三浦と今日子の共通の知人とは、ほとんど連絡が途絶えていた。私は今日子の職場に連絡することにした。横浜駅にある美容院だった。
三浦には進展があり次第連絡をすると伝え、美容院に行くことにした。
コートを羽織り愛車のポンコツに乗る。
二十年以上前のホンダ・シビック。
キーを回すと一発でエンジンがかかることは稀だが、今日は一発でエンジンがかかった。幸先は悪くない。
今日子の職場は横浜駅の相鉄線改札近くにある立ち食いそば屋の近くのビルにあった。私は車をコインパーキングへ停めビルに入った。七階の小さな美容室だった。
「ごめんください」
「いらっしゃい。ご予約は?」
愛想よく若い女性店員が対応してくれた。
「あ、今日は客ではなくて、ちょっと伺いたいことがあってきたんです」
私が言うと、愛想の良い女性店員から少し笑顔が消えた。調査で人にものを尋ねるとき、よくある反応だ。駆け出しのころはその度に少しだけ胸を痛めていたが、今はどうということはない。仕事とはそういうものだろう。
「三浦今日子さんという方はここで働いていますか?」
「さあ・・・・・・。あのそういう話なら店長に訊いた方がいいかも。私この店入ってまだ2年目なんで」
「じゃあ、店長さん呼んできてもらってもいいかな」
しばらくすると、オーナーと思わしき男がやってきた。短髪に髭を生やしている。清潔な白いシャツにジーンズ、それにアディダスのスタンスミス。
「オーナーの館林です」
「すみません、お忙しい中。私、探偵をやっておりまして、三浦今日子さんを探しているんです」
「へえ探偵さん? 初めて見たよ、俺!」
「昔今日子さんがここに勤めていたときいたのですが」
「ああ、今日子ちゃんね。よく覚えてるよ。腕も良かったし愛想も良くて、その上美人だったからね。うちの看板娘だったんだよ。子供ができて結婚してもしばらくはここで働いてもらったんだよね。懐かしいなあ。あ、良かったらコーヒーでもどうぞ」
そう言ってオーナーは私を待合スペースに座らせコーヒーを出した。こいういう場合コーヒーが出される場合が多い。コーヒー嫌いの私には苦痛でしかない。なぜだろう。日本茶でも紅茶でも良いと思う。私自身もコーヒーを客に出すが、それは私がコーヒーを好きだからでもなく世間一般的に受けも良いわけでもない。単に近所付き合いでもらったコーヒーがたくさんあり消費しきれないから客に飲ませているのだ。私は仕方なく礼儀としてコーヒーに口をつけた。
「彼女の連絡先やその後の勤め先はご存知でしょうか?」
「まあ、わかると思うよ。何年か前に引っ越しました、なんて手紙が来てたな。それでさ、なんで今日子ちゃんを探しているの?」
「実は以前今日子さんと結婚していた男性が今日子さんに会いたいそうなんです」
「へえ。そうなのか。でもこういうご時世だからねえ。個人情報の取り扱いが結構うるさいじゃない? だから今日子ちゃんの連絡先を教えることはできないかなあ」
「もちろん、今日子さんと連絡をとるのは私です。そして今日子さんが会っても良い、となれば依頼主の男性に連絡先を教えますが、もし今日子さんが会いたくないと言えば決して依頼主に今日子さんの連絡先を教えることはありません」
「まあそれなら良いのかな。ちょっと待ってね」
オーナーは私に葉書を見せてくれた。そこには住所が記載されてあった。私はその住所をメモした。葉書の裏には新築であろう一軒家の前で家族の夫と娘であろう二人と映る今日子がいた。とても幸せそうな笑顔をしている。
今日子の住所は近かった。相鉄線の天王町駅が最寄りの駅だ。天王町は「ハマのアメ横」と言われる商店街があり活気のある街だ。今日子の家はその商店街から徒歩数分の場所にあった私はシビックを走らせ天王町へ向かった。
カーラジオからビリー・ジョエルのピアノ・マンが流れる。「そうやってみんなで孤独って酒を飲んでるんだ。そんな酒でも独りで飲むよりマシだろう? だから歌ってくれないか、ピアノマン」。いい曲だ。
