思い出した。 いずみさんは幼い頃(ころ)、鉄道好きのお父さんに連れられて車両区によく来ていた。
お父さんと、小さないずみさんは手をつないで電車を見ていた。もちろん、わたしのことも。
わたしはお父さんの気持ち、よくわかる。娘のがんばる姿を見たいんだ、ただ見たいだけなんだ。
「さあ、緊張感を責任感に変えて走るよ」
平沼さんが二人に声をかけた。
「確認だけど、Cタンクの向きを変える転車台は西横浜だから、横浜に入線したら客車を切り離す。いったんバックで西横浜まで戻って、そこで向きを変える」と平沼さん。
「横浜までバック走で戻り客車と連結する。そしてお客様を乗せて記念運転出発だ」
わたしは走るのか。なぜ? 記念イベントのためか。
蒸気加減弁を開き、蒸気をシリンダーに送り込む。弁を握る手に、ロッドから動輪に伝わる力を感じる。
「出発進行 」機関助士の大和が合図を出す。いずみは指差し確認をしながら、同じ文言を返す。
「大和くん、始めの一分が勝負だよ」いずみは大和に声をかけた。
SLは、出発の時大きなパワーを必要とする。動輪が動き出してからの一分の間に多量の蒸気を使ってしまうのだ。
「了解です」大和は、蒸気圧を下げないよう火室に連続で投炭する。
いずみは蒸気を送りながら、動輪が半回転する毎(ごと)にリーバー(逆転機)で弁をカットオフする。機関士の腕の見せ所だ。リーバーは前進後退だけでなく、自動車でいえばギアの役目もする。
スピードを上げながらリーバーを調節して蒸気の出力を調整する。
電車であれば機械が出力調整を行(おこな)ってくれるが、SLは人間がやらなければいけない。
二人の若い機関士はそれを見事にこなしている。
相鉄3号機関車「Cタンク」は、滑るようにかしわ台車両区を出区した。これから空(から)の客車を引いて横浜に向かう。
SLは、機関士と機関助士の二人で運転する。助士が作り出した蒸気の力を利用して機関士が操縦する。前方確認は機関士が左側、機関助士が右側を行う。
前方を見上げると、かしわ台跨線橋におおぜいの鉄道フアンがいる。朝陽に映える大山山塊をバックに、出区するCタンクを狙ってカメラを構えている。
右側に目をやると、西口と東口を結ぶ連絡通路がある。通路と言っても、庭園風の休憩スポットもあり相鉄線を走る車両をじっくりと見ることができる。
ここもすでに、多くの鉄道フアンでいっぱいだ。
「いずみさん、ちょっと、あれ」と大和。
通路のフエンスに横断幕が張られ、そこには『ガンバレ いずみ』と書かれている。
「私の父だわ」
「お父さん、手を振っていますよ。汽笛返しますか?」
「素通り、素通り。やっぱり恥かしさ百%」
そのとき最大級の汽笛がロングで響いた。
「本当に鳴らさないでよ」
「ぼく知りませんよ。なぜか勝手に鳴ったんです」
いずみの父親は大きく両腕を振り回した。
「あーあ、お父さん。あんなに手を振って」
いずみは短笛を二回鳴らして、父親の前を通過した。
この若い機関士たちの運転は、何十年も前の機関士たちのそれとまったく同じだ。
投炭や蒸気の送り込みのタイミング、逆転機の操作。昔の機関士たちが、また乗っているようだ。
動輪の径が少し小さくなっているが、その分、客車を引きやすくなっている。
機関士や修検の若者たち。ベテランに付いてその技術を受け継いだのだ。きっと厳しい修練だったにちがいない。
わたしはなぜ走るのか。やっとわかった気がする。
思い出だけのためではない。わたしが走るのは未来のためなのだ。
わたしは走る。
終わりのない旅のために・・・