鉄の新車を追っかけに来たのか……。
地元の応援してる私鉄が思わぬところにファンをもっているのがわかって、私はちょっと誇らしい。
でも、今の私の関心は正直、そこじゃない。
これ、もし交際するとしたら、親にすごく反対されちゃうだろうなあ。
ていうか、私、『交際したい』って……。どんだけ私、前のめりのなの!
そして、いろいろ考え込んで、いろいろ妄想に耽っているうちに、疲れて眠って、朝になった。
いつもの通学の相鉄線に乗る。
なじんだ列車の前面を、私は親しみを込めて『顔』と呼ぶ。
おはよう。いつもの朝はそれにそう心の中で挨拶の声をかけるのに、今日はそうできなかった。
違ったのは、雨がちですこしじめっとした天気だけじゃない。
私の心も、すこし湿っている。列車のクーラーが効いているのに、心は晴れない。
大阪、地味に遠いよ……。
この新幹線とジェット機、そしてリニアもそのうち出来るって時代でも、遠いよ……。
いつも気軽に乗るこの相鉄の電車で通うみたいには大阪には行けないもの。
相鉄線が大阪まで伸びてくれればいいのになあ。
はっ、何考えてるんだ私! そんなわけないのに!
私、しっかりしようよ! 私のバカ!
いくら相鉄がいま、がんばって渋谷や新横浜へ路線網を拡大する大工事をしてても、大阪は無理だよう……。
でもその時、頭の中にひらめいた。
……でも、線路は繋がってる!
すぐにケータイにつけていたお小遣い帳を見た。
貯金残高をもう一度確認する。
小さい頃から貯めに貯めたバイト代とお年玉。
これ、今度買おうと思ってた鉄道模型のセットを諦めれば……。
ぎりぎり行ける!
そして、その数日後。
テツの朝は早い。……って、これ、何かのテレビ番組みたい。
かしわ台駅のコンコースからホームに、私は、決意とカバンとともに降り立った。
強い夏の日差しの中、私はいつもの、馴染んだ相鉄に乗る。
やってきたなじみの電車の『顔』に、心の中でおはようと挨拶する。
でも、乗った列車はいつもの反対の方向の始発電車。
かしわ台発4時44分、各駅停車横浜行。
向かうは大阪。彼の待つ地。
日帰り旅、それも弾丸ツアーだけど、行くことにした。
いつもの相鉄の電車が、このときは旅気分になった。
それで普段座らない、中間車の前向きの椅子(クロスシート)に座ったりする。
向かい側の席には人がいない。始発列車らしい閑散とした空気。
それに朝日が差し、ゆっくりと車内に柔らかな影と明かりを交錯させる。
それを見ている私は、彼のことを想っている。
どんだけ気分もりあがってるの、私……。
でも、それだけ心が浮き立っていた。
相鉄線の電車は、そんな私を乗せて横浜へ、一駅一駅、かみしめるように走っている。
そして横浜乗り換えで地下鉄経由で新横浜駅に向かう。
列車はゆっくりと、上り列車終点の横浜駅の行き止まりホームに止まる。
気のせいか、いつも横浜駅は中華の点心の柔らかい香りがする気がする。
本当に気のせいかも知れないけれど、どこか私には懐かしい匂い。
幼い頃からお父さんお母さんと、休日の買い物にきていたせいか、ここも私のふるさとの感じがする。
でも早朝なので店は開いてなくて、そのかわり行き来する人の靴音のコーラスが響く。
でもそれもいつもの平和な日常。
そして常に拡大し、進化し続けるのも、またなじんだ横浜駅の日常。
地下鉄に乗り換えて、着いた新横浜駅。
鋭く光るヘッドライトを輝かせて、純白の新幹線がやってくる。
6時00分発、ひかり493号。
席につく前につい、車内に表示されているこの新幹線の車両形式と車両番号をメモしてしまう。私がほんと、テツ、鉄道ファンなんだな、と自覚するシーン。
そして新幹線はドアを閉めると、案内アナウンスの流れる中、ジェット機のような鋭い走行音に包まれながらぐんぐん加速していく。
私は当然のように窓際の席を選んであった。
座りながら、最新の新幹線は窓が小さいとは言え、それでもそこから見える風景に魅入ってしまう。
彼の待つ新大阪が、どんどん近くなってきて、興奮もますます高まってくる。
窓の外、時速285キロで過ぎ去っていく沿線。
この途中途中にある家々や街にも、同じように思う人々、女の子と男の子が、たくさんいるんだろうな……。
鉄道は、きっと、こんな心も、いくつも乗せて、繋いでいるんだ。
そんな事思いながら、買ったシウマイ弁当を食べて、まず朝の腹ごしらえをする。
途中で富士山は見えなかった。
でも、もうすぐ会える。
途中の車掌さんのアナウンスを聞き、Twitterのメッセージで彼に、もうすぐ着きます、と送信する。
「来たねー!」
8時12分、ひかり493号、新大阪定時着。
新幹線のドアを出ると、そのドア口にばっちり彼が迎えに来ていた。
一瞬うれしさにハグしたくなったけど、気後れしてできない。
というか、それ以前に、身体がこちこちに固まってる。
なんだろう、これ……!
「じゃあ、Twitterで言ってた『見どころ』に行こう」
彼が私の手を自然と取った。
わ、手、触わっちゃった!
「顔、真っ赤だよ? 大丈夫?」
「う、大丈夫、だ……」
だめだ、私、完全におかしな子になってる……。
彼の案内で新大阪駅を探検し、大阪駅に移動してまた見学と探検。
今日最大のイベント、それは日本の鉄道最高峰の一つ、豪華寝台列車『トワイライトエクスプレス瑞風』の発車。
巨大な大阪駅の吹き抜けの下にあるホームに行き来するいくつもの列車の中に、その深緑の列車『瑞風』は、まさに西日本に君臨する女王のような気品と風格で、9時55分、定刻通り、しずしずと大阪駅10番線ホームに入線してきた。
でも、私達高校生には、それに乗る料金、ざっくり言って一泊や二泊でウン十万円なんか当然払えない。
というか泊まって……? えええっ!
いくらなんでもそこまで不純なのはダメ! あくまでもKENZEN!
まあ、お見送りするだけなのだけれども、光沢で輝く深緑色の上に鮮やかな金帯の入った車体のその憧れの列車を見るのは、見るだけでも夢のように素敵なひとときだった。
そして10時18分、発車して去っていく『瑞風』の最後尾のテールランプと、そのオープンデッキに出て手を振る乗客の人々を写真に収めた。
「撮れた?」
「うん!」
私たちはそれぞれのカメラのファインダーモニタを見せ合い、そして見つめ合って満足を共有した。
そして大阪駅の大きな吹き抜けにあるテラスの素敵なカフェで、早めの昼食をすることになった。
時計塔が立った、鉄骨のトラスの大屋根の下の明るい吹き抜けのカフェ。
下は大好きな列車が次々と発着する駅のホーム。上には空中庭園。
話は尽きない。鉄道の話題だけでも、話しても話したりない。
そりゃ趣味が一緒だし、それに……。
その時、突然、彼がつぶやいた。
「僕、進路、もともとレールみたいにすっかり決まってたんだ。でも、本当にこれで、よかったのかなあ」
えっ。
「いいんじゃない? 私のほうは進路まだぜんぜん決まらなくて。ははは」
私はそう答える。
でも心は今、食べているはずのサンドイッチにも全然いってない。その味もよくわからないほど、胸がずっと鳴っている。
「そうかなあ。今なら、できれば」
きたー!! というか、きちゃった!!
「君と」
その次の言葉を、私は待った。
「あっ、珍しい! U@tech(ユーテック)がきた! 撮ろうよ!」
その時彼が下のホームにやってきた列車に気付いて立ち上がった。
U@techというのはJR西日本で新しい電車に使う鉄道技術を試験する車両。滅多に走ってる所を見られない珍しい列車なので、こうして偶然見られるのはとても嬉しい。
嬉しいけど……。
本当に今嬉しいのは、そっちじゃないよう!
でも、私からも、それを言い出せない。
私のバカ……。
でも、言ったとしても、どうしたらいいの?