今日子の家に着いた私は、シビックを近所のコイン・パーキングに駐車した。今日子の家は立派な一軒家だった。きっと新しい家族と幸せに暮らしているのだろう。
私はチャイムを押した。出てきたのは若い少女だった。
「誰?」
その少女は不機嫌そうに訊いた。三浦の見せてくれた動画の中の今日子によく似ていた。
「私はこういう者です」
私は名刺を今日子によく似た少女に渡した。
「探偵?」
「そう。君はサツキちゃんかな?」
私は三浦からあらかじめ聞いていた娘の名前を言った。
「そう。探偵さんが何の用?」
「お母さんに用があって来たんだ。君のお母さんの名前は小川今日子さんだね?」
「小川今日子? ああ、今はうちは田村って名字なの」
「そうだったね。失礼。お母さんは今お家にいるかな?」
「いないわよ。お母さんなら三年前に死んだわ」
「死んだ? 小川今日子さんが?」
「だから田村今日子だって、死んだときは」
「なるほど」
肯定でも否定でもなく、どう言っていいかわからないとき、私は「なるほど」という言葉をよく使う。
想定外だった。今日子が生きていれば現在四十三歳。一般的にはまだ死ぬには若い。
「じゃあお父さん、田村さんは今お仕事かな?」
「そうね。お母さんに何か用?」
「そうなんだ。実は・・・・・・」
と言って私はどこまでこの少女に説明したらいいのか迷っていた。デリケートな問題だ。
「もしかして、三浦のお父さんのこと?」
感の良い子だ。
「そうだ。君のお父さんが君に会いたいって言っている。私は君にそのことを伝えに来たんだ。でもまず先に君のお母さんに説明してからと思ったんだけどね」
「玄関で立ち話もなんだから、ちょっと外でお茶でもしながら話さない?」
「そうだね。どこがいい?」
「どこでもいいわよ、近所にファミレスのロイヤルホストがあるからそこにしましょう」
我々はロイヤルホストまで歩いて移動することにして、歩きながら話した。
「このあたりは随分活気があるね。商店街とか」
「そうね。野菜は安く買えるし、おでんや焼き鳥なんかもあるのよ。一着九十九円の洋服だってあるの。上野のアメ横より規模は小さいけど、その小ささがまたいいのよ」
「君は商店街が好きそうだね」
「そうね、なんかほっとするの。小さい頃西横浜駅の近くにある商店街に住んでたからかもね。もうあまり記憶はないんだけど、写真が何枚か残ってる」
我々はロイヤルホストに着いた。私はノンアルコールビールを頼んだ。今日子の娘はコーヒーを頼んだ。またコーヒーだ。
「それで、あなたの訊きたいことって何?」
「私の用件っていうのは、君のお父さん、つまり三浦さんが君に会いたがっている。もし君さえ良ければ会ってもらえないかな」
「用はそれだけ?」
「そうだ」
「私、その三浦って人、お父さんだと思ってないし、会うつもりもないわ」
「もし良かったら、その理由を聞かせてもらえないかな」
「理由? 理由なんかないわよ。だって、私はその三浦って人のこと、何とも思ってないし、お母さんに苦労させた仇って感じよ。お母さんが今のお父さんと知り合うまでは、結構大変だったのよ。親からの援助もなく、女手一つで子供を育てるのって、とっても大変なことなのよ。今さら父親ヅラされて会いたいって言われても、お断りよ。あなたに子供は?」
「いや、いない」
ならわからないでしょう、とでも言いたそうな表情だった。そのあたりは君と父親はそっくりだよ、と思ったがもちろん口はしなかった。
「オーケー。わかった。君は三浦さんとは会うつもりはない。そう伝えよう。もし気が変わることがあったら、いつでも渡した名刺に連絡をくれればいい。そうでなければ、忘れちゃってもらってかまわない。今日は話を聞いてれてありがとう」
「どういたしまして」
「あ、最後にこれ見てくれないかな」
私は三浦が撮った動画をサツキに見せた。桜が咲く小さなドブ川沿いを今日子と小さい頃のサツキが歩いている動画だ。
「相鉄の西横浜駅辺りから京急の戸部駅に向かって流れる石崎川ね。春になると、その石崎川沿いに桜が咲くの。そこを散歩するのが私は好きだった。小さい頃のことだけど覚えてるわ。久しぶりに思い出した。なんか昔の動画ってタイムマシーンみたいね。過去に戻ったような気持ちだわ」
「そうかもしれない」と私は言った。「私が頼むようなことではないんだけど、ひとつお願いがあるんだ」
「何?」
翌日私は三浦に調査結果を報告した。今日子は他界していること。娘のサツキは三浦に会うつもりはないこと。理由は今さら三浦のことは親と思えないということ。
「そうか。わかった」
「三浦さん、あまり動じてないようですね」
「いや、そうでもない。人生うまくいかないことだらけだな」
「あなた、なぜ今、娘さんに会いたいと思ったんですか? 何か理由があるはずだ」
沈黙。
「君には関わりないことだ」
「そうかもしれない」
沈黙。
「実はな、私はもう永くない。あともって一年だと医者が言っている。最後に娘に会っときたかったんだ。もう大きくなったろうな」
その三浦の言葉は私に訊いているのではなく、自分に言い聞かせているようだったが、私は答えた。
「ええ。もう十九歳です。立派な大人でした。動画で見せていただいた今日子さんにそっくりでしたよ」
「そうか。ベッピンだったろうな」
「ええ」
私は大量に余らせているコーヒーを淹れて三浦に渡した。
「うまい」
「そうですか? 普通のコーヒーですよ」
「懐かしい味だ」
「近所の喫茶店からもらったんです」
「ひっとして春木屋か?」
「そうです。春木屋がいらなくなった大量のコーヒー豆を安く譲ってくれたんです」
「ふん、相変わらず不味いコーヒーだ。しかしうまい。よくこの不味いコーヒーを飲んだよ、このあたりに住んでいた頃はな。世話になった。報酬は後で振り込んでおく」
「三浦さん、動画の入ったUSBはお返しします」
「ああ。少しは役に立ったか?」
「ええ。後でちゃんと動画が破損してないか確認してください。大事なデータでしょうから」
「一応コピーはとってある」
そう言って三浦は事務所を去っていった。
後日三浦から銀行に報酬が振り込まれていた。意外にも成功報酬と同じ額だった。私は三浦に電話をした。
「成功報酬と同じ金額です。何かの間違いではないでしょうか?」
「構わん。不味いコーヒーと動画の礼だ。受け取ってくれ」
「ちゃんと中身を確認してくれたんですね。あなたはきっと優秀だし、とても大切にしてる動画だ。コピーしてあるとはいえ、確認はすると思ったんです。ちょっとしたサプライズです」
「ふん」
私は三浦に返却したUSBの中に動画を追加しておいた。
「今見せたお母さんと君が歩く川沿いをもう一度歩いてくれないかな。それを動画に撮らせて欲しい。動画は三浦さんに見せるだけだ。少しでも怪しいと思ったら警察に連絡してくれて構わない」
「あなた、ちょっと怪しいけど悪い人じゃないでしょ?」
「自分ではそう思っている」
サツキがかつて母親と歩いたドブ川を、サツキにもう一回歩いてもらった。桜はまだ咲いてはいないのが残念だったが、贅沢はいえない。今思えばよくサツキも了解してくれたものだ。三浦から渡された母娘の動画を見せたことで信用してれたのかもしれない。
「過去から未来に来たような気分だよ。まるでタイムマシーンだな」
三浦は言った。
「あなたと娘さんも少し似たところがあるかもしれません」と私は言った。
「冥土の土産になった。礼を言う」
三浦は少し嬉しそうにそう言って電話を切った。
事務所の外を眺めると、雲が流れていた。なんとなくタバコの煙みたいだった。私はタバコを吸いたくなったが、今は禁煙中だ。今日で四日目。今が一番大事な時期だ。