また私の心はぐるぐるし始めた。
私は結局、言い出せないまま、カフェを出て、彼とその次の鉄道ファンにとっての名所に移動した。
走っている電車が綺麗に撮れることで有名な京都山崎の「サントリーカーブ」、同じく須磨-塩屋の「スマシオカーブ」にも行く。最近出来た梅小路の新しい鉄道博物館は外から見るだけでもおなかいっぱい。また数多くのJR西日本の名車のふるさと・吹田工場もできれば降りて歩き回りたいけど時間に余裕がない。ほかにもほかにも見たいものが一杯……。
鉄道ファンのこういう旅は、どうしてもつい欲張って、こうしてフリー切符を使い倒すような旅になってしまう。
でも彼が私を喜ばせようと考え抜いた大阪鉄道名所巡り、よくプランが考えられていて、感心するとともに、とても嬉しかった。
でも、こんなに楽しい大阪・鉄道ファン名所巡りなのに、時間は当然どんどんなくなり、容赦なく帰りの列車の発車時刻が迫る。
「最後に、帰りの新幹線の入線シーンも見るでしょ」
最後、大阪環状線の車内で、彼がそう言う。
「うん……」
一緒に並んで吊革につかまっている私は、寂しさともまた違った感情で、答えが濁ってしまった。
「どうしたの? なんかつらそうだよ?」
彼が気にしてくる。
「なんでもない」
なんでもなくない! ぜんぜん、なんでもなくない!
でも、私、どうしたら良いか、わかんない!
それなのに、時間通りに大阪環状線も新大阪に定刻通りに着き、新幹線も定刻通りに新大阪駅ホームに入ってきた。
時間が止まってくれないかな……。
一秒一秒が、すごく惜しい。
でも、出発の時刻が迫った。
「じゃあ」
「う、うん」
別れのとき、ちょっと泣きそうになった。
だって、彼も、硬い表情で、言葉をこらえているのがわかるんだもの。
『またね』
きっと、彼も、そう社交辞令で言いたいんだと思う。
でも、無責任にそんなこと言えないの、わかってるんだ。
だから、私も言えない。
人はこんなに思いがこもると、無口になっちゃうんだ……。
そして、二人で、なにかを言いかけては黙る、というのを何度も繰り返した。
無言のまま、チャイムと共に、新幹線のドアがしまった。
でも、手をふって別れる気持ちにもなれなかった。
それは彼も同じみたいだった。
そういう彼だから、
私は、すごく彼が好き。
でも、こう寄り添ったレールは、行き先の違いで離れてしまうんだろうか。
夕闇の中を走る帰りの新幹線の車内で、じっと考えていた。
私のこと、変な子だと思ってたけど、それほど変じゃなかったのかな。
普通に、こうして男の子に憧れたりしてるし。
でも私はやっぱり鉄道も好き。
小さい頃は新幹線の運転士になりたかった。
今はもっと別のものも目指しているけど、迷いだらけ。
そのうえ、こうしてまた迷いが追加されてしまった。
新幹線はまた白銀の矢のように、鋭く容赦のないスピードで走り抜け、新横浜についた。
そして相鉄に乗り換える。
横浜駅で、いつもの相鉄の電車が、ホームで並んで待っている。
そのとき、その『顔』が、『おかえり』とあたたかく言ってくれたような気がした。
そこで、はっと思った。
そうだ。
もし、人生のレールといわれるものからはずれたとしても、気づきにくいけど、そこには必ずまた、別のレールがあるんだ。こうしてまるで乗り換える路線がいくつもあって、迎えてくれるように。
そして、いつも、レールに乗るのも乗せるのも、自分次第なんだ。
未来は、いい意味で白紙だし、レールはどこにでもつながってる。
だから……。
帰りの相鉄線の電車が走り出した。新幹線とは違った柔らかなスピード感が、すごく優しく感じられる。
その中で私は揺られながら、思いを込めて、メッセージを送信した。
『私たちのためのレールも、どこかにきっとかならずある!』
それに彼から「いいね」のスタンプが送られてきたとき、電車の車内に、いつものかしわ台到着を告げるアナウンスが聞こえた。
旅が一つ、終わろうとしていた。
今日の旅は、世の中から見れば、他愛もない小さな旅。
でも、私たちにとって、きっとこれは、大事な旅。
そしてこれが、私のレール